大江智之 2022年2月13日「門限と撥ねられた友だち」

『門限と撥ねられた友だち』

   ストーリー 大江智之
      出演 遠藤守哉

夜が明けるのがめっきり遅くなった。
どうやって家に帰ったのかも思い出せない。
いま分かるのは、
とにかく酒をしこたま飲んでトイレから出られないことぐらいだ。
もう二度と無茶な飲み方はしないので、
いますぐ元に戻してほしいと神様にお願いしてみる。
大人とは、他者に決められたルールが無くなって初めてなれるものなのかもしれない。
自制というルールを自分に課して生きていく、それが大人なのだろう。
駅で買った割高なお茶のペットボトルが、トイレの床で不満そうに横たわる。
子どものころのように門限があったなら、
こんなになるまで飲み歩かなかったのにな。
トイレでほとんど意識を失いかけながらそう思った。

日が沈むのがめっきり早くなった。
もうそろそろ冬になる、それを幼少期は門限で感じていた。
夏の頃は19時ごろまで明るく、冬になれば17時で暗くなる。
我が家の門限は年間で一律18時だった。
暗くなったら帰っておいでだと、子どもはいつまでも明るいと言い張る。
実に公平で明快なルールだと子供心にも思えた。
第一公園は、第三公園と並ぶ、このあたり一帯で人気の公園だ。
昔、刃物が見つかり警察が調べにきた第二公園を子どもたちは避けるから、
街の東側に住む子と、西側に住む子で遊ぶ公園はハッキリと分かれている。
東側に住む自分と”王子”は、第一公園でよく遊んでいた。
ふたりとも門限が18時だったから、
その日も17時50分ギリギリに自転車にまたがった。
公園の入り口は急勾配な道路に面している。
自分も王子も家に帰るにはその下り坂をおりて丁字路を右折する必要がある。
あたりは薄暗くなり、ほとんど日は落ちかけていた。
先に坂を下った自分は丁字路を曲がった先に車が来ていることに気がついた。
気がついていたが、後ろからダッシュで降りてくる王子に
それを伝えるところまでは気が回らなかった。
王子は撥ねられた。
ドンッという鈍い音がして振り返ると、
ちょうど丁字路の先の駐車場の上を、王子とその自転車が舞っているところだった。
カシャっと軽い音がして、駐車場に王子が落っこちた。
車は数メートル先で停車し、中から運転手が出てきた。
近くのアパートに住んでいる同級生とその兄も出てきた。
助け起こされた王子はケロッとしていた。
警察が来た。
居合わせた大人が詳しい状況を伝えている。
子どもだった自分には何もできなかった。
そうこうしているうちにあたりはすっかり暗くなり、門限のことを思い出した。
そうだ、帰らなければいけなかった。
でもここに残って事の顛末を見届けたい。
あたりはどんどん暗くなり気持ちは焦ってゆく。
だんだんと冷たくなってゆく空気が何度も肺を往復する。
迷った末に自分は門限で帰ることにした。
後ろ髪を引かれるとはまさにこの感覚なのだろう。
結果彼は無傷だったわけで、
警察や周りの大人が事態を収拾してくれているのだから、
子どもの自分にできることは何も無い。
何も無いけど、そのときはその場にいることが正解だったような気がした。
それでも自分は、門限のルールに逆らうことができなかった。
他者が決めたルールをどこまで守ることが正解なのか。
いま自分がその瞬間に戻ったなら、
門限を無視してでもずっとその場に残ったであろうか。
携帯電話なんて持っていない。
いま思えば、自分はあのとき試されていたのかもしれない。
あそこで残る選択ができたのならば、
自分はその日、大人になっていたのだろうか。
誰かのルールを破り、
自分の責任でルールを上書きすることができていたのだろうか。

気がつくと夜が明けていた。
冬の朝はとても冷え込む。
トイレで半分寝てしまっていたようだ。
重たい頭を無理やり持ち上げ、寝室の方向へ歩き出す。
乾いた音を立てて冷たい廊下がきしんだ。
多少は気分が良くなった気がする。
ベッドの上の遮光カーテンを閉めようとして、ふと外の空気が吸いたくなった。
窓を軽く開ける。
凍てつく明け方の空気が、乾いた頬を突き刺す。
そのまま肺に流れ込み、瞬く間に白くなって口から出てゆく。
薄暗い冬の日は、少年時代の不思議な葛藤を思い出すのだ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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福里真一 2022年1月9日「はじまりはおよそ1億年前」

