佐藤充 2024年9月8日「オットセイがいる」

オットセイがいる

   ストーリー 佐藤充
      出演 遠藤守哉
   
南アフリカのケープタウンに滞在しているときだった。
ここから車で30分くらいの場所に野生のオットセイがたくさんいる。
そう聞いたので同じ宿の人たち4人でレンタカーを走らせることにした。

スマホでオットセイを検索する。
よちよちと移動する姿が可愛らしい。
これから会えるのかと心をおどらせる。

車は海辺のほうへすすむ。
窓をあける。磯の香りがする。
それと嗅いだことのないにおいがしてすぐ窓を閉めた。

車を海の近くの岩場で停める。
ここから歩いて数分のところがオットセイのスポットらしいと
地図など見なくてもわかった。

なぜかと言うと、においだ。
さっきの嗅いだことのないにおいの正体はオットセイだった。
風に乗ってこちらまでくる。

においのほうまで歩く。
遠くから見てもわかるほど大量に黒い塊が岩場にいる。
だんだんにおいも強くなってくる。
そこには数千を超えるオットセイがいた。

この強烈なにおい。
数千のオットセイの糞や尿と腐らせた魚を濃縮したような、
とにかく例えようがない強烈な刺激。臭いを超えて痛いのだ。
鼻を超えて目を刺激してくる。
目の痛みに耐えていると今度は頭が痛くなってくる。
こんな経験は初めてだった。

