三島邦彦 2022年9月25日「眼の多さについて」

「眼の多さについて」 

ストーリー 三島邦彦
   出演 遠藤守哉

それがとんぼだと気づいた時にはもう遅かった。
日本海に浮かぶ小さな島の港のそばにある宿で早めの夕食をとった後、
腹ごなしに船小屋が並ぶ海沿いの道を歩いていると
薄暗いかたまりに出くわした、
と思った時にはもうそのかたまりに飲み込まれていた。

それはとんぼだった。
数百匹のとんぼが静かに羽音を立てている。
全身をとんぼの群れに包囲されたまま、
さてどうしたものかと考えていると、
一匹のとんぼが話しかけてきた。

「いくつもの目を持つということがどういうことかわかるかい。」
こちらの回答を待たずにとんぼは話を続けた。
「人間には二つしか目玉がないだろう。
とんぼには一匹あたり一万を超える目玉がある。
一万を超える目玉が同時にものを見ているわけだ。
ここには今、数百匹のとんぼがいる。
その全部のとんぼが一万の目で見ているんだ。」

とんぼは続けてこう言った。
 「とんぼがどういう世界を見ているかを想像してみるといい。
  二つの目玉で見えている世界から、目玉を一つずつ増やしていくんだ。
そしてそれをずっと繰り返すんだ。」
そこでとんぼは沈黙した。

静けさの中で、二つの眼で見えている視界から、
眼を一つずつ増やすことをイメージしてみた。

見えている世界を万華鏡のように
いくつもの面に切り取っていく。
しかしそれはどうにも一つの像を結ばなかった。
そして、一万というのはいくらなんでも多すぎる。
そう思ってあきらめた。
「頭がくらくらするよな。」

またとんぼが話しかけてきた。
「一万の眼というのは多すぎる、と思っただろう。
その通りなんだ。多すぎるんだよ、一万の眼は。」
そう言うと、とんぼたちはどこかに行ってしまった。

日が暮れた海のそばで静かな波音を聴きながら、
一匹のとんぼはこの夜を一万の眼で見ているのだと思った。



出演者情報:遠藤守哉

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

田中真輝 2022年8月28日「表彰」

「表彰」

ストーリー 田中真輝
   出演 遠藤守哉

とある夏の日。
俺があまりの暑さに朝から何もせず
クーラーの効いた狭いワンルームでグダグダしていると、
玄関のチャイムが鳴った。

面倒くさいなど思いながらドアを開けると、
そこには、この暑さにも関わらず
かっちりとしたスーツに身を包んだ初老の男が立っていた。

「こんにちは、今田義彦さんですね?
わたくし、日本政府の方から、あなたを表彰するために伺った者です」

日本政府?の方?表彰?新手の押し売りだと思った俺は、
間に合ってますなどと言いながらドアを閉めようとする。

「ちょちょちょ、ちょっとまってください。
わたしは正式な政府の人間です。
賞状だけじゃないんです、ちゃんとした副賞もございますので!」

副賞、と聞いて少しひるんだ隙をついて、
その男は強引にドアの隙間に足を突っ込むと、
恐るべき柔らかさで身をくねらせながら玄関に侵入してきた。

「皆さん、最初は警戒されるんです。
でもなんてったって、日本政府からの表彰ですから。
副賞付きの。そんな名誉をご辞退されるなんて、ねえ?」

そういいながら、
男は手にしていた筒からおもむろに丸まった紙を引き出すと、
その場で読み上げ始める。

「表彰状、今田義彦殿。
あなたは日々、朝起きてから夜寝るまで、
余計な情熱を燃やすこともなく、与えられた仕事を淡々とこなし、
褒められもせず、けなされもせず、
でくのぼうと呼ばれることも特になく、
ひたすらにごくごくあたりさわりないのない生活を続けられていることを、
日本政府として、ここに賞します。はい、賞状と副賞をどうぞ」

賞状と、「現状維持」と書かれたキーホルダーを渡される。
このキーホルダーが副賞なのだろう。
あっけにとられている俺に、政府から来たという男は、
こぼれんばかりの笑顔で話し続ける。

「なぜわたしが、と皆さんおっしゃいます。
しかし意外とあなたのような方はいらっしゃらないんですよ。
ええ。SDGsという言葉をご存じですか?
持続可能な成長目標、というやつです、
ええ。昨今の資本主義社会は、経済成長を重視し過ぎた挙句、
環境と人類の存続を脅かすまでになってしまいました。
日本政府はこの問題を解決するために、
まったく成長もしない、かといって負担にもならない、
そういう毒にも薬にもならない稀有な存在を、
ゼロ・エミッション生活者と名付け、表彰するという政策を打ち出したのです。
はい、そうです、あなたはその厳しい条件に適合した、
貴重なゼロ・エミッション人材なのです!おめでとうございます」

