小野田隆雄 2010年2月11日



イースター島の風
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  坂東工          

タヒチのパペーテから
東へ約四〇〇〇キロ、
チリーのサンチアゴから
西へ約三七〇〇キロ。
イースター島は南太平洋に
ぽつんと浮かぶ絶海の孤島である。
はるか五世紀の昔、
インドシナ半島から南太平洋を東へ、
長い長い航海のすえに、
大きなヤシの木におおわれた
この島を発見した人々がいた。
彼らはこの島をラパヌイと呼び、
定住するようになった。
ラパヌイとは、
「広い大地」という意味である。
やがて、彼らは大きな石像をつくり、
自分たちの神様にするようになった。
その石像(せきぞう)はモアイと呼ばれた。
彼らはモアイに祈り、タロイモを栽培し、
魚を捕って、平和な日々を重ねた。
しかし、生き変り、死に変り、長い歳月が
流れた頃、この島は環境破壊に襲われた。
ヤシの森は、乱伐で消え、豊かな土地は
海に流され、島はやせ衰えた。
そこへ、西洋人の船がやってきた。
一七二二年のイースター、
復活祭の日だった。そしてその日から
彼らはラパヌイの島をイースター島と名づけた。
やがて、島の人々を奴隷として売り払った。
十九世紀末、この島が
チリー領となった時、島民の数は
二〇〇名を割っていた。

さらに時が流れて、一九六七年
イースター島に旅客機が
着陸するようになった。少しずつ
観光客が増え始めたこの島に、
私たちが訪れたのは一九七八年だった。
「ホテルが一軒、民宿が十五、六軒。
 人口は、チリー政府の役人と軍人
 そして、住民をあわせて約七〇〇名。
 野生の馬が八〇〇頭。教会がひとつ」
あの当時、この島の現実について
知っていた知識は、それだけだった。
小さな空港には、強い風が吹いていた。
夜店(よみせ)の屋台(やたい)のような、トタン屋根の
吹きさらしの税関でチェックを受け、
古いジープのタクシーで民宿に向かう。
砂利(じゃり)道(みち)が、起伏のある草原の中に
続いている。草原は丈高い草ばかりで
樹木の姿は見えなかった。
民宿の灯(ともしび)は、ほの暗く、簡易ベッドに
入って眼を閉じる。窓ガラスに風の音。
その音に雨の音が混じり始める。
「ふけゆく秋の夜、旅の空の」
そんな歌を思い出しながら、眠りについた。

翌朝、雨は止んでいた。風の中を
ひとり、村はずれの海岸にある
モアイまで歩いた。五メートルほどの高さの、
少し岩が崩れかけた、薄墨(うすずみ)色(いろ)のモアイ。
巨大な顔、高い鼻。しゃくれたあご。
空を見あげる大きな眼。その眼のくぼみに
昨夜の雨が、涙のように光っていた。
風が止むこともなく、吹いている。
ずっと南から吹いてくる。
イースター島の南には、
南極大陸まで、ひとつの島もない。
あるのは海と空だけである。
ふと、思った。
この島には季節風は吹いてこない。
いつも風は南極から吹くのだと。
この島をラパヌイと呼んだ人々も
イースター島と名づけた人々も
すでにいない。モアイだけが
南の風を受け続けてきたのだ。
季節は十月、この島は春だった。

二十一世紀の今日(きょう)、イースター島は
樹木の緑も復活し、明るい現代の
観光施設もととのっている。
けれど、モアイに当たる風の匂いは
きっと変っていないのだと思う。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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一倉宏 2010年2月5日



「いろは歌」を現代的に
             

ストーリー 一倉宏                       
出演 山下容莉枝

 いろはにほへと ちりぬるを

あの「いろは歌」です。

 色は匂へど 散りぬるを

古い歌、古いことばですから、こどもにはむずかしい。

 花の色は鮮かでも 散ってしまうのに

そう説明したって、なんのことやらわからない。
「いろは」といえば「初歩的な」という意味でもあるはず。
もうきっと、時代には合わなくなっているのでしょう。
そこで、新しい「いろは歌」をつくってみました。
現代的に。現代の仮名遣い、46文字を全部使って。

まずは、これ。

ねこ よむ
いぬ ほえ
とらたちは おせ
わにや
きりんも けつさすれ
あひる へそなし
ふくろう のまゆ
かめをみて

ちょっとした、動物絵本でしょ。
ねこが監督して、いぬが応援して、
どうぶつたちが集まって、何かの仕事をしています。
「わにや きりんも けつさすれ」のところは、
きっと、こどたちにもいちばんウケると思うのですが。
もしかしたら「教育的にいかがか」と、堅い先生はいうかな。

