直川隆久 2020年10月18日「10月のたのしみ」

10月のたのしみ

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

え?
あ、インタビュー?
はいはい、いいですよ。

ああ、いい陽気だね。
え、これからどこへ?
近所の小学校にね、見物に行くんですよ。
運動会だよ。
10月といえば運動会でしょ。

いや、そうなのよ。
今年はさ、たいがいの小学校、コロナで中止なんだよね。運動会。
たるんどるね、まったく。
でもね、この先の「すめらぎの園 小學校」はね、敢行しとるんですよ。運動会を。
コロナをものともせずね。感心にも。

え?
いや、保護者じゃないよ。
純粋に鑑賞に行くわけ。

運動会でわたしが楽しみなのはね、ま、組体操とか騎馬戦もあれなんだけど、
一番好きなのは、行進だね。
え?なにが楽しい?
わからんかねえ。
こどもたちってのはさ、元来、自由奔放に、放埓に生きたいもんじゃないの。
その子どもたちがだね、ぴしっとこう、集団行動を美しくするように調教…
調教っつたら、あれか(笑)、
教育、そうそう、教育されてる、その有様を見られるのが、行進なわけよ。

おいっちにぃ、おいっちにぃ、みぎ、ひだり、みぎ、ひだり…
ぜんたーい、とまれっ!
きをつけー!
まえへーならえっ!
(満足げな笑い)
いやー、その様子を見てるとね、ああ、美しいなあ。としみじみ思うんだなあ。

小学校学習指導要領を読むとね、この「集団としての行動」が非常に重要な、
教育のですな、項目として考えられている、ってことがわかるわけ。
こどもの成長にしたがって、少しずつ与えられる課題が高度化していく。
その計画がねえ、非常に緻密に組み立てられててね、
ほとほと感心するんだな。

あぁた、知ってる?
文部科学省が発する学習指導要領のだね、
「各学年の目標および内容」ってのを見てごらんよ。
ググればいいでしょ。
うん、で、そこにさ、小学生の体育の内容として、
こういうことをおやりなさい、ってことが書いてあるじゃない。

第1学年と第2学年のとこを見るとだ。ま、いろいろあるんだけど、
その中のひとつに「縦隊」…縦にならんだ隊列、ね?「縦隊の集合、
整とんなどの集団としての行動ができるようにする。」ってのがある。
そう、たてにまっすぐ並んでね。前へならえ!ってできるようにしましょうと。
これが、こどもが学ぶべきことだ!と、はっきり書いてある。
小学校1年からだよ?
すばらしいなあ。
縦隊ってのはあれだよ、軍事用語だからね?
大日本帝国陸軍の伝統がね、学習指導要領にはこんにち、なお、
脈々と息づいている!
うちてしやまむ!
月月火水木金金!
伝統の裾野は、小学校1年の幼子にまで及んでいるわけよ。

で、第3学年、第4学年のとこを見るとどうか、というとだ。
「縦隊の集合、整とん、行進などの集団としての行動ができるようにする。」
とあるわけ。

え、さっきと同じ?なに言ってんの、もう。
「行進」てのが加わってるでしょう!「行進」が!
ここで、いよいよ、行進がでてくるわけ。いや、はっきり言いましょう。
行軍ですよ、行軍。
小学校3年生から、行軍のシミュレーションをしているんだよ、
わが国の少年少女は!
これがけなげと言わずして、なんだという話だよね。

で、第5学年と第6学年の学習内容として、「縦隊及び横隊の集合、整とん、
列の増減などの集団としての行動ができるようにする。」って書いてある。
ね、縦隊に加えて横隊!さらに列の増減!
こうやってさ、丁寧な段階を踏むことによってだね、日本の子どもたちは、
規律と統制を身につけていくわけだな。
横溢する生命の躍動はさ、枷をはめられてこそ、美しく輝くんだ。
たまらんねえ。

え、なに?
歳?わたしの?
今年、70だね。
ああ、だから先の大戦のときはまだ生まれていませんよ。

あ?なに?
「実際の戦争を知らない」?
そりゃ知りませんよ。生まれてないんだから。
生まれる前のこと知ってたら、オカルトだろ。

いや、わたしは勉強してますから。
本、すごい読んでますから。

あれ?

