原壮俊 2026年7月5日「友達は容疑者」

友達は容疑者

ストーリー 原壮俊
   出演 遠藤守哉

これはフィクション。ウソの物語。
そう…ウソの物語、ウソの物語なのだ。

ある日、見知らぬ新聞記者から、僕のSNSにメッセージが届いた。
「A子さんという女性を知っていますか?殺人事件の容疑者になっています。」
その事件は、連日、全国ニュースのトップで報じられていた。
行方不明になっていた人物が、
遺体でトランクの中から発見された、衝撃的な事件だ。

A子は、大学の同級生。もう何年も連絡はとっていない。
「そんな事件を起こすようなタイプには思えません…」
自分でも驚くほど、薄い言葉しか出てこなかった。
その後も、新聞社やテレビ局から連絡が相次いだ。
A子は知り合いが少なく、SNSで繋がっているのが、
僕くらいだったのだ。

A子はインドからの留学生。
大阪の高校に通っていたこともあり、
なぜかカタコトの大阪弁を使っていた。
「漢字が分からんわ。夏至って、なんであんな読み方するん。
ワケ分からんわ…」と。
見た目はインド人、中身は大阪人。
そのアンバランスさが、妙に耳に残った。

A子のバッグには、「猫のしっぽ」のキーホルダーが付いていた。
平成ギャルの生き残りみたいなやつだ。
「ヤンキーがクルマに飾ってるやつじゃん!」とからかうと、
「…なんでやねん!」と、毎回、間の悪いツッコミが返ってきた。

僕は、授業に行かない堕落学生だったが、
A子は勉強熱心で、献身的だった。
久しぶりに出席した「ボランティア論」の授業。
彼女は、いつ来るかも分からない僕の席を取ってくれていた。
「来ると思ってたで」
彼女が代返をしていて、僕は毎回出席したことになっていた。

A子からいろんな話を聞いた。
就職活動や母国のインドのこと、
東北の震災支援に頻繁に行ってること。
同居中の彼氏が、精神的に不安定らしく、
「私がお姉さん役やねん」と苦笑いした。
その彼氏は、服代に月20万も使うらしく、
A子はお金まで貸していた。
ダメ男を放っておけない性分だったのか。
僕もその一人だったのかもしれない。

「彼氏、大丈夫?」と聞くと、「大丈夫だよ、ありがとう」と答える。
A子の口癖は「ありがとう。」だった。
電話を切る時も、別れ際も、最後の一言は決まってそれだ。
「外国人の私と仲良くしてくれて、ありがとう」
そんな思いから、自然と口に出ちゃうんだと、彼女から聞いたことがある。

大学を卒業してからは、なんとなく疎遠になった。
「今何してるんだろう?」「ダメ彼氏と別れたかな?」と、
うっすら思い出す程度。
そんな時に例の事件は起きた。
僕を訪ねてきた記者は、警察や探偵のように情報を集めていた。
記事を書くためというより、事件を解決しようとしている。

「この情報は、まだニュースになっていませんが…」と、
事件の詳細を明かし、僕の自宅まで来て情報を引き出しにかかる。
その熱量に負けて、僕は知っている事を話した。
記者に頼まれるまま、A子に「大丈夫?」とだけメッセージを送った。

トップニュースが続いた一週間後、事件は動く。
犯人が分かった。…A子の、彼氏だった。
A子は彼のために、逃走資金や偽造パスポートを工面していたという。
記者によれば、彼女も何らかの罪に問われる、とのことだった。
僕が記者に話した、彼女との思い出は、ニュースで流れることはなかった。
下手な大阪弁も。猫のしっぽのキーホルダーも。
そして、「ありがとう」の口癖も。

根拠のないネットニュースでは、
A子は今、母国でもない別の国に住んでいる。
久しぶりに見たA子のSNSは、震災支援の写真で止まったままだ。

A子からメッセージが届いていた。
「ごめんね」
…口癖だった「ありがとう」ではない、たった一言。
その言葉に、 どんな気持ちが込められていたのか。
僕はまだ、考えている。

