中山佐知子 2021年3月28日「歩幅」

歩幅

   ストーリー 中山佐知子
      出演 遠藤守哉

歩幅が狭くなった。

理由はわかるような気がする。
家にいる時間が長過ぎるのだ。
家の中を大きな歩幅で歩いていると、敷居を踏む、
ドアノブに上着をひっかける、
トイレへ行こうとしてトイレのドアを行き過ぎる。
挙げ句の果てに足音がうるさいとも言われる。
そんなことを繰り返すうちに
歩幅が自宅サイズになってしまったのだろう。

そういえば、ここしばらく一生懸命に歩くということがない。
仕事はほとんど自宅のパソコンでことが済むし、
歩くといえばせいぜい買い物か散歩だ。
道端に咲いているタンポポ や
もうすぐ咲きそうな母子草を眺めながら
だらだらと歩くのがいけないのだろうか。
人が二本の足で歩くようになって
もう700万年にもなるというのに、
たった一年で歩く機能が退化するとは情けない。
なんとかしなければ。
それにはまず「歩く」ことへの意識を高めることが大事だ。

まず、家の廊下を歩いてみた。
重心は完全に後ろ足で、体重の乗らない足が前に出ている。
足音を立てないために着地は足の裏全体で行い、
その足が完全に着地してから後ろ足が床を離れ、
体重が前に移動する。
静かだし、安定感は抜群だが、
歩幅は狭くなるし、あまり早くは歩けない。
歩幅を広げようとちょっとだけ腰を落としてみると
子供の頃にやった「抜き足さし足」にそっくりだった。
家の中はもしかしたら、
歩くのに適していないのかもしれない。

次に外に出て歩いた。
会社へ行くときのように、前を見て真剣に歩いた。
後ろ足が地面を蹴り、前に出した足は体重を乗せて着地する。
体重を受け止めるのはカカトという小さな面積だ。
その衝撃がなかなか手強い。
床ならさぞ大きな音を立てるだろう。
足の裏は着地と同時に次の動きに入るので安定が悪い。
重心が足の裏に戻ってこない。
意識したことがなかったが、二足歩行はわりと危険だ。
そう考えると、
人が歩いているのは偉大なことのような気がした。

雪国では滑らないように膝を曲げ、
山道は小さい歩幅で。
田んぼでは足の裏全体を使って、人は歩く。
たくさん歩きかたを持っている人は
どんな場所でも自由自在に対処できる。

歩くことは生きること。
ふとそんな気がした。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2021年3月7日「旅人たち」

旅人たち

   ストーリー 直川隆久
     出演 遠藤守哉

参った。
給油スタンドを出て300㎞のところでエンジンが止まってしまった。
昼までには次の町に着きたかったが。
イグニションキーを何度回しても、
ぎよぎよぎよといううめき声があがるばかりだ。

クルマを降りる。
先を見やれば、道は、地平線へとひたすらまっすぐに伸びている。
今来た方向を見ても、道は、地平線へとまっすぐに伸びている。
両側には、赤茶色の土の平原。
ところどころ黄色い枯草が風に揺れている以外には、生き物の気配はない。
太陽は分厚い灰色の雲のむこう側に隠れたまま。
前を見ても、後ろを見ても、まったく同じ光景。
傍らに停まったクルマがもしなかったら、
自分がどっちから来たのかさえわからなくなりそうだ。

地平線に目をこらす。
動くものはない。
あきらめて、クルマの中に戻る。
シートに身を沈め、前方、空と地表の接線にひたすら視線をあわせる。
どんなクルマが来ても、いち早く飛び出て、救援を求めなければいけない。
見る。
見る。

30分もそうしていたろうか。
遥か彼方、路上に、何か黒い点が現れた。
傍を走り去ってからでは遅い。おれは、クルマを飛び出る。

だが…
その黒い点は、なかなか大きさを増さない。
クルマじゃないのか?
動物だろうか。
ひょっとして、熊とかだったりしたら、危ない。
20分ほどじっと見ていると、形がある程度判別できるようになった。