ひょっとして、あれか?
おたくら、「戦争の現実を知らない世代が、戦争賛美」みたいな、
そういう浅い批判をしようと思ってる?
そういう系のメディアの人たち?

なんだよ。
なに。

なにが悪い!
軍服着てカメラぶらさげて、何が悪いんだ!
自由だろう!それが自由じゃないのか!
ステロタイプで人を判断するな!
表現の自由を侵害するんじゃないよ!

もういい、もういい。
反論してくんな。反論してくんな。
あーあ、しゃべって損した。
忙しいんだ、わたしは。
早く行って、ローアングルで女子たちを狙えるポジションを
確保しなくちゃならんのだから。

はい、失敬しますよ。失敬、失敬!



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2020年9月20日「蛙と月」

蛙と月

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

真夜中、深い穴の底の水面に白い光が忽然と現れ、
蛙はまぶしげに眼をほそめる。
取り囲む岩壁に前足をつき、一年前にしたのと同じように見上げる。
はるか頭上、もうひとつの光があった。
北回帰線上にあるこの地では、年に一度、満月が天頂で南中する。
その夜にだけは、垂直上方からの光が穴の底部にまで届くのだ。

記憶の限り、蛙は生まれてよりずっと、
この細長い穴の底、溜水のほとりに棲んでいる。
よどんだ水に潜れば虫の卵やら藻やら、食うものには事欠かない。

以前には、一匹の仲間がいた。
一年前、頭上にあの光があらわれた夜、仲間は、
ああ、ああ、と嘆息を重ねた末に、もう耐えきれぬ、と声を漏らした。
――見たか、あの光を。
――ああ。
――ああ?あれを見てなにも感じないのか。ここまで来いと誘うあの光を見て。
ここにあるのと同じだろう、なにが違う、と蛙は水面の光をさしていう。
仲間の蛙はかぶりを振り、おまえはわかっていない、と言った。
――これは、幻にすぎない。
――幻?
――おれは外にでる。導きの光に従って。
蛙には、相手の言葉の意味は皆目わからなかった。
ただ、そうか、とだけ言い、岩をよじのぼる仲間を見送った。
夜を徹して遂行された慎重な登攀のすえ、仲間は穴の淵にたどりついた。
いよいよ外へでようというとき、舞い降りた一羽の黒い鳥が、
仲間をかぎ爪で捕らえた。
鉤爪に握りつぶされた仲間の腸の内容物が降り落ち、
水面の丸い光が小刻みに揺れ、じきに元に戻った。
蛙は、1年前のその夜のことを思い出しながら、目の前の水をぺろりと舐めた。

日が過ぎた。
穴の底の空気の温度も、徐々に高まっていく。
蛙はある日水に潜り、おや、と思った。足がやけに頻繁に底の砂に触れる。
水が浅くなっているのだ。
そういえば、以前なら毎夕のように頭上から降り注いだ雨がここしばらくなく、
岩壁に生える苔も、徐々に生気を失っている。
今までなかったことだ。
空気が乾き、蛙は、ひりつく表皮を冷まそうと頻繁に水の中で過ごすようになったが、かつては縦横に泳ぎ回れるほどに豊かだった水が、
今は、蛙の鼻先あたりをようやく隠すほどの深さしかない。
じりじりと皮膚が乾いていく感触に意識をむけず、
ひたすら眼を瞑(つむ)り、時が過ぎゆくのを待った。

どれだけの日夜が繰り返されたろうか。
体が届く範囲の苔も虫の卵もとうに食いつくしていた。
食い物を求めるなら、動かねばならない。だが、動けば、消耗する。
動けぬまま、さらに、幾十という昼と夜が過ぎた。
雨への期待が裏切られた数を数えることにも、もはや蛙は倦み疲れてしまった。

