渋谷三紀 2017年7月9日

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「息子の観察」

   ストーリー 渋谷三紀
      出演 藤谷みき

これは、
小学一年生の息子を観察する母の、
日々の記録である。

○月×日
「いってきまーす。」と言って、
元気に家を飛び出したはずの息子が、
玄関に立っていた。
「忘れ物した。」
「なに忘れたの?」
「ランドセル。」
「・・・。」
もうこれくらいでは動じない。
息子は毎日、母を成長させる。

○月×日
洗いおわった洗濯物をとり出そうと
洗濯機のふたを開けた。
「ん?」
なにかが、にゅ~っと、顔を出した。
「ぎゃーーーーー!!!」
「あ、ポケットに入れたの忘れてた。」
息子が飼っているカメだった。
「甲羅があって無事でよかったね」とのんきに笑う。
先週は引き出しからカエル。
一昨日は筆箱からダンゴムシ。
寿命が縮むようなサプライズを、
息子はよく私にくれる。

○月×日
いつになく、息子が真剣な顔をしている。
うちに遊びに来た
同じクラスの田口くんとにらみあっている。
その瞬間、
両者は鼻に指を突っ込み、
ぐりんぐりんとほじり出し、
相手に突きつけた。
鼻くそ相撲。
特大の鼻くそで勝利した息子は
その指を天につき上げ、
声にならない雄叫びをあげた。

○月×日
今日は私の誕生日だ。
息子がバースデイカードをくれた。
『おたんじょうびおめでとう。
犬すきなお母さんへ。』
犬?
ああ。おそらく「大すき」と書きたかったのだろう。
ありがとう。
あと、漢字ドリルがんばろう。

○月×日
二階で掃除機をかけていたら、
ベランダに息子が見えた。
柵から身を乗り出していた。
どうやってかけよって、
ひきずりおろしたのか、記憶にない。
私の腕の中で泣く息子が、
「飛べるよ。」なんてばかなこと言うから、
息子より大きな声をあげて、私は泣いた。
息子の肩越しには青い空。
一本の飛行機雲が伸びていた。

○月×日
まるでセミの抜け殻のように、
床に脱ぎすてられた息子のTシャツ。
先月買ってやったばかりなのに、
もうきつくなったらしい。
まだ体温がのこる息子の抜け殻に、
私は顔をうずめた。
そうして息子の匂いを嗅いでいたら、
鼻の奥がツンとしてきた。
私は気づいている。
母と息子の季節は、思ったよりも、ずっと短い。

出演者情報:藤谷みき http://ameblo.jp/knockonwood/

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伊藤健一郎 2017年7月2日

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「羽化」

    ストーリー 伊藤健一郎
       出演 地曳豪

もう寝るところ。遅い時間だったと思います。

「おもてで一服してたら、見つけてさ」
ふいに祖父が拾ってきたのは、
生きているのか、死んでいるのか、よくわからない塊でした。

祖父は、その塊を、居間のカーテンに引っ掛けて、
「見ていてごらん」私にやさしく微笑むのでした。

大きさは4、5センチ。薄茶色だったと思います。
おそるおそる近づくと、昆虫なのだとわかりました。

でも、何か変です。
その体は、すでに体としての役目を終えているようで、
かわりに、体内で何かが動く気配がありました。

当時の私は、虫が苦手でしたが、不思議と気持ち悪さはなく、
これから神聖な瞬間を目撃する、その予感だけがありました。

5分、10分、30分…、息をころして見守り、
「何かが来る」と思った矢先、
その背中が割れたのを覚えています。

青白い光を放つ物体が、
かつて体だったものを突き破ってあらわれました。
暗くしていたわけでもないのに、
部屋がパッと照らされた気がしました。

「羽化だよ」祖父は静かに言いました。
私は、生まれたばかりのそれから目をそらすことができず、
ただ黙って頷きました。
触ったら壊れてしまいそうな、繊細でやわらかな、白い生き物。
羽化したセミは、あたらしい体に慣れないようで、
小さく小さくたたんだ羽を、長い時間をかけて広げました。
ひとつも皺が残らぬよう丁寧に。

祖父の手に抱かれ眠っていた塊が、生まれ変わるまで、1時間。
気づけば私は、1日中遊びまわっていたかのように、
大量の汗をかき、パジャマをぐっしょり濡らしていました。