あれは…リヤカーだ。
屋台のリヤカーだ。

屋台が、地平線の彼方から、こちらに向かってきている。
ラーメン屋?
この平原に?
ゆっくりゆっくりと、近づいてくる。
ぎっちらこ、ぎっちらこ、という車軸のきしみが、
かすかに風に乗って聞こえてくる。
その音は、一定のリズムを刻み、速くも遅くもならない。
目を凝らすと、腰をほぼ二つ折りにしながら、
屋台を引っ張っている人間が見えた。
ぎっちらこ、ぎっちらこ。
ハンドルに寄り掛かるようにしながら進んでくる。
着ているのは割烹着らしい。
婆さんのようだ。

さらに待つこと、1時間。
ぎっちらこ、ぎっちらこ、と屋台が傍らまでやってきた。
だが、近づいても、屋台は止まる様子はない。
行き過ぎかけるリアカーに慌てて声をかける。
「あの。あのう」
ぎちら、と音をたてて屋台が止まった。
「へえ」婆さんは、腰を二つ折にしたまま応える。

「おばあさん、これはなんの屋台ですか」
「くみ上げ湯葉どす」
「湯葉」
「へえ、お嫌いどすか」
「…いや…。嫌い、じゃないけれどもね。嫌いじゃないけれども」
この荒野の真ん中で、エンストのクルマを抱えて
露頭に迷っているときに出会ってうれしいものではない。

見ると、屋台には、四角いステンレスの鍋が据え付けられてあり、
そこには白い液体がなみなみと湛えられ、白い湯気を上げている。
豆乳だろう。
「お召し上がりになられおすか」
と婆さんが訊く。
腹はたしかにすいているが、しかし、いま食べたいものは湯葉ではない。
口ごもっていると、婆さんがやおら腰を伸ばす。
白粉を塗りたくった顔が俺の胸元の高さまで持ちあがった。
婆さんは俺の返答を待つつもりもない様子で、長い竹箸を手にとると、
釜の中の豆乳の表面をなぜる。
と、その端に、白く薄い膜がまとまわりついた。
婆さんは、それを小皿に乗せ、あさつきネギを散らし、
ポン酢らしきものを振りかけて、こちらによこした。
食べる。
湯気のたった湯葉はたしかに、できたてで、うまい。
大豆の風味が生きている。ポン酢も、昆布だしがきいて上品だ。
…しかし、やはり、これは今俺に必要なものではない。

「お婆さん、いま、エンストで困ってるんです。
こちらを通りがかりそうなクルマは、ありませんでしたかね」
「へえ、うち、ようわからしまへん」
「わからないかね」
「860円頂戴します」
婆さんが、また、深々と体を二つに折って頭を下げる。
これ以上訊いても無駄なようだ。
860円。一皿の湯葉にしては、高い。
だが、地平線の彼方から屋台を引いてやってきた、
その労賃を鑑みれば安いような気もする。
「よく売れるものですか。路上でも」
と、金を渡しながら愛想がわりに尋ねると、婆さんは受け取りながら
「売れるわけおへんがな。湯葉どっせ」と吐き捨てるように言った。
婆さんは、リヤカーのハンドルに手をかけると、
またぎっちらこ、ぎっちらこ、と屋台を引き始めた。

ゆっくり、ゆっくりと、その後ろ姿は来たときと同じ時間をかけて小さくなり、
やがて、地平線の上の黒い点となり、ついには、見えなくなった。

その姿を見送った俺の頭に、ユーバー・イーツ、という言葉が浮かぶ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2021年2月7日「寒気」

寒気(さむけ)

   ストーリー 直川隆久
     出演 遠藤守哉

月灯りの下、森の中を4時間ばかりも歩き詰めに歩いた頃だろうか。
行く手に焚火らしい光を見つけた私は、やれ嬉しや、と
危うく大声をあげるところだった。
「西の森に入るのは昼より前に。狼と夜を迎えたくなければ」
――宿屋の主人の忠告をきかずに、市場で古書を漁ったのが災いし、
目指す城下町へ抜ける前に陽が沈んでしまった。

冬間近い夜の空気に、私の体温は容赦なく奪われていた。

私が声をかけると、火の傍に座っていた男は、びくりとし、
かなりの時間黙っていたが、しばらくするとうなずくような様子を見せた。
見ると男は頭から毛布―といっても、
ぼろぎれをつなぎあわせたようなものだったが

―をかぶり、体を小刻みに震わせている。
熱病にでも罹っているのか、と私はひるんだが、
火の温かさの魅力には抗いがたかった。
私は努めて快活に、同じ旅行者を見つけた喜びを伝えたが、
男の表情は毛布のせいで読み取れない。
一言も口をきかず、ときおり手を炎にかざし、擦り合わせているのみだった。

