岡部将彦 2014年5月4日

「剣と魔法のファンタジー」

       ストーリー 岡部将彦
          出演 遠藤守哉

世界が混乱に陥って、もう何年が経っただろうか。
突然、魔王を名乗る者が現れ、魔物を率いて、
人類に対し宣戦を布告。
罪のない多くの人の命が、魔物によって奪われていった。
もちろん人間たちも、ただ黙っているだけではなかった。
古(いにしえ)より伝わる魔法など、持てる限りの武力で徹底交戦。
戦況は、一進一退の膠着状態に陥っていた。
その間、勇者を名乗る人間が星の数ほど現れては、
魔王討伐に立ち上がり、そして散っていった。

世界中が魔王の存在に怯え、日々の暮らしを営んでいた。

それは雪に閉ざされた、
このさびれた名もなき村でも例外ではなかった。
村の寄合所では、
今まさに村長を中心に村人たちによる定例会が行われていた。

「では、次の議題です。
 勇者を名乗る一団が2組、
 この村に向かっているとの情報が入りました」

出席者たちの目がいろめきだつ。

「皆さまよくご存知とは思いますが、
 彼らは、どんな扉でも開ける不思議な鍵を使い、
『魔王討伐』の大義名分のもと、村民の住居等に無断で侵入、
 引き出しや、タンスを勝手に詮索、果ては宝箱すら略奪するという
 狼藉を働きます。貴重品の管理には充分な注意を払ってください。」

この会議の度に繰り返される注意事項の定型文の後、
議題は本題へと移った。

「宿の値段は、もう少し、つり上げてもいいんじゃないか?」
 宿屋の主人が口を開けば、
「この村の他に、この地域で補給できる場所はないんだ、
 薬なんかの値段は、
 もっと高くしてもいいと思うがね」
道具屋の主人も負けてはいない。

まあまあと彼らをなだめるように村長が口を開いた。
「そんなのは、後でどうとでも回収できるじゃろ。
 それよりも、村のそばにある洞窟に、
 伝説の武器が眠っているかのような噂をもっと立てるべきだと思うんじゃ」

村長の発言が終わるか終わらないかのうちに武器屋の主人は、
最近入れた金歯を見せつけるようにニタッと笑いながらこう言った。
「しかし、以前作った「偽の古文書」は効いたなあ。
 高価な武器をたくさん買ってくれたあの「勇者さま」たちは、
 今頃、どうしてるのかねえ。
 おっと、そういえば、武器の在庫が切れかかってるから、
 仕入れにいかなきゃならんな」

「仕入れっつっても、洞窟まで行くだけだろ?」
 会議出席者の間で、笑いが起こる。
「まったく魔王さまさまだな」

昨年、魔物に両親を殺されたために、
村長の家に身を寄せている少年・ポックルは、
不思議そうに大人たちの会議をじっと聞いていた。

「村の予算達成のために、各自よろしくお願いしますよ」

会議が終わり、家へと帰る道中、ポックルはたまらず村長に尋ねてみた。
「ねえ、村長。みんなまるで魔王のことを
 ありがたがってるみたいじゃないか…」

村長はすべてを察したような顔で話し始めた。
「ポックル。お前が言いたいことはわかる。
 お前は魔物に大事な母さんも父さんも殺されてしまったんだしな。
 でも、もし魔王がいなくなってごらんよ。
 どんな物好きが、こんな雪山の村に訪れるんだい?
 でも、今は違う。この非常事態の中で、世界中の人間が、
 現状を打開すべく世界の隅々まで冒険している。
 人里離れたこんな辺鄙な村だからこそ、
 なにか「伝説のお宝」が眠っているんじゃないかと期待をする。
 だからこそ、この村の汚い宿でも、
 街の何倍もの宿代を取ることができるんだよ。
 彼らが買っていく、武器や防具、薬のお金が、
 この村にどれだけの富をもたらしてくれたか。
 お前は、食うものにも困るような元の貧乏村に戻りたいのかね?」