.
出演者情報:遠藤守哉

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

安藝哲朗 2026年6月14日「夏至の後藤は待ち長い」

夏至の後藤は待ち長い

  ストーリー 安藝哲朗
     出演 遠藤守哉

メロスが走り切った三日目、
その日は夏至だった。
夏至。一年で最も昼が長い日。
メロス目線で言うと、
タイムリミットの日没が一年で最も遅い日。
それが功を奏してか、メロスは無事、
日没までに王様の元へ到着し、友の解放を果たした。

約束の日が夏至だったのは、
決して偶然ではない。
王は夏至であることを知っていた。
王はメロスを処刑したくなかった。
もう、暴君であることを辞めたかった。
しかし、王としての体面を保つため、
厳しい要求をメロスに突きつけざるを得なかった。
メロスの到着を誰よりも喜んだのは
王だったのではないか。

…といったことを江藤は語り終えると、
伊藤の反応を伺った。
伊藤はしばらく考え込んでから、
「それにしても、後藤は遅いですね」
それだけだった。

江藤と伊藤は、後藤を待っていた。
後藤は、江藤と伊藤の共有の友人。
江藤と伊藤は初対面だった。
自己紹介など一通りの挨拶を交わし
後藤との関係などを語り終えると
話題はあっさり尽きてしまった。後藤はまだか。
居心地の悪さに耐えきれず、
江藤が苦し紛れに繰り出したのが
太宰治『走れメロス』にまつわる持論だった。
しかし、伊藤の反応はすこぶる薄かった。

江藤と伊藤は、後藤を待ちながら
二人の間にぽっかり浮かんだ空気を眺めている。

「メロス、ラストは裸でしたよね」

唐突に伊藤が言う。
メロスの話は終わっていなかったのだ。
伊藤はメロスを知っている。伊藤はメロスを語りたい。
江藤は、ここぞとばかり、
裸体のメロスについての考察を並べる。

裸体、つまり、衣服がボロボロであることは、
三日間の行程の壮絶さを効果的に表現する小道具である。
と同時に、ヒーローがヒーローでありすぎることへの照れとして
太宰自身が自嘲の意味でメロスを裸にしたのではないかと。

「ところで、素っ裸と真っ裸って、
どっちがより裸だと思いますか」

伊藤からの無遠慮な問い。
伊藤の興味はメロスではなく、裸のほうだった。
素っ裸と真っ裸、どっちがより裸か…。
AIに訊けばなんらかの答えは出てくるかもしれない。
しかし、江藤はその問いを正面から受け止めた。
これは時間を潰すにうってつけの議題。
江藤はじっと黙る。伊藤もじっと黙る。
さっきまでの沈黙とはちょっと違う。
今や二人とも共通の問いを抱えた哲学仲間だ。
「まっぱ」とは言うけど、「すっぱ」とは言わないし。
「ま」はア音で開放的なのに対し、
「す」はウ音で口を窄めて秘匿的な感じ。
「素っ裸」は表面的な裸にとどまるが、
「真っ裸」は内面さえも曝け出しているニュアンスか。

江藤が裸についての考えを煮詰める最中、
伊藤が先に口を開く。

「それはともかく、後藤はまだですかね」
伊藤は何も考えていなかった。

江藤は静かに目を閉じ、二本の平行線を瞼の裏に描いた。
決して交わることなく、走り続ける平行線。
二本の線は、平行を保ちながら少しずつ近づき
ついに重なり合い、一本の地平線となった。
その地平線に大きな太陽が沈もうとしている。
地平線の向こうから、夕陽を背負って誰か駆けてくるが、
顔が影になっていて誰かはわからない。
長く伸びた影はやがて闇に飲み込まれてしまう。
そうなるとキミが誰だかわからないままだ。
キミは現れるのか、現れないのか。
一切が消え、完全な闇が訪れる。

「日没まで後藤を待ちましょうか。なんせ今日は夏至ですし」
伊藤の提案に江藤は目を覚ます。

江藤は、伊藤をぼんやり見つめる。
西陽で顔半分に影が落ちている。
日没まであとせいぜい1時間ちょっとだろうか。
そのくらいあっという間だ。
なんといったって、弥勒菩薩がやってくるのは
56億7千万年後なのだから。
江藤は、ドリンクバーに立った。