「こいつは、長いこと土の中で暮らしていてね、
いま初めて地上の世界に出会うんだ」
祖父は、飽きずに見入る私の頭をなでながら言いました。
「外にかえしてあげよう」

ようやく羽らしくなった羽を傷つけないように、
カーテンから引きはがそうとすると、
セミは、思ったよりも素直に手の中におさまりました。
鳴き声ひとつあげませんでした。

夜風にあたると、さみしさがこみあげましたが、
私の手をはなれ、桜の幹にしがみついた彼は、なんだかうれしそうで。

羽を大きく広げると、一瞬からだを震わせて、夜空に飛び去りました。
呆然と立ち尽くす私を置き去りにして、
さっきまで手の中にいた彼は、闇に紛れて消えました。

家に戻ると、カーテンには、抜け殻が残っていて、
かつて命を包んでいたそれは、まだすこし温かかった気がします。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2017年6月25日

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ホビットカレンダー

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

ホビットのカレンダーは毎年同じだ。
360日を12で割ってひと月を30日とする。
そして、6月と7月の間にライズという曜日のない日を3日加え、
12月と1月の間にユールの日を2日加える。
すると1年は365日になる。
閏年も心配はいらない。
ライズの日を1日増やすだけでいい。
すると、一年は毎年同じ曜日ではじまり、
同じ曜日で終わる。
ホビットの村では、たぶん
毎年カレンダーを買い替えたりしないのだろう。
もしかしたら先祖伝来のお値打ちカレンダーがあるかもしれない。

ホビットは曜日も古くから伝わる名前を使う。
週のはじめは「星の日」
これは我々のカレンダーの土曜日に当たる。
それから太陽の日、月の日、木の日、
天の日、海の日、高き日。
週の終わりの金曜日は午後から休みになり、
夜には宴が開かれたらしい。
ちなみにホビットは一日6回食事をする。

さて、このカレンダーに基づいた記録によると
ホビットの村のフロド・バギンズと庭師のサムワイズ・ギャムジーは
第三紀の3018年の9月23日村を出発した。
彼らはエルフの谷の領主エルロンドの助言を受け、
仲間を集めて指輪を火の山に投じるために再び旅に出るが
その出発は第三紀の3018年12月25日だった。
ホビットにクリスマスはなく、
年末年始にかけてユールの祭が行われていた。

なお、苦難の旅をつづけたフロドとサムによって
指輪が火の山の火口に投じられたのは
それから3か月後、
第三紀の3019年3月25日のことだった。

なお、同じ年のライズの中日に
指輪戦争の指揮官であり
再統一されたふたつの国の初代の王となったアラゴルンは
エルロンドの娘アルウェンと結婚したことが記録されている。

やがてアラゴルンはフロド・バギンズの誕生日である
ホビットカレンダーの9月25日を指輪の日として祝日に定めた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

*ホビットカレンダーの正解
 1年を365日とする。1ヶ月を30日とする。
 30日×12ヶ月=360日にどの月にも属さないユールの2日とライズの3日を加える。
 365日のうち364日を曜日のある日とする。1年を52週+1日とし
 +1日を曜日のない日とする。
 曜日のない日はライズの中日、つまり夏至の日である。

 

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直川隆久 2017年6月18日

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新年にあたり

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ファイルNo. QZ1029-あ-H13081, 文書形式:ブログ

あと数週で、新しい元号に変わって7年目の春となる。
ということで今年もカレンダーを新調した。
この6月には、あの世紀のイベントが控えている。
印をつけておくのを忘れてはなるまい。

女性宮様と、フィギュアスケート金メダリストとの
夢のロイヤルウェデイングだ。
身のひきしまる思いである。
すでにウェディングドレスのデザインは発表され、
レプリカが飛ぶように売れているそうだ。
記念金貨、記念スマートフォンも同様。

この国には、夢が必要である。
その夢を、神々しい光とともに実現するイベントは、
当面、これ以外にはない。
景気浮揚および国民意識高揚を一気に可能にする
この国民的カップリング成立の陰には、
政府による少なからざる尽力があったとされる。
官邸のある方角にむかい、国民一同、
感謝を胸に今一度最敬礼をすべきであろう。