「でも…」

「お前が、魔物を憎んでいる気持ちはわかる。
 でもね、魔物がいるからこそ、
 この村は食っていけてることを忘れてはいけないよ。
 魔王がいて、それを倒そうとする人間たちがいる。
 その状態が、この村にとって、一番平和なんだよ」

ポックルは納得がいかなかった。
僕のように、いつ魔物に大事な人を奪われてしまうかわからないような日々が、
この村にとっての平和だなんてことが。

でも、それだけじゃない。
ポックルが本当に聞きたかったことは。

「僕、知ってるんだよ…だったらなんで…」

「おーい、旅人が来たぞー!」
見張り台の方から、若い衆の威勢の良い声が響いた。

「ほらほら、急ぎなさい。最高の笑顔で「勇者さま」をお迎えするんだ!」

ポックルは、村長に言いかけた言葉を飲み込んで、
自分の持ち場へと向かっていった。

ポックルの持ち場は、村の出入り口。
子供らしい無邪気さで、「勇者さまご一行」に話しかける。
「ようこそ、さいはての村へ」。

その後、いつものように、村の大人たちが考えた鼻歌を、さりげなく歌う。
「♪らららー空を割き、大地を割るよ〜♪洞窟の奥で眠る氷のつるぎ〜
 …おじいちゃんに教えてもらった、この歌は、どういう意味なのかなあ」

「やはり噂の通り、この付近の洞窟には、
 求めていた伝説の武器があるようだな…」
勇者さまご一行は、村の奥へと歩を進めた。

彼らの背中が遠ざかっていくのを見つめながら、
ポックルはポツリとつぶやいた。
「僕、知ってるんだよ…その洞窟には、
 村のみんなが仕掛けた罠があるよ。気をつけて…」

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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中山佐知子 2014年4月27日

その女の名は

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

その女の名前はカテリーナだった。
カテリーナはアラブ系の奴隷に多い名前で
女も東の国から連れて来られた奴隷のひとりだったらしい。
ローマ教会が奴隷の売買に積極的だった当時、
フィレンツェには544人の奴隷がいたと記録されている。

カテリーナが働いていたのは
トスカーナ州フィレンツェのある銀行家の家だった。
奴隷といっても下女、召使いと同じことだが
当時、捨て子を収容する養育院の子供の3割が
女奴隷が生んだ子供だという記録を見ると
自由というものがないその立場をうかがい知ることができる。

カテリーナが子供を身ごもったのは
1451年のことで、相手は主の友人であり公証人でもある
ヴィンチ村の名家の子息セル・ピエロだった。

翌年の春に生まれた子供はレオナルドと名付けられ、
父親の家に引き取られた。
正式に結婚していない両親から生まれた子供…
当時はいらないと見なされた子供を
捨てたり殺したりする風潮が残っていた時代だったが
100年前のペストの流行によって
フィレンツェは市民の3分の2を失っており
知識階級であるセル・ピエロの家では
次世代を担う子供の養育を重要と見なしたのだろう。

しかし、この出産によって
カテリーナはセル・ピエロから遠ざけられ
それから1年もしないうちにヴィンチ村の農夫に嫁にやられた。

農家の仕事はラクではなかった。
冬から春は畑を耕して葡萄を植える。
夏には干し草をつくり、小麦を収穫する。
秋になると葡萄とオリーブを摘んでは搾り
寒くなると豚を殺して1年分の肉を塩漬けにした。
草を刈り、家畜の世話をするのは季節を問わない仕事だった。
糸を紡ぎ、布を織った。
川辺のヤナギで編んだカゴは貴重な現金収入になった。
そして、5人の子供を生んだ。

それから40年が過ぎたころ、カテリーナはミラノにいた。
土にまみれて働くのがつらい年齢になっていた母を
セル・ピエロの息子レオナルドが呼び寄せたのだ。
一緒に暮らしてわずか2年でカテリーナは死んだが
レオナルドが…
カテリーナの息子レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザの
あの不思議な微笑みはカテリーナの面影だろうと主張する人は多く、
またモナリザの衣装には
レオナルドとカテリーナのふるさとヴィンチ村のヤナギの模様が
襟元に細かく描かれている。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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古川裕也 2014年4月20日