.
出演:遠藤守哉




Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

佐藤充 2026年4月19日「シャングリラ」

シャングリラ

ストーリー 佐藤充
   出演 遠藤守哉

タイのバンコク。朝の4時。
カオサンストリートから5分ほどの
元精神病棟を改装したと噂の真っ白な部屋と
窓ひとつないところが特徴のゲストハウス。

そこで10歳以上年上の日本人に
トランプでボロ負けをしていた。

「大人気ないですよ」
「勝負に年齢は関係ないだろ」
「このままだとバンコクの思い出が嫌なまま終わります」
「トランプに勝って記憶を上書きしたらいい」
という口車に乗せられてこの日も負けを重ねようとしていた。

朝5時になると僕らが10バーツラーメンと呼んでいる屋台がはじまる。
そこのラーメンにナンプラーをたっぷり入れて食べ、
宿に戻って昼過ぎに起きるのが日課のようになっていた。

なんでこんな生活をしているのか。
2ヶ月の休みを何して過ごすのか。
何も決めずに来たのが全てだった。

当時の僕はとりあえず日本からバンコク行きのチケット買って、
そこからの予定は着いてから決めればいいと思っていた。

バンコクに行けば世界中からバックパッカーが集まっている。
そこでいろんな人におすすめの場所を聞いてまわったり、
当時はゲストハウスそれぞれに旅ノートというのが置いてあって、
それを読めばだいたいのことが書いてあった。

現地のおすすめの飲食店から
国や都市やゲストハウスの情報、
安く移動する方法、ビザを簡単に入手する方法、
合法なのか違法なのか本当なのか嘘なのか
わからないことまでいろいろ。
僕はそれを読むのが好きだった。

そこに気になる一文があった。

「シャングリラは、本当にある」

シャングリラって理想郷や空想の世界を指す言葉じゃないのか。

チャットモンチーの『シャングリラ』や、
電気グルーヴの『Shangri-LA』は知っているけど、
本当に存在する場所なのか。
いかがわしい違法すれすれなお店の名前じゃないのか。

僕にトランプで大勝ちして
機嫌をよくしている日本人に聞くと、
「中国の雲南省の方にある」と言う。

旅程が決まった。
シャングリラに行こう。
決まると早い。

例の如くお金はないけど、時間はあるので、
トランプを切り上げ、バスで向かうことにした。

ラオスを抜けて、
陸路で中国に入り、
大理や麗江などいろんな街で (ダーリー)(リージャン)
寄り道、道草、遠回りをして、
3週間くらいかけてやってきましたシャングリラ。

シャングリラとは
チベットの言葉で
「心のなかの太陽と月」を意味する。

標高3300メートルに位置する
チベット文化を色濃く残すこの街は、
経文が印刷された青白赤緑黄色の旗が
あちこちに掲げられて風に揺れていた。

風が旗をはためかせることで、
風に乗った経文が周囲の環境や人々を浄化し、
幸運や平和が広がると信じられている。

宿で自転車を借りて、
ナパ海の方まで行くことにした。

ナパ海。
こんな山奥なのに海という名前。

山に囲まれたこのあたりは、
雨季になると、水が満ちて、
空色をした湖ができるらしい。

その様子は
天空に浮かぶ湖と呼ばれ、
空と水の境界線が消えて幻想的な景色が広がる。

今は乾季で、
赤やピンク、紫の花が広がっていた。

立派なツノを持つ野生のヤクが
野放しになって、草を喰んでいる。

もしも自分が陸上選手なら、
ここで高地トレーニングしたいと思う。

でも陸上選手じゃないので
今はここでビールを飲んだらうまいだろうなと思っている。

自転車を止めて、
草の上に腰をおろす。
手が届きそうなほど空が近い。

気持ちのいい風が吹いている。
青白赤緑黄色の旗が揺れている。

水が満ちたこの場所を想像する。
山と空とカラフルな旗が反射した湖が広がっている。
それを青島ビール飲みながら眺めている。

「シャングリラは、本当にありました」

バンコクのカオサンにあるゲストハウス。
次の誰かにバトンを繋げるような気持ちで、
僕は旅ノートに書いている。

.