内心はもう帰りたいと思っていたが、
わざわざレンタカーを借りてまで来ている。

同じ宿の人たちにも申し訳ないので、
もう少し見てまわることにした。

そこには親切にオットセイを至近距離で
観察できるように木でできた橋があり、
そこを渡りながら見ることができる。

おうおうおうおう。
数千を超えるオットセイの野太い鳴き声のなかを
歩いていくとなぜか橋の上に1匹のオットセイがいる。

距離は10メートルほど。
地元北海道ではクマに遭遇したら、
静かにゆっくりと背を向けずに後退りをし
逃げるようにと習った。

オットセイはどうしたらいいのだろうと
立ち往生しているときだった。

おうおうおうおう。
鳴きながらオットセイが追いかけてくる。
全力で背を向けて車のほうまで走って逃げる。

帰りの車内も4人しかいないはずなのに
オットセイを何頭か乗車させているのかと思うほどにおいがする。

宿に戻りすぐにシャワーを浴びる。
それでもオットセイのにおいは落ちなかった。
あまりに強烈すぎて脳が混乱しているのかもしれない。

そこで南アフリカ滞在中の毎晩の楽しみで
気を紛らわせることにした。

南アフリカはワインがうまい。
種類も豊富で安い。

毎日近所のスーパーへ行き、
気になるラベルのボトルを数本買って
宿のキッチンで肉を焼いて
いっしょに楽しむのが日課になっていた。

ワインでオットセイを忘れよう。
そう思ってグラスにワインを注ぎ、
ワイングラスをまわす。

ブドウの芳醇な香りを楽しもうと目を閉じて鼻を近づける。

おうおうおうおう。
ワイングラスのなかで昼間のオットセイが鳴いていた。

.
出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年7月21日「ハマにて。」

ハマにて。

  ストーリー 佐藤充
     出演 遠藤守哉

まさかシリアの汽車のなかで、
火遁豪火球の術を、
印を結ぶところから真似する日が来るとは思わなかった。

シリアのダマスカスから汽車に乗り、ハマという街についた。
どこに宿泊するか、何をするのかも決めずに無計画に来た。

車内でたまたま日本のアニメのナルトを
スマホで見ている学生がいたので、
そのアニメのなかに出てくる
サスケというキャラの技の真似をして仲良くなった。

その技が火遁豪火球の術である。
芸は身を助けるというのか、日本のコンテンツ力は身を助ける。

いっしょに駅を出ると、タクシードライバーが群がってくる。
アラビア語なのでわからない。

彼がタクシードライバーたちに
「その値段はぼったくりだ」
というニュアンスのことを言っていることはわかる。

その中の1人はおそらく良心的な値段だったのだろう。
彼にすすめられていっしょに乗車することにした。

ドライバーに「どこへ行く?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれる。

何も決めずに来たので「ゲストハウス」と答える。
きっと何かしらのゲストハウスはあるだろうと思ったのだ。

すると「どこのだ?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれた気がした。

「イッツアップトゥーユー」と答えてみた。

ドライバーはルームミラー越しに頷き、
車は静かに動きだした。

汽車で出会った学生の彼は途中で降りていった。
急に心細くなり、不安になる。

いったいどこへ連れていかれるのだろう。
そもそも本当に伝わったのだろうか。

ノープランで来てしまった自分の甘さを後悔する。
いくらまでなら取られても大丈夫か頭のなかで計算する。

30分くらい走り、車が止まる。

ドライバーが指をさす。
その方向には「Guest House」と書かれた建物があった。
乗車賃も良心的だった。
少しでも疑ってしまって申し訳ない気持ちになる。

無事にチェックインを済ませて、
街を歩くことにした。

今日はよく晴れている。
ハマは水車が有名ということを
さっきゲストハウスの本棚にあった地球の歩き方を見て知った。
あてもなく川沿いを歩く。

確かにいくつも水車がある。
ただタイミングが悪かったのか、川の水量がなく水車は回っていない。

川の向こう岸のレストランで準備をしている人影が見える。
手を振ってきたので手を振りかえす。

歩いていると子どもたちが後ろをついてきていることに気づく。
振り返ると楽しそうに走って逃げる。
そんなことをして歩いていると丘の上の公園にたどり着いた。

後から知ったことだが、
そこはかつて城塞があった場所で今は公園になっているらしい。

そんなことも知らずに公園に行くと、
アジア人が1人でいることが珍しいのか
たくさんの人が話しかけてくる。

そこでピクニックをしている
自分と同い年くらいの集団に混ざることになった。
言葉はわからないがひまわりの種やひよこ豆のフムスやアイスなど
たくさんの食べ物をご馳走になる。

なぜか肩や足までマッサージしてもらい、
うちわで扇いで涼ませてくれたりもした。

その中のリーダーのような人がバイクに乗って戻ってきた。

バイクの後ろの座るところを叩いて「乗れ」と合図をする。
言われるがままバイクの後ろにまたがる。

行き先もわからないままバイクは走りだす。

丘を降りて、道を進み、露天のような場所に停車する。
そこは彼の知り合いのお店だったようでコーヒーをご馳走になる。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「グッド」と答える。

すると彼は嬉しそうな表情をして、またバイクは走りだす。
次は石でできた不思議な建物のまえで停車する。
なかに入ると彼の友達がいて、いっしょにトランプをして遊んだ。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「ベリーグッド」と答える。

彼はまた嬉しそうな表情をする。そして、バイクは走りだす。
今度は綺麗に手入れをされた公園の中をバイクは走っていく。
バイクで入っちゃいけない場所だったようで、警察に追われる。
彼は警察から逃げながら「ハマ イズ グッド?」と聞くので
「ベリベリグッド」と答える。

そして、そのままゲストハウスまで送り届けてくれた。
お礼を渡そうとすると断られた。
彼は「ハマ イズ グッド?」と笑い、
橙色に染まるハマの街をバイクに乗り走っていった。

心地よい旅の思い出を、夢のなかで思い出す。
.


出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年6月30日「痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい」

痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい。

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

「1000円。1000円でいいよ」

東京ではもう春で、北海道の旭川ではまだ冬の頃だった。

路面沿いの雪は車の排気ガスで黒く、
電柱の下の雪は犬のおしっこで黄色くなっている。
カラスが飲食店の前に置かれたゴミ袋を漁っている。
もうそろそろ朝になる。

旭川のサンロクと呼ばれる飲み屋街でも、
この時間はタクシーなど走っていない。

ザクザクと音を立てて歩道を歩く。

昼間に降った雨のおかげで車道は
スケートリンクのようにツルツルになっている。
赤や青の信号機の光を反射している。

小さなころ、勢いつけて滑って下校していたのを思い出した。
ツーっと足を前後させバランスを取ってうまいこと滑るのだ。
誰もいないし、車道を滑って帰ろうかなと思ったときだった。
車が走ってきて、僕の近くで止まった。

車の窓を開けて母親くらいの年齢の女性が
「1000円。1000円でいいよ」と言う。

いきなりのことでなんのことかよくわからず、
車道でスケートをしようとした後ろめたさのせいか
お金を取られるのかと思ったが、違った。
車は白タクだった。

「家どこなの」と聞かれたので、自宅のある地域の名前を言うと
ちょうど女性もその辺りに住んでいるので
ついでだからと送ってくれることになった。

この時間はタクシーもいないでしょ、
歩いて帰るつもりだったのかい、
仕事はなにをしているの、
など他愛もない会話をした。

窓の外ではまた雨が降り始めてきた。

「あ、ここです」と知らない人の家の前でおろしてもらった。
女性に1000円を払い車が角を曲がるのを見送ってからまた歩きだす。
ここから自宅までは歩いて20分くらいだ。