少女は泣く。少年は微笑む。

      ストーリー 古川裕也
         出演 増田未亜

「愛してる」
言われれば言われるほど不安になる。
やさしくされればされるほど、不安になる。
120%信じているけれど、
信じれば信じるほど不安になる。

そのことは、私をとても愚かな女にする。
「ほんとに愛してる?信じていいのね?」

彼のアウディの中で初めてキスしたとき。
歌舞伎座の幕間で、「僕と結婚してくれないだろうか。」と言われた時。
初めて「ロオジェ」に行って、エンゲージ・リングをもらった時。

私は愚かにも、「ほんとに愛してる?信じていいのね?」を繰り返した。
幸いなことに彼は、うざがることもなく、
「もちろんだよ。どんなことがあっても君を愛し続けるよ。」
とその都度答えた。

私はひたすら、怖かったのだ。
彼と一緒にいる幸福よりも、彼を突然失うことの恐怖のほうが、
はるかにおおきかったのだ。

母は、父が亡くなってから、
護身用の銃をキッチンの上から3番目の引き出しに置くようになっていた。
木のプレートやランチョン・マットがしまってあるところだ。
音が出ないように、木のプレート側ではなく、
一番下と下から2番目のランチョン・マットの間に隠してある。
シシリア島のタオルミナで買った下から2番目のそれには、
5つの大きなひまわりが所狭しと描かれており、
ブエノスアイレスで買った、ブルーの地に深紅の水玉が、
まるで草間彌生のように、どんどんどんと描かれているもうひとつのそれとの間に、
とても地味に退屈そうに、リボルヴァーがひとつ潜んでいる。

それを使ってみようと思ったのは、
それを使うにふさわしい事態になったからでも、
逆に、訳もなく衝動的に使いたくなったからでもない。

その夜は、西麻布の熟成を売り物にしている寿司を食べたあと、
グランド・ハイアットに泊まる予定だった。
婚約と結婚との間の時期だったとはいえ、
娘の女親というのは、寛大というより、むしろ積極的だ。

セックスをした後だったと、のちに報道されるのは嫌だった。
食事のあと、「少し歩きたい」と言った。
西麻布は、一本裏に入ると、とても上品な静けさを持っている。
大使館、大きな家。ぽつんぽつんと現れる店も、
ひっそりとまるで誰からも気づかれないことを
目的にしてるみたいだ。
素敵な街だ。

とある坂に差し掛かった。降りていく彼を少し先に行かせ、
彼が振り返ったところで、
私は言った。
「ほんとに愛してる?信じていいのね?」
「もちろんだよ。どんなことがあっても、君を愛し続けるよ。」
彼が答える。 

おそらく1000回以上繰り返してきたやり取りだ。
もはや合言葉のようになっている。
私は彼を信じている。99.9999%。
けれど、100%ではない。
何か構造的に。

彼が答えてから、およそ5秒後。
私は、母のリボルヴァーに初めての仕事を与えた。
続けて6回。
恋人たちが、愛をささやきあった距離だ。さすがに当たる。

「愛してる?信じていいのね?」
私は言う。涙が止まらない。
「もちろんだよ。どんなことがあっても、君を愛し続けるよ。」
彼は答える。私が愛した素敵な微笑みを浮かべて。
その微笑みは、仰向けに倒れて、動かなくなるまで続くのだ。

出演者情報:増田未亜


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直川隆久 2014年4月13日

「微笑みという武器」

      ストーリー 直川隆久
         出演 川俣しのぶ

あなたがもし怒りに身をまかせれば、
その怒りが真っ先に焼き尽すものは
あなた自身の心です。

本当の武器。
それは、微笑みです。

子供の頃から私は、一風変わった子供だったと思います。
両親とともに様々な国を転々とし様々な文化にふれるうち、
世界の原理を知りたい、という哲学的な欲求をもつようになりました。

大学を卒業するころ、
とあるメゾンのクリエイティブディレクターの誘いで、
ファッションモデルの仕事を始めました。

パリ、ミラノ、ニューヨーク、上海。
富と美とが流れ込む都市を転々としました。
狂騒の日々の中でいつ醒めるともしれない酔いを感じながら、
常に、ここにわたしの居場所はないと感じていました。

