李和淑 2023年5月14日「散歩」

散歩

ストーリー 李和淑
    出演 大川泰樹

ぼくは犬です。ぼくは散歩がきらいです。
どんな犬も散歩が好きだと人間は思い込んでいます。
が、それは大間違いです。
ぼくは散歩がきらいです。

ぼくは冬の散歩がきらいです。
毎日くそ暑いからです。
犬の平熱は38度以上、そのうえ毛皮のようなものを着ています。
それなのに人間は「寒いでちゅねー」とかなんとかいいながら
厚手のニットやダウンの服をぼくに着せます。
これはとんでもなく迷惑です。
真っ裸で北風に吹かれるぐらいが、ぼくにはちょうどいいのです。
散歩が終わり服を脱ぐと、ぼくの毛は汗でうっすら蒸れていて、
とても不快です。臭いも少しします。
どうして人間は気づいてくれないのでしょうか。

ぼくは夏の散歩がきらいです。
早起きが大きらいだからです。
犬は暑さに弱い。どうにもこうにも弱い。
だから人間は朝早く起きて、涼しいうちにぼくを散歩に連れ出そうとします。
でもぼくは朝寝坊がたまらなく好きなのです。
犬のために室温24度に保たれた快適な部屋。そこでひたすら眠っていたいのです。
よく見る夢は、ヒンヤリした高原をおもいっきり走る夢です。
思わず足がぴくぴく動き、ふ、ふ、ふ、と息がこぼれます。
どこまでもどこまでも颯爽と駆け抜けるぼく。
それが「お散歩いくよー」の大声で、かき消される無念さ。
これはもう、太陽にほえるしかありません。
わん!

ぼくは秋の散歩がきらいです。
大好きだったあの子に、もう会えないからです。
茶色いふわふわの毛をしたつぶらな瞳のあの子。
モンローウォークのように小さなお尻をふりながら歩くあの子。
どんな犬にも目をくれないつんとすましたあの子。
ある日あの子が、やんちゃなあいつに追い回されたことがありました。
きゃんきゃんと泣き叫ぶあの子。
ぼくはとっさにあいつに飛びかかり、吠え立て、追い払いました。
あんなに大声で吠えたのは、人生で初めてでした。
あの子はうるんだ瞳でぼくに近づき、そっとキスしてくれました。
1秒にも満たないキス、でも永遠に忘れられないキス。
あの子はいま、空の上でモンローウォークしています。
だから秋の散歩はきらいです。

春の散歩がきらいです。
花がきれいに咲くからです。
人間はやたらと歓声を上げ、写真を撮りまくり、散歩を中断させます。
あげくには落ちた花を拾ってぼくの頭にのせ、とぼけた写真を撮ったりする。
とても恥ずかしいです。知性派で通っているぼくのプライドがズタズタです。
でも、人間の笑った顔を見るのはきらいではありません。
笑うとみんなやさしい顔になります。
いつも不機嫌なおじさんも、生意気なJKも、悪口ばかり言っているおばさんも、
みんなやさしい顔になります。
犬もあんな風ににっこり笑えたらいいのに。
春は、人間がちょっぴりうらやましくなります。

ぼくは犬です。一年中散歩をしています。
でもやっぱり、ぼくは散歩がきらいです。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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中山佐知子 2023年4月23日「タンホイザー」

タンホイザー

ストーリー 中山佐知子
    出演 
大川泰樹

タンホイザーというシンガーソングライターが
ビーナスの国で快楽のかぎりを尽くしまくり、
それから神の許しを得ようと巡礼の仲間に加わって
ローマ法王のもとにやって来たのは十三世紀だったと思う。

神の代理人であるはずの法皇は
タンホイザーが味わった快楽に嫉妬の炎を燃やし、
彼に嘘をついた。

「ビーナスの国へ行ったものよ。
たったいま、おまえに永遠の呪いが下った。
わたしのこの杖に緑が芽吹き花が咲くことが決してないように
おまえの罪が許されることはない。」