はじまりはおよそ1億年前 

   ストーリー 福里真一
      出演 遠藤守哉

ニンゲン、という名のウイルスが、
地球上で少しずつ増殖をはじめたのは、
およそ1億年前、と言われている。

その後、
ニンゲンは、次々と変異を繰り返しながら、
その数を増やしてきた。

古代株、中世株、近世株。
日本で言えば、
縄文株、弥生株からはじまって、江戸株まで。

そして、200年から300年ほど前、
ヨーロッパで生まれた、近代株と呼ばれる変異株は、
その感染力の強さ、
毒性の強さで、またたく間に、
地球を席巻した。

重症化する、地球。
しかし、運び込むべき病院もベッドもない。

惑星に注射できるワクチンも、
現在までのところ、開発されてはいない。

いま、
このままでは地球という宿主を殺してしまうことに
気づきはじめたウイルスたちは、
みずからの、「弱毒化」について検討をはじめている。

弱い毒になる、と書いて「弱毒化」。

ウイルスたちは、
この、自分たちの「弱毒化」に、
SDGs というこじゃれた名前をつけたらしい…。

同じように、
いま、宿主であるニンゲンを殺してしまわないために、
みずからの「弱毒化」について考えはじめている、
新型コロナウイルスたち。

最近、ニンゲンの代表が、
新型コロナの代表に、質問状を送った。

結局あなたたちは、ニンゲンの体の中で、
何がやりたかったんですか?と。

すると、
新型コロナの代表から、予想通りの回答が届いた。

お言葉を返すようですが、
結局あなたたちは、地球上で、
何がやりたかったんですか?

…と、ここまで書いてきて、
私はこの原稿が、年のはじめに、
そんなに明るい気分になれるものではないな、ということに気づく。

きっと、新型コロナの代表に言われるだろう。
結局あなたは、東京コピーライターズストリートという場で、
新年早々、何がやりたかったんですか?と。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2012年12月12日「スバる」

スバる

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

ここ数年、全国で断続的におこってきた失踪事件。
そこに共通する点がある。
みな、SNSへの投稿、書置き、離れた両親への留守番電話、
なんらかの形でメッセージを残す。
抽象的であいまいな言葉遣いながら、大体の内容は似通っていた。
明日から自分は「そちら側」から「見えなく」なること、
でもそれは自分の意志であり、
明日以降も自分は「こちら側」で生きていくつもりであり、
心配は無用であること。そして最後に必ずこの言葉があった。
「すばらしき無のために」。
宗教団体か、テロ組織か。反復される「すばらしき無」という
芝居がかった言葉は、失踪者間のつながりを想像させる。
そして、この言葉を残して失踪する行為を
「スバる」と人々は呼ぶようになった。

 ある社会学者は、こう解説した。
スバった人間たちは「忘れられる権利」を「無」になることで
主張しているのだと。
 われわれの生活の一瞬一瞬はすべてモニターされ、データ化される。
ネット上の検索行為やサイト訪問履歴はいうにおよばず、
ベッドに組み込まれたセンサーからは寝返りの回数と位置、
トイレのセンサーからは尿の量や各種成分、
食器に仕込まれたセンサーからは、食べ残した野菜の量…と、
瞬間ごとに大量のデータが吸い上げられる。
それを監視だ搾取だと非難する人もいるが、データはすべてポイントで買い取られ、
その収入で生きていくことができるのだから、
情報を提供する側は情報の「生産者」として、
資本側と対等の地位にいるともいえる。
われわれは幸福な時代に生きているのだ。
 ただ、そういう生き方をうけつけない人間がいる。
彼らは、データの網に捕捉されることを拒もうとする。
だから彼らは、物理的に消えることにした、
というのがその社会学者の見解だった。
言論ではなく実行で――
なぜなら言論は所詮データの1バリエーションだからだ。
質量はもちながら観測ができないダークマターのように、
この日本のどこかに生息しつづけること――
それが、連中が望むことだというのだ。

だが、はたしてこの時代に、
情報網の一部とならずに生きることが可能なものだろうか?
情報をポイントと交換し、そのポイントをカロリーと交換し、
その交換のしかたを、また情報として提供する。
このサイクルを抜け出す方策は「死」以外ない。
そしてそれは――現実だ。
その現実を、連中は否定することができると本気で考えているのだろうか。
無謀だ。それは火星に移住することよりも難しい冒険だろう。
いや、「冒険」などというポジティブな言葉は使うべきではない。
それは「あってはならないこと」だ。情報の網から進んで脱することは、
命綱を自分で断ち切って暗闇の中に飛び込むことだ。
「スバる」という言葉にあらわれた半笑いの態度が示すもの、
それはとりもなおさず、そんな無謀な行為を進んでやる人間がいる、
ということを信じたくない気持ちーー
それをごまかしたいという僕らの無意識ではないか。
現実はひとつであり、それ以外のありかたなどあってはならないのだ。
…と、僕はそこまでで考えるのを止めた。
そろそろお茶の時間だ。お湯をわかしコーヒーを淹れて、
情報を生産しなければいけない。
すばらしきもの、それは存在であり…情報こそが存在なのだから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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三島邦彦 2021年11月14日「紅葉の客」

