「東北が笑う」(東北へ行こう2017)

「東北が笑う」

     ストーリー 高橋莉子(東北芸術工科大学)
        出演 大川泰樹

山が笑う。
隣のばあちゃんも笑う。
つくしの間から顔を出した猫も、帰ってきたツバメも笑っている。

もう、6年生。
ランドセルを揺らして、あの子も走りだしました。

春です。
東北の春です。
寒くて厳しい冬を越えて、東北に、あたたかい春がやってきます。

雪を乗せていた北風はやがて静かに眠りにつき、
優しい風が東北中の笑い声を連れて、
降り積もった雪たちを溶かしてゆきます。
喜びに満ちた花びらを落としながら、新幹線は北へ、北へと進みます。

東北に春一番は吹きません。だから、あなたが春を連れてきてください。

東北があなたを呼んでいます。
そろそろ出発の時間です。

東北へ行こう。


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「おかえりが待っている東北」(東北へ行こう2017)

「おかえりが待っている東北」

     ストーリー 宇野美優(東北芸術工科大学)
        出演 大川泰樹

ぶらりと乗り込んだ電車のドアは
ボタンを押さないと開かなかった
こりゃ驚いた

ホームに降りると改札口がなかった
ただただどこまでも銀世界が広がっていた

悲しいくらいキレイだった

雪を踏みしめて歩くと、キリキリ音がする
雪ってこんな音がするんだ
夢中になってキリキリする

ぽつりぽつりと人とすれ違う、
そのたびに「おかえり」と声をかけられる
ここではみんなが家族のようだ
僕は「こんばんは」と返事をした

民宿についてすぐ銭湯に行った
真っ黒に日焼けしたじっちゃんに
「おめどっがらきだ?」ときかれた
「東京です」って答えると
「物好きだなあ」とケラケラ笑いながら
お気に入りの場所を教えてくれた

民宿につくとまた「おかえり」と言われて
ほかほかのご飯が出た
「何もないけど」と言いながら
食べきれないほどのお菜を並べてくれた

なんだかこの町は
無条件でずっと居てもいいよって言われているみたいで
なんだかとてもくすぐったくて幸せだ

東北へ行こう


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semi_onsen_img  瀬見温泉

akakura-torioi  赤倉温泉

OLYMPUS DIGITAL CAMERA  鳴子温泉

onsen

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蛭田瑞穂 2016年12月18日

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

猫は空を見ていた

       ストーリー 蛭田瑞穂
         出演 大川泰樹

猫は空を見ていた。
天窓の上の空をじっと見ていた。
空には雲がぽっかりと浮かんでいた。
雲はひとところに留まっているように見えたが、
しばらく眺めていると
窓の端にむかって少しずつ移動していることがわかった。

雲は徐々に窓枠の外に隠れてゆき、
最後は完全に姿を消した。
「消えた雲はどうなるのだろう?」
猫はいつもそう思うのだった。

雲だけでない。
鳥も飛行機もみんな窓枠の外にいなくなる。
そのあと、雲や鳥や飛行機はいったいどうなるのだろう。
跡形もなく存在が消え、
二度とこの世界に戻ってこないのだろうか。
猫は窓枠を通してしか世界を見ることができない。
猫にとって窓枠こそが世界の果てだった。

猫はゆっくりと歩きながら、別の窓辺に移動した。
そして先ほどとおなじように空を見た。
猫にとってそれぞれの窓から見える空は
それぞれ別の世界だった。
窓枠の数だけ世界が存在していると猫は思っている。
にもかかわらず、それぞれの世界はとてもよく似ていた。
ほとんど同じと言ってもよかった。
同じ色の空があり、同じ色の雲があった。
同じように雨が降り、同じように夜になった。
「それぞれの世界はどのように関係しているのだろう?」
猫は窓枠を通してしか世界を見ることができない。
猫には無限の世界というものを
想像することができない。

今日もどこかの窓辺で猫が空を見ている。
その時猫が考えているのは世界とはいったい
何なのだろうということなのだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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川野康之 2016年11月6日