ある夜、森の鳥たちの声を遠くに聞きながら、
蛙は、年に一度だけ現れるあの丸い光を思い出していた。
この穴の底には存在しえない完璧な輪郭をもった光。
どんな鳥も、虫も、あの光の向こう側を飛んだのを見たことがないほどの、
遠く、遠く、からの光。けして触れることのできない、
手をかざしても温度を感じない、冷たい光。

記憶の中のその光を、蛙は初めて「美しい」と思った。
それはただ遠いだけでなく、「美しい」ものだった。
その感慨は、蛙をある洞察に導いた。
鳥に食われた「仲間」にとって、あの光をめざすことは、
重力に逆らう方向へと身を動かすこと以上の意味があったのだ。
外にしかないものが、ある。
外にでれば、あの美しい光はひょっとすると、年に1度だけでなく、
もっと頻繁に下界を照らしているのかもしれない。
いや、ひょっとすると、あの光以上に美しいものが、
外にはあるのかもしれなかった。そのことに、蛙は初めて思い至った。

不意に、蛙は、今まで感じたことのない恐怖を覚えた。
自分はこの穴の底以外の場所を知らぬままに死ぬ。
この世界の何も。知らない。ままに。
その事実が、圧倒的な重みをもって蛙の意識にのしかかってきた。

蛙は、岩壁にとりつこうとした。
しかしもはや前足は萎え切っており、自分の体をもちあげることは叶わない。
蛙は、観念した。
そして、乾いた砂の上に、身を横たえた。

また幾日か過ぎた。
蛙の表皮はすっかり水分を失い、
身動きすればぱりぱりと音をたてて剥落しそうであった。
混濁した意識の中で、蛙は、音を聞いた。
ぶぶ、ぶぶ。という断続的な空気の振動が蛙の顔をなぜる。
蠅だ。蠅が、蛙の頭上をさきほどから旋回している。
蛙が死んだら、その肉に卵をうみつけてやろうと、
機会をうかがっているのだろう。

思えば、つまらぬ一生であった。
穴の底で、食い、排泄しただけの一生。
そこに思いが至らぬうちに死んでいれば、むしろよかったのかもしれない。
蛙は、自分を余計な洞察へと導いたあの光を、呪った。

だが、と蛙は思った。
たとえば、自分の肉を、他の命に与えれば。
今、頭上を物欲しげな顔で旋回する蠅に、自らを提供すれば、
蛙の命は、別の形で受け継がれていくともいえる。
蠅の命と同化して、蛙は、この穴の外へと飛び出、
世界を見ることができるのかもしれない。

それも、よい。

そう思い、蛙は、瞑目した。
ぐったりと体の力が抜けた。
その様子を隔たった空間から見ていた蠅が、蛙の体にむけて降下する。

と、そのとき、蛙の身がばねのように跳ね上がり、蠅をぱくりと口で捕らえた。
ぐび、と喉の筋肉が動き、蠅は、断末魔の羽音をたてる暇もなく
胃袋の中へひきずりこまれる。
蛙の内臓はそれ自体が一個の生き物のように、消化液を噴き出しながら
蠅の体をしめあげ、粉砕する。
溶かされた蠅が、蛙の肉体にゆっくりとしみこんでいく。

ああ、勝手に体が生きたがっている。
蛙はうずくまり、荒い息をしながら、自嘲の笑いを漏らす。
かすかな命が、蛙の中でともる。
だが、いつまでその火がもつものか、蛙には見当がつかなかった。
ただ、このまま時をすごせば、いずれ消える火であることは確かであった。
蛙は、頭上を見た。
頭上にあいた穴が、青い空を切り取っていた。

