中山佐知子 2013年4月29日

たまご

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

女はたまごを残して死んだ。
女のたまごを机に置いた。
たまごはそのままじっとしていた。

たまごを手に取った。
思いのほか軽かった。
軽いというよりほとんど重さというものがなかった。
水をやらなかった植木鉢の土のようだった。
カラカラに乾いた土は
どうしてあんなに重さを失うのだろう。
それは女に似ていた。
女は何も与えられずに枯れていった。
たまごと乾いた植木鉢は女に似ていた。

たまごをなでてみた。
たまごはもろい感触があった。
指に力を入れると潰れそうだった。
潰れても中身のないモミガラのようだった。
それは女に似ていた。
女は抜け殻のようだった。
たまごと中身のないモミガラは女に似ていた。

たまごを眺めてみた。
たまごは静かだった。
流れない水のように何の音も立てなかった。
流れない水は退屈だった。
それは女に似ていた。
女には表情というものがなかった。
たまごと流れない水は女に似ていた。

女はたまごを残して死んだ。
たまごは空っぽだった。
空っぽのたまごは満たされない象徴のようだった。
女が残したたまごを見ると
もう一度、不幸を知らない女を不幸にしてみたいと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

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古居利康 2013年4月28日

ファミリア            

       ストーリー 古居 利康
          出演 平間美貴

 榊原一郎の頭に生卵をぶつけたのが石留正好だった
ことに驚くものはいなかった。うすうす予感されてい
たことが起こったのだという気がしていた。血相を変
え、すぐさま榊原のそばに駆け寄って黄身と白身にま
みれた榊原の髪の毛をハンカチで拭おうとしているの
は、銀熊二郎だった。
 榊原のほんとうの名前は一郎ではなく彰文で、銀熊
も二郎などではなく泰昭といった。ふたりが一郎、二
郎と名乗っていることを先生は知らない。「ねぇ一郎」
「なに、二郎」と呼びあうのは休み時間か放課後に限
られていたし、まちがってもテスト用紙に「榊原一郎」
なんて書くわけがなかったから。ふたりがそんなふる
まいを通じてじぶんらの親密さをまわりにアピールし
だしたのは夏休みのあとくらいからだった。十月にな
ると三郎が加わった。教来谷三郎。かれもほんとうは
隼という名前があるのに、あるときから三郎になった。
そうこうするうちに四郎が生まれ五郎や六郎があらわ
れ、ついには七郎八郎九郎と、雪崩を打つようにつづ
いて、十郎まできたのは十二月のはじめだった。十ま
でいくと榊原は飽きたのか、十一郎というのはいかに
もつくりものめいていると思ったか、それで打ち止め
になった。
 四十人のクラスのうち二十人いる男子のはんぶんが
兄弟となった。十人兄弟は何をやるにも団体行動をと
った。ほんとうの兄弟みたいに庇いあい、褒めあい、
笑いあっていた。やがて兄弟になれなかったほかの男
子がそわそわしはじめる。石留正好は榊原になんども
頼んでいた。僕を十一郎にしてほしい、と。しかし榊
原はかたくなに首を縦に振らなかった。兄弟は十人ま
でと決めているようだった。榊原は石留を拒み、石留
は正好のままでいなければならなかった。あきらかに
それを逆うらみしての生卵事件。石留はこう叫びなが
ら生卵を投げつけたのだった。
「ほんとはあきふみのくせに!」
 家庭科の授業で卵サンドイッチをつくるために各自
家から生卵を持参した日のことだった。わたしたち女
子は石留の行為をおおむねひややかに傍観していたが、
ぶつけられたのが卵でよかった、というていどの感想
はもった。卵なら怪我はしないし、ふざけあいに見え
ないこともない。もちろん榊原本人には決して愉快な
出来事ではなかっただろう。いくら拭いてもとれない
白い滓のような卵の残骸が髪の毛にこびりつき、冬の
冷たい水道で洗い流すしかなかった。
 銀熊二郎が「だいじょうぶ?一郎」と声をかけ、榊
原一郎が「だいじょうぶだよ、二郎」と答える。ふた
りを他人から隠すように三郎や四郎や五郎が取り囲み、
その外側に六郎七郎八郎九郎が立って二重の壁ができ
ていた。十郎だけが外側を向いてずっと石留のことを
睨みつけていた。
 石留正好はその後、石留ジョンと名乗り、新たなフ
ァミリーの形成をもくろんだ。しばらくして無栗真吾
が賛同してジョージとなり、「やぁジョン調子はどう?」
「まぁまぁってとこかな、ジョージは?」などと言葉
をかわしていた。その後新井田邦光が新井田トムとな
ったが、それきり新しい兄弟は増えなかった。
 あるとき、教室で飼育していた金魚のことを榊原が
「まさよし」と呼びはじめた。榊原は「まさよし」を
いじめるどころかだれよりもかわいがった。「まさよし、
おなかすいてない?」とか、「だいぶ水が汚れたねぇ、
まさよし」とか、生きもの係でもないのにすすんで面
倒をみるようになった。クラスのだれもがその金魚の
ことを「まさよし」と呼ぶようになったころ、人間の
ほうの正好は学校に来なくなっていた。無栗ジョージ
は無栗十一郎になり、新井田トムが新井田十二郎にな
っていた。石留正好があれほど懇願しても拒みつづけ
た十一郎。
「気がついたんだ、十一郎のなかには、一郎が隠れて
るってことに」
 無栗を迎え入れるにあたって、榊原は兄弟たちにそ
う説明した。いったん十一郎をよしとするならば、も
う十二郎だってありだし、次は当然、十三郎が登場す
る流れになるだろう。女子のあいだではいま、「十三
郎に選ばれるのは誰でしょうグランプリ」がおこなわ
れている。参加料は、一口千円。的中すれば総取り。
正解者が複数いれば山分け。さぁてと。残っているの
はだれだっけ。

