田中真輝 2024年4月28日「上申ステップ」

上申ステップ

   ストーリー 田中真輝
   出演 大川泰樹

長い会議が終わり、
経営層に上申するための、来年度の戦略方針案がまとまった。
口々に、やれやれ、じゃあまた、などと言いながらも、
やっと熱気がこもった会議室を出ていく参加者たち。
その顔には、濃い疲労の陰だけではなく、互いの利害を調整し、
なんとか着地できたという満足感と開放感が滲んで見える。

いい気なものだ、と山本は思う。
そう、戦略本部課長補佐、山本シゲル49歳の仕事はここから始まるのだ。
山本の仕事は、現場会議でまとめられた方針案が
スムーズに承認されるために必要なステップを踏むことにある。
もちろん、承認プロセスは、今はやりのDXによってワークフロー化され、
承認権限を持つ管理職、経営層が順に承認していけば、
自動的に完了されるようになっている。
だが、ことはそう簡単ではない。
デジタル化され、体温の抜け落ちたパソコン画面の奥には、
暑苦しい人間関係が蠢いており、
往々にしてワークフローはシステムエラーではなく、
その軋轢によってストップするからだ。

だから山本は今日も、承認権限をもつ者の間を軽快なステップで駆け巡る。
戦略本部長と戦略推進委員会事務局長は同期でたいへん仲が悪い。
その間を、素早いスピンターンを駆使して往復する。
いがみ合う両者の承認を無事取り付けたら、
次は業務推進本部長のもとへランニングマンステップで駆けつけると、
長い愚痴をリズミカルな相槌で切り抜ける。
その姿はまるで頭のアイソレーションのようだ。
ついに承認を取り付けた山本は、
素早いステップバックからのサイドウォークで
滑るように社長秘書のもとへはせ参じ、ご機嫌を伺いながら、
隙をみてブロンクスステップからのウインドミルで書類を手渡し、
見事、承認をゲット。
ここぞの大技で、影で糸を引く大物を攻略したら、
あとはキレのあるシャッフルステップで
社長のイエスマンたちを魅了するだけだ。
こうして山本は、承認権を持つ人々の中で鮮やかに踊り続ける。
行って来い、行ったり来たりは日常茶飯事、
大切なことは、とにかくステップを止めないこと。
あっちへこっちへと淀みなく立ち回ることこそ、わが職分と自覚している。

そうして踊り続けるうちに、承認を得るというプロセスは目的化され、
ステップは複雑化し、スキルは研ぎ澄まされていく。
そして、プロセスの結果として何がもたらされるのかという、
本来あったであろうゴールは連続するムーブの中に溶けていく。
オフィスフロアをダンスフロアに変えながら山本は今日も踊り続ける。
パフォーマンスが続くステージの幕も、
社としての最終承認も、まだ降りない。
.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2024年1月1日「富士と筑波と」

富士と筑波と

   ストーリー 一倉宏
      出演 大川泰樹

いまさら言うまでもない
日本一の山 富士山である 
3776メートルの高さを誇る
かたや筑波山は
877メートルしかない
日本百名山の中ではいちばん低い
いちばん高い富士山とは比べるべくもない
筑波山の山頂は富士山の何合目くらい
という背比べさえ成り立たない
一合目にさえ届いていないのだから

なのに なぜに
なにゆえに 並べて呼ばれるのか

東の筑波 西の富士 

ということばをご存知か

それではまるで東西の両横綱ではないか
と 間違いなく横綱である富士山は
片腹いたく思っているのではないか
土俵上での両者の取組みを想像してほしい
身長と体重の差を考えてみてほしい
まるで漫画ではないか

けれども これも因縁と言うなら相当に古い
常陸国風土記によれば
その昔 神様たちの親である神が 旅の途中に
日暮れての宿りを 富士山には断られ 
筑波山には歓待された ゆえにその裁きで
富士は 石まみれで 雪積もり 人寄りつかず
筑波は 緑豊かに 楽しげに 男女が集う という

富士山が聞いたら 
思わず噴火しそうな話ではある

筑波山はその昔から 
歌垣(うたがき)という 男女の集い
歌う婚活パーティの場 として知られていた
百人一首にある 陽成院の歌

筑波嶺の峰より落つる男女(みな)の川
恋ぞつもりて淵となりぬる

は 当然その故事を踏まえているだろう
平安の都の上皇が見たはずもない
東(あずま)の国の筑波山は 
色っぽい恋の山でもあった

ならばである 百人一首の歌だって 
富士山は負けてはいられない
あなたも知らないはずがない

田子の浦にうち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ

どうだ 雄々しくも スケールの壮大な
いかにも富士山らしい歌ではないか

降りつつって どうして雪の降るのを
現在進行形で見えるんだ 田子の浦から?
などと突っ込むのは 現代人の悪い癖だ
そんな理屈の話はやめておこう
山部赤人のこの歌は万葉集から取られていて
もともとは 降りけりって 完了形だったのだが
ともかくも 万葉の名歌には違いない