ここでおろしてもらったのには理由がある。
自宅までの間に急勾配のくだり坂があるのだ。

そこを滑りたかった。
1度勢いつけて滑り出したら50メートルくらいは
止まらず滑っていける計算があった。

やってみた。
すぐに転んだ。
全身が濡れた。
無理だった。

頭から足までびしょびしょだ。

計算では50メートルは滑っていける予定だったが、
3メートルも滑ることができずに転んだだけじゃなく、
転ばないようにと無理な姿勢で身体に力を入れたときに、
股関節あたりの筋肉も痛めた感覚がある。

うまく立ち上がれない。
痛む股関節のおかげで力もうまく入らない。
痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい。

計算外だった。
あの頃の自分と体幹が違う。
今の身体を計算に入れていなかった。

あと残り47メートル近くのくだり坂は、
お尻をついて滑っていくことにした。
冷たい水がパンツを通り越してお尻まで濡らして気持ちが悪い。
くだり坂が終わってからが大変だった。

今度はさらにそこから30メートルほどの急なのぼり坂があるのだ。

四つん這いになり匍匐前進をするように進む。
痛いのか冷たいのか感覚もない。恥も外聞もない。

まだ家にも着きそうにない。

路面沿いの雪は車の排気ガスで黒く、
電柱の下の雪は犬のおしっこで黄色くなっている。
スケートリンクのように凍り濡れた路面は、
赤や青の信号機の光を反射している。

反射した光を切り裂くように這って進む。

カラスが鳴いている。

もう朝になる。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2024年4月21日「心が躍る」

心が踊る

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1週間働いたあとのお酒がこれだけしみるなら、
10年働いたあとのお酒はどれだけしみるのだろう。

想像する。心が踊る。

大学を卒業し、
今の会社に勤めて10年目になる。
1か月休暇を取ることにした。

心身の不調や育休や転職でもなく、
1か月休暇を取ると仕事関係の人たちに伝える。

過去に例がなく困惑させたが、
予想に反してみんな快く送りだしてくれた。
案外言ってみるものだなと思う。

この文章はタイのチェンマイで書いている。
数日前にいたラオスより涼しくて過ごしやすい。

毎日昼ごろに起きる。
ごはんを食べて散歩をする。
宿に戻り水浴びをして昼寝をする。
起きたら夕陽が見える場所へ移動する。
場所はなるべく風が気持ちいい外がいい。

ビール瓶を片手に橙色に染まる空を眺める。
どこの国のどの街にいても同じだ。

夕陽を見ながらビールを飲む。
この休暇で気づいたことがある。
一口目は必ず「ぷは〜」と言ってしまう。
そして一口目が1番うまい。しみる。
このための10年だった気がしてくる。

「とは言え〜」と「逆に〜」が頻繁に飛び交い、
右も左も上も下もわからなくなり、
平衡感覚が鍛えられる打ち合わせ。

上司に言わないから悩みなどあれば自由に教えてほしい、
と人事に言われたので素直に答えたら、
上司に筒抜けでC査定だった1年目。

深夜の撮影で近所の公民館のトイレを借りたら、
何者かに外から鍵をかけられセコムが作動し、
パトカーが何台もきたロケ撮影。

25時間ぶっ通しで続いた打ち合わせのときは、
心のなかでサライが流れていた。

2000人以上社員がいるのに20代のCMプランナーが自分1人で、
毎日が文化祭準備期間だった時期もあった。

あれもこれもこのためにあったのかもしれない。

ビールがうまい。
ビールの銘柄はその国のものと決めている。
ラオスではビアラオ。
タイではチャーンだ。

東南アジアのビールは薄いのでごくごく飲める。
ついつい飲みすぎてしまう。

もしかしたらなぜビールばかり飲むんだ。
ビール以外のお酒もあるじゃないか。
私はビールが飲めないからビールの話ばかりされたら不愉快だ。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになった。

なので丁寧にお答えさせてもらう。
ビール以外の例えばカクテルだと甘すぎたり、
ハイボールだと炭酸が弱すぎたりなど、
当たり外れが多いのです。
その点でビールは間違いないのです。