出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

 

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直川隆久 2013年4月21日

姉の卵

      ストーリー 直川隆久
         出演 岩本幸子

「やあ、おそかったやないの」
長靴姿の姉は、6年ぶりに訪れた私達一家を、
かわらぬ笑顔で出迎えてくれた。
クワガタを捕まえてみたいという息子にせがまれ、
久しぶりに実家のあるこの村に帰って来た。

父の代から営む養鶏場を姉は一人で切り盛りしている。
姉はこの歳まで独身だ。
母が病気で亡くなってからは、仕事と父の世話に忙しく、
出会いの機会も少なかった。それのみを目的として結婚するには、
田舎の土地と養鶏場は資産価値がなかったというせいもある。
6年前に父が急逝してから今にいたるまで…
いや、もっと前から、私はこの実家にまつわるもろもろをすべて
姉に処理してもらってきた。

私が美大進学のために東京にでるときも、
姉は私をこころよく送り出してくれた。
「私に気い使うことないんやから。あんたは、あんたの才能のばしなさい。
 お母さんも生きとったらおんなじこと言うよ」と。
その後私は、東京でデザインを学び、アートディレクターとして独立を果たし、
それなりに名前を知られる存在になった。

昼間、息子と夫は近くの野原に虫取りに出る。東京ではできない経験だ。
夕食は、久しぶりに姉と私の二人で準備をした。
私がこの家をでるときに使っていたガスコンロがまだ現役だった。
バチンとひねって火をつけるタイプだ。懐かしい。
ただ、汚れは、以前よりきつくなっているように見えた。
包丁を握る姉の手の指の皺はさらに深くなったようだ。
冬の洗い物が最近はこたえるようになったと言う。
「食洗機くらい買ったら?」と言うわたしに姉は
「もったいないでしょ。一人分のために」と答えた。
離れて生活をする期間が長くなると、共通の話題は少なくなる。
6年前にも繰り返した子どもの頃のあの話この話を一通り喋ってしまうと、
台所には沈黙が訪れがちになった。
煮物のくつくついう音が響く台所で、不意に姉が口を開いた。
「これ、今まで言わんかったことだけどね…お父さん、
 亡くなる前の最後の言葉はね、あんたのことだったんだよ」
「え?」
虚をつかれた思いで、私は振り返る。
姉は、鍋のふたを開いて、中を覗いている。
「そう…なの?」
「あいつは立派になった。あいつは立派になった、いうてね。
 おれはこんな養鶏所しかできんかったけど、
 あいつは東京や外国でも仕事してる、言うて」
「そう…お父さんにはもうしわけないことしたな。
 あのころほんとに私、仕事、仕事で…」
「ずっとそばにおった私のことは、どうでもよかったんよ、お父さんは」
私はぎょっとして姉の横顔を見るが、
姉はいつもと変わらない頬笑みを浮かべながら落としぶたの位置を直していた。
私の視線を感じたのか、姉が「これだけできてたら、
もうええよ。あんた、休んできなさい」と促す。
私はエプロンをはずし、家の中を歩いてみる。
テレビのある居間に、見慣れた写真がかかっている。
姉の、高校卒業のときの写真だ。健在だった頃の父と母、
それに、私達姉妹が並んで笑っている。
子供の時は、毎日見て何も驚きを感じなかった写真だ。
だが今同じ物を見ると、ああ、若いな、と思う。
この頃の姉は、どんな未来を思い描いていたのか。