だから 万葉集には
富士山を歌った歌が11首あって
筑波山を歌った歌は25首ある なんて
挑発的なことを言うのはやめておこう
そうしておいたほうがいい 絶対に
富士山のマグマを刺激しないためにも

江戸の世になって
歌川広重の 江戸名所百景には
隅田川 深川 飛鳥山と
東の空に望める筑波山が描かれた 
もちろん 西の富士山は
神田に 浅草に 日本橋にと
大江戸の空に誇り高くそびえ立つ

この風景は縄文の昔から変わらない
西の空に山脈(やまなみ)を従えてそびえる富士と
東の平野にぽつんと浮きでたような筑波と

比べるべくもない
同じ土俵にのせる必要もない

筑波山ケーブルカーの乗車時間は約8分
山頂駅に着く手前でアナウンスする
ただいまスカイツリーの高さを越えましたと
ちょっと自慢そうに

山頂からはそのスカイツリーが見える
東京が見える 関東平野が見える
そしてもちろん富士山が見える
のは言うまでもない 
.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  1 Comment ページトップへ

磯島拓矢 2023年12月3日「うた」

「うた」

ストーリー 磯島拓矢
   出演 大川泰樹

歌が苦手だった。
正確に言うと、人前で歌を歌うのが苦手だった。
だから大学時代、いわゆる2次会のカラオケに困った。
サークルで、ゼミで、
コンパと呼ばれる宴会の後、
あの頃はみんなカラオケボックスへ行った。
流行り始めだったのだろう。
もちろんその2次会を断ればいいのだが、そんな度胸もない。
見かねた姉が、こんなアドバイスをくれた。

会がはじまって30分以内に、1曲歌う。
「歌ってないじゃん」とか「待ってました」とか言われる前に、
4、5番目をねらって自分から1曲歌う。
変に懐かしい歌とか、変に新しい歌じゃなくて、
ちょっと前に流行った歌。
1曲歌えば、あとは好きな人に任せて大丈夫。
ゆっくり飲んでなさい。

きっと、勤め先で身につけた所作なのだろう。
そうか、この人も歌は苦手か。
やっぱり姉弟だな、と僕は納得し、
姉がマイクを持っている姿を想像して、
なに笑ってんのよ、と怒られた。

アドバイスは正しかった。
その1曲を歌う3分間は辛かったが、
確かに4、5番目に歌うちょっと前の流行歌は、
いい具合に誰も聞いていなかった。
でも、歌った事実は残された。
歌が苦手な人間は、「歌が苦手なのね」と悟られることも嫌なのだ。

そして僕は、ある日気づいた。
僕と同じように、1曲だけ歌う女子がいることに。
僕と同じように、4,5番目をねらって、
ちょっと前の流行歌を歌う女子がいることに。
その存在に気づくのには、結構時間がかかった。
だって彼女が歌う3分間は、いい具合に誰も聞いていない3分間だったから。
僕だって例外ではない。

ある日のカラオケボックスから、
僕は彼女の近くに座るようになった。
彼女も僕の近くに座るようになった。
僕が4番目、彼女が5番目に歌うという、暗黙のルールができ始めたころ、
僕らは一緒に、2次会をさぼるようになった。
深夜のカフェが流行り始めたのは、そのころだったように思う。

生まれたばかりの子どもを、
彼女がいい加減な子守歌であやしている。
そのずいぶん前の流行歌を聞きながら、
そんなに下手じゃないのにな、と僕は思う。
生まれてきたこの子も、遺伝子的には歌が苦手だろう。
2次会のカラオケが苦手だろう。
いつか僕らは、そこでの身の処し方を、
アドバイスする日が来るだろうか。
来るような気がする。

なに笑ってるのよ、と彼女が言う。
いや別に、と僕はこたえる。
変なの、と言いながら、彼女はまた、
いい加減な子守歌を歌いはじめる。
.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