夕陽がチェンマイの山の裏に沈みかける。
ピンクとブルーの混ざったクリーム色の空を
空港から離陸した飛行機が飛んでいく。
肌に触れる風が気持ちいい。
ビールがすすむ。

オレはこんなに忙しいのに
お前はなにをのんきにビールを飲んでいるんだ。
聞いているだけでイライラして不愉快だ。
若いうちはたくさん働け。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになったのだ。

なので丁寧にお答えさせていただきます。
ほんとその通りです。
ぼくもこんな日々を1か月もしていたら、
社会復帰できるか不安です。
帰国後はしっかり労働させていただきます。
有難いご意見ありがとうございます。

気づくと夕陽は完全にしずんでいた。

代わりにチェンマイの空に
爪が浮かんでいる。

爪が空に浮いているはずないだろ、
というご意見ありがとうございます。
爪みたいな形をした三日月でした。

今夜もよく飲んだ。
足元に気をつけながら、
宿に戻って伸びた爪でも切ろう。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2023年12月24日「ほっとけない男」

ほっとけない男

  ストーリー 佐藤充
     出演 遠藤守哉

ある日、ラーメン屋で遅い昼食を食べていると、
懐かしい歌が流れてきた。
Janne Da Arc(ジャンヌダルク)だった。
Janne Da Arcとは日本のビジュアル系ロックバンドである。

ラーメンとジャンヌ。
中野でシェアハウスをしていた頃を思い出す。

シェアハウスには、いろんな人間が暮らしていた。

実家に霊の通る道があることから霊道と呼ばれる男。
歌舞伎町でホストをしているから歌舞伎町と呼ばれる男。
歌舞伎町が連れ込んだキャバ嬢と呼ばれる女。
歌舞伎町の彼女でリストカットをすることからリスカと呼ばれる女。
研究でいつもバングラデシュにいるからバングラと呼ばれる女。
北海道から就活で東京に来ていたはずが、
なぜかいつまでも帰らない就活生と呼ばれる男。
オーストラリアのファームでワーホリするはずが、
悪い大人に騙されてダムの建設をやらされていたダムと呼ばれる男。

そんなシェアハウスというより、
動物園と呼んだほうがよさそうな場所にくる前、
歌舞伎町は旭川の梅光軒というラーメン屋で働いていた。

あるとき、
このままラーメンを一生作り続ける人生はつまらない、
とラーメン屋をやめた。

そして広い世界を自分の目で見るために
ラーメン屋の厨房を飛び出し、
ママチャリにまたがり日本一周の旅に出て、
帰ってきてホストになったのが歌舞伎町だった。

歌舞伎町はJanne Da Arcが好きで、
よく部屋で曲を流していた。

みんなが寝静まりゆっくり読書をしていた深夜3時だった。
誰かが帰ってきた。そこには顔面真っ青な歌舞伎町がいた。

「どうした?仕事は?」と聞くと、
「いや、気絶したから早上がりしてきた」と答える。

歌舞伎町はお酒が飲めないうえに
体調が悪い状態でお酒を飲むと気絶する体質だった。

ホストとして致命的だった。
だからこそ、ほっとけない男だった。

シェアハウスの仲間たちで
月に1度の食事会をしているときだった。
歌舞伎町にもっと広い世界を見てほしいと
ひとりで初めての海外旅行に行ってみてはどうかと提案してみた。

「でも普通に行くんじゃつまらなくない?」と誰かが言うので、
関口宏のフレンドパークのようにルーレットで決めて
その場で航空券を買うことになった。

ルーレットには30カ国ほどの候補地の都市が書かれていた。
歌舞伎町の初海外は楽しい思い出になってほしい。
僕らも関口宏のフレンドパーク的に言えばタワシぐらい
バンコクやハワイやニューヨークなどを多く面積広めに、
パジェロぐらい小さめに大変そうな都市を入れて作った。

そしてルーレットを回す。

「パジェロ、パジェロ」と盛り上がる。
ルーレットがゆっくりとゆっくりと止まる。

止まった先はタワシのように広く大きく作ったところではなく、
パジェロのように狭く小さいところだった。

小さすぎて文字が認識できないので、
誰かが近づき書かれた国名を読む。

パキスタンだった。

さっきまでの「パジェロパジェロ」との盛り上がりが
嘘みたいに静かになる。

「本当に航空券取るよね?」と誰かが沈黙を破る。
調べてみるとパキスタンへの直通の便はなく、
インドのデリーへ行き、そこからパキスタンへ行くことになった。

歌舞伎町がパキスタンへ行っている3週間は、
ほっとけない男を、さらにほっとけない男にした。
全員がLINEに既読がつかないか、SNSに更新がないかを常に見ていた。