とりかえしのつかないものを数えることでしか、
人は時間というものを認識できない。

姉は、うみたての卵を使った料理をいろいろと用意してくれた。
だが、食のほそい息子はずいぶん残してしまった。
おやつに、と言って茹でてくれた大量の卵も、
ほとんどが手をつけられずじまいだった。
姉さん、ごめん、と私が小声で言うと、
姉は「気にせん、気にせん。うちの卵はブランド品じゃないもん」
と言ってからからと笑った。
翌朝には東京に帰らねばならない。私達は早めの床についた。

夢を見た気がした。
子どもの頃の記憶だった。
養鶏場の前で、くせえくせえとはやし立てる小学生の男子。
その中に、姉がひそかに思いを寄せている吉田君が混じっている。
その声を無視して掃除を続ける姉の背中が、小さく震えている。
それを私はただ見つめている。

ビールの飲み過ぎのせいか夜中のどがかわいてしまい、目がさめた。
水を飲みに台所に行こうとした、そのとき。
居間から光が漏れているのに気付いた。
のぞくと、電気を消した部屋で、座卓に向かった姉がテレビを観ている。

卵を山盛りにしたザルが座卓の上に載っている。
姉はその一つを手にとり、皮をむいた。つるり、と茹でられた卵の肌が現れた。
姉は、殻をきれいに剥くとその卵を一口に、

ごぼり、

と飲み込んだ。
のどが、ぎゅるりと動き、卵がそこを通過したことが見て取れた。

姉は一定のペースで卵の殻をむいては、

ごぼり。
ごぼり。
 
と、飲み込んで行く。
ザルの中の卵の山が、見る間に小さくなって行く。

見てはいけないものを見た気がしたが、立ち去ることもできず、
わたしは、姉の様子をじっと見つめ続けていた。

あらかた卵がなくなり、大量の殻がコタツの上に散乱している。
そのときに、姉が私に気付いた。

姉は、じっと私をみつめた。
そして力なく、ふ、と笑って言った。
「最近はね、こういう食べ方じゃないと味がせんのよ」
でも、そんな食べ方…からだに悪いんじゃない?
と私が言うと、姉は返事をせずに、再びテレビの方を向いた。
テレビの横からの光が、姉の顔の皺を、不意に見慣れない形に浮き上がらせた。

出演者情報:岩本幸子 劇団イキウメ http://www.ikiume.jp/index.html

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岩崎俊一 2013年4月14日

オムライス

          ストーリー 岩崎俊一
             出演 大川泰樹

叔父の奥さんの環さんに連れられて、一郎は環さんの実家に向かった。
向こうに行けばご馳走が待っているのはわかっていたが、
一郎の心は少しも弾まなかった。
電車のシートに頭を凭せかけ、ぼんやりと流れ去る田園風景を見ながら
胸の中でつぶやいた。
「こんどは、いつ家に帰れるんやろ」

一郎の家の向かいの叔父宅は、
広大な田畑を有する地元でも指折りの農家で、
4人姉弟のまっし;末子で、ただ一人の男子である叔父が家を継ぐことは
既定路線であった。
ただ叔父は農業を嫌い、畑仕事に身の入らぬ日々を送っていたため、
「嫁を取らせば落ち着くやろ」という祖父の判断で、
電車で8駅離れた町の農家から、環さんがやって来た。
 