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

安藝哲朗 2026年4月5日「満たされない水瓶」

「満たされない水瓶」

ストーリー 安藝哲朗
   出演 遠藤守哉

水瓶は今日も満たされない。

デザイン会社で働く水瓶は、
クライアントへの提案帰りに
四谷の小料理屋で仲間と打ち上げ。
ビール、ちくわの磯辺揚げ、苺と蕪の赤酢漬け、
ピーマンの塩炒め、富山の日本酒、
うどとこごみの天ぷら、安納芋のバターのせ、
青森の日本酒、鯨の竜田揚げ、柚子おむすびと赤だし。
水瓶は「おいしすぎてやばい」とか言っているが
実はインフルエンザ明けで嗅覚を失っており
味がよくわかっていない。みんなの盛り上がりに
水を差すのもアレだから、なんとなく調子を合わせてしまう。
満たされたのは、胃袋だけ。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶は、ひと月半に一度、
鎌倉の美容室で髪を整えてもらう。
「春も近いし、思い切って
ジーン・セバーグみたいなショートにしようかしら」と、
ここ2年ほど言い出せなかった自分的には思い切った提案を
あたかも今思いついたかのように美容師に告白した。だが、
「この髪質だとモンチッチっぽくなるかもです
やめておいたほうがいいかもです」と真顔で返される。
人が月へ住もうとする時代に、自分には
こんな小さな冒険も許されないのか。水瓶は空しい。
一方、鎌倉の大仏はかなり冒険した頭だな。さすがです。
帰りの電車の窓に映る水瓶は、
ひと月半前と何の変わり映えもない。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶は、日頃の満たされなさを
AIに相談してみた。プロットはこんな感じ。
「近頃なんだか満たされない気持ちなんだけど、
どういうこと?」そしてこんな感じの答え。
「満ち足りていると、人は次へ進もうとしなくなる。
満ち足りていないのは、幸せへののびしろが
あるというしるしなのです」つまらない。
励ましてくれているけど、つまらない。
ありがちな一般論。どこか安い占いのような。
キミの優しさはありがたい。けどごめん。
AIは悪くない。悪いのは私。

水瓶は今日も満たされない。

水瓶には微妙な関係の海亀がいる。
海亀にも満たされなさについて問うてみた。
「満たされないということはさ、」海亀は語る。
「幸せになる一歩手前なんじゃないかな」
お前もそんなこと言うか。びっくりした。
あなたAI?そんなに退屈な亀だったっけ。
一万年生きていてそんなもんか。
水瓶は鏡に映る自分を覗き込む。
一滴の水もない。完璧な空っぽだった。
私もうダメかもしれない。
ダメかもしれない。
かもしれない。

.
出演者:遠藤守哉

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

蛭田瑞穂 2026年3月15日「夜桜」

夜桜

ストーリー 蛭田瑞穂
   出演 遠藤守哉

四月だというのに、妙に肌寒い夜であった。

鎌倉雪ノ下の、人影の絶えた裏路地を、
川端康成と少女が連れ立って歩いていた。

突き当たりの角を曲がると、一木(いちぼく)の桜が、
まばゆいばかりに咲き誇っていた。

「見て先生、こんなに綺麗な桜が」

少女は小走りに近寄り、仰ぎ見た。
枝という枝に、隙間もなく白い花弁が重なり合っている。

そこに、一陣の春疾風(はるはやて)が吹いた。
枝を大きく揺らすと、無数の白片が雪のように舞った。

「あら、もったいないこと。
 こんなに急いで散らなくてもよいのに」

少女は花びらに手を伸ばした。
その透き通るように白い指先を見つめながら、
川端は語りかけた。

「古来、日本人は儚さの中に、
 真の美しさを見出してきたものです。
 形あるものが消えたあとに、余韻が宿る。
 そう考えれば、散る桜もまた、鮮やかに見えましょう」

少女は花びらを追う手を止め、
はにかみを隠すように笑みを浮かべた。

「儚さ、ですか。
 でも私はやっぱり、満開のほうが好きですわ。
 こうして元気に咲いているほうが」

川端はふと、少女の、そのいたいけな感情を
弄(もてあそ)んでみたい誘惑に駆られた。

「しかし、生気(せいき)に満ちた姿というのは、
 時に品性を欠くものです。
 満開の賑やかさは、どこか生(せい)の奢りも感じさせて、
 私には少し、目に余ります」