1611kawano

門の花

     ストーリー 川野康之
       出演 大川泰樹

ホテルから5分ほど歩いたところに、小さな廟がある。
その廟の門前に、朝、屋台が出ていることを、
ぼくは散歩の時に知った。
何度も前を行ったり来たりして、ぼくはさりげなく観察した。
(いやけっしてさりげなくはなかったかもしれないが)
平日なのに、多くの人がここに寄ってくる。
仕事や学校に出かける前の人々が、
みんな自分の家の台所のようにして、
気に入った屋台で朝ご飯を食べているようだ。

屋台にはそれぞれいろんな料理があった。
肉まん、麺類、豚の煮込んだのをご飯にぶっかけたもの、
葱入り餅、あるいは大釜のなかで煮ている
何か得体の知れないどろどろのもの
(看板には「大腸麺線」と書いてあって
 そのネーミングはぼくをひるませた)など。

朝のおだやかな空気の中で、人々は屋台や道端の小さなテーブルで、
麺をすすったり、煮込みかけご飯を箸でかっこんだり、
どろどろの大腸麺線をレンゲですくったりしていた。
ほかほかの肉まんを包んでもらって職場に向かうOLたちがいる。
バイクにまたがったままビニール袋に麺とつゆを入れてもらって、
ハンドルにくくりつけて走り去る人もいる。
これが台湾の朝食風景なのか、とぼくは思った。

ぼくは、出張ではじめて台北に来ていたのだった。
ホテルは朝食付きだったが、
毎日ベーコンやフライドエッグの洋食ではつまらなかった。
ぼくの中で、
台湾ともっと仲良くなりたいという気持ちが芽生え始めていた。
台湾の人が朝食べるものをぼくも食べてみたかった。

何度か前を往復したあと、
廟門のすぐ前の屋台の椅子に思いきって掛けてみた。
見慣れない日本人が来たので、
店の人がちょっと緊張するのがわかった。
でもけっして拒絶する風ではなかった。
ぼくは勇気を出して、
ガラスケースの中に並んでいた麺の玉の中から
黄色い麺を指差した。
店の人が、具材を入れた器を見せて、何を入れますかと訊いた。
肉団子を指差すと、彼女はうなずいて、作業にとりかかった。
スープは思ったよりも薄味であったけれども、
ぼくは全部飲み干すと、十分に満足して、お金を払い、
「謝謝」と言って立ち上がった。

翌日の朝もここに来て同じ屋台に座った。
その日は米粉でできた白い麺にした。
その翌日もここで食べた。具には豚の肝を入れてもらった。
これは軒先にあった漢字のメニューを指差して注文した。
豚の肝は、猪の胆、「猪胆」と書くのだ。

お釣りをもらうときに、目が合った。
彼女は思ったよりも若かった。
浅黒い顔に、眼がくりっと大きくて、長い髪を後ろで束ねていた。
武士の娘みたいだな、となぜかぼくは思った。
ぼくは「謝謝」と言った。
彼女も「謝謝」と言った。

それから毎朝そこに通った。
何日目かの時、彼女の隣に年配のおじさんが立っていた。
年恰好からすると、彼女のお父さんなのだろうかと思った。
二人の間には仲の良い親子が持つ情愛が感じられた。
ぼくが食べ終わって「謝謝」と言って立ち上がると、
彼女はいつものように「謝謝」と言い、にっこりと笑った。
おじさんがからかうように何か言った。
彼女は顔を赤くして、おじさんをたたくようなしぐさをした。
ぼくは幸せな気持ちで店を去った。

その日は日曜日だった。
屋台はいつも通り店を開けていたけれど、彼女の姿は見えなかった。
代わりにおじさんが一人で店番をしていた。
ぼくはいつものように麺を頼んだ。
今日は彼女はどうしたのですか、と身振り手振りで訊いてみた。
意外なことにおじさんは日本語で、「今日は休みね」と言った。
手が空いた時に、紙の切れ端に二つ漢字を書いてぼくに見せた。
阿里山の「阿」に中華の「華」。  
「阿華」
と書いてあった。
「なまえ、アフヮー」
そして、
「ベトナムからきたお嫁さん」
と言った。