農家の娘とは思えないほど、環さんは色白で、蒲柳の質の人だった。
嫁いでから、環さんが畑仕事に出る日は数えるほどしかなかった。
初めのうちは疲れもあろうと気遣っていた叔父の両親や親戚も、
やれやれ、大変な嫁を貰ったものだという嘆きを漏らし始めたが、
ひとり叔父だけは沈黙していた。
 
ある日幼稚園から戻った一郎が叔父宅に行くと、
薄暗い土間はガランとして誰もいなかった。
いつものように居間に上がりテレビを点けようとすると、
襖のあいた隣室に人の気配がした。
そっと覗くと、叔父夫婦が寝室としている広い和室で、
畳んだ夜具に顔を埋めるように凭れかかって環さんが眠っていた。
薄暗い部屋の中で、スカートから伸びるふくらはぎが一郎の目を射た。
廊下を隔てた窓から届くわずかな光を集め、
そこだけが白く浮かびあがっていた。

叔父をさらに苦しめたのが、環さんの頻繁な里帰りだった。
父の具合が悪い、兄がケガをした、
小さい頃からかかっている医者に行きたいなどと、
さまざまな理由を見つけて実家に戻った。
農家の嫁らしからぬその行動に、叔父の周辺では当然非難の声が挙がる。
だが「房はんは環さんに惚れとるからのう」とからかわれる叔父は、
それを止められなかった。
 
ある時から、その里帰りに一郎がお伴をさせられるようになった。
それは、環さんと叔父の家にとっては世間の目をごまかすための
「小道具」であり、
叔父にとっては、環さんを実家から取り戻すための
「貸し出し証」であったのかもしれない。
 
初めは一郎も進んで行った。
何しろ環さんの実家は、環さんに子どもができないだけでなく、
きりりと男前のお兄さんも未婚で、幼い一郎はすこぶる歓待を受けた。
お菓子が山ほど用意され、食卓には一郎が家では口にできないものが並んだ。
ハンバーグも、シチューも、一郎はこの家で初めて口にした。
 
中でも一郎を虜にしたのはオムライスだった。
庭で飼うニワトリの生みたての卵を使って、
環さんのお母さんはとても上手に、ふわふわのオムライスを作った。
初めて食べた日、あまりのおいしさに一郎は飛び上がった。
 
しかし、行く度、環さんが叔父宅に戻るのが予定より遅れるようになった。
1日の約束が2日になり、2日の約束が3日4日となった。
今日は帰れる、と思って目ざめた朝に延期を告げられるのは、
家が恋しい子どもにはつらいことだった。
得体の知れない力が、小さなからだにのしかかるように感じた。
 
今回もそうだった。
朝起きて居間に出ると、環さんのお母さんが待っていた。
「もう1日泊まってお行き」とあたり前のように言われ、
恐れていただけに、やっぱりそうかと一郎は余計にガッカリした。
 
朝食のあと、お兄さんと環さんに連れられ、近くの河原に散歩に出た。
地面は、昨夜降った雨を吸いこみ黒々と濡れていた。
「もうひと雨くるかなあ」とお兄さんが言っていた空には、
重い雲があった。
一郎はとぼとぼと二人のあとを歩いた。
足もとに、ぽっかりと口をあけた穴を見つけ、
中を覗くと底のほうに何匹もの虫が動くのが見えた。
虫の名前を聞こうと顔を上げると、二人は思いのほか先まで歩いていた。
 
二人は手をつないでいた。
心なしか環さんの頭は、お兄さんの肩に凭れているように見えた。
見てはいけないものを見た気がして、
一郎は声をかけられないままじっと立ちつくしていた。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

 