男の手の奇妙な質感に目がとまった。
炎が投げる光の前で男の手が動くと、
青白いその手が一瞬黒く染まったかのような
色になり、かと思うとそれが退いていくのだ。
小刻みに震える動きとあいまって、何やら男の手の肌の上を、
黒い波が這っているようにも見える。
――…は、本当に堪える。
男の声で私は、我に帰った。声にまじった、何かひゅうひゅうと
空気が漏れるような音のせいで男の声が聞き取りにくい。
――失礼。今、なんとおっしゃいましたか。
男は、しばらく息を整えている様子だった。
そして、もう一度がくがくと体を震わせた。
――この辺の寒さは、堪える。

男が言葉の通じる相手だったことへの安心と炎のあたたかさから、
私は急に饒舌になり、夜の道中で望外の焚火を見つけた喜びを語り、
この旅の目的――私が私財を投じて研究している錬金術に関する文献が、
めざす城下町にあるらしいこと――を語ってきかせた。
すると不意に男が、ではお前は、呪いを使うのか。と私に問うた。
私は、いや、そうではないと答えた。呪術と、連金術は別のものである。
錬金術は、物質の持つ性質を理解し操作することであり、
その術は精霊や土俗の神といったものによって媒介されるものではないのだ、
とも。
では、呪いがあることは信じるか、とさらに男は問うた。
私は、信じない、と答えた。

しばらくの沈黙ののち男は話柄を転じ、ぽつりぽつりと身の上話を語り始めた。
農村で食い詰め、昨年の冬、宿場街に仕事を求めて出てきたが、
ろくな金にはならず、
寝床も満足に確保できなかったという。

一枚の毛布さえ買う金がなく、
なるべく風の通らない場所を夜毎探して体を丸めていた、
と男は一言一言、ゆっくりと、苦いものを吐き出すように話した。
私は、ポケットの中に隠し持っていた革袋の葡萄酒を男に勧めた。
だが、男はかぶりを振って断った。

ある晩男は、寒さがどうにも耐えられなくなり、毛布がほしさに、
宿屋の裏庭の納屋を借りて住む貧しい洗濯女の家に忍び込んだのだと語った。
寝床を漁っていたときに、女が帰ってきた。女が騒ぎ出したので、
口を封じるために首に手をかけた。というところまで語ると、
男は、いったん言葉を切った。断末魔で男をにらむ女の口が、
異教の神の名前を唱えた、と。

そして、歯をむいたその顔が、まるで犬のようだったと、
何やら可笑しそうな口調で言った。

男は、話しすぎたせいか疲れ切った様子で、しばらく肩を上下させた。
ひゅうひゅうという音が一段と高くなった。
毛布の奥から、男が私の表情をうかがっているのが見えた。
無言の私に、再び男が問うた。呪いというものを信じるか、と。
男は、不意に、頭の毛布をまくった。あらわになったその顔の肌は、
錐の先で穿ったほどのうつろでびっしりと覆われていた。
その数は、何千、いや何万だろうか。
光の向きの加減ではその穴がすべて漆黒の点となり、
男の肌を覆うのだった。
そして、肉を穿った穴の奥まで光が届けば、
その底に白い骨と血管が寒々と見えた。
私は、首筋が粟立つのを感じた。
女が唱えたのは、神の名ではなかったのだろう。
それはおそらく――

おお、寒い。畜生。体の芯まで冷え切る――
そう言って男は再び毛布の中へ全身をひっこめ、力のない笑い声をあげたが、
その声は、空気の漏れるしゅうという音に飲み込まれた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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福里真一 2021年1月17日「2021年がはじまっても」

2021年がはじまっても 

   ストーリー 福里真一
       出演 遠藤守哉

7月24日は、
気が遠くなるほどの長い年月を、
ごく普通の日として生きてきた。

祝日でもなければ、
大きな歴史的事件が起きた日でもない。

ゴロがいいわけでも、
切りがいいわけでもない。

ただひたすら平凡な、7月24日。

7月24日本人は、
その日が谷崎潤一郎の誕生日であることを、
ひそかな誇りにしていたが、
いかんせん地味すぎる…。

そんな7月24日の運命が、
ある日、とつぜん、変わった。

東京で行われる、
4年に1度の世界的なスポーツ大会の、
開会式の日に選ばれたのだ。

どうしてこんな、なんの変哲もない日が選ばれたのか。

それに東京の夏は、
スポーツをするには、暑すぎるというのに。

しかし、
7月24日は、あれよあれよという間に、
特別な日になった。
ニュース番組やスポーツ番組で、
繰り返しその名が呼ばれた。
特別措置法により、
急きょ、国民の祝日になることも、決定した。

