中山佐知子 2017年11月25日

マユミ

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

木枯らしが吹いた日の夕暮れに
マユミが暇乞いに来た。
毎年ほぼ同じ時期だ。
敷居際にぴたりと両手をついてお辞儀をし、
多少恨みがましい目つきでこちらを見て言う。

新しい人もおいでですから
この冬はさほどお寂しくはございませんでしょう。

この春に植えた山茶花のことだなと思い当たるが
面倒なので返事をしないでおくと
帯の間からハンカチを出してそっと目に当てている。

仕方がないので
この夏はお天気が悪くて苦労しただろうと慰めてやると、
いえ、雨が多くてラクでございましたと返事をする。
私は庭のマユミの多少ねじ曲がった幹や枝を思い出して、
姿がああだから気持ちも素直でないのだろうと考えた。

マユミは私がこの家に住む以前から庭にいた老木で、
他の木の領分にまで枝を広げている。
初夏に咲く花は地味で目立たないし、
多少ねじ曲がって育つ傾向はあるが
ニシキギ科の一族の特徴として
秋になると目にも鮮やかに紅葉する。
引っ越してきた最初の秋、
朝に晩にその紅葉を眺め楽しんでいたら
冬が始まる頃にマユミと称する女が暇乞いに来た。
それからは毎年のように来る。
庭には他に木もあるのに
なぜマユミだけが人の姿になるのかわからない。
人の名前のようだからというならば
藤やサツキはどうなのだ。
黒文字なぞは粋な姐さんに化けそうな気がするが
そういう気配はまったく見せない。
あくまでも樹木としての分を超えようとはしない。

マユミは、秋の葉の美しさを褒め、枝に下がる実を褒め、
ついにはあの地味な花まで褒めているうちは
いい気分のようだったが
近頃では褒め言葉も尽き果ててしまった上に
冬枯れの庭の寂しさについ山茶花を1本植えたのが、
このたびのマユミの拗ねた顔つきの原因らしい。

かけてやる言葉も見つからず、
玄関まで送るよ言って外に出ると、
人待ち顔で立っていた若い男がぺこりとお辞儀をし、
マユミが慌てて、「これはお隣の」と言う。
そういえばかねがねうちのマユミの紅葉に感心していたお隣さんが
梅雨前に植木屋を呼んでマユミの若木を植えたのだ。
マユミはイチョウと同じく雄株雌株があるが
さてはお隣さんの庭のマユミは雄株だったかと思う。

連れ立ってというよりは
まだ主従関係のような後ろ姿だが、
何にしろうちのマユミに道連れができたのはありがたい。
うまくいってくれればいいがと見送って庭に戻ると
山茶花が赤い蕾をつけて
春までの楽しみを約束してくれていた。

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中山佐知子 2017年10月29日

旅をする魔法使いと

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

旅をする魔法使いと出会った。
魔法使いは、若い頃にかけた魔法を「調整」するために
旅をしていると言った。
魔法を調整?
すると魔法使いは、
「例えば水に不自由している国に与えた井戸を枯らすのも調整だ」と答えた。

水のない国に井戸を与える。
すると誰かがその井戸の権利を主張し、
水を汲む人々から代金を取り立てることがある。
「そんな井戸は枯らしてしまうのさ」と魔法使いは言う。
井戸を枯らして、今度は水脈を見つける方法を教える。
みんなで探してみんなで掘った井戸はみんなのものだからな。

魔法使いが若いとき、
悲しみに沈んだ国へ行った。
土地は痩せ、耕しても収穫は少なく
育たずに死ぬ子供も多かった。
情深い王さまはそれを見るに堪えず
この国から悲しみを取り去るよう魔法使いに頼んだ。
それはあっという間だったそうだ。
泣きながら畑で働いていた国民は笑うようになり
子供が飢えて死んでも涙を流す母はいなくなった。
子供たちは世話をしているヤギが死んでも
明るく笑うだけだった。

どうにもまずいことをしたものだと魔法使いは思ったが、
いったんかけた魔法は取り消しができない。
しかも悲しみを与える魔法はあっても
悲しむことを思い出させる魔法はないのだった。

その国の悪い評判を聞くたびに
魔法使いの心はチクチクと痛んだ。
しかし、やっといまになって、と魔法使いは言った。
「やっといまになって思いついた方法がある」
そう言って魔法使いはポケットから小さな瓶を取り出した。

