遠藤守哉の「檸檬」

檸檬

 作 梶井基次郎
朗読 遠藤守哉

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、
酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
それが来たのだ。これはちょっといけなかった。
結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。
また背を焼くような借金などがいけないのではない。
いけないのはその不吉な塊だ。
以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、ど
んな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。
蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、
最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を
居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
 
何故だかその頃
私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。
風景にしても壊れかかった街だとか、
その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、
汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったり
むさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。
雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような
趣きのある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――
勢いのいいのは植物だけで、時とすると
びっくりさせるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。

 時どき私はそんな路を歩きながら、
ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか
長崎とか――
そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。
私は、できることなら京都から逃げ出して
誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。
第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。
匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。
そこで一月ほど何も思わず横になりたい。
希くはここがいつの間にかその市になっているのだったら。
――錯覚がようやく成功しはじめると
私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。
なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。
そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。
花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、
さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。
それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。
そんなものが変に私の心を唆った。

 それからまた、びいどろという色硝子で
鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。
またそれを嘗めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。
あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか。
私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、
その幼時のあまい記憶が大きくなって落魄れた私に蘇えってくる故だろうか、
まったくあの味には幽かなかな爽やかな
なんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。

 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。
とは言えそんなものを見て
少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには
贅沢ということが必要であった。
二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。
美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びて来るもの。
――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、
たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。
洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や
翡翠色の香水壜。煙管、小刀、、石鹸、煙草。
私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。
そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。
書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように
私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに
友達の下宿を転々として暮らしていたのだが
――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかに
ぽつねんと一人取り残された。
私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。
そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、
駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、
とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。
ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、
その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。
そこは決して立派な店ではなかったのだが、
果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、
その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。
何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、
見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、
あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている。
――実際あそこの人参葉の美しさなどは素晴らしかった。
それから水に漬けてある豆だとか慈姑だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。
寺町通はいったいに賑やかな通りで
――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが
――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。
それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。
もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、
暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず
暗かったのが暸然しない。しかしその家が暗くなかったら、
あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
もう一つはその家の打ち出した廂なのだが、
その廂が目深に冠った帽子の廂のように――これは形容というよりも、
「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、
廂の上はこれも真暗なのだ。
そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が
驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、
ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。
裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、
また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、
その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
 その日私はいつになくその店で買物をした。
というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。
檸檬などごくありふれている。
がその店というのも見すぼらしくはないまでも
ただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、
それまであまり見かけたことはなかった。
いったい私はあの檸檬が好きだ。
レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、
それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。
――結局私はそれを一つだけ買うことにした。
それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。
始終私の心を圧えつけていた不吉な塊が
それを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、
私は街の上で非常に幸福であった。
あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる
――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。
それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。
その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。
事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかすために
手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。
その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくような
その冷たさは快いものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。
それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。
漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が
断れぎれに浮かんで来る。
そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、
ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には
温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。
……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、
ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど
私にしっくりしたなんて
私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。

 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、
美的装束をして街をした詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。
汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして
色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、
疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを
重量に換算して来た重さであるとか、
思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり
――なにがさて私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。
平常あんなに避けていた丸善が
その時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、
私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。
香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかってはゆかなかった。
憂鬱が立て罩めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。
私は画本の棚の前へ行ってみた。
画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。
しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、
克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。
しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。
それも同じことだ。
それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。
それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。
以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。
とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの
橙色の重い本までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。
――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。
私は憂鬱になってしまって、
自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
一枚一枚に眼を晒し終わって後、
さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、
私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。
本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。
「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。
私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌しく築きあげた。
新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。
奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、
その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調を
ひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
私は埃っぽい丸善の中の空気が、
その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。
私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起こった。
その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰(く)わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」
そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、
もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったら
どんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。
「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉みじんだろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を
下って行った。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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ポンヌ関 2024年11月24日「こんな夢を見た」

こんな夢を見た

  ストーリー ポンヌフ関
     出演 遠藤守哉

こんな夢を見た。

腕組みをして枕元に座っていると、
あおむけに寝た猫が、静かな声で
「もう死にます」
と云う。

外は雨。

猫というものは腹をさわられるのを極端に嫌うというが
こやつはいつもさわらせてくれた。
そうして毎日私の口元を何度も何度も舐めた。
ざらざらとした痛いような舌で…。
その暖かなもふもふは
とうてい死にそうには見えない。

