厚焼玉子 09年5月31日放送

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ラウカディオ・ハーンと日本の音1 ヘルン

日本に来て松江の英語教師になったラウカディオ・ハーンには
もうひとつの呼び名があった。

ヘルン先生

それはハーンをローマ字にしてそのまま読んだ
日本風の名前だったが
ヘルンという言葉の響きがすっかり気に入ったハーンは
違いますよ、と直すこともせずに
そのままヘルン先生で通してしまった。

名前だって呼ばれるときは音になるのだから
親しみやすい方がいいに決まっている。

おかげで21世紀になっても
松江に行くとヘルン先生の人気は高い。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音2 怪談

お母さんや近所のおばあさんが
子供たちに話して聞かせる物語は
その土地土地の言葉で伝えられていく。

ラウカディオ・ハーンもまた子供のように
妻の節子にお話をせがんだ。
耳なし芳一、狢、雪女…
そうして一冊の本ができた。

その本のタイトルはローマ字で書かれた日本語で
「KWAIDAN」(くゎいだん)
「怪談」のKとAの間にWが入って「くゎいだん」
それは節子が口にしたままの音だった。

関西より西の地域では古い言葉がいまも残り
お年寄りの口から、古めかしく耳にやわらかい言葉の響きを聞くことがある。
「火事(かじ)」ではなく「くゎじ」
「けんか」ではなく「けんくゎ」

ラウカディオ・ハーンの「KWAIDAN」には
なつかしい言葉の響きが残されている。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音3 山鳩

テテポッポー、カカポッポーと鳴くのは
山鳩だった。
ラウカディオ・ハーンが住んでいた松江の家の
裏の森で鳴く山鳩は
テテポッポー、カカポッポーと鳴いた。

幼いときから両親と離れて暮らし
家族にあこがれつづけたハーンは
その意味を知って涙した。

テテはお父さん、カカはお父さん
ポッポはふところ。

「お父さんのふところ、お母さんのふところ」と鳴く山鳩の声は
ハーンにとってもっとも心地よい日本の音になった。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音4 下駄

It is a sound never forgotten,this pattering of geta over the Ohashi--rapid,merry,musical,1ike the sound of enormous dance;

それは忘れられない音だ。
大橋を渡る下駄は、足早で、ほがらかで、音楽的で、
大がかりな舞踏会の響きにも似ている。

ラウカディオ・ハーンが
松江大橋を渡る下駄の音を描いた原文と日本語訳を
お伝えしました。

足音まで音楽だった日本がかつてあったことを
ハーンは教えてくれています。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音 5 エンジンの神楽ばやし

松江から出雲へ
いまならひと走りの距離も
ラウカディオ・ハーンの時代には
小さな蒸気船で宍道湖を渡る旅だった。

ハーンは日本に暮らすようになってから
文明を連想させる音を極端に嫌うようになっていた。
電信も電話も、蒸気船も…..。

けれども、青い湖水と緑の丘と
さらにその背後に霞む山々を見ていると
船のエンジンの音も
神の名を唱える神楽の囃子のように聞こえてくるのだった。

いま、日本の街には乗り物の音が
逃げ場なく充満している。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音 6 土塀のなかの静寂

ラウカディオ・ハーンが住んだ松江の家は
土塀に囲まれた武家屋敷。
松江城のお堀のそばに建っていた。

その家には三つの庭があり、
ハーンが「音もなく流れていく静かな流れの岸辺」と書いた南の庭は
実際には水がなく、砂を水の流れに見立てた庭で
蜂の羽音まで聞こえる静寂にひたることができた。

北の庭には池があり、ハーンはこの庭で
蓮の葉をたたく雨の音やカエルの合唱を楽しんでいた。

三番めの庭は「野の花の荒れ地」とハーンは書いている。
夜明けから日暮れまで、小鳥の合唱が聞こえ
夜は夜でフクロウが鳴いた。

電信も電話も新聞も汽船もうるさすぎる。
近代化はどうして耳障りな音と一緒にやってくるのだろう。

ハーンは、そんなことをぼやきながら
松江の庭の土塀に守られて静かに暮らしていた。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音 7 守られた静寂

ラウカディオ・ハーンが松江を去って十数年、
日銀に勤めていたある人物がハーンの本を読んだ。
それはドイツで発行された洋書で
「知られざる日本の面影」の英語版だった。

読んで驚いた。
ハーンが本の中で魅力あふれる庭と紹介しているのは
ふるさとの自分の家の庭だったのだ。

それから松江に帰ったその人は
建て増しした部屋を取りこわし
埋めてしまった池をもう一度掘って
ハーンが住んでいた当時の姿に復元してしまった。

自分の住んだ静かな家が工場に呑み込まれることを心配し
心を残しながら松江を去ったハーンの予想は
うれしくはずれ
お堀のそばの武家屋敷はいまでも静かに保存されている。

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ラウカディオ・ハーンと日本の音 8 八雲とハウン

小泉八雲、というのが
ラウカディオ・ハーンが日本に帰化し
日本人になったときの名前だ。

八雲を音読みするとハウンになるという事実は
多くのファンを喜ばせているが
本人にそんなつもりはなかったと
弟子のひとりは語っている。

けれども、繊細な日本の音を聞き分けるハーンの耳が
八雲がハウンになることに気づかなかったわけはないのだ。

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