上田浩和 2023年11月19日「男の子くん」

男の子くん

   ストーリー 上田浩和
      出演 大川泰樹

男の子くんは、自分のことを「オラ」と呼ぶ。
ある漫画の主人公の影響だ。
すぐに飽きて、ぼくになり、オレになるだろうと、
パパとママは思っていたが、そんなこともなく、オラ歴2年。
最初はあった違和感ももうない。
授業中の発表ではぼくと言い、
作文でもぼくと書いているようだが、
むしろそっちのほうに違和感があるくらいだ。
オラ、腹減った。
オラ、漫画のつづきが気になって気になって仕方ないよ。
オラ、逆上がりできるよ。でも、あやとびは苦手なんだよね。
オラの漢字練習帳がなくなったから買ってきて。

あるとき、その調子で、オラの友達のHがね、と男の子くんは話しはじめた。
オラの友達のHがね、Tちゃんと付き合ってんだよね。
でも、TちゃんがYくんと浮気をしたんだって。
だからHがすっごい怒ってる。
パパとママは笑って聞いていたが、
男の子くんは、よくわからないという顔をしている。
話してはみたものの、まだ小学三年生だし、
付き合うやら浮気やらがいったいなんなのか理解できないでいるのだろう。
わかるのは、漫画は面白いということだけ。

男の子くんは、おはよーと起きた瞬間、漫画を開き、
学校に行く直前まで読み、ただいまーとランドセルを置いた瞬間読み、
プールに行く時間まで読み、ごはん中も一口ふくんだら、
飲み込むまでのわずか数十秒の間にも読む。
もちろんママは怒る。
こら!ごはん中はごはんを食べる!
毎食そう言われるが、
今のところ、漫画が食欲に負けたことはない。
それどころか、時折、
「オラ、ママのつくる料理がいちばん好き」と言って喜ばせたりもするので、
男の子くんはなかなかやる。

寝る前、布団のなかで、
みんなでおしゃべりする時間が男の子くんは好きだった。
その夜は、質問をふたつした。
ひとつめ。サイコパスってなに?
ふたつめ。ファーストキスってなに?
どちらの単語も漫画に出てきたのだろう。
ひとつめの質問には、ママが「常識の通用しない人のことかな」と答えた。
ふたつめの質問にも、
ママが「最初にキスすること」と間髪おかず答え、パパは笑っていた。
自分のことをオラと言い続けているうちは、
誰かと付き合うことも、浮気も、ファーストキスもないだろうな。
気がつけば、小さな寝息が聞こえていた。
おやすみ、男の子くん。
今日もよく漫画を読みました。

.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

三島邦彦 2023年11月22日「その人はモンブランを」

「その人はモンブランを」

ストーリー 三島邦彦
出演 大川泰樹(★)・西尾まり(☆)

★慶子はモンブランを愛している。
10月から12月の間、
2日に1度はモンブランを食べる。
有名なケーキ職人のモンブランと
コンビニスイーツのモンブランを
平等に愛している。
モンブランを食べながら時々泣く。

☆豊はモンブランを憎んでいる。
18歳で東京に出てくるまで
一度もモンブランを食べたことがなかった。
居酒屋のバイト先で好きになった人が
モンブランの話をしている時、
モンブランが好きだと嘘をついたことがある。

★まさるはモンブランに関心がない。
甘いものを食べると気だるさを覚えるため、
ケーキを食べる習慣がない。
甘いものは食べないがビールをよく飲むので
体重が増え続けている。
モンブランは小学生の頃以来食べていない。

☆健太はモンブランに飽きている。
小さな町の小さなケーキ屋で
20年以上モンブランを作り続けてきたが
ここ3年は自分の作ったモンブランを
うまいと思ったことがない。
プリンアラモードには少し自信を持っている。

★静香はモンブランに期待している。
小学4年生の時に作文に書いた
ケーキ屋さんになる夢を叶える店がオープンしようとしている。
フランスで修行し学んだモンブランを
店の目玉にしようとしている。

☆月曜日の朝、
モンブランを愛する人と
モンブランを憎む人が
同じバスに乗って別々の目的地へ向かう。

★水曜日の夜、
モンブランに関心がない人と
モンブランに飽きた人が
同じ店の別々のテーブルで酒を飲む。

☆金曜日の夜明け前、
モンブランに期待する人が
試作品のモンブランを作っている。
誰にも聞こえない大きさで
フランスの歌を歌っている。
.