そこで
そうかね、もう死ぬのかね。
と、上から覗きこむようにして聞いてみた。

「死にますとも」
と云いながら、猫はぱっちりと目を開けた。
大きな潤いのある目の中は、
ただ一面に真っ黒であった。

その瞳の奥に、
自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。
透き通るほど深く見えるこの黒目の色つやを眺めて、
これでも死ぬのかと思った。

それで、ねんごろに枕のそばに口を付けて
死ぬんじゃなかろうね、
大丈夫だろうね、
と、また聞き返した。
すると猫は黒い目を眠そうに見張ったまま、
やっぱり静かな声で、
「でも、死ぬんですから、仕方がないんです」
と云った。

しばらくして、猫がまたこう云った。
「死んだら埋めてください」

「そうして100年、
お墓のそばで待っていてください
きっと逢いに来ますから」

夜が明けて雨が上がって
虹の橋が出来た。
猫は何度も何度も振り返りながら
ゆっくり橋を渡っていった。

何ということだ。
涙が止めどなく流れる。

猫の墓をこしらえた。

これから百年の間
こうして待っているんだなと考えながら
丸い墓石を眺めていた。

そのうちに日が東から出た。
やがて西へ落ちた。

自分は一つ二つと勘定していくうちに
赤い日をいくつ見たかわからない。

勘定しても勘定してもし尽くせないほど
赤い日が頭の上を通り越して行った。

それでも百年がまだ来ない。

しまいには苔の生えた丸い石を眺めて
私は猫にだまされたのではなかろうかと思い出した。

すると石の下から
青い茎が伸びて来た。
と思うと、一輪の蕾が開き
私の口元をペロリと舐めた。

あのざらざらとした痛いような舌で。

「百年はもう来ていたんだな」と
このときはじめて気がついた。

時雨るるや
泥猫眠る経の上

漱石は猫の死後、
毎年弟子たちを集めて命日に法事を営んだという。
彼がどれほどかの猫を愛したのかは誰も知らない。
.

出演者情報:遠藤守哉

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蛭田瑞穂 2024年9月22日「渇望」

「渇望」

ストーリー 蛭田瑞穂
  出演 遠藤守哉

漱石の指が、白い原稿用紙の上で痙攣するように震えていた。
締切はとうに過ぎ、新聞社からの催促の電報が
机の上に無造作に置かれていた。
筆は一向に進まず、突如として襲い来る胃の痛みに、
ぐっと声を押し込めた。
「またか、この呪われた痛みめが」。
歯を食いしばり、力なく立ち上がると、
よろめきながら縁側へと歩を進めた。

障子を開けると、空はすでに茜色に染まり、
夕暮れの影が忍び寄っていた。
縁側に腰を下ろし、冷や汗を拭う。
深呼吸をし、痛みをやり過ごそうと試みた。
しかし庭に目をやると、紅葉した木々の鮮やかな赤色が
まるで己の胃の中を流れる血を連想させ、
再び痛みが意識を支配した。
漱石はゆっくりと瞼を閉じる。
苦痛から逃れようと、何か別の思考に没頭しようとした矢先、
不意にひとつの問いが脳裏を掠めた。
「読書をしながら食べるにふさわしい果物は何であろうか」。
なぜそのような問いが浮かんだのか、漱石自身にもわからない。
ともあれ痛みに耐えながら、その取るに足らぬ問いに心を委ねた。

まずは林檎か梨か。
小気味よい歯ごたえと口の中に広がる甘さを想像した。
しかし、ナイフで皮を剥く手間が甘美な想像を無情にも打ち消した。
そもそも読書をしながら食べるという命題にそぐわないではないか。
柿もまた然り。
その上、渋柿に当たる可能性を考えると躊躇は増すばかり。
ならば桃は如何か。
滴り落ちんばかりのみずみずしい果汁に心惹かれる。
しかし、その汁が本に飛散しはしないか。
大切な書物を汚すわけにはいかぬ。

蜜柑か。蜜柑があるではないか。
手で容易に剥け、房に包まれ、果汁が飛び散る心配もない。
その美味は言わずもがなである。
読書に最適な果物は蜜柑であると結論づけようとした刹那、
房に付く白い繊維の存在が彼の心を萎縮させた。
取り除く度に読書は中断される。
その煩わしさは、到底受け入れがたい。