「奢りだなんて……。私はただ、
 一生懸命に咲いている桜を愛でたいだけです」

「だがそれでは、桜を見ながら、見ていないことになりますよ」

川端はなおも執拗に言葉を重ねた。

「真実というものは、
 余計なものを削ぎ落とした果ての、無にあるのです。
 形も色も捨て、虚空へ溶けてゆく。
 その潔さこそが、何よりも充足した美なのです。
 目に見える美しさなど、仮初の像に過ぎません。
 君はまだ、お若い。
 いつか、その奥に潜む深淵に触れる時がくるでしょう」

気がつくと、少女は黙り込んでいた。
手のひらにこぼれたひとひらを
うつむいたままじっと見つめている。

「でも先生、それなら……」

少女は不意に、射抜くような視線を彼に投げた。
その瞳の中で、夜桜が怪しく揺れている。

「それなら、私が死んで、いなくなってしまったら、
 先生は嬉しいのですか。
 この花びらのように、儚く散ってしまったら。
 それでも先生は私を愛でてくださるの?」

川端は、言葉に詰まった。
己(おのれ)が弄ぼうとした純真が、
逃れようのない刃(やいば)となって、
彼の高慢な自尊を切り裂こうとしていた。

風が、再び吹き荒れた。
闇を背景に、狂おしいほどの花びらが舞い、
二人の間を分かつように通り過ぎていく。

風が凪ぐと、傍らから少女の姿は消えていた。
あとには、冷えびえとした夜の気配が沈んでいる。

川端は、知らぬ間(ま)に固く結んでいた右手を
ゆっくりと開いた。

そこには、ひとひらの桜が、
まるで行き場を失った遺品のように貼りついていた。

.
出演者:遠藤守哉




Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

福里真一 2026年1月11日「人気教師の夢」

人気教師の夢  

   ストーリー 福里真一
      出演 遠藤守哉

その30年以上にわたる教師生活を通して、
彼はずっと人気教師だった。

いつも明るく楽しい冗談で、
生徒たちを笑わせた。
若い頃は爽やかでなくもないルックスで、
女生徒からもモテたらしい。

悩みや問題を抱えた生徒には、
見放すことなくきちんと向き合った。
時には生徒の側に立って、
頑固すぎる校長や学年主任と、
戦うことも辞さなかったらしい。

彼のわかりやすい物理の授業の影響で、
多くの生徒が理系の大学を目指すことになった。
バレーボール部の顧問として、
チームを全国大会出場に導いたこともあった。

そんな人気教師が、
定年を前に退職することになった。
卒業生有志が企画した送別会には、
数多くの元生徒たちが集まった。

感謝のこもった目で見つめる元生徒たちの前で、
彼が語ったのは、
しかし、少し意外な話しだった。

「オレは若い頃から、
ずっと長距離トラックのドライバーに憧れていた。
子供の頃、
『トラック野郎』という映画で、
デコトラで旅する菅原文太さんに出会って以来、
ずっとトラックドライバーになるのが夢だった。
教師をやりながらも、いつかはトラック野郎になりたいと、
思い続けていた。
いま、60歳を前にして、年齢的に最後のチャンスだと思い、
履歴書をもって、運送会社を回った。
そして、ようやく採用してくれる会社が見つかった。
この年末から、いよいよオレの長年の夢がかなうんだ」

人気教師は、
生徒に冗談を言い、女生徒から憧れられ、
悩みや問題がある生徒に向き合い、
校長や学年主任と戦っている間も、
ずっと心の中では、
長距離トラックのドライバーを夢見ていた。

物理を丁寧に教え、
バレーボールで生徒たちを鍛えあげている間も、
ずっとずっと、トラック野郎になりたかった。

そのことを、元生徒たちが知ったとき、
それまであたたかみにあふれていた送別会の会場に、
一瞬、シラーッとした空気が流れたのは、
間違いがないことだった…。

2026年がやってきた。
物流に正月休みはない。
人気教師が運転するトラックは、
今ごろ、
海沿いのまっすぐな道を走っているのか、
曲がりくねった山道を登っているのか、
あるいは、吹雪の中を疾走しているのかもしれない。

「夢」という名の「思いこみ」が、
今年も多くの人の人生を動かしていくことだろう。

そんなことを考えながら、私はいま、
おそらく長距離トラックによって運ばれたであろう、
おせちのかずのこを、たべている。(おわり)

.
出演者情報:遠藤守哉

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