そういうが早いか、自称政府の男は私の手をとって猛烈に上下に振り始めた。

「今田様には、これからもぜひ、何の野心も好奇心ももたず、
粛々と人生を生きていっていただきたい!
いやもちろん、言うほど簡単なことではないでしょう。
周りの人から、そんな無気力なことでどうするといわれることも
あるでしょう。
しかし、そんな甘言に心を動かされてはなりません!
あなたはありのままのあなたでいい!
そこに存在するだけでよいのです。
もともと特別なオンリーワンなのですから!」

涙ぐむ男を見て、俺も少し胸が熱くなる。そうか、俺はこのままでいいのだ、と。

満面の笑みで去っていく政府の男を見送って、後ろ手にドアを閉める。
クーラーが効いた、ひんやりとした部屋に戻ると、手にしたキーホルダーを
眺め、現状維持、とつぶやいてみる。

目の前にまっすぐな道が見える気がした。まっすぐ、どこまでも続く一本道。
ふと見上げた窓の外から、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。
今日も、何もしなかった一日が暮れていく。



出演者情報:遠藤守哉

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

廣瀬大 2022年7月31日「真夜中の奇妙な生き物」

真夜中の奇妙な生き物

ストーリー 廣瀬大
   出演 遠藤守哉

夕日が沈み、人々が眠りにつく。目を閉じて、みんなが夢の中に落ちていく。
今夜もまた、家の屋根の上に奇妙な生き物がやって来る。
ぐ〜っと鳴る腹。大きく灰色の体は象に似ているけれど、
象にしては毛深く、耳が小さく、鼻が短い。足には白い毛がふさふさと生えている。
しかも、ふわふわと宙に浮かび、ゆっくりと家の屋根から屋根へと飛び移ってく。

この生き物、夢を大好物とするバク。夜、人が見ている夢を食べる奇妙な生き物。
今夜もバクは家から家へ、夢の匂いを嗅ぎつけて、大好物の夢を探す散歩をする。
「うーん、うーん」
たかしくんがベッドの中でうなされている。夢の中でたかしくんは教室にいる。
いつも苦手な算数のテスト。
テスト用紙に向かって一所懸命答えを書こうとしているのに、一つもわからない。
いや、いや、それどころではない。テストに書いてある問題の意味すらわからない。
周りの人たちが回答をどんどん書いていく鉛筆の音が教室に響く。
焦るたかしくん。
「うーん、うーん」
ベッドの中でも、教室の中でも嫌な汗をかいているたかしくん。
バクは灰色の長い舌を出して口の周りをべろりと舐める。
そして屋根を通り抜けてたかしくんの枕元に降り立つ。

このバク、ちょっと変わっていて怖い夢が大好物。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
テストを解けない夢がバクによって食べられていく。
よだれを遠慮なく垂らしながら、悪夢を食べていくバク。
漆黒に濡れた目がたかしくんを見つめる。
ベッドの中でうなされていたたかしくんの表情が穏やかになっていく。
怖い夢を見た記憶も消えていく。
バクは食べ終わると鼻をんごんご鳴らして、また怖い夢を探しに別の家へと向かう。

「ひええええええ」
えりちゃんが二段ベッドの上でうなされている。
道を歩いていたら向こうから突然、
熊ぐらいある大きな犬がこちらに向かって歩いてきた。
えりちゃんは犬が大嫌い。まだ、えりちゃんが本当に小さかった頃、
犬が遊ぼうとじゃれて来て、でも、えりちゃんにはそれがとっても怖くて、
それ以来、犬が苦手になった。
夢の中の犬がえりちゃんに向かって走り始める。必死で逃げようとするえりちゃん。でも、怖くて足が動かない。走ろうとするのに言うことを聞かない足。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
大きな犬から逃げようとするえりちゃんの夢が食べられていく。
漆黒に濡れた目がえりちゃんを見つめる。
ベッドの中でうなされていたえりちゃんの表情が穏やかになる。
怖い夢を見た記憶も消えていく。
それでもぐ〜っとバクのお腹がまた鳴る。夢の残りをくちゃくちゃしながら、
バクはまた鼻をんごんご鳴らし、別の家へと向かう。