思考が行き詰まりかけたその時、思い浮かんだのは葡萄だった。
そうだ、葡萄ではないか。
蜜柑の長所を兼ね備えつつ、その短所とは無縁である。
デラウェアなる小粒の新種を、
一粒ずつ口に運べば、決して読書の邪魔にはならぬ。
そう考えると、葡萄がもはや、
ながら喰いのために造形された食物とさえ思えた。
長年の探求がようやく実を結んだかのように、
漱石は満足げにうなずいた。

すると突如として、
その果物を今すぐに手に入れたいという衝動に駆られた。
足早に書斎へと戻り、机の引き出しから財布を取り出す。
財布の中身を見て、葡萄を買える額があることに安堵すると、
玄関へと向かい、草履を履き、勢いよく戸を開けた。

財布を握りしめ、晴れやかな表情で近所の八百屋へ歩いてゆく。
今や漱石の意識から、何もかもが遠い記憶のように薄れていった。
白い原稿用紙も、締切の重圧も、病の苦痛も、
全てが意識の後景へと押しやられていた。
心はただ葡萄への渇望で満ちていた。

出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年9月8日「オットセイがいる」

オットセイがいる

   ストーリー 佐藤充
      出演 遠藤守哉
   
南アフリカのケープタウンに滞在しているときだった。
ここから車で30分くらいの場所に野生のオットセイがたくさんいる。
そう聞いたので同じ宿の人たち4人でレンタカーを走らせることにした。

スマホでオットセイを検索する。
よちよちと移動する姿が可愛らしい。
これから会えるのかと心をおどらせる。

車は海辺のほうへすすむ。
窓をあける。磯の香りがする。
それと嗅いだことのないにおいがしてすぐ窓を閉めた。

車を海の近くの岩場で停める。
ここから歩いて数分のところがオットセイのスポットらしいと
地図など見なくてもわかった。

なぜかと言うと、においだ。
さっきの嗅いだことのないにおいの正体はオットセイだった。
風に乗ってこちらまでくる。

においのほうまで歩く。
遠くから見てもわかるほど大量に黒い塊が岩場にいる。
だんだんにおいも強くなってくる。
そこには数千を超えるオットセイがいた。

この強烈なにおい。
数千のオットセイの糞や尿と腐らせた魚を濃縮したような、
とにかく例えようがない強烈な刺激。臭いを超えて痛いのだ。
鼻を超えて目を刺激してくる。
目の痛みに耐えていると今度は頭が痛くなってくる。
こんな経験は初めてだった。