「紅葉の客」 

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

お久しぶりですね。
ずいぶんと伸びましたね。
今日はどんな感じにしましょうか。
ちょっと変わりたい。
なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

美容師のYは、
ちょっとイメージを変えたいという客がいたら
いつもそう言うことにしていた。
変化したいなら、紅葉くらい鮮やかにやってしまえばいい。
Yはいつもそう思っていた。
しかし、誰も髪を紅葉のように染める客はいなかった。
赤く染めては、と言われたら従った客もいたかもしれないが、
紅葉と言われると誰もが冗談だと受け止めた。
7年間、Yは紅葉色の髪を何人もの客に繰り返し勧めた。

7年と1日が経った秋のある日、一人の客がやってきた。
初めて見る、80歳くらいの白髪の女性だった。

ちょっと変わりたい。
とその客は言った。

少し迷いながら、Yはいつものセリフを繋げた。

なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

紅葉か。それもいいかもしれない。
老婦人は鏡に映る少しだけ毛量が減った銀色の髪を見つめながら言った。

Yは驚いた。
息を飲み込み、
いいですよね、紅葉。
と、なんとか間を空けすぎないタイミングで相槌を打った。

老婦人は少し微笑み、口を開いた。

暗い冬が来る前に、
一度燃え上がるような紅葉になってみるのも悪くない。

老婦人の過激な一言に、Yはうろたえた。

いえ、そんなつもりでは。とYは言った。

いいのよ。本当のことですから。
さあ、私を紅葉にして頂戴。

それから長い時間をかけて、Yは老女の髪を染めた。
これまでにYが経験したことがないほど丁寧にその作業は行われた。

紅葉色の頭の老女が生まれた。
それはどこまでも鮮やかで、少女のようにすら見えた。

ありがとう。元気になるわ。

そう言って、新しい髪の毛を老女はやさしくさわり、何度もうなずいた。

すっかり傾いた夕日の中に真っ赤な頭の老女は消えていった。
Yはその後ろ姿をいつまでも見ていた。
頭が目立つので、かなり遠くまで見ていられた。

変化を求めるという客に、Yは今日も繰り返す。
その老女以外に一度も受け入れられたことはないけれど。それでも。

紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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永野弥生 2021年11月7日「タイムリープ」

「タイムリープ」 

    ストーリー 永野弥生
       出演 遠藤守哉

「この時間が永遠に続けばいいのに」
という彼女の言葉に「本当にそうだね」と相槌を打った。
心底そう思った時「本当に」とつけてしまうのは僕の口癖だったが、
この時は「逆に嘘っぽく聞こえたのではないか?」と心配になった。
それほどまでに僕も幸せを感じていたのだろう。
僕は時間ギリギリまで彼女の横でまどろんでいたことを強調するように
「本当に行かなくちゃ」と言って身支度し、外に飛び出した。
遅刻をすれば上司に何を言われるかわからない大事な仕事があった。

次の瞬間、けたたましいブレーキ音が聞こえた方を振り返ると、
避けられない距離に車が迫っているのが見えた。
僕は「あ、終わったな」と思った。

ところが、ぜんぜん終わらないのだ。

「この時間が永遠に続けばいいのに」
という彼女の台詞を、もう何度も聞いている。
「終わった」と思った瞬間、何度でもそこから始まってしまうのだ。
もしかして、これがタイムリープというやつなのか。
2度目以降、僕は「本当にそうだね」とは言えなくなり、
「そうだね」と調子を合わせるように言うのがやっとだった。

プロポーズした後、夜を徹して語り合い、
時にはともにウトウトした時間は、確かに至福の時かもしれない。
でも、僕は今、本当にこの時間が永遠に続くのではないかと怯え始めている。

ループするこの至福の時間の中では、彼女と喧嘩することもない。
でも、彼女の涙に胸を痛める瞬間があるからこそ、
幸せそうに笑う笑顔が眩しいのではないか。

会社で大抜擢されたビッグプロジェクトの
ヒリヒリするようなプレッシャーもない。
でも、胃が痛くなるようなミッションを乗り越えてこそ、
仕事の後のビールが死ぬほど美味いのではないか。

来週ドライブがてら見に行こうと言っていた紅葉(こうよう)も、
この時間がループするかぎり、見に行けないどころか、
木々が染まることすらない。もちろん山々が雪に覆われることもない。
でも、凍てつく季節があるから春が嬉しいのではないか。

「この時間が永遠に続けばいいのに」
もはやその言葉を何度聞いたかわからなくなった頃、
結局、僕はもう一度「本当に」と言うことになるのだった。
「本当に…本当にそうかな」と僕は言っていた。