「ああああ、ああああ」
布団の中で、枕に頭を乗せたおじいさんが夢にうなされている。
夢の中で子どもに戻っているおじいさん。戦争で街が火の海になり、逃げ惑う人たち。
おじいさんはお母さんに手を引かれている。
「おかあちゃん、おかあちゃん!」
夢の中で子どもの姿に戻っているおじいさんが叫ぶ。
布団の中でもおかあちゃんと小さな叫び声を上げている。
おじいさんの苦しい顔を見下ろすバク。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
戦火を逃げ惑う幼いおじいさんとお母さんの夢が食べられていく。
でも、そのとき、夢の中で幼いおじいさんがお母さんの手をぎゅっと握った。
お母さんもぎゅっとこれまで以上に、小さなおじいさんの手を握った。
「おかあちゃん」と布団の中のおじいさん。燃え上がる家々。
誰かが転ぶ。鐘が鳴り続ける。「手を離さないでよう」
漆黒の濡れた目でバクはおじいさんの顔を見つめる。
布団の中でうなされるおじいさん。「おいてかないでよう」
迫ってくる火。ちりちりと燃え始めるお母さんの後ろ姿。
それでも手を離さないおじいさん。
バクは夢を食べるのをやめてそっとおじいさんの枕元から離れる。
悪夢にうなされるおじいさんを残してバクは寝室から出ていく。
そして、また、鼻をんごんごと鳴らし、別の家に夢を探しに出かける。
おじいさんはうなされる。
バクのお腹はぐ〜っと大きく鳴る。
夜空には都会の光で見えづらく誰も気づかないが、天の川が広がっている。



出演者情報:遠藤守哉

 

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

張間純一 2022年7月10日「天の川」

天の川

   ストーリー 張間純一
      出演 遠藤守哉

問1

x,y平面上に、
点(6, 8)を中心とする半径√2の円の円周上を動く点Hと
点(8, 6)を中心とする半径√2の円の円周上を動く点O(オー)がある。
このとき、以下の問いに答えよ。

 (1) 点Hと点Oとが出会う可能性のある点Tの座標を求めよ。

 (2) 円A、円B共通の接線のうち、(1)で求めた点Tを通る直線aの方程式を求めよ。

 (3) 点Hと点Oが点Tで出会ったちょうど1年後に、
ふたたび点Tで出会う時、点Hと点Oの移動速度を求めよ。
ただし1年はちょうど365日とし、
どちらの点も常に一定の速度で移動しているものとする。

この問を見て、家持詠める歌

かささぎの Tの座標に おく霜の 直線はy =x
かささぎの Tの座標に おく霜の 直線はy =x



出演者情報:遠藤守哉

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

ポンヌフ関 2022年5月22日「草枕」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

草枕

   ストーリー ポンヌフ関
      出演 遠藤守哉

私は行き詰まっていた
頬杖をついて外を見ている

綺麗でしょ

私、桜や紅葉の頃より新緑が好き

と宿の娘が言う
窓の外は一面の緑
こういうのを俳句の季語で
山笑うと言うんじゃ

おー笑ってる笑ってる

おじさん俳句好きなの?
私も好き
なにか作ってよ

菫ほどな
小さき人に
生まれたし

それ夏目漱石じゃん
何故私の名前を知っておる?
でも、ちょっと似てるね漱石に
せっかくこんなところに来たんだから
先生も、草枕みたいなの書いたら?
草枕?

智に働けば角が立つ
情に棹させば流される

お、いいね
それ、いただき!

あはは
先生おもしろ〜い

娘に笑われ
山に笑われるうちに
心がほどけてきた

おっと、こうしている場合ではない
明日が新連載の締切なんじゃ

えー、メールじゃだめなの?

ありがとう、世話になった
山路をくだりながらこう考えた

智に働けば
おっとっと
足を滑らせて沢に落っこちた
ドボン
私はミレイの描いたオフィーリアの風流な土左衛門のごとく緑の水辺を流れていた
だから、こうしている場合ではない!
その時、目が覚めた
草枕か、いいかもしれん

若葉して
篭りがちなる
書斎かな

明治39年7月26日夏目漱石『草枕』執筆開始

明治39年のある日 不思議な午睡のあと
夏目漱石は
書斎で草枕を着想した、、、かもしれない



出演者情報:遠藤守哉

 

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

井田万樹子 2022年5月8日「だんご3おじさん」

だんご3おじさん

     ストーリー 井田万樹子
            出演 遠藤守哉

僕の家の近くには、とても広い公園がある。
都会の真ん中にあるのに、自然の森が残っていて 大きな池もあって、
週末はバーベキューをする人や
スケートボードをする人なんかで賑わっている。
僕はその公園に行って、誰もこない静かな場所を見つけるのが好きだ。
一面に緑が広がって、気持ちのいい風がずっと吹いている。
でも誰もいない。
そんな場所を見つけると、僕は嬉しくなる。
今日見つけた場所は、最高だった。
寝転がると新緑の青もみじに包まれる。
風が吹くたびに青もみじの葉っぱがさわさわと揺れる。
僕はその場所で、のんびり読書をはじめた。