内心はもう帰りたいと思っていたが、
わざわざレンタカーを借りてまで来ている。

同じ宿の人たちにも申し訳ないので、
もう少し見てまわることにした。

そこには親切にオットセイを至近距離で
観察できるように木でできた橋があり、
そこを渡りながら見ることができる。

おうおうおうおう。
数千を超えるオットセイの野太い鳴き声のなかを
歩いていくとなぜか橋の上に1匹のオットセイがいる。

距離は10メートルほど。
地元北海道ではクマに遭遇したら、
静かにゆっくりと背を向けずに後退りをし
逃げるようにと習った。

オットセイはどうしたらいいのだろうと
立ち往生しているときだった。

おうおうおうおう。
鳴きながらオットセイが追いかけてくる。
全力で背を向けて車のほうまで走って逃げる。

帰りの車内も4人しかいないはずなのに
オットセイを何頭か乗車させているのかと思うほどにおいがする。

宿に戻りすぐにシャワーを浴びる。
それでもオットセイのにおいは落ちなかった。
あまりに強烈すぎて脳が混乱しているのかもしれない。

そこで南アフリカ滞在中の毎晩の楽しみで
気を紛らわせることにした。

南アフリカはワインがうまい。
種類も豊富で安い。

毎日近所のスーパーへ行き、
気になるラベルのボトルを数本買って
宿のキッチンで肉を焼いて
いっしょに楽しむのが日課になっていた。

ワインでオットセイを忘れよう。
そう思ってグラスにワインを注ぎ、
ワイングラスをまわす。

ブドウの芳醇な香りを楽しもうと目を閉じて鼻を近づける。

おうおうおうおう。
ワイングラスのなかで昼間のオットセイが鳴いていた。

.
出演者情報:遠藤守哉

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佐藤充 2024年7月21日「ハマにて。」

ハマにて。

  ストーリー 佐藤充
     出演 遠藤守哉

まさかシリアの汽車のなかで、
火遁豪火球の術を、
印を結ぶところから真似する日が来るとは思わなかった。

シリアのダマスカスから汽車に乗り、ハマという街についた。
どこに宿泊するか、何をするのかも決めずに無計画に来た。

車内でたまたま日本のアニメのナルトを
スマホで見ている学生がいたので、
そのアニメのなかに出てくる
サスケというキャラの技の真似をして仲良くなった。

その技が火遁豪火球の術である。
芸は身を助けるというのか、日本のコンテンツ力は身を助ける。

いっしょに駅を出ると、タクシードライバーが群がってくる。
アラビア語なのでわからない。

彼がタクシードライバーたちに
「その値段はぼったくりだ」
というニュアンスのことを言っていることはわかる。

その中の1人はおそらく良心的な値段だったのだろう。
彼にすすめられていっしょに乗車することにした。

ドライバーに「どこへ行く?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれる。

何も決めずに来たので「ゲストハウス」と答える。
きっと何かしらのゲストハウスはあるだろうと思ったのだ。

すると「どこのだ?」というアラビア語なのでわからないが、
そんなようなニュアンスのことを聞かれた気がした。

「イッツアップトゥーユー」と答えてみた。

ドライバーはルームミラー越しに頷き、
車は静かに動きだした。

汽車で出会った学生の彼は途中で降りていった。
急に心細くなり、不安になる。

いったいどこへ連れていかれるのだろう。
そもそも本当に伝わったのだろうか。

ノープランで来てしまった自分の甘さを後悔する。
いくらまでなら取られても大丈夫か頭のなかで計算する。

30分くらい走り、車が止まる。

ドライバーが指をさす。
その方向には「Guest House」と書かれた建物があった。
乗車賃も良心的だった。
少しでも疑ってしまって申し訳ない気持ちになる。

無事にチェックインを済ませて、
街を歩くことにした。

今日はよく晴れている。
ハマは水車が有名ということを
さっきゲストハウスの本棚にあった地球の歩き方を見て知った。
あてもなく川沿いを歩く。

確かにいくつも水車がある。
ただタイミングが悪かったのか、川の水量がなく水車は回っていない。

川の向こう岸のレストランで準備をしている人影が見える。
手を振ってきたので手を振りかえす。

歩いていると子どもたちが後ろをついてきていることに気づく。
振り返ると楽しそうに走って逃げる。
そんなことをして歩いていると丘の上の公園にたどり着いた。

後から知ったことだが、
そこはかつて城塞があった場所で今は公園になっているらしい。

そんなことも知らずに公園に行くと、
アジア人が1人でいることが珍しいのか
たくさんの人が話しかけてくる。

そこでピクニックをしている
自分と同い年くらいの集団に混ざることになった。
言葉はわからないがひまわりの種やひよこ豆のフムスやアイスなど
たくさんの食べ物をご馳走になる。

なぜか肩や足までマッサージしてもらい、
うちわで扇いで涼ませてくれたりもした。

その中のリーダーのような人がバイクに乗って戻ってきた。

バイクの後ろの座るところを叩いて「乗れ」と合図をする。
言われるがままバイクの後ろにまたがる。

行き先もわからないままバイクは走りだす。

丘を降りて、道を進み、露天のような場所に停車する。
そこは彼の知り合いのお店だったようでコーヒーをご馳走になる。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「グッド」と答える。

すると彼は嬉しそうな表情をして、またバイクは走りだす。
次は石でできた不思議な建物のまえで停車する。
なかに入ると彼の友達がいて、いっしょにトランプをして遊んだ。
「ハマ イズ グッド?」と彼は聞くので「ベリーグッド」と答える。

彼はまた嬉しそうな表情をする。そして、バイクは走りだす。
今度は綺麗に手入れをされた公園の中をバイクは走っていく。
バイクで入っちゃいけない場所だったようで、警察に追われる。
彼は警察から逃げながら「ハマ イズ グッド?」と聞くので
「ベリベリグッド」と答える。

そして、そのままゲストハウスまで送り届けてくれた。
お礼を渡そうとすると断られた。
彼は「ハマ イズ グッド?」と笑い、
橙色に染まるハマの街をバイクに乗り走っていった。

心地よい旅の思い出を、夢のなかで思い出す。
.


出演者情報:遠藤守哉

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遠藤守哉の雑談 2406

遠藤守哉の雑談です。
前回から10ヶ月目にしてやっと2回めですみません。
今回は子供の頃に後楽園球場へ巨人:阪神戦を見に行ったお話です。
本人は日ハムのファンのはずなのですが…

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