予定より1週間早く帰国した歌舞伎町にパキスタンの感想を聞いた。
何を聞いても「あの花」の感想しか返ってこなかった。
「あの花」とは「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」という
秩父を舞台にしたアニメのことである。

歌舞伎町はパキスタンが怖いので宿にこもり
ずっとアニメを見るという日本でもできることをしていたらしい。

ラーメン屋のBGMがJanne Da Arcで、
僕は久しぶりに歌舞伎町に会いたくなり
「今度飲もう」とLINEをした。

1ヶ月くらいして
「2年後だったら会える」と返信があった。

歌舞伎町は、どこで何をしているのだろう。
本当にほっとけない。
.


出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2023年11月26日「希望岬にて」

希望峰にて

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

この1ヶ月で2度死ぬかと思ったことがある。

ナミビアでレンタカーを借りて走っているときだった。
ナミビアは現地の言葉で「何もない土地」を意味する。
世界で最も人口密度が低い国だ。

見渡す限り地平線。
人も車もいない。
いくら走っても変わらない景色。

その変わらない景色は
いくら走っても止まっているように錯覚させた。

車は100キロを超え、120キロ、150キロとどんどんスピードを上げていく。
すると突然野生のジャッカルが目の前に飛び出してきた。
避けようとすると轍にハンドルをとられる。

車は大きく傾く。
景色がスローモーションになる。
内臓が口から飛び出そうだ。
数メートル先には崖がある。

ここで人生が終わるのだろうか。

このアフリカ卒業旅行から帰国したら、
来月から僕は社会人になる。
まだ働いたことがない。

親に借りたお金を返せていない。
出世払いでと散々言い続けて借りてきたのだ。

「あちらのお客様から」といい感じのバーで
お酒をご馳走したこともない。
社会人になったら絶対にやろうと思っていた。

よくわからないけど港区あたりでやっていそうな
酒池肉林のパーティーみたいなものにもまだ参加したことがない。

崖から落ちたら、死ぬ。
止まってくれ、止まってくれ、止まってくれ。
願いが通じたのか、車はギリギリのところで止まる。

死ぬかと思った。
これが1度目だ。

そして、2度目。

ナミビアでレンタカーを借りて走っているときだった。

みなさんすでにご存知のように、
変わらない景色に車は知らずのうちにスピードが出る。

同乗していた誰かが言った。
「右にヌーだ!」

不意なヌーに意識とハンドルをとられる。

今回は道がジャンプ台のようになっていて、
車はスキージャンプのように勢いよく空中に放り出された。

何日かぶりの内臓が宙に浮く感覚。
何日かぶりのスローモーションの景色。

今度はヌーか。
流れゆく景色のなかで思う。

誰にも言ってこなかったけど、
社会人になったら親を海外旅行に連れていこうと思っています。

コンビニで買い物したら毎回小銭はすべて募金しています。

トイレを使用したらトイレットペーパーは三角折りにしています。

スマホを落としたときは、
スマホに「落としてごめん」と言っています。

雨の日に階段を歩くときは、
傘の先端がぶつからないように後ろの人に気をつけて歩いています。

元気がない友人がいたら何も言わずに飲みに誘っています。

小学校から高校卒業するまで朝晩かかさず犬の散歩もしていました。

トンボが雨で羽を濡らして飛べなくなっていたのを
家に持ち帰りドライヤーで乾かしてあげたこともあります。

「つゆだく」と注文していたのに、
「つゆぬき」できても何も言わずに牛丼を食べています。

封筒に入った10万円を拾ったとき、
ちゃんと交番に届けました。

誰もやりたがらなくて、
だからといってジャンケンで負けた人がやると先生が不機嫌になるので、
やりたいふりして学級委員長に立候補したこともあります。

空中に投げ出された車は、
地面に強く叩きつけられながらも
奇跡的に無事に止まった。

そして今、
南アフリカはケープタウンの希望峰にいる。

英語では「Cape of Good Hope」

2度死にかけた僕の目の前には、
大西洋とインド洋の水平線と
希望が広がっている。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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