この瓶の中身は酒だ。
酒は何からでもつくれる。
穀物、芋、果物。蜂蜜に水を混ぜても勝手に酒になる。
あの国に酒のつくりかたを教えようと思う。

それを聞いて私は首を傾げた。
酒は悲しいことを忘れるためにあると思っていましたが…
すると魔法使いはニヤッと笑った。

その通りだ。でも考えてもごらん。
忘れるためには思い出さないといけないじゃないか。

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安藤隆 2017年9月17日

ando1709

9月の芋虫

  ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

中原中吉( なかきち) はかなりの老人であ
るが機嫌はすこぶる良い。なぜなら仕事に行
かなくなったかわりに毎日よく歩いているか
ら、と人には説明している。きょうもキチ外
( キチソト) 公園のまわりを老人の足取りで
ヨボヨボ歩いていた。
 大きなスズカケノキの枝葉が歩道に低く垂
れている下を歩いていると足元を鮮やかな草
色の、薄皮がはちきれんばかりの芋虫が、歩
道を横断すべく勇んで這っていた。中吉は地
面に近い小男だからよく観察できるのだが、
それは顔の模様のある芋虫で大きさは1 5 セ
ンチほどもある。そうしてツノをたてて中吉
を威嚇する。
 九月のこんな時期まで芋虫でいつづけた結
果、芋虫としての美学が高まりすぎてチョウ
チョに変身できなくなるものが毎年でると聞
く。緑便の大きさでもある芋虫にわずかでも
触れないように中吉はおおきく迂回して避け
た。柔らかいものを踏んだときの「あっ」と
いう感触や、靴底に汁が付着するような恐ろ
しい関わりを恐れた。
 しかしおおいにのろい芋虫が、この散歩者
と自転車の多い歩道を横断しきるのは不可能
と思えた。かれが無事渡り終えるかを観察し
とおす勇気はとてもない。いっそこの場で水
袋の可憐な身体を一気呵成に踏みつぶしたい
誘惑に駆られるのは、希望を持つ苦痛から逃
れるためか。
 それならばわが両手でみずみずしい芋虫を
掬いあげ、かれの目指す道路脇の植え込みの
根方にそっと置く方法を選ぶべきと想像する
が、老いて堕落した中吉の手指は芋虫の湿っ
た皮膚の感触を1 ミリたりとも受け容れず
気味悪がるのだ。それに植え込みの根方に置
いたとて、いつなんどきまた歩道を引き返さ
ぬとも、また車道にさえ乗り出さぬとも限ら
ぬ。であれば完全な解決はいっさいの想像を
閉じること、つまりやっぱり殺すしかないで
はないか。
 中原中吉はとりあえず逃げるが勝ちとばか
り老人得意のヨイヨイ走り( ばしり) で犯罪
現場に居合わす災難から逃げた。ヨイヨイ走
りしながらヒマラヤ杉の角をめがけて走った。
そこを曲がれば振り返っても現場はみえない。
みえなければ無いことになる‥ 。
 するとふいに後ろから黒人ランナーがきて
追い抜いていった。中吉はとっさに靴底を盗
みみようとしたがたちまち視界を塞がれた。
というのはつぎなるランナーたちが続々やっ
てきたから。日本人たちがきた。老人たちが
きた。いちいちの靴底をみとどけることはで
きない数、きた。車椅子もきた。がんばって、
がんばってー。それは公園一周市民マラソン
であった。
 これでは芋虫の命はひとたまりもないだろ
う。中吉も集団に巻き込まれて動く歩道のよ
うに滑走したのだ。それなのにいつもみんな
みんなどこへ掻き消えるのか。気がつけば人
生のように一人ぼっちでヒマラヤ杉のふもと
にいる。
 安心は安心だった。ヒマラヤ杉からすっか
り顔をだして元の歩道を指で遠眼鏡して覗か
ぬかぎりスズカケノキもみえない。安心した
ら中吉は思った、ああ、やっぱりおいらが踏
み殺すべきだったんだ。もどって芋虫のあわ
れな残り滓を見てあげるべきなんだ。こうな
ったらもう触ってもいいや!
 中原中吉は高ぶった。それでなにをしたか
というとヒマラヤ杉に抱きついた。

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中山佐知子 2017年8月27日

nakayama1708

天の川

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

むかし天武天皇が壬申の乱の戦に勝利したことを感謝し、
吉野の奥の山の麓に社を建てた。
社には伊勢の荒祭宮の瀬織津姫を祀り
その社の名を天安河(あまのやすのかわ)の宮と申し上げた。
すると付近を流れる熊野川の源流は天ノ川(てんのかわ)と呼ばれ、
ここに地上の天の川が出現したのである。

天ノ川(てんのかわ)は深い谷を穿って蛇行し、
地表に湧く泉の水、崖から落ちる滝の水を集めて流れた。
人が住まない秘境であり、聖地であるゆえに
水は一度も人の手が触れたことがなく
これ以上ない清浄な水だった。
天安河の宮の瀬織津姫は水の神であり、
穢れを祓い浄める神だったのである。

吉野から熊野に至る大峰山脈の稜線を
龍の背中を渡るようにして歩く修行者たちは
この土地に来ては
夏冬変わらぬ水温10°Cの湧き水で身を浄めた。

やがて修行者のための宿ができ、村になった。
空海が籠り、道長が参詣し、西行は歌を詠み、
南朝の帝が隠れ住んだ。
たどり着くだけでも容易ではない山奥のそのまた奥の天ノ川は、
不思議とそのときどきの権力宗教と結びつく。

なぜだろうと考えたことがある。
天武天皇は再起をはかってこの地へ来た。
道長は政権争いの渦中にあった。
西行は世を捨てて生まれ変わった。
もしかして、この水はリセットの水なのか。