蛙は、意を決して、弱々しく前足を持ち上げる。
ひからびた水かきが、乾いた岩壁を掴もうと震え、さまよう。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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中村直史 2020年8月9日「鼻ドア人」

「鼻ドア人」

   ストーリー 中村直史
      出演 遠藤守哉

アフリカ南西部の小さな共和国で、
まだ幼い男児が、母親に連れられて病院を訪れていた。
今日はどうしましたか?と尋ねる医師に、母はこう言った。

「今から私がくしゃみをしますので、息子の鼻を見ていてください。」

そしてくしゃみを一つした。
子どもの鼻を覗き込んでいた医師は、目を疑った。
母親がくしゃみをした瞬間、いや、正確には、
くしゃみをするほんの直前に、その子の鼻の穴が閉じたのだ。

「・・・もう一度、いいですか?」と医師が言った。

くしゃみをする母。すると子どもの鼻の両方の穴が瞬時に閉じる。
一瞬のことでわかりづらいのだが、よく見ていると、
鼻の穴の入り口の皮膚が瞬時に伸びて、自動ドアのように、
鼻の入り口に蓋をしていた。

「鼻の穴に・・・ドアがある」医師はつぶやいた。

時を遡ること数年前。
世界は、重篤な肺炎を引き起こすウィルスの蔓延に悩まされていた。
そんな時に、奇抜な発明をすることで有名な日本のDrシゲマツ氏が発表したのが
「スーパー鼻ふさぎゴム」だった。

空気は通すが、ウィルスなどの微小の粒子は通さない特殊加工をほどこした
シリコンゴムを鼻の中に押し込み、
ウィルスの侵入をシャットアウトするという画期的なものだった。

けれど「スーパー鼻ふさぎゴム」が広まることはなかった。
なにせ息苦しいのだ。
空気を通すとはいうものの、息をするには強い力が必要で、
Drシゲマツ氏は「慣れます」の一点張りだったが、
なかなか慣れることは難しかった。

ウイルスに感染しないようにと、
満員電車の中で「スーパー鼻ふさぎゴム」を装着していた人が
がんばって息をしていたら、ゴムが勢いよく鼻から飛び出し、
その様子があまりに可笑しくて、本人もまわりの人も腹をかかえて笑ってしまい、
密集の中で爆笑が連鎖したため、
クラスター感染が発生するという事態まで起こった。

こうして「スーパー鼻ふさぎゴム」は、世の中に定着することなく
存在を忘れられていったかに見えた。

しかし、海外のとある国で、この日本の奇妙な発明品に
一生忘れない衝撃を受けた人物がいた。
再生医療の専門家であったその博士は、皮膚や臓器など
あらゆる人間の器官に変化するIPS細胞の研究を続けていたが、
彼のひそかなテーマは、IPS細胞を、
「人間がそもそも持っていない新しい器官」へ変化させ、
人類を進化させることだった。
そしてもし、その新たな器官が、
人類をこの蔓延するウイルスから守るものだとしたら?
それこそが、新たな人類の進化した姿になるはず。
考え続けていたことのヒントが、日本の変な発明品にあったのだ。

博士は叫んだ。「人類は、鼻を閉じなければならない」

博士は、細胞が、人間の鼻の穴をふさぐものへと変化するための「司令」を
細胞の中に書き込んだ。危険な瞬間を察知し、穴をふさぐメカニズムは、
獲物を捕らえる際、一瞬にして目が硬い膜で保護される
サメの目の司令系統を参考にした。

そうして完成した細胞を欲しがる国は、もちろん、たくさんあった。
ウイルス感染の増加を止められずにいた国々の政府だ。

経済をとめることなく、密かにウイルスの蔓延を止めたい国々の思惑。
そして、人類という種を進化させたいと願った科学者の思惑。
重なって生まれたのが、鼻に自動でしまるドアを持つ「鼻ドア人」だった。

突然変異と自然淘汰で起こる進化ではない、
人類の手による人類の進化が始まった瞬間だった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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古居利康 2020年8月2日「ちょうつがいの恋」