7月24日は、
その間も、ずっと冷静さを装っていたが、
内心は違った。
ふわふわと、常に3センチぐらい宙に浮いているような気持ち。
と同時に、こんなことが起きるはずがない、
きっと最後にはどんでん返しのようなことが待っているに違いない、
という予感も持っていた。
彼にはあまりにも長い間の、「普通の日根性」が、染みついていた。

そして、それは起こった。

スポーツ大会が、1年後に延期されることになったのだ。

延期された開会式は、
2021年の、
………7月23日に、決定した。

7月24日は、
気がつくと、また普通の日に、もどっていた。
あまりにもあっさりと。
彼には、なんだかもてあそばれたような気分が、
残った。

2021年がはじまっても、
いまひとつやる気がでないらしい7月24日に、
いま、1月4日が、
どんななぐさめの言葉をかけようか、迷っている。

君はもう、決して普通の日なんかじゃない。
本当は開会式が行われるはずだった日
なんて、なんだかドラマチックだよ。
一生話せるネタができたじゃないか。

あるいは、

僕も1月4日という、
1年の最初の普通の日として、
長年生きてきたけど、
普通の日こそ味わい深いものだと思うよ。
おせちは、ずっと食べているとあきるけど、
普通の日にはあきがこないからね。

7月24日には、
どちらのなぐさめの言葉が効果的なのか。
1月4日は、まだ迷いつづけている。(おわり)



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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岩崎亜矢 2020年12月20日「ある男の転職について」

「ある男の転職について」 

    ストーリー 岩崎亜矢
       出演 遠藤守哉

 この仕事を辞めよう。彼は思った。
 男の仕事は、配達業だ。
しかし、“配達業”と一言で片付けられるほど、
それは簡単な業務ではない。
なんせ、世界中の子どものいる家に出向き、
一軒一軒、届け物をしなければならないのだ。
それも、たった一晩で。
そもそもが無茶な話なのだが、
彼の太っちょのボスは「不可能なんてない」が口癖。
まあ結局、毎年1軒も漏らさずに、
きっちりと配達しているわけなのだが。
 もちろん、子どもたちの喜ぶ顔は嬉しいし、やり甲斐は大きい。
配達が終わってからのひと月は、特別休暇だってもらえる。
しかしそれを省けば、1年のほとんどは、
1晩で配達するための足腰を鍛えるトレーニングに始まり、
おもちゃの手配、新しい子どもの名簿作成、
あるいは、子どもから大人になった人の卒業リストを整理など、
やることは多岐に渡る。
また、品行方正でいなければならない、というルールもある。
子どもたちの夢を壊さぬよう、酒・タバコ・賭け事の類は一切禁止。
万が一、事故を起こす危険性もあるからと車の運転も禁止。
そのほか、SNSでの発言にもチェックも入れられるし、
付き合う仲間にも口出しをされる。
また、配達では戦場を回ることもあるので、
一通りの戦闘訓練も受けなければならない。とにかく、ヘビーなのだ。

 この仕事は、子供の頃からの夢だった。
面接でボスと初めて顔を合わせた瞬間、
憧れの人に出会えた喜びと緊張から倒れそうになったことを、
男は、昨日のことのように覚えている。
なにもかもが新鮮で、ワクワクして、ドキドキして、
毎日はあっという間に過ぎていった。
気づけば、男はすっかりベテランになった。
若くてイキのいい新人は、毎年入ってくる。
いつまでこの仕事を続けるのか。いや、続けられるのか、
そんな思いが頭をもたげた。
家族との時間を優先して、新しい仕事を始めるべきかもしれない。
今年の夏が過ぎた辺りから、その思いは一層強くなっていった。 
 ボスに、なんて告げようか。きっと落胆するだろう。
感情的になるだろうか。
あんな穏やかな彼を怒らせたり悲しませたりするのは、
想像するだけで気が滅入る。
けれど、こんな思いを抱いたまま、この仕事を続けるわけにはいかない。
それは、ボスにも仲間にも子どもたちにも失礼なことだから。
 男は、今年のクリスマスを最後に引退することを決意をした。