それにしても、カレンダーを改めるたびに新鮮な思いがする元号である。
ふた文字の漢字に、いかに豊かな意味を込められるものか、
その見本とでもいうべき元号だ。

輝かしい「昭和」のような時代が再び到来することを願いつつ、
国際社会からの「恩恵」がもたらされることを祈念し、
「昭和」「恩恵」それぞれの言葉から一文字ずつをとり、新元号とした。
それが日本政府の発表による由来であった。

「特定の個人名を想像させる」として
宮内省および前時代的発想の学者連中は猛反対したという。
なんという狭量!が、幸いにして、官邸の果断なる一言で、
当該の元号に決まったということのようだ。

たしかに、結果として、この元号は、
さる個人の名前を歴史に残す結果となった。
が、仮にそれが官邸の隠れた意図であるとすれば・・
いやはや逆になんという深謀遠慮!
まさに「女性活躍の時代」にふさわしい象徴としての元号といえないだろうか!
愚昧な一般人の発想のおよぶところではない。
この政府が続く限り日本は安泰であるという思いをあらたにするのだ。

(以下、公共福祉調整局第85検閲課よりのコメント)
市民生活調査課各位:下線部の表現、いわゆる「政府方針への過剰な忖度」に
あたるかと思われます。「個人ブログらしい表現の自由」が感じられる体裁の
表現になるよう、執筆者へのご指導よろしくお願い申しあげます。 

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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いわたじゅんぺい 2017年6月4日「かんな 2017夏」

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かんな 2017夏

     ストーリー いわたじゅんぺい
       出演 齋藤陽介

娘のかんなは
もうすぐ2歳になる。
カレンダーには
盛大な誕生日の印が付いている。

もう喋る。よく喋る。
何を言っているか
わからないことは多いが、
ずっと一人で喋っている。
ひとしきり喋ったあと、
「ね、ぱーぱ」
と同意を求めてくる。
女子なのだ。

最近覚えた言葉は「待ってて」。
「まーてーて」と発音する。
今までおおむね何でも
素直に言うことを
聞いてくれていたのに、
「まーてーて」を覚えたことで、
何を提案しても「まーてーて」と
返されるのでらちがあかない。

「これ食べようね」
「まーてーて」
「靴履こうね」
「まーてーて」
「うんち替えようね」
「まーてーて」

うんちをすると、
「んちでた」と
教えてくれる。
最近は出す前に「んち」と
うんちをすることを教えてくれる。
トイレに連れて行くと、
トイレの便座に手を置き、
反省する猿のような体勢で
「んち」をする。
幼児用便座に座ってはくれない。
きばっている姿を見ていると、
「みないで」と言って怒る。
女子なのだ。

さらに最近は
「んちでた」と言いながら
自分でズボンを脱ぐようになった。
一度そのままオムツまで
脱がれてしまい、
ころころした「んち」が
トイレや廊下に転がった。
かんなはうれしそうに
うんちを指差して
「んーち、んーち」と教えてくれた。

「ぱぱ、まま」を除けば、
かんなが最初に覚えた言葉は
「ばいばい」だった。
長男は「ぶーぶ」だった。
女子はやっぱり
コミュニケーションの
生き物なんだなあ、
と思ったものだ。
「はいどーぞ」
という言葉を覚えるのも早かった。
何かをあげる時、
「はいどーぞ」
と言って渡していたから
自然と覚えたのだろう。

抱っこして欲しい時も、
「だっこ」とは言わず、
両手を差し出しながら
上目遣いでこちらを見て
「はいどーぞ」と言う。

そんなこと言われたら、
どんなに疲れていても、
たとえかんながうんちまみれでも、
「はいどーも」と言って
喜んで抱っこしてしまう。

将来かんなに好きな人ができて、
彼にはその気が無かったとしても、
上目遣いで「はいどーぞ」
とか言われたら
誰だって抱いてしまうだろう。
危険な技を
生まれながらにして
身につけている。
それが女子なのだ。

どうでもいいことだが、
パソコンでこの原稿を書いている時、
「うんち」と入力すると、
「うんち」の下に赤い波線が引かれる。
うんちとか書いちゃってるけど
あんた大丈夫?と言わんばかりに。
パソコンにたしなめられながら、
パパはこの原稿を書き上げたのだよ。