そんなときに、ダミアンに出会ったのです。
彼はモデルでしたが、魂はアーティストのそれでした。
過分に美しい肉体という檻に、捕われた魂。
彼は、私の鏡像でした。
私たちは、出会うべくして出会ったのだと思います。

私たちは、都会の喧噪と虚飾を捨て、
プロヴァンスへと移り住みました。
幸い、父が残してくれたワイナリーと
3,000ヘクタールほどの農地がありました。
そこを、完全な放牧と無農薬栽培を営む農園へと
転換することにしたのです。

道のりは平坦ではありませんでした。
農薬を使わなければ虫が殖える。
隣接した農地から苦情は絶え間なくやってきます。
ストレスで眠れなかった日は一日や二日ではありません。

わたしは、この世界から愛されていないのではないか?
子供の頃から抱えて来た思いが、
またもや私の心を侵そうとしていました。

でも、わたしはある日、気づいたのです。
わたしがまず世界を愛そう。
世界を変えるのではない。自分が変わるのだ。
批判ではなく、理解。
対立ではなく、受容。

わたしは、微笑むことにしました。いつも、どんなときでも。
すべてのパーティで、ビジネスの場で、自分に課しました。

すると、私のもとに、友人たちからの助けの手が集まってきました。

友人のグレゴリーが、私の手記をまとめた本を出版してくれました。
後にそれは映画化され、私の農園を世界にしらしめてくれました。

そして、友人のステファンが
無償でワインラベルのデザインをしてくれました。
新作をつくればクリスティーズで
100万ドル以下の価格は付かないステファンがです。

私たちの農園はプロヴァンスの陽光と、
あたたかな友情によって育てられています。

皆さんに言いたいのは、
この世界に、微笑みを投げかけてください、ということです。
貧困、飢餓、虐殺…この世界の不条理に、
怒りではなく微笑みを。

さあ、笑ってみて。
ほら、あなた。
最前列の…そう、あなた。
笑ってみて。

…素敵。
本当に素敵です。

ありがとう。
フランスに戻っても、この難民キャンプの皆さんの微笑み、
忘れる事はないでしょう。
わたしの言葉が、皆さんの人生を少しでも変えられたら、
これにまさる喜びは…

痛い。

誰ですか。
石を投げるのは。

いた。

やめ、やめて、おやめなさい。
どうして。
どうしてこんなことを、
す….するの。

痛い。
やめて。
痛い。

いたた。
いたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた。(微笑みながら)

出演者情報:川俣しのぶ 03-3359-2561 オフィスPSC所属

  

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玉山貴康 2014年4月6日

「スピーチ」

      ストーリー 玉山貴康
         出演 遠藤守哉

タクヤくん、ユキさん、ご結婚おめでとうございます。
本日は、佐藤家、林家、ご両家のたいへんおめでたい席に
お招きいただきありがとうございます。心からお祝い申し上げます。
ただいまご紹介にあずかりました、
新郎新婦と同じ職場でともに仕事をしております、田中でございます。
たいへん僭越ではございますが、
ご指名ですのでひとことお祝いの言葉を申し述べさせていただきます。
どうぞご着席ください。

いやはや、まだ信じられないというか、まさかこの二人が!という心境でございます。
はじめて話を聞かされたときは本当にビックリしました。
彼は営業部で、彼女はマーケティング部。
それぞれの部署でバリバリのエースです。
タクヤくんは、営業成績なんと2年連続でNo.1ですし、
ユキさんも大きなプロジェクトをリーダーとして何本も抱えています。
二人とも後輩の面倒見もよく、その仕事ぶり、人柄、将来性、
どれをとっても完璧、パーフェクトでございます。
今年、彼らの働きもあって、わが社は上場いたしました。
この数年間というものは、非常に忙しかった。
お得意さまも増え、プレゼンの連続で、休日勤務も少なくなかったはずです。
それなのに、どこにそんなつきあう時間が…あ、いや、よけいなお世話ですね(笑)