 クリスマスプレゼントの配達は、キリバスから始まる。
ここは、太平洋に浮かぶ島々から構成された国で、
世界でいちばん早く朝を迎える国であり、
また、クリスマス島のある国としても知られる。
ここから世界中をぐるっと回りながら、
的確に、そしてスピーディーに配達を進め、最後はアメリカ領サモアへ。
そして、旅は終わる。
とはいえ、配達が終わってもすぐには家に戻らず、
1年の苦労を分かち合うために皆で祝いの酒を酌み交わすのだ。
年に一度、この仕事に関わる関係者すべてが、唯一酒を飲める日。
彼は、この日にボスに打ち明けようと決めた。
酒が入り、ややほぐれた状態であれば、きっとうまく伝えられるはずだ。

「ボス、話があるんです。」
打ち上げがひと段落した頃を見計らいボスに声をかけると、
ボスはたっぷりとした髭を触りながら、「今年もお疲れ様」と
男のグラスに酒を注いだ。
「あんなことが起きて今年はどうなってしまうのかと思ったが、
どの子どもたちも元気そうで何よりだったな。」
「そうですね。世界で同時に起きた危機でしたからね。大変な年でした。」
「こういう時こそ、我々の仕事の真価が発揮されるんだ。
僕らが届けるのはおもちゃだけれども、
本当に届けているのは笑顔や心からの安心なのだから。」
「だからこそ、戦場へも回るんですよね。」
「当たり前だ。戦争が日常という子どもにこそ、
僕らのプレゼントを届けなくちゃいけないんだ。
そもそも戦争というのは大人たちのエゴで……」
 ボスの話に、どんどんと力が込められる。
自分の話題にどう持って行こうかと男が思いあぐねていると、
そろそろスピーチの時間です、と仲間がボスを呼び出し、
そのままパーティーは最高潮の盛り上がりを見せ、
そして、お開きとなった。

 男は、飲みつぶれてしまった仲間たちの身体を慎重に避けながら、
散らかった会場をあとにし、とぼとぼとロッカールームへと向かった。
休暇が明けたら、真っ先にボスを呼び出そう。
そして自分の思いを、率直に話すんだ。
彼のことだ、きっと分かってくれる。まあ、時間はかかるかもしれないけれど。

 くたびれたロッカーの前に立ち、いつものようにダイヤルを回し、
扉を開けた瞬間、思わず声が出た。
「なんだ?」そこには、見慣れない簡素な箱。
おそるおそる取り出すと、さほど重くはない。
このご時世、正体不明の届け物には用心するに越したことはないが、
ここは職場のロッカー。
このクリスマスオフィスのセキュリティは、かなり強固だ。
大丈夫、酔った誰かのほんのいたずらだろう。
思い切って、その箱を開けてみたところ、
そこには手紙が入っていた。差出人はなし。
男は、ビリビリと封を破いた。

やあ。52年と156日間、これまで本当にありがとう。
君のおかげで、真っ暗な夜道も、深い霧も、吹雪でさえも、安心して先を急ぐことができた。
その真っ赤に光る鼻とタフな足腰のおかげで、たくさんの子どもたちを笑顔にできたんだ。
長いこと縛りつけてしまい、本当にすまなかった。
楽しい時間をありがとう。君の新しい門出を祝して。僕の最高の相棒、ルドルフへ。

 それは、ボスからの手紙だった。なぜ何も言ってないのに、
僕が辞めようと考えていたと分かったんだ?
……いや、あのボスのこと。それくらいわけないだろう。
それは、この僕が一番わかってることじゃないか。
世界のヒーローであり、不思議な魔法使いであり、人生の憧れの人。
サンタクロースに、不可能なんてひとつもないのだから。
 ボス・サンタクロースとのこれまでの日々を振り返り、
流れ落ちる涙を拭こうとしたそのとき、もう一通の存在に気づいた。
先ほどよりもやや丁寧に、男は封を破った。