突然、足元から小さな甲高い声がした。
「ちょっと兄さん、ここ!ここ空いてるわよ!」
草の陰から、小さな丸いものが顔を出した。
「あら、先客がいるわ!」
「あら、ほんと!」
同じような顔が3つ並んでいる。
だんごである。
1本の串に刺さった、3つのだんごなのである。
「仕方ないわよ、弟。
だってこの場所、この公園で1番いい場所だもん」
「そうね、兄さん」
「よいしょ、よいしょ」
だんご達は横一列に並んで、こちらに向かって歩いてくる。
だんごの頭の下には小さな体があって、ちゃんと靴も履いているのだ。

クリッとしたつぶらな瞳。
くるんとカールした立派なヒゲ。太い眉毛。
3人とも、なかなか濃い顔立ちだ。
醤油のタレで焼かれたおでこがツルッと光っていて、
炭火で炙られ香ばしく焦げ目のついた頭は、
今どき珍しいバーコードヘアだ。
3人ともお揃いのブルーのジーンズにすみれ色のシャツを着て、
シャツのお腹はぽっこり出ている。
つまり、なんて言うか、おじさんなのである。
そっくりの顔をした3人の、おじさんの、だんごなのである。
兄さんと呼んでいるところを見ると、兄弟なのだろうか。

「よいしょ、よいしょ」
おじさん達は串にささったまま、せっせとこっちに向かって行進する。
そして僕のすぐ横までやって来ると、
「よっこらしょ!」と、3人同時に小さな石の上に腰をかけた。
「ちょっと…狭いわ!兄さん」
「大丈夫よ、弟!詰めたら座れるわ」「あたし、落っこちちゃう!」
「ねぇ、大兄さん!もうちょっと詰めてよ!」「あんたが詰めなさいよ!」
3つのだんごが、ぎゅうぎゅうに押し合っている。
串の先っぽが僕の足に当たったので、
「いてっ」と思わず僕が声を上げると、
だんご達は一斉に僕を見た。

「こんにちは」
と僕が言うと、だんご達はにっこり笑って、そして、
「ねぇ見て、あたし達、座れたの!」と言った。
こんなに広い公園なのに、どうして僕のすぐ横に座るのだろう。

「ねぇ、兄さん、あの野球選手の名前なんだったかしら?」
「誰よ、あの野球選手って?」
だんごおじさん達は僕のことなんか気にしないで、
ぺちゃくちゃペチャクチャ喋り続けている。
「ほら、友達のお母さんと結婚した〜…」
「何よそれ?」「ほら、なんとかちゃんって呼ばれてて」
「なんとかちゃん?」
「ラミレスじゃなくてマルチーニじゃなくて〜」
「思い出した!ペタジーニよ!」
「だからペタジーニがどうしたのよ?!」
キャッキャっと笑うたびに、
だんごおじさん達のまわりの草がサワサワと揺れる。

しばらくすると、目隠しあそびが始まった。
「だーれだ!」
1番後ろの兄さんだんごが、一生懸命に手を伸ばして、
1番先頭の弟の目を塞いでいる。
真ん中のだんごは間に挟まれて窮屈そうだ。
「だ〜れだ!」
「えーっと…ちい兄さんよね?この手は?! …あれ?やっぱり大兄さんかなぁ?」
「どーっちだ!」
「ちい兄さん!」
「はずれーっ」「あ〜っ」
おじさん達はとても仲がいい。

真ん中のだんごが、肩にかけていた小さなカバンを開けると、
中から小さな水筒とポップコーンを取り出した。
兄さんだんごは右から、弟だんごは左から手を伸ばして、
それぞれポップコーンを食べはじめる。
ぱくぱくぱく
「ねぇ、ちょっと!」ぱくぱく
「ねぇ、ねぇ、あたしが食べれないじゃない!」ぱくぱく
「どうしてあたしがいつもポップコーン持つ係なのよ?!」
「だって、それが…1番食べやすいんだもん」ぱくぱく
「あたしは食べやすくないのっ!」
真ん中ってのは、いつも少し大変そうだ。

気がつくと、だんごおじさん達は昼寝をはじめた。
新緑の風がそっと、おじさん達のヒゲを揺らす。

だんごおじさん達は、いつからこの公園にいるのだろう。
広場の団子屋で焼かれていたのだろうか。
兄弟でこっそり逃げ出してきたのだろうか。
若葉の香りに包まれて、すやすやと寝息が聞こえてくる。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