そういう私もじつは社内結婚でして、
私の結婚式のときも、このように当時の上司にスピーチをお願いしました。
そのときに贈っていただいた言葉が、いまでも私たち夫婦のモットーとなっております。
その同じ言葉を、今日、お二人に贈り、祝辞に変えさせていただきたいと思います。
それは、「祝婚歌」という吉野弘さんの詩です。
えー、ゴホン(咳払い)、それでは心をこめて。

祝婚歌

吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい

立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず

ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい

えー、以上です。
仕事上ではとても優秀すぎるお二人です。
家庭においても、同じように「完璧」を目指してしまわないか。
もしもそうなりそうだったら、ふとこの詩を思い出してほしい。
気持ちがフッと楽になるかもしれません。
どうぞ温かく明るいご家庭を築いてください。末長くお幸せに。
本日はたいへんおめでとうございます!

え?なんだよ!いいよもう!俺が主賓なんだから!あ、そう?
う、うん、わかった、わかったよ!
(誰かと小声で打合せしている様子。少し面倒くさそう)

えー、ゴホン(咳払い)、では、続きましてぇー、
わが社の会長である、妻、トシコからも、ひとことご祝辞をと申しておりますデス、はい…。
(きまりが悪そう)

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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中山佐知子 2014年3月39日

その山里は風の谷にあって

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

その山里は風の谷にあって一年中風が吹いていた。
南と北に山が迫っていたので
風は季節によって東西に流れる川の上流あるいは下流から吹きつけ、
日によっては家の土台を揺るがせるほどになる。

どうしてこんな住みにくい土地にわざわざ住まうのか
村のはじまりは今となっては知る人もいないが、
ただひとつわかっていることは
風の谷から北の山を抜けて伊勢の神宮に通じる山道があり、
途切れ途切れのその道を案内できるものは
風の谷の村人に限られるということだった。

南朝北朝と天皇がおふたりもおわすいまの世に
伊勢の殿さま北畠は南朝の指揮官だったので
村長(むらおさ)の家にはたびたび見知らぬ顔の滞在客があった。

ある日、しゃらんしゃらんと控えめなと杖の音を立てて
ひとりの山伏がやってきた。
尊い御方であるとの噂もあったが
気軽に山を歩いて薬草を集めたり
病人のいる家を見舞って祈祷をしてくれるので
大人は勿体ないありがたいと手を合わせ
山伏の姿を見て天狗だ天狗だと怖がっていた子供たちも
次第に慣れ親しんで一緒に山へ行くようになった。

ある日、山伏は子供たちに相撲を取って遊ばないかと誘った。
着物を破くと怒られるから嫌だと子供のひとりが答えると
山伏はその相撲ではないと笑いながら
そこにたくさん生えていたスミレを摘んだ。

スミレやエンゴサクの花をからませて引っ張り合う
みやびな花相撲というものを
子供たちははじめて知ったのだが
食べたり薬にしたりする以外の植物に関心を持つことや
スミレの花をつくづく眺めて美しいと思うこと、
そして、その花を自分の手で散らす哀れさも
花相撲と一緒に教わったのだった。

春が過ぎようとする風の夜
じゃらん、じゃらんとまた杖の音を聞いた。
こんどはたくさんの杖だった。
じゃらん、じゃらん。
音は山に吸い込まれるように遠ざかっていった。
大人たちは目を伏せて口を閉ざしていたが
あの山伏の御方にお迎えが来たのだと誰もが思っていた。
そして次の日、本当に山伏の姿は消えていた。

次の春には
都の御所に斬り込んで三種の神器のふたつまでを奪い返した南朝の皇子の噂が
風の谷にも伝わってきた。
皇子は討死にしたとも吉野へ逃れたともいわれ、真偽のほどは定かでなかった。

風の谷の子供たちは
ときおりあの杖の音を思い出すことがある。
御所を襲うほどのことをするのはやはり天狗ではないか。
天狗なら空を飛んで、もう一度ここへお戻りにならないか。
そんな夢のようなことを考える。

伊勢のスミレはいまでも太郎坊と呼ばれている。
太郎坊は天狗の名前でもある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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