つぎは、もうすこし年令をあげて。

あさの すそ
つまむよ
ふうせんや ゆめを
おいて かくれろ 
ぬけみちは ほるな
ねこに わたしも
えきへ ひらりと

ちょっと、ファンタジー。ちょっと、不思議の国のアリス。
アリスは、きっと何かに追われて、スカートをつまんで、
隠れて逃げて、ねこといっしょに、駅へ、ひらりと。
かわいいでしょ。少女向けかな。

最後は、こどもから、おとなまで。
教育的なんてことは、全然考えないでつくった「いろは歌」。

そのひと
あほ まぬけ
おゆにさしみ
むねや めから
へをこく 

もちろん
わすれない

はるよ
えりたて
きせつふう

前半は、落語のような、アホ話。
なのに後半は、きれいにまとまってしまいました。
余ったひらがなを、拾い集めてつくったら。

季節は、ちょうどいまごろ。
入学を楽しみにしているこどもも、そして、アホなおとなも。

もちろん
わすれない

はるよ
えりたて
きせつふう

出演者情報:山下容莉枝 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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中山佐知子 2010年1月28日



アラスカの雪の上で               
               

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

アラスカの雪の上で僕は生まれた。
僕の母さんはカリブーだった。
だから僕はいまでもきっとカリブーの姿をしているのだと思う。

僕には双子の妹がいた。
カリブーは普通一頭しか子供を生まないからこれは不思議だ。
もしかしたら、僕は生まれてすぐに母を亡くして
そばにいた雌のカリブーを母さんだと思いこんだのかもしれなかった。
双子の妹は僕より何時間かあとに生まれ、
生まれてすぐにオオカミに見つかった。

カリブーの群れにはいつもオオカミがつきまとい
弱ったカリブーや生まれたてのカリブーが狙われる。
僕と母さんは走って逃げることができたのに
妹は僕たちに追いつくことができなかった。

そうして、妹はオオカミに食べられて
オオカミのカラダの一部になったけれど
熊になるカリブーもいる。
人間になるカリブーだってときどきはいる。
オオカミの食べ残しはキツネやコヨーテがきれいにしてくれる。
僕たちはアラスカの、
肉を食らうあらゆる生き物を養っている。

それから、僕たちは草を食べる生き物を養うこともできる。
カリブーのいる土地が豊かなのは
何万年も昔からしたたりつづけたカリブーの血や
ツンドラに層をなして埋もれている毛や骨や角のおかげだ。
その土から草が生え花が咲き
僕たちはその草を食べて命をつなぐ。
カリブーもまたカリブーを食べているのだ。

冬が終わると、僕たちは北の平原をめざして1000キロの旅をする。
アラスカの北極海に面した東には
カリブーが子供を育てる楽園があって
旅の途中で生まれた子供もこれから生まれる子供も
みんな一緒にブルックス山脈を越え、氷の川を渡る。
小さな群れはやがて千頭の群れになり、
1万になり、10万の群れに膨れ上がって平原を埋め尽くす。

僕たちの行く手にはいつもクマやオオカミがいる。
人間は銃を構えて待ち伏せている。
けれども僕たちは生まれ落ちた瞬間から死を恐れることがない。
カリブーにとって自分の死は大きな事件ではなく
夢から夢へジャンプするような出来ごとに過ぎない。
僕たちはアラスカだから。
アラスカのすべてがカリブーなのだから
僕たちはあらゆるものに自分の血と肉を与えながら
頭と角を高く上げて旅をつづける。

やがて夏が来て、ツンドラの凍った土が少しだけ緩むと
ローズマリーやワタスゲ、ポピーやファイヤーウィードが咲いて
楽園は花で埋まる。
その花々もまたカリブーの一部なのだということを
僕は、生まれる前の夢で知っていたと思う。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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古田彰一 2010年1月21日