何を言うか、と私は思った。
私は人を呪ったりしない。
美しいビーナスにチヤホヤされたタンホイザーを羨んで
呪いの言葉を口にしたのは法皇ではないか。

申し遅れたがわたしは神である。
神とは許す存在である。
許すのは神の唯一の仕事である。
それしか仕事がないのだから、許して許して許しまくる。
法皇の政治的暗躍や隠し財産も許しているくらいだ。

それなのに法皇はさらに言い募った。
「おまえは地獄の業火から決して救われることはない」

さて、わたしは困り果てた。
法皇は嘘をついているのだが、
それをただす言葉を私は持たないのである。
人は神に語りかける言葉を持つが
神は人に語りかける言葉を持たない。
思えば不自由だ。

タンホイザーは絶望のあまりビーナスの国に戻ろうとするし
私はとっくに許しているのにそれを告げる言葉がなく、
神の代理人を称する法皇は嘘つきである。

そこで私はコミュニケーションの手段として
小さな奇跡を起こすことにした。
法皇の杖に緑の葉を茂らせ、花を咲かせたのだ。
法皇は驚愕のあまり尻餅をついた。
たったいま自分が不可能のたとえにしたことを
目の当たりにしたからだ。

枢機卿たちは口をぱくぱくさせている法皇を放っておいて
すぐさま許しの使者団を派遣した。
彼らは喜びの知らせを胸に抱き、花が咲いた杖を掲げて
タンホイザーの後を追った。

彼らは歌う。
「神の恩寵の救いの奇跡
地獄の罪びとに救いをもたらす
ハレルヤ ハレルヤ」

私はこの歌が大好きだ。
許すとは何と気持ちのいいものだろう。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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一倉宏 2023年3月5日「僕のポケットの中の彼女」

僕のポケットの中の彼女(ポエム)

    ストーリー  一倉宏
       出演 大川泰樹

ときどき僕らは部屋を出て
冒険のような旅のような散歩をした
僕の上着の胸ポケットに彼女を入れて

彼女が好きだったのは 
利根川の支流がつくった扇状地の町の
坂道を自転車で駆け降りること
できるだけブレーキを使わず

利根川のただ広いだけの河原で
背中を痛く突く石のベッドに寝転がって 
入道雲の湧きたつ空を見あげること
遥かな北の空のオーロラの話をしながら

その坂をまた駆け登って
八幡さまの上の市民公園の駐車場から 
南に広がる関東平野を見下ろすこと
アリンコのような上り列車を見つめながら

「未来」とは「希望」と
同義語のようなふりをしつつ
僕にとってのそれを思いめぐらせば
「希望」とは「不安」の
体裁のいい言い換えにも思えた

そんなあの頃の
夜のベッドの中で

僕はたずねた
「おとなになったら何になるのだろう」
彼女は笑いながら答えた 
「びんぼうにん」

その答えにどれだけ救われただろうか
僕もまた笑いながら
鼻水で枕を濡らしていた頃

そうして僕らが過ごしたのは
いったいどのくらいの時間だったろうか
彼女が突然やってきた日のことも
突然去っていった日のことも
なぜか思い出すことができない
日付というかたちでは

その日付はわからない
ある日の夕暮れのことだった
僕のポケットの中の彼女は
胸ポケットを抜け出して左肩に立ち
耳もとでこうささやいた

「そろそろいくわ」 
そして消えた
「未来に幸多かれ」と
言い残して

あれから何十年も経って
いまはもう
嘘っぱちの作り話としか思えない
こんなでっちあげの思い出話は
できそこないのポエムのことは
もうとっくに忘れていた

けれどあれからずいぶんと年の経った
いまになって

僕は見たのだ 

杉並の善福寺川沿いの
遊歩道を歩きながら
すれちがう十代の少年が
左胸のポケットを
とっさに覆い隠した

そこに
あの日の僕らの姿を 



出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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安藤隆 2023年1月15日「COPY FUJIYAMA」