ちょうつがいの恋   

   ストーリー 古居 利康
      出演 遠藤守哉

もうずいぶん長いこと
ちょうつがいをやっております。
ドアの横の角にはりついて
もっぱら開け閉めをやります。
閉まっているときは見えなくなる、
そんなはかない身の上ですけれども、
わたくしがいなければドアは開かないし、
閉まらない。ささやかな矜持だけは
もちあわせております。

円滑に開くのも、
確実に閉まるのも、あたりまえ。
あたりまえをあたりまえにする、
静かななりわいですが、
時々、こころにさざ波が立つことも
ないわけではありません。

わたくしの位置から
斜め右を見下ろしたところに、
赤い郵便受けがありました。
そのフタに住んでいる金色のちょうつがい。
まばゆい光を放っていました。
わたくしども重いドアのちょうつがいの、
武骨なつくりとちがって、
なんとも華奢なからだつき。
ついつい見とれて、開け閉めをおろそかに
することもありました。
恋をしたちょうつがいは、ネジがゆるむのです。

ところが、赤い郵便受けのちょうつがいは
地面近くにおかれた黄色い牛乳受けの
鉄のちょうつがいに恋をしていたのです。
黙々と働く、無口な青年でした。
飾りのついた金色と、質素な黒い鉄。
正反対なのにお似合いのふたりは
やがて子をなします。
母親似の、金色の女の子でした。

それからどれくらい経ったでしょう。
わたくしがネジを固く締めなおし、
数えきれないくらいたくさん
ドアの開け閉めを繰り返すうちに、
黄色い牛乳箱の黒いちょうつがいが
失踪しました。
門の扉の真鍮のちょうつがいと
駆け落ちしたのでした。

「牛乳箱には荷が重すぎたのか。
赤い郵便受けの金色の女なんて」
「こんどは似た者同士かもしれないね」
「ふたりは文字どおり番いになって、
いっしょに飛んでいってしまった」
「この世のすべてのちょうつがいは
かつて蝶だったから」
「恋をしたちょうつがいは
蝶にもどれるってほんと?」

あることないこと人は噂しました。
金色のちょうつがいは
みるかげもなく錆びついて、
開けるたびに軋むようになって、
やがてお払い箱になりました。

長いことドアのちょうつがいを
やっておりますと、
いろんなできごとの出入りを
いやでも見ることになります。
こころを開けて閉めて。
あたりまえのことを
あたりまえにつづけることの
うつくしさと残酷さ。

それからしばらくして
赤い郵便受けに
新しいちょうつがいがやってきました。
いつか見たような、
まばゆいばかりの金色。
あらかじめ備わった優美さ。
捨てられたあのちょうつがいの
忘れ形見にちがいありません。

そう気づいたとき、
こころのネジが
すでにゆるみはじめています。
わたくしはときどき
わからなくなるのです。
ここは出口なのか、入り口なのか。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2020年7月19日「顔のある空」

顔のある空

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

四月七日。
春らしい、青空。静かだ。

そして、今日も太陽と反対側の位置に、それはある。
――空の三分の一ほどを覆って浮かぶ、総理大臣の顔。

その二つの目はときどき、右に、左に動き、
地表で生きるすべての人間を見守っている。
口元は、ほんの少し開かれて、何か言葉を…
「あ」と声を発する一瞬前のように見える。