気持を塗り重ねてみる
                    
ストーリー 古田彰一
出演 水下きよし

日本人は悲しい時に悲しい歌を聴くという。
悲しい気分に悲しい歌を重ねれば、
もっと悲しくなるだけではないのか。
ところが意外にそうではないらしい。

より大きな悲しみに抱かれることで、
人は気持ちを癒すことが出来るのだという。

悲しい色に、悲しい絵の具を塗り重ねることで、
ひとりの悲しみは人間の普遍的な悲しみのパレットに、
混ざり、薄まり、溶けてゆくのだ。

喜怒哀楽とは言うけれど。
赤、青、白、黒といった、原色のような
気持ちで過ごしている時間は、ほとんど無い。

私たちのいまの気持ちは、さまざまな気持ちの
足し算でできあがっている。

想像してみよう。
宝くじで十万円当たったとしよう。とても嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。めちゃくちゃ嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。嬉しさはこの世の頂点に達する。

しかし、その瞬間から、嬉しさは物たりなさにとって変わる。
次も当たるべきだ。もっともっと当たるべきだ、と。

嬉しい気持ちに嬉しい気持ちを塗り重ねると、
意外にもその色は濁り、汚れ、澱んでいく。

「嬉しい」という色の絵の具は、
チューブからしぼり出しすぎると、
貪欲で下品な絵に仕上がるようだ。

では、嬉しい気持ちと悲しい気持ち、
反対の気持ちを混ぜ合わせるとどうなるのだろう。

想像してみよう。
庭の梅の木が美しく咲きほころんだ後に、
家の金魚鉢の金魚が死んでいるのを発見したとしたら。

紅梅白梅の華やかさとかぐわしい芳香の喜びは忽ちのうちに消え失せ、
水面に浮かび出た白い腹が、妙に切なくぷかぷかと漂うことだろう。
萎えた気分がその日一日、自らにまとわり付くのみである。

では逆に、金魚鉢の中の哀れな死骸を見つけたあとに、
庭で咲き誇る梅の花を目にしたとしたら、どうだろう。

赤々と鮮やかな金魚を失った悲しみこそ変わることはないが、
そのあとに眺める梅の花には、少し複雑な感情が生まれる。

まるで失われた小さな命が、花々の芽吹きに乗り移ったかのような、
美しい錯覚。魚と梅の木という、何の関係もないものに
命のつながりがあるかのような、森羅万象への想い。

私たちは、ただ美しいものよりも、哀しげに美しいものに
より澄み切った美しさを感じてしまう民族だ。
「美しいものを見たかったら、目をつむれ」という言葉を思い出す。

黒に白を混ぜた灰色と、白に黒を混ぜた灰色は違うのだと画家は言う。
気持ちの足し算も、またしかり。
嬉しい気持ちのあとに訪れる悲しい気持ちと、
悲しい気持ちのあとに訪れる嬉しい気持ちは、確かに違う。

しかし、私たちはその順序を支配することは出来ない。
うれしくて、腹立たしくて、やがてかなしかったら、どんな気分になるのか。
希望のあとの絶望のあとの希望は、どんな希望なのか。