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上田浩和 2013年4月7日

バイオリン弾きと剣道家とれんこん

       ストーリー 上田浩和
          出演 地曵豪

ある街の、古びたアパートの一室で、
バイオリン弾きと剣道家とれんこんの三人が共同生活をおくっていました。
バイオリン弾きは、ゆでたまごのようにつるりとした顔の物静かな男。
剣道家は、寝る時も含め常に面と胴と小手をつけている風変わりな男。
れんこんは、穴のあいたあのれんこんです。たぶん男です。
三人はバンドを組んでいました。
といっても、ボーカルやギターがいたりするバンドではなく、
彼らなりのちょっと変わったバンドです。
たまにはライブハウスで演奏したりもします。
まずバイオリン弾きがバイオリンを弾きます。
そこから生み出された音符の群れは、豊かな曲をつくり、
観客をうっとりさせたあと、れんこんに引き取られます。
れんこんは、その音符たちを力いっぱい吸い込み、
自分の穴にたくさん詰め込むと、いっきに吹き鳴らします。
トランペットよりもいっそうにぎやかな音色に、観客は熱狂します。
そして仕上げとして、再び空中に舞い上がった音符を、
今度は剣道家がステージ上を所狭しと駆け回りながら
竹刀でひとつひとつ叩いていくのです。
叩かれた音符は、竹刀と共鳴し、新しい響きをともない、
観客の心を震わせました。
ライブ会場は、
いつも割れんばかりの拍手と歓声で埋め尽くされました。
レコードだって一枚だけですが出したことがあります。
でも、三人は、プロではないのでふだんはアルバイトをしています。
アルバイトとは言っても、
バイオリン弾きはバイオリンより重いものを持ったことがないし、
剣道家は防具を取ろうとしないし、れんこんはれんこんだから、
たいした仕事ができるわけでもなく、
バイト代は三人分足してもわずかな金額にしかなりません。
だから常に金欠状態。それでも三人は楽しそうでした。
お金がなくても、そろって音楽さえできればそれでよかったのです。
こんな毎日が一生続けばいいな、三人はそう思っていました。

そんなある日、れんこんの元に黄色い葉書が届きました。
そこには「あなたが辛子蓮根に選ばれました」とありました。
れんこんは目を輝かせました。
れんこんが辛子蓮根になるということは、
野球選手がメジャーリーグに行くくらい難しいことで、
名誉なことなのです。
でも、れんこんのうれしそうな顔は、すぐに悩める表情に変わりました。
れんこんが辛子蓮根になるということは、
れんこんにとっては夢のような人生ですが、三人にとっては、
夢の終わりを意味しているからです。
自分の夢を追うか、三人の夢を守るか。
そんなれんこんの葛藤を、
バイオリン弾きも剣道家も十分に分かっていたので、
笑顔で送り出してやりました。
れんこんも、そんな二人のやさしさを無駄にしたくなかったので、
笑顔で旅立っていきました。

れんこんがいなくなってから、
部屋のなかはとても静かになりました。
しゃべって盛り上げるのはれんこんの役目だったので仕方ありません。
それに二人だけでは音楽をする気も起こりません。
二人は仕事を減らし、部屋にこもるようになりました。
もともと必要な物などないからお金は最小限あればいいのです。

小包が届いたのは、それからしばらくたったある日のことです。
黄色い包装紙を見ただけで二人にはぴんと来ました。
でも、それをすぐ開ける勇気がありませんでした。
二人にようやく箱を開ける決心がついたのは、同じの日の深夜。
れんこんが叶えた夢を見届けてあげようと、バイオリン弾きが言い、
剣道家が頷きました。
中にはやはり辛子蓮根が入っていました。
久しぶりの再会にもかかわらず、二人に笑顔はありません。
これが昔はれんこんだったなんてとても信じられませんでした。
それでも、バイオリン弾きは、じっくり時間をかけて気持ちを固めると、
ゆっくりと手をのばしました。
剣道家はお面を取りました。そして小手を外すとそっと両手を合わせ、
震える声でいただきますと言いました。
口に入れると二人の頬を水滴が流れ落ちていきました。
その涙は、辛さのせいなのかなんなのか分かりません。
シャキシャキ、シャキシャキ。
シャキシャキ、シャキシャキ。
二人が口を動かすうちに、
いつのまにか部屋は軽快な音で満たされていました。
まるで二人の口元から音符が溢れ出してくるようです。
れんこんがそこにいて音楽を奏でているようです。
剣道家は竹刀を手に取ると、
部屋中に舞い上がる音符をひとつずつ叩いていきました。
懐かしい響きが聞こえました。
それに合わせて、バイオリン弾きがバイオリンを弾きました。
三人の音楽がそこにありました。
その夜、三人は、三人の部屋で、三人のためだけのライブを開きました。
それは一晩中つづきました。