 君のことだから、まだこれからの進路は未定なんじゃないだろうか。
余計なお世話だとは思ったが、僕が手伝えることはないかと、いちおう目星はつけておいた。
もちろん、引き受けるも断るも、自由だ。東京のことは、覚えてるかい?
あの場所に、東京タワーという建物があってね。
そこで街を照らす手伝いをしてほしい、という話が出ているんだ。
世界的な運動の祭典が中止になるかどうかの瀬戸際だったり、
まあ、最近元気がなくなってきているようでね。
君の力がきっと役に立つだろう。
もちろん、ソリを引くよりは体力は必要ないと思うよ(笑)。めいっぱい、照らしてきておくれ。
サンタクロースより

 「あの、赤鼻のトナカイがやってくるらしい」という噂で、
いま、東京の街は騒がしくなっているという。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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三島邦彦 2020年11月15日「嫉妬」

「嫉妬」 三島邦彦

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

9回の裏、同点で迎えたツーアウト満塁。
サヨナラ勝ちのチャンスで監督の烏賊山(いかやま)は悩んでいた。

打順はピッチャーの鯵沢(あじさわ)。
代打を出さなくてはいけない場面。
ベンチに残された選手は2人。
一人はルーキーの鰻田(うなぎだ)、もう一人は7年目の蟹丘(かにおか)。

烏賊山はこの二人のことが嫌いだった。

ルーキーの鰻田は、高校時代に東京の有名校のキャプテンとして
甲子園でベスト4に駆け上がり
甘いマスクと爽やかなインタビューで全国的な人気者になった。
大学に進学し、満を持してプロにやってきたのだが、
本来ならまだまだ二軍で鍛えたほうがいいレベルだった。
しかし、グッズが売れるという理由で球団からの指示があり
一軍のベンチに入っている。
鰻田には、大学時代からグラビアアイドルと付き合っているという噂があった。

7年目の蟹丘は、本来ならレギュラー格の選手なのだが、
開幕からの不調が続き、ここ数試合はスタメンを外れていた。
そしてちょうどこの日の昼、
週刊誌に人気アナウンサーとの熱愛スクープが出た。
相手はスポーツ番組の担当で、球場に取材に来るたびに
烏賊山が可愛いなあと思っていたアナウンサーだった。
週刊誌の「不調の蟹丘、プライベートは絶好調!」
という見出しを見たときには心拍数が急上昇した。
偶然だが、その週刊誌の表紙は鰻田と付き合っているという噂の
グラビアアイドルだった。

鰻田と蟹丘。グラビアアイドルとアナウンサーと付き合う二人。
烏賊山はそういう奴らが嫌いだった。
四国の名門私立高校に入ったものの一度も甲子園には行けず、
社会人野球で頭角を現してドラフト6位でプロ入り。
チームの勝利を第一に考える献身的なプレースタイルで
16年間のプロ生活を地味に終え、コーチ生活を続けてきた烏賊山。
報われない選手たちの気持ちがわかるということで選手たちの信頼は厚く、
監督にまでなることができた。
妻は中学の時の野球部のマネージャーだ。

鰻田のバッティングはまだ大学生レベルに過ぎない。
しかしここで万が一にも打てば開花のきっかけになるかもしれない。
ただ、グラビアアイドルと付き合っている。
蟹丘は不調とはいえ実力はある。
ここで打つ可能性は鰻田よりもあるかもしれない。
だけど、人気アナウンサーと付き合っている。

どちらも嫌いだ。心から嫌いだ。
しかし、ここはどちらかを使わなければいけない。
鰻田か、蟹丘か。
グラビアアイドルか、アナウンサーか。
烏賊山は迷っていた。

鰻田と目が合った。あどけない顔をしているな。烏賊山はそう思った。

「鰻田、行って来い。」烏賊山は言った。

蟹丘の「えっ」という声が聞こえた気がした。
烏賊山は蟹丘に目を向けることなく、グラウンドを見ていた。

鰻田が打席に入る。震えているようにも見える。
プレイボール。ピッチャーが振りかぶり、初球を投げる。
147キロのストレートが、鰻田の尻を直撃した。
悶絶する鰻田。
サヨナラ勝ちの歓声が球場を包む。
選手たちはベンチから飛び出し、
ガッツポーズをしながらホームに還ってくるサードランナーを迎えた。
その光景を前に、ベンチの中で烏賊山は笑っていた。
心の底から笑っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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