出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属
      
西尾まり SIScompany所属

Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

安藤隆 2023年8月27日「偽朝顔と偽老人」

偽朝顔と偽老人

ストーリー 安藤隆
   出演 大川泰樹

人いわく、朝顔といえば、昼顔、夕顔、夜顔に、
朝鮮朝顔まで名を連ねるらしい。そもそも朝顔は
ヒルガオ科なのだよと惑わす。朝顔のほうがメジ
ャーなのに、どうしてアサガオ科でないのだろう。

 タケシ老人は良い会社に勤めている。ぼんやり
した人間なのに給料をもらえている。昼近い時間、
良い会社へ出勤するので駅までの道を歩いている。
 あたりは基地跡の整備が進んでいる。原っぱだ
った土地には、スーパーが建つらしく、針金のち
ゃちなフェンスが巡らされている。タチの悪い大
柄な草が、馬鹿にするように、道に盛大にはみ出
している。
 と、草草にはさまれて、ちいさな朝顔が二輪、
タケシ老人を見ていた。薄いピンクの風情がいか
にも可憐である。子供のときには、野生の朝顔が
こんな風に生えて垣根に蔓を伸ばしてたっけ。一
瞬まわりを見回したタケシ老人は花弁に鼻を近づ
けた。なにも匂わなかったことにすこし傷ついた。
 タケシ老人は良い会社を出るとそそくさと電車
に乗った。地元駅近くの飲み屋へ直行した。店の
名前は「焼鳥朝顔」。今週行き過ぎかなと躊躇した
振りをしたけど、行くのはわかっていた。「あっ、
きた」と女将さんがニヤニヤした。タケシ老人は
照れて目を伏せた。カウンターの客が気に入らな
い奴という顔をした。
 タケシ老人が「血ギモ塩焼き」と口にしたのは
途中の電車のなかで見た女性のせいだ。女性は左
手をノースリーブの脇から中へ入れた。それで目
が離せなくなった。服の下を掻く指の動きが見え
た。その手が半分開けた口の横を掻いた。つぎに
頭のてっぺんを掻いた。目は右手でかざしたスマ
ホの画面から離さない。左手は別の生き物のよう
に休みなく掻きまわる。女性の顔は赤黒く腫れあ
がっている。つい血ギモ塩焼きを連想したのがい
けなかった。頭から離れなくなった。
 モノが積み重なってゴミ屋敷のような店内。カ
ウンター前の置き台には焼酎やウイスキーの瓶の
ほか、観光土産のワニの置き物、おおきなコケシ、
土偶、飛行機、花瓶に造花を挿したのとか置いて
あって、焼き場のカスミさんがよく見えない。席
の一つを使わなくなったテレビやカラオケの機材
が占領している。白い朝顔の写真パネルが斜めに
なっている。変わった朝顔だけど、女将さんが朝
顔と言うのだから朝顔なのだろう。
 カウンターの客が食料自給率の話を女将さんに
仕掛けている。「ニッポンの大問題ですよ、ねえ」
見知らない顔が、タケシ老人に話を振ってくる。
「そんなの今更じゃねえの」上の空である。カス
ミさんが焼けた血ギモの皿を持って出てきたか
ら。
「珍しいですね、ふふふ」とカスミさん。
「え、なにが」「どうするんですか、血ギモ」
「あ、血ギモ」
どぎまぎして赤くなるのがわかる。そんな隙を
狙って「この店の名前、夕顔のほうがいいんじゃ
ないの」客がカスミさんになれなれしい口を聞
く。
 なのにタケシ老人は、たしかにそうだ、と感心
している始末だ。
 「朝顔じゃないとダメなんスよ」女将さんがニヤ
ニヤした。「朝顔っスよねえ」カスミさんもニヤニ
ヤ。「だって朝顔は有毒でしょ」「ここのは猛毒だ
よ」えっ、いま、なに言ったの?
 店を出たタケシ老人は急に尿意をもよおす。ま
さか立ちションというわけにいかないが…という
ことはつまり立ちションもありと気がついてしま
った。老人は立ちションの夢にここで取り憑かれ
た。さいごにしたのは二十代頃として五十年も前
ということになる。死ぬ前にもういっぺんしよう、
しなければならぬ!
 基地跡に通したダダっ広い道路に車はあまりこ
ない。タケシ老人は女子刑務所が建つと噂の原っ
ぱの、針金のフェンスを押し開いて草草の中に入
り込んだ。チャックを開いて引っぱりだした。も
よおしたとたん漏れそうなのに、表立つと引っ込
むのが老いたおしっこ。背後の車のライトに緊張
しながら、タケシ老人は下腹に力を込めた。チョ
ロチョロと糸のようなのが真下に落ちた。
 何かに見られている気がして目をこらすと、真
んまえに朝顔が口をあけていた。危うく注ぐとこ
だった。垂らしながらジワジワ爪先の方向を変え
た。し終えると思いがけない達成感があった。

 チャックを閉めながら、ハハーン、朝顔って夜
から咲いてるんだ、タケシ老人は一人納得するよ
うだった。
.


出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