かんな。
いつかきっとパパの名前を検索して
この原稿を読むことになるだろう。

しめきりが今日だったんだ。
ごめん。
かんなのうんちの話で
パパは何とか今日を乗り切ったよ。

かんな。
ありがとう。

かんな。
愛してるよ。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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中山佐知子 2017年5月28日

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目が覚めたら窓の外が

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

目が覚めたら窓の外が妙に静かだった。
人の声がしない。車の音もない。
近くに病院があるせいで頻繁に通る救急車のサイレンも
今朝はちっとも聞こえてこない。

ああ、静かだ。平和だ。
二度寝をしようとしたら
妙な男が目の前にあらわれた。

どこから入ったと問う私に男はボタンを渡して
おごそかに言った。
 「これは世界を救うボタンだ。
  いつでもその気になったときに押すがよい」
なんだそりゃ。
寝惚け眼で首をかしげていたら
 「いやなに、ちょっとした実験です」と
さっきとは違った口調で言い足して男は消えた。
だから、何なんだ、これは。

コーヒーを淹れる前に玄関の鍵をチェックした。
鍵は閉まっていた。窓の鍵も閉まっていた。
窓から下を見ると、広々とした道路に車は一台もなく、
歩道に人もいなかった。
テレビをつけるとライブカメラのような風景が映り
音楽だけが流れてきた。
なるほど、この世界から人が消えたのだと思った。
あの男は別にして。 
数日後、男はまたやってきた。
寂しくないかと尋ねるので、寂しくないと答えた。
実際、人がいない世界は快適だった。
他人がいないので軋轢というものがない。
私というただひとりの人類を保存するために
世界は機能していたので
お金を払わずに店から食料を持ち帰り
お金を払わずに衣類を手に入れた。
何の不自由もなかった。むしろ自由だった。
騒音がないので小鳥の声がよく聞こえる。
シジュウカラがピースピースと鳴くことを初めて知った。
なんて素晴らしい生活だろう。
すると男は寂しげに肩を落として去って行った。

数週間後、また男がやってきた。
悩んでいるのかと尋ねるので
悩んでいないと答えた。
他人のいない快適な生活に何の悩みがあるだろう。
すると男は首をかしげながら去って行った。

男はそれからもちょくちょくやってきた。
来ると質問をする。
「寂しくないか」「退屈しないか」「誰かに会いたくないか」
しかし、お茶を出すと飲むようになった。
あるとき酒を出したらおそるおそる口をつけ、
それからは頻繁に飲むようになった。
飲むと質問が愚痴っぽくなる。
「どうして寂しくないんだ」
「人は一人で暮らせるのものなのか」
「やりたいことは何もないのか」
やがてそんな男を、私は面白いと思うようになった。
男はボタンのことにひと言も触れないが
私がそれを押すタイミングを待っていることに間違いはなかった。
問題は私に全くその気がないことだ。
私は完璧にいまの状態に満足していた。

ある日、私は男に尋ねてみた。
君は人が神と呼んでいた存在なのか?
もしそうだとしたら、神とはそういう存在なのだ。
男は酔っぱらった目で私を見るとゆっくりうなづいて言った。
人が世界を作り、神はそれを味わう。
それから呂律の怪しい口調で私に尋ねた。
お前は世界から人が消えた理由を知りたくないのか。
お前は世界を救いたくないのか。
ボタンを持つ人間として選ばれた理由を知りたくないか。

私は世界なんぞ救いたくない。
道路の真ん中でも端でも自由に歩いて
時間に縛られず道端の草を眺める暮らしが気に入っている。
面倒なことが何もない毎日が気に入っている。
もしかして、生きているというよりは
天国にいるのではないかと思えるいまの状態が気に入っている。
ときどき酔っぱらいにくるこの男も気に入っている。

そう答えると、神を名乗る男は
ますます呂律の回らない口調でぼやきはじめた。
新しい歴史はひとりの男とひとりの神からはじまるのだろうか。
神が世界をつくり、人がそれを味わうことになってしまったら
自分はどうすればいいのか。

幸いそんなことは私の知ったことではなかった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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