COPY FUJIYAMA

ストーリー 安藤隆
   出演 大川泰樹

 外へ出たとたんわかった。きのう日本がク
ロアチアに負けたからなんだ、朝から雲がこ
んなに重く垂れているのは。それになんだか
音がしないぞと思ったら、煙のような雨が降
ってきて音を消してるんだ。道のサルスベリ
も疑心暗鬼のかたちにくねっている。
 バス停はラブホテルの先にあり、負けたと
いうのに大勢の老人たちが溜まっている。律
儀に間隔を開けて並んでいるので、列がバス
停の屋根をはみだしている。老人パスで一つ
先のスーパーへ行く連中か。待て待て、連中
とか言えない、おれも老人だったと、日熊さ
んはすぐ反省した。
 バス停へ着くと、黙っていると見えた老人
たちはぺちゃぺちゃ喋っているのだ。最後尾
は雨に濡れるので閉口と、日熊さんは空いて
いる先頭付近にもぐりこむ。すると「あなた、
もっとこっち!順番とられちゃうよ」後ろむ
きに話していた先頭のお婆さんに、二人目の
お婆さんが遠慮のない声で言って、日熊さん
をいかにも睨むのだ。
 「そんなことしねえよ」
 潔癖症なとこがある日熊さんであるが、こ
のときは、自分の口からうっかり変な言い方
が出てしまい戸惑った。それで、ちゃんとし
た人間なんだぞとばかり言い直した。
 「僕は、みんなが乗り終わった最後に乗るん
だから!」しかしお婆さんは、不審者を見る
目をさらに強める具合にあらためて向け直す
のだ。たしかに日熊さんはバス停の新参者で
はある。駅まで歩くのが億劫になって近ごろ
よくバスを使うようになった。
 日熊さんがその昔、米軍ハウスに越してき
たころ、バス停は「ライターズ・ゲート」と
いう変な名前だった。管理人のヤマシロさん
に「ライターってなに?」と聞いたら「ゲー
トの前の代書屋!」と教えてくれた。
 いまラブホテルがある場所に、あのころ掘
立小屋のような建物があり、「COPY
FUJIYAMA」と英語の看板が掛かっていた。
英語の下に小さく「代書屋富士」と日本語が
書いてあった。背の高い鉤鼻の老人が建てつ
けのわるいガラス戸をあけて出入りするのを
見たことがある。道の反対側に基地の裏門の
ようなひっそりしたゲートがあっていつも閉
まっていた。
 「ラブレター専門の代書屋だよ、兵隊と女
の!」太った日系アメリカ人女性のヤマシロ
さんがつづけて言って大笑いした。
 看板の「COPY」を見たとき、日熊さんはと
っさにコピーライターを思ったのだ。代書屋
でなぜかほっとしたけど、ちょっと拍子抜け
もした。それで想像した。長身の鉤鼻の老人
は、ほんとはコピーライターだったのではな
いか。だから代書屋なのにCOPYを掲げたの
ではないか。それにしてもCOPYを代書と訳
していいものだろうか。よくわからないけど
それでもいい気がした。
 バスがきた。日熊さんは宣言したとおり、
溜まっている老人たちがぜんぶ乗り終わるの
を待って乗った。
 さっきのお婆さんが前方の老人障害者席に
座っていた。と、日熊さんが挑戦するように
前方へ行った。お婆さんを通り過ぎて吊り革
をつかんだ。ほら僕は狡いことはしない人間
だよと、斜め前に座るお婆さんを意識したけ
ど、お婆さんのほうは、バス停でも話してい
た知り合いと話のつづきをしていた。いっぺ
ん目が合ったけど、日熊さんのことはもう忘
れているようなのだ。
 バスから富士山がよく見える箇所がいまも
一箇所だけある。日熊さんが吊り革で立って
ゆくのは、窓の外がよく見えるからでもある。
日本が負けたせいの曇り空で、ぜったい見え
ないだろうと諦めていたら、山の上空だけぽ
っかり空いて富士山が光っていた。日熊さん
は「よし!」と声をあげた。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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一倉宏 2023年1月1日「いろはにポエト」