翌朝。バイオリン弾きと剣道家は以前のように
アルバイトに出かけていきました。
二人は、二人だけでもう一度バンドをやろうと決めたのです。
そのためにはどうしてもお金が必要です。
誰もいなくなった三人の部屋を、
棚の上から一枚のレコードが見守っていました。
三人のデビューレコードです。
そのジャケットの写真のなかでは、バイオリン弾きと剣道家とれんこんが、
やや緊張した面持ちで笑っていました。

出演者情報:地曵豪(フリー)http://www.gojibiki.jp/

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中山佐知子 2013年3月31日

ハナは怒りっぽい

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

ハナは怒りっぽい。
ハナは燃える鉄のような怒りかたをする。

ハナの父は族長の槍になった。
ハナはそれを誇りに思った。
でも小さな妹が鍬になったとき
ハナは怒って族長に食ってかかった。
どうして鍬なのか。鍬は田を耕すものではないか。
妹はどうして剣にならなかったのだ。

族長は答えた。
おまえの妹は山の崖を切り崩す鍬になったのだ。
花崗岩の崖をくずして砂鉄を取るための
強い道具になったのだ。

ハナの一族は金属の民、鉄をつくる一族だ。
山の斜面に穴を掘って炉をつくり、
炭と砂鉄を投げ入れて火をつける。
土器を焼く温度が600℃から800℃。
鉄を沸かすにはもっと高い温度が必要だったが
山の下から吹き上げる風がいつも炎の温度を上げてくれるのだった。

夜でも燃え続ける鉄の火を見た麓の人々は
ハナの一族をオロチと呼んだ。
夜でも赤く光る目を閉じないオロチ。
オロチの噂は優れた鉄と結びつけて語られた。

鉄は火がつくる。山の木がつくる。森林がつくる。
これだけ森に恵まれたイズモの山で
どれだけ炭をくべても鉄が沸かない日があった。
火の温度が上がらないときがあった。
そんなとき、ハナの一族には秘密の儀式があった。
どうしても沸かない鉄には死体を投げ込むのだ。
骨に含まれるカルシウムのために、鉄は低い温度で溶けはじめる。
低い温度で沸いた鉄は粘りのある純度の高い鉄になった。
純度の高い鉄は清浄で美しいばかりでなく
石を割るほどの強い暫鉄剣を鍛えることができた。
オロチの鉄の評判は高まり
近ごろでは見知らぬ顔が
毎日のようにたずねて来るようになっていた。

あれは何ものだ。ハナはまた怒った。
鉄は渡さない。招かれてもどこへも行かない。
炭を焼く木と砂鉄を求めて
山から山へ渡っていくのがオロチの一族だ。
山を下りたオロチは鉄も誇りも失ってしまう。

それからハナは一振の剣をもらった。
族長はハナに剣を渡すときに言った。
この剣は俺の妹だ。そしておまえの母でもある。
この剣はおまえの怒りに従い、おまえの誇りを守るだろう。

本当に族長の言う通りになった。
襲撃を受けた夜、逃げる女たちの群れから
ハナはひとりで母の剣を持って飛び出し、敵に斬り込んでいった。
背中と脇腹が一瞬熱くなったが
ハナの血管を流れる血は燃える炉の鉄よりも沸き立っていたので
傷の痛みは感じなかった。
ただ怒りにまかせてまっしぐらに敵の指揮官と思われる男に打ち込み
二度三度と切り結ぶと、相手の剣が折れて飛んだのがわかった。
一瞬戦いが止み、敵も味方もハナとハナの剣を見ていた。
ハナも惚れ惚れと自分の武器を眺めた。
ハナはもう怒っていなかった。
やすらかにゆっくりと自分が流した血のなかに倒れていった。

ハナは敵に看取られ、朝まで生きていた。
剣を折られた敵の指揮官が名前をたずねたとき
ハナは自分の名前を答えたか、
ハハという剣の名前を答えたか定かではない。

ただ、後世になっても炭と砂鉄で操業されていたタタラ製鉄において
炉の温度が上がって最初に溶け出す成分をハナと呼ぶ。
そしてハハはオロチ、つまり蛇を意味する言葉になっている。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

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