不思議そうな彼女の顔が笑顔に変わるまで、
説明する時間が必要になった。もう完全に遅刻だ。

さっきまでは渡りきることができなかった道を無事に渡れた時、
僕は、烈火のごとく怒り狂う上司に
早く会いたいと思っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2021年10月16日「凧」

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

あの日も、こんなふうに、空が高い日だったですよ。
ぼく、荒川の河川敷で凧をあげてたんです。
当時はやっていた…ゲイラカイト、ってわかりますかね。
そうそう、あの、デカい目玉が描いてある、ビニール製の、凧。

その日はね、土曜日だったんだけど、朝からいい風が吹いてましてね。
学校から帰って、ランドセルおいて、凧もって、
とびだして、河川敷に行きました。
当時はまだ土曜日は半ドンでしたから、小学校も。

こりゃあ高く上がるんじゃないかと思ってたんだけど、案の定。
助走して、ぱっと手を放したら、とたんにすーっと、
すごいスピードで凧、空にのぼっていきましたね。
ぐんぐんぐんぐん上っていってね。凧糸もびーんと張りっぱなし。
もう、下手したら、
風でこっちの体が持ってかれちゃうんじゃないかと思うくらいで。

凧はどんどん小さくなってね。
ありゃあ、いったいどれだけの高さに行ったのか、と思ってると、
またひとつがくん、と糸が引っ張られた。
上空では、すごく強い風が吹いてるみたいでね。
体が引きずられ始めた。
ずるずるずるずる、そのまま何十メートルか…
わ、こりゃ、やべえ、と思ってたら、自転車止めがあって、
そこにがんとぶつかってようやく止まりました。
で、あわててそこに紐をくくりつけた。
ものすごい力が要ったけど、なんとかくくり終わって、へたりこんじゃった。
糸はもう、びんびんに張ってますよ。

えらいもんだなあ、と思って空を見上げてるとね。
後ろに、だれか立ってる感じがした。
振り向いたら、同じクラスのコズミが立ってた。
コズミって、なんか、いつもぼろっちいカッコしてて、
暗い顔してるから、あんまり友達いないやつでしてね。
お母さんが早くに死んだとかで、
お婆さんと二人で暮らしてるって話でした。
凧?って訊くからね、うん、て答えた。
すげえ、っていいながらコズミは、糸の先を見上げ、
自転車どめにくくった糸を見て、また、空を見て、って繰り返してるんです。
こっちも居心地わるくなってね、貸してやろうか、って言ったんです。
そしたらね、うなずいて…
うなずくだけで、ありがとう、も何もなかったけどね。
自転車どめの方に歩いて、くくってある糸をほどきにかかりました。
で…
気ぃつけろよ。体がもちあがるぞって言おうとしたそのときですよ。
コズミの体がうわっと空へ持っていかれた。
ほんと、なんていうか、ふわーっと、持っていかれたんですよ。
たいへんだ!…と思ったときにはもう…
糸の端っこには手が届かなくて、
コズミはビルの4~5階くらいの高さにいた。あっという間に。

もう、どうしたらいいかわかりませんよ。
おーい、コズミ、降りろよー
って叫んでもね、返事しないんだ。
落ちたら死ぬ高さですよ。
見てるだけで、金玉のあたりがすーっと冷たくなる。
ぼくも、わけわかんなくなってね。
ばかやろー。って怒りだした。
ばかやろー、おりてこい。
コズミは、なにも答えなかった。聞こえてるのかどうかもわからない。
ぼくも半泣きになりながらね、
おりろよー、って。
おりろよー、おまえんちの婆さんにいいつけるぞー
て、意味わかんないこと言ってた。
でも、効果なしだ…効果なしどころかね、
コズミは、凧糸を手繰って上に、上に行こうとしてるんですよ。
なにやってんだよー、かえれなくなるぞー、って叫んだんだ。
そしたら、コズミの声が聞こえました。
いいよー、って。
いいよー。
コズミの、あんな明るい声、聞いたことなかった。

そのまま、どんどん…どんどん小さくなっていくのを、追いかけました。
カナブンくらいの大きさのが、もう、アリみたいになって…
そこで川にぶつかって、それ以上進めなくなった。
糸にぶら下がったコズミはそのまま、ずーっと流されて行って…
見えなくなった。
河原でぼくは、どうしたらいいかわからなくて、ただ、泣いてました。
泣きながら、泣いたって意味ないよな、ってわかってはいましたけどね。
でも、泣くよりほかにできることがなかった。
水辺の芦の茂みが風であおられて、ざーざー鳴ってたのを覚えてます。

コズミの行方はそれきりわからないです。
警察も四方八方探したみたいだけど、遺体も出てこなかった。
ただ、僕のゲイラカイトだけはね、
10キロほど離れた中学校の屋上で発見されたそうです。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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