スイカに少量の塩を振ると甘みが増すように。

しんどい経験も積まなければ、人生の味わいは深くならない。
私たちが知っているのは、せいぜいその程度のことだ。

いつの日か、気持ちの絵の具を自由自在に
混ぜ合わせることができるようになったとき。

混ぜ合わせの黄金比を発見して、
まだ人類の誰も経験していない、
まったく新しい幸せな気持ちが生まれる日を夢見る。

*出演者情報:水下きよし 03-3709-9430 花組芝居所属

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小野田隆雄 2010年1月14日



夢を、いつまでも
            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

古今和歌集の、恋の歌には

夢と恋について歌った作品が

数多くあるようです。

小野小町は、次のように歌いました。
いとせめて 恋しきときは

むばたまの 夜(よる)の衣(ころも)を

反(かえ)してぞ着(き)る
「あのひとのことが、恋しくて、

恋しくてならない夜は
せめて夢でもいいから
 
会いたいと思って、
 
夜の着物を裏返(うらがえ)しに着て
 
寝るのです。」
平安時代の頃、京の都の女たちは

寝(ね)間着(まき)を裏表(うらおもて)にして着て寝ると

夢の中で、恋人に会えると、

信じていたのだそうです。

なんだか、いじらしいような……

自分の望む夢を見たい。

そういう願いは誰にでもあって、

それが初夢、という習慣を

作ったのでしょうか。

新しい年の仕事始めは、

昔は一月二日でした。

それで、二日の夜に見る夢を、

今年の運を占う、という気持ちから

初夢と呼んだのでしょう。

けれど、どうせ見るのなら、

縁起の良(よ)い夢を見たい。

誰でも、そう思います。

それで、寝るまえに枕の下に

縁起の良い絵を敷いて

寝るようになったそうです。例えば、

一(いち) 富士(ふじ)、二(に) 鷹(たか)、三(さん) 茄子(なすび)。この三つを

初夢に見ると、縁起が良いそうです。

それで、この絵を枕の下に敷く。

でも、なぜ、この三つが縁起が良いのか、

いまでは、もう、わかりません。

それから、宝船の絵。金銀サンゴなど、

お宝をいっぱい積んだ船の絵です。

これは、いかにも縁起が良い。

もっとおめでたくて、もっと景気よく、

この宝船に七福神が、にぎやかに

乗り込んでいる絵もありました。

これは、日本のお話ではなくて、

アラビア半島の昔話だった

と思います。すこし記憶が、

あいまいなのですが。

さみしくて、恋がしたくて

たまらない男は、夜寝るときに

ベッドの下に、自分の好きな

花束を置いて寝ろ、というのです。

貧しくて正直なパン屋の青年は

匂いスミレの花束を、

ベッドの下に置いて寝ました。

すると、夢に、それはそれは

美しい少女が現われたのです。

青年は、なんだか、本当はいない妹に

めぐりあえたような気持になりました。

アラビアタバコを作る家の、

五人兄弟の長男は、ケシの花束を

ベッドの下に置いて寝ました。

とても、大人びて、セクシーな

美しい女性が夢に現われました。

でも、タバコ作りの長男は、

とても純情なので困ってしまいました。

シルクロードを旅する商人の男は、

ダマスクバラの花束を置いて寝ました。

やさしくて、あでやかな、

すばらしい女性が夢に現われました。

ああ、私は、あなたのような女性を

シルクロードで、きっと捜し出します。

男は、夢の中で、それこそ夢中で

彼女を抱きしめ、キスしようとしました。

あっ、痛い、と男は叫んで眼がさめました。

そう、ご想像のとおり、

ダマスクバラは美しいけれど、

それは、それは、たくさんのトゲを

持っているのでした。

美しい花を無事に咲かせるために、

そのトゲはあるのですね。

それでは、みなさま、
良い夢のある年を。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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一倉宏 2010年1月7日



夢を話せば
             
ストーリー 一倉宏
出演 坂東工 & 西尾まり 

<男>
君だって 夢みていただろう いつもいっていた
夢のない男はいやだ 夢をもてない男に興味はない
<女>
その夢から 何年が経ったと思う?
あなたは いまも夢の話ばかり いいえ 夢のような話ばかり
<男>
夢なんて 食べられないっていうんだろ
そのとおり 夢を食べられるのはバクだけだよな
飲みにいこうよ 「夢の扉」という あのBARへ
僕の夢をグラスに おかわり自由の夢を いくらでも
<女>
そうやってまた 夢の話をするんだ
私は あなたの夢に 酔いすぎていた
それ以上に あなたはあなたの夢に 酔いすぎてしまう
<男>
あの日 君に出会えたことは 夢のようだった
それでもいい足りない 夢の中でみる 夢のようだった
<女>
だとすれば この私は 夢の中の夢の女
あなたが話すことは いつも 夢のまた夢
<男>
夢から覚めても それでもまだ 夢があるから
そしてずっと 君は夢の女だ 僕にとって 
<女>
私の夢は あなたがもう 夢から覚めること
そうしてもういちど ふたりの夢をみること 
<男>
僕はみるべきだろうか 君のみる その夢を
夢を捨てる僕を 僕の夢を捨てて叶える 君の夢を
<女>
私は決して 夢のような日々を 夢みてはいない
夢ではない夢をみたい ただそれだけ
それでも夢だというの こんなにもささやかな夢を
<男>
僕の夢は 僕のみる夢を 君とみることだ
君のみる夢を 僕もみることだ
それが 僕らの夢だったじゃないか
<女>
あなたが夢をみているあいだに なんども朝がやってきた
あなたの夢を覚まさないよう いつもそっと出ていった
夢をみているあなたの寝顔が 私の幸せだったとしても
<男>
君の横顔は 夢のように美しい いまも
<女>
涙がでてきた 
涙で曇って もうみえない 夢は
<男>
今夜は帰ろう 僕の夢の中へ
<女>
夢なら覚めて おねがい この夢は長すぎる
<男>
帰ろう 夢の中へ
<女>
こうして いつまでも私は 夢みつづけていくのか
この長すぎる夢から 覚める朝を
<男>
信じないのか 僕らの夢を
<女>
信じてる 夢ではない あなたなら

 
出演者情報: 坂東工  西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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