夜空を横切る天の川を盥の水に映して眺めれば
盥の大きさの宇宙ができる。
地上の天の川、天ノ川(てんのかわ)は盥に映した宇宙、
縮小された宇宙。
だから人はその川の水で禊ぎをおこないリセットをしたのか。

それを思うとき、1000年の昔の科学の暗がりの
美しさと心地よさに触れた気がする。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年7月23日

170723naka

あかあかや

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

コロコロとかわいい鳴き声がカジカ、
それに較べると
ヒグラシは歯ぎしりだと茶店のおばちゃんがかわいい声で言う。

ここは京都の北西にある山の中だが
名所といわれる三つの寺があるおかげで
谷川に沿った道には足を休める茶店があるし、
鮎を食べさせる料理屋もある。

湿気がまとわりつくような暑い日で
茶店でラムネを飲んでもちっとも涼しくならないが
川から聞こえるカジカの声が
わずかな風を呼んでいるように思える。

あのお寺さんは、と、おばちゃんは
いちばん小さな寺の噂をはじめた。
前の住職さんが亡くなって、
後継ぎの住職さんは副業で学校の先生してはって
それから明け六つの鐘の鳴る時間が遅うなりました。

なるほど。
名所の寺とはいえ近ごろの事情というものがあるようだった。

ところで、「あかあかや」って知ってますか、と
おばちゃんに尋ねてみた。
おばちゃんは、カジカみたいな歌どっしゃろと言って
明恵(みょうえ)上人の歌を詠じてくれた。
 あかあかや あかあかあかや あかあかや
 あかあかあかや あかあかや月

なるほど。
おばちゃんのかわいい声で
「あかあかや」と同じ音の繰り返しを読むと
カジカのように聞こえなくもない。

「あかあかや」の歌を詠んだ明恵上人は
このあたりでも観光客が多い寺の開祖で、
その寺のおかげで商売をする茶店ならば
有名な歌のひとつも覚えて客の相手をするのだろうと思った。

 あかあかや あかあかあかや あかあかや
 あかあかあかや あかあかや月

そういえば「あかあかや」の寺ができた頃の日本の家は
屋根と床と柱のみで壁というものがなかった。
暑さも寒さも光も風も、
カジカの声もそのまま受け入れる家だった。
居ながらにして月の明るさを知ることもできた。

日本人はいつの頃から
夜になると雨戸を閉めて玄関に鍵をかけ
月の光を締め出すようになったのだろう。
この国の人間の弱体化がわかったつもりになった。
自分も含めての話だ。

コロコロとカジカが鳴いて
カナカナとヒグラシが唱和する。
山は日暮れが早い。

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中山佐知子 2017年6月25日

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ホビットカレンダー

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

ホビットのカレンダーは毎年同じだ。
360日を12で割ってひと月を30日とする。
そして、6月と7月の間にライズという曜日のない日を3日加え、
12月と1月の間にユールの日を2日加える。
すると1年は365日になる。
閏年も心配はいらない。
ライズの日を1日増やすだけでいい。
すると、一年は毎年同じ曜日ではじまり、
同じ曜日で終わる。
ホビットの村では、たぶん
毎年カレンダーを買い替えたりしないのだろう。
もしかしたら先祖伝来のお値打ちカレンダーがあるかもしれない。

ホビットは曜日も古くから伝わる名前を使う。
週のはじめは「星の日」
これは我々のカレンダーの土曜日に当たる。
それから太陽の日、月の日、木の日、
天の日、海の日、高き日。
週の終わりの金曜日は午後から休みになり、
夜には宴が開かれたらしい。
ちなみにホビットは一日6回食事をする。

さて、このカレンダーに基づいた記録によると
ホビットの村のフロド・バギンズと庭師のサムワイズ・ギャムジーは
第三紀の3018年の9月23日村を出発した。
彼らはエルフの谷の領主エルロンドの助言を受け、
仲間を集めて指輪を火の山に投じるために再び旅に出るが
その出発は第三紀の3018年12月25日だった。
ホビットにクリスマスはなく、
年末年始にかけてユールの祭が行われていた。

なお、苦難の旅をつづけたフロドとサムによって
指輪が火の山の火口に投じられたのは
それから3か月後、
第三紀の3019年3月25日のことだった。

なお、同じ年のライズの中日に
指輪戦争の指揮官であり
再統一されたふたつの国の初代の王となったアラゴルンは
エルロンドの娘アルウェンと結婚したことが記録されている。

やがてアラゴルンはフロド・バギンズの誕生日である
ホビットカレンダーの9月25日を指輪の日として祝日に定めた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

*ホビットカレンダーの正解
 1年を365日とする。1ヶ月を30日とする。
 30日×12ヶ月=360日にどの月にも属さないユールの2日とライズの3日を加える。
 365日のうち364日を曜日のある日とする。1年を52週+1日とし
 +1日を曜日のない日とする。
 曜日のない日はライズの中日、つまり夏至の日である。

 

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