いろはにポエト 2023

    ストーリー 一倉宏
       出演 大川泰樹

「いろは歌を現代的に」
そんなストーリーを書いたのは
2010年のことだった

ねこ よむ いぬ ほえ
とらたちは おせ
わにや きりんも けつさすれ
あひる へそなし
ふくろうのまゆ かめをみて

現代仮名づかいの46文字を
全部かつ一度だけ使うというルールで
文章をつくってみる

これはなかなか面白くて難しくて
いろいろな発見がある試みになった

意味のわかる筋の通った
ふつうの文章にするのがまず難しい
それゆえ意図せずとも詩のようになり
「いろはにポエト」と名づけて
ささやかなプロジェクトにしている

つきは ふねか
ほんやさけ らむをのせろ
こいにおちた よる 
あめ わすれぬなまえも 
そしてひとり うみへゆく

こんなのができてしまったことがあって
われながら自分の趣味とか傾向とか
もしかして深層心理のようなものも
顕れるのではと思ったりして

大学の授業で採り上げてみたところ

へやに つきともえた ほしのひかり
ふあんな ゆめみて
ねむれぬよを おわらせろ
ちこくするけはい さまそう

これなどはいかにも学生らしい
やはり無意識のうちに出るのだろう

れもんいろの すなはまに ひとり
おへそをみせて ねむるよ
ほら ゆめ かこう ふち ぬけ
やさしく たつ あわ きえ

こちらはデザインを専攻する美大生
前半はとてもキャッチーだけど
最後まで着地させるのにみんな苦労する

知人たちにも紹介したら
興味をもって参加してくれるひとがいて

ゆめつかむ よそものへ
なりやまぬこえ しみたわけ
きおくはさすらう ちとほね
あせるひろいんに てをふれ
脚本家のカネコシゲキくんはさすがの出来ばえ
なんだかドラマの予告編のよう

スズキケンジ先生は情報工学の教授なのだが
つくばエキスプレスの乗車時間で
こんな傑作ができてしまった

さくら ちりそう はる
おかへ せみもとめ なつ
このはを よけろ あき
ひえて ねむれぬ ふゆ
わたし にほん います

教授は「最後が変ですよね」というけど
いやいやそこが素晴らしいと思う
かたことの日本語で外国人がつづった
けなげにも美しいポエムになった

ちなみにこういうのをAIをつかって
つくれますかと聞いてみたら
まず無理ですねいまの段階では
支離滅裂意味不明の羅列しかできません
というのでちょっとほっとした

あなたもトライしてみませんか
ひらがなを一文字づつのカードにして
ならべてゆくアナログな方法がお勧め

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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中山佐知子 2022年12月25日「聖夜」

聖夜  

   ストーリー 中山佐知子
    出演 
大川泰樹
         
   紀元前4年乃至7年のころだった。
   東の国の占星術の博士たちが
   はるばるユダヤの国にやってきて尋ねた。

   このたび生まれたユダヤの王はいずこにおわせしや。
   我ら東方よりかの人の星を見て
   その誕生を知る。

   3人の博士は
   ベツレヘムの方向に
   ひときわ輝く新しい星が生まれたのを見て
   ユダヤの国に新しい指導者が誕生したことを知ったのだ。

   星は博士たちを導き
   やがて、ひとりの幼子の上で止まった。
   その子は宿屋の飼い葉桶の中で
   布にくるまり母と共にいた。

   三人の博士は幼子の前にひれ伏し
   黄金、乳香、没薬を贈物としてささげた。

   星とともに生まれ
   ユダヤの王になるべき幼子は
   イエスと名づけられた。
   その母をマリヤという。

   そのとき、ユダヤの王だったヘロデは
   その幼子の存在を恐れ
   ベツレヘムの二才に満たない男の子を
   ひとり残らず殺させた。
   
   ベツレヘムは
   子を失った父と母の嘆きの声に満ちていた。
   
   このときヘロデ王に殺された男の子の数は
   次第に誇張され
   14,000人とも64,000人とも記される。
   イエスの誕生に伴う犠牲である。

   さて、イエスの誕生とともに生まれた星は
   一説によると超新星といわれている。
   超新星は星の誕生というより爆発で、
   強烈なガンマ線を放ち
   これもまた、輝くための犠牲である。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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