この街は、気密性を保つため、全体がセラミック製のドームでおおわれている。
青空も、総理大臣も、その内側に投影された映像なのだ。

ぼくは、生まれてから、この空しか知らない。
「顔のない空」を想像してみても、なんとなくとらえどころのない、
ただのっぺりとした広がりにしか思えない。

総理大臣の二つの目がぎゅる、と動いた。
北の方の街区を見つめている。
総理大臣の顔がみるみるくずれ、泣き顔になる。

「ああああん」

口から、赤ん坊のような泣き声が響く。
その声は、地を揺らすような響きになって、街を覆いつくす。

「あああああん」

恐怖…秩序が乱れることへの恐怖…が、ドームの内側の空気を満たす。

北街区の方から銃声が聞こえた。
二発…三発。
銃声がやむと、総理大臣は泣くのをやめた。
そして、さっきの「あ」と言いかけた顔に戻る。

誰かがまた脱出をはかろうとしたのだろう。
愚かな。外の空気が入ってきたら、どうするというんだ。
平和な静けさが、街をふたたび覆った。

ドームに投影する翌日の天気は、ネット投票によって決められる。
だが、「雨」にわざわざ投票する人間が多数派になることはない。
ここ二十年続いた青空は、明日も総理大臣の顔とともに、
僕らの頭上にあるだろう。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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中山佐知子 2020年4月26日「チグリスとユーフラテスの三角地帯で」

チグリスとユーフラテスの三日月地帯で

    ストーリー 中山佐知子
       出演 遠藤守哉

チグリスとユーフラテスの肥沃な三日月地帯で
1万年ほど前から栽培されていた大麦が
ウイスキーという金色の液体に変貌を遂げるには
奇跡のような偶然が重なっている。

大麦ははじめこそパンやお粥になって
貴重な食料とされていたが
古代ローマの時代になると小麦にその地位を奪われ、
家畜の餌に転落してしまった。
エジプトではすでに大麦を使ったビールの製造が始まっていたが
ローマ人はワインばかり飲んでいて
大麦はちっとも大事にしてもらえなかった。

ところが、4世紀になるとゲルマン民族の大移動という事件が起きた。
地中海を支配し、文明を築いたローマ人にとって
ゲルマンは北の森や沼地の暗黒地帯に棲む野蛮な民族だったが、
ビール造りの名人でもあった。
ゲルマンの大移動はヨーロッパの地図を塗り替え、
各地にビールをひろめた。
大麦も酒の原料としての地位を得た。

7世紀になるとオーデコロンの蒸留技術が
イスラムからアイルランドに飛び火する。
香りの技術は同時に酒の技術であり、
イタリアあたりでは葡萄を蒸留した酒を飲んでいた。
しかし、アイルランドは寒くて土地が痩せた貧しい国で、
葡萄の栽培ができない。
代わりになりそうなのは
主食のジャガイモとビールの原料になる大麦くらいだ。
大麦とジャガイモ、大麦とジャガイモ…
どっちにしようか迷ったかもしれないが
結局彼らは大麦を選んだ。
麦から生まれた蒸留酒、ウイスキーの始まりである。
当時のウイスキーは、つくるそばから飲む無欲透明のきつい酒だった。

さて、そのウイスキーが
アイルランドのお隣のスコットランドに伝わる。
スコットランドはウイスキーの風土に適していたらしく、
修道院や貴族の館、農家の庭先に無数の小さな蒸留所ができた。
ウイスキーという名前が付いたのもスコットランドだ。

ところが18世紀のはじめ、
スコットランド王国はイングランドに吸収合併されてしまった。
国がなくなった国民は、
さらに愛するウイスキーにかけられた過酷な税金に激怒する。
しかも税金を取り立てに来るのはにっくきイングランド人だ。
彼らは税金を逃れる方法を必死で考えた。

深い森で、山の奥で、誰も知らない谷間で
スコットランド人はウイスキーを密造し、樽に詰めて隠した。
保存期間が長くなると、無色透明だったウイスキーは熟成し、
金色に色づき、果物や樫の木やくるみの香り、
花やクリームの香りを放つようになった。

まったく、何が幸いになるかわからない。
ヨーロッパ全土を震撼させたゲルマンの大移動も、
アイルランドの痩せた土地もスコットランドの過酷な税金も
ウイスキーにはプラスに作用した。

そうして、
世界史を肥やしにして成長し、花開いたウイスキーを
我々は今夜も飲んでいる。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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