そう言えばその頃、
台湾人と結婚するベトナム人の花嫁が増えているという記事を
読んだことがあった。
そしてそう言われてみれば、
たしかに彼女は、まわりの台湾人に似ていなかった。
そうか、あの人はベトナムから来たのか。
このおじさんの家にお嫁に来たのか。
ホテルに戻る道を歩きながら、
彼女の笑った顔を何度も思い出していた。

「阿華」という名前は誰がつけたのだろう、とぼくは思った。
阿には特別な意味はなく、
誰々ちゃんと親しみを込めて呼ぶときにつけると聞いたことがある。
華は花だ。
日本語で言うと「花ちゃん」というぐらいの意味なのだろうか。
遠い外国から来た花嫁に、親しみを込めて、
呼びやすい名前をつけたのだろうか。
そのシンプルな名前は彼女に似合っていると思ったけれど、
違う名前で異国で生きていく彼女がけなげだとも思った。
「花ちゃん」が幸せであるといいな。
ぼくは切に思った。

台湾出張の仕事を無事に終えて、ぼくは日本に帰った。
それから一年ほど経ってから、また新たな仕事で台北にやってきた。

着いた次の日の朝、さっそくなつかしい道を歩いて廟に行ってみた。
そこには一年前と同じように屋台が出ていて、
人々がにぎやかに朝ご飯を食べていた。
けれども門の前に、あの花ちゃんの屋台はなかった。
ぼくは一軒一軒居並ぶ屋台を探して歩いた。
端っこのほうに見慣れた屋台があるのを見つけた。
ガラスケースの中には前と同じように麺の玉が並べられていて、
軒先のメニューには「猪胆」という文字が見つかった。
しかし、屋台の向こうにいたのは、見たことのない女の人だった。
ぼくは花ちゃんのことを訊ねてみた。
「はあ?」
冷たい表情が返ってきた。
発音に注意して中国語の名前を何度も繰り返してみたが、通じる様子はなく、
そのうちめんどうくさそうに追い払われてしまった。

屋台のオーナーが変わってしまったのだろうか。
だとすると彼女と家族はどこへ行ったのだろうか。

花ちゃんはいないけれど、ぼくは毎朝廟の前に来て、朝飯を食べた。
今回の出張の仕事はなかなかたいへんだった。
毎晩遅くまで打ち合わせが続いた。
台湾人のスタッフと衝突したこともあった。
町を歩くとき、屋台を見かけると、
花ちゃんがいないかと目で探してみた。

ぼくは、いつのまにかあの大釜で煮る不思議などろどろした料理が
大好きになっていた。
「大腸麺線」は豚の内臓と素麺を混ぜてドロドロになるまで煮込んだものだ。
臓物のくさみを消すためににんにくが大量に入っている。
これをお椀に注いでもらって、
香菜(シャンツァイ)をたっぷりとかけて食べる。

長かった仕事がやっと終わり、今日は日本へ帰るという朝、
いつものように屋台で朝飯を食べた。
帰ろうとしたとき、人ごみの向こうから、誰かが走ってくるのが見えた。
花ちゃんだった。
彼女の腕には小さな赤ん坊が抱かれていた。

ぼくたちは門の前で再会した。
「お姉さんの赤ちゃん」
と彼女は言った。
腕の中の赤ちゃんを、花ちゃんはうれしそうに、
誇らしそうにぼくに見せてくれた。
そのときのぼくの気持ちをどう説明したらいいだろうか。
自分の大好きな赤ちゃんを、子供が宝物を見せたがるように、
彼女はぼくに見せたかったのだろう。
そのまっすぐな気持ちがうれしかった。
彼女は、彼女らしい生き方で、ここで生きている。「花ちゃん」として。
それもうれしかった。
ぼくは赤ん坊に向かって「べろべろばあ」をした。
赤ん坊が笑った。
「花ちゃん、またね」
日本語でそう言って、ぼくは手を振って歩きはじめた。
振り返ると、門のところで、花ちゃんと赤ちゃんが笑っていた。
門に咲く二輪の花だ。
悪くないな、と思った。

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中山佐知子 2016年10月30日

nakayama1610

尾張の尾の字は

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

尾張の尾の字は尻尾の意味だそうだ。
確かにその先端は知多半島であり、
尻尾のように海に張り出している。

10世紀が終わろうとする平安時代中期に
この尻尾の国に地方官僚として派遣された男がいた。
名前を藤原道綱といった。
三十代半ばの年齢だった。

道綱の父は摂政関白太政大臣藤原兼家、
ときの権力の中枢にいた人物だ。
母は地方官を歴任した下級貴族の娘だが
蜻蛉日記の作者として知られている。
つまり両親ともに有名人だ。

母が書いた蜻蛉日記は
夫の兼家に対する赤裸々な嫉妬と愚痴の日記で、
かまってもらえないと拗ねまくる様子まで
恥ずかしげもなく書き散らしている。
ひとり息子にも平気で泣き言をいったし
ときには夫との駆け引きの道具にもした。
蜻蛉日記には道綱のことを
「おとなし過ぎる息子」と書いてあるが
道綱は父の政治手腕や母の文才を受け継がなかったかわりに
母のヒステリーを忍耐強く受け止められる人物に
成長したと思われる。

さて、道綱は父や腹違いの兄弟が順調に出世するのに較べて
30歳を過ぎるまでパッとしなかった。
「あっ、まだきみがいたのね」とやっと認識されるような、
目立たない尻尾のような存在だった。
30歳になっても下級貴族で、
32歳でやっと従三位、35歳で正三位。
特権階級の端くれに列せられてから
尻尾の国尾張の地方官にわざわざ任命されるのは
おまえは尻尾だというあてつけにも思えるが、
前任者が法外な税金を徴収して百姓に訴えられ、
クビになったのちの後任なので
ここは人柄を見込まれての人事だと考えていただけると
道綱くんのためにもたいへんありがたい。

道綱は腹違いの兄道隆や弟道長ほどの活躍もしなかった代わりに
権力を争うこともせずに無事な一生を送ったらしい。
母が綴った蜻蛉日記は道綱にひとつの贈り物をした。
ご存じのように蜻蛉日記の作者の名前は「藤原道綱の母」である。
これによって道綱の名前は
日本の文学史になぜか燦然と輝いている。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年9月25日

nakayama1609

夕暮れの匂い

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

1995年だった。
1月17日のことだった。
まっぷたつになったマンションの部屋から母が救出された。
姉と姉の家族も
倒壊した家の本棚と本棚の隙間で生きていた。

僕は東京で家族の無事を知り、
家がなくなったことを知った。
僕は芝居の稽古の最中で、まったく身動きがつかなかった。

一週間後、稽古を一日だけ休ませてもらって
避難所にいる母に会いに行った。
西宮から芦屋に向かって歩くと
はじめてデートをした公園があった。
公園には救援物資が運び込まれていた。
学生時代に通いつめた映画館は
もう建物とは言えない形をしていた。
壊れた街は映画のセットのように現実感がなかった。

母が暮らしていたマンションの部屋は
あらゆるものが破片になっていた。
大きな破片、小さな破片。
お茶碗の破片、ちゃぶ台の破片。
額縁のガラスの破片、テレビの破片。
僕は床に厚く敷き積もった破片を長靴でザクザク踏んで
父の位牌をさがし、母に届けた。

夕暮れ、僕はまた壊れた街を歩いていた。
昔、この街の夕暮れはいい匂いがした。
家々の換気扇(ファン)がぶんぶんまわって
味噌汁の匂い、カレーの匂い、
キンピラ胡麻油の匂いを吐き出していた。
肉屋の前を通るとコロッケの匂い。
ラーメン屋の醤油の匂い。
僕はいつも夕暮れの匂いに甘えながら
お腹を空かせて走って帰った。

1995年の1月
僕が好きだった夕暮れの匂いは
もうどこにもなかった。
僕の帰る場所はどこにもなかった。

匂いが消えた街のつぶれた屋根を置き去りにして
僕はずんずんずんずん、電車のある駅までの道を急いだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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