2010 年 10 月 23 日 のアーカイブ

賢猫

この猫ともう15年以上も一緒にいる。
チビのときは病弱だったが、18ヶ月めあたりから
病気をしなくなった。

とはいえ、年を取ると免疫力が落ちるので
数年前にはワクチンに負けて片目が腫れて
血膿を流しつづけたことがあった。
正月休みだったのでほとんど寝ないで看病した。

賢猫は一日に二回、ストンストンと階段を降りた。
トイレでしゃがみ、ササミを半分食べて
またゆっくりと二階に上がって寝る毎日だった。
ときどき膿を出すために腫れた目の下を押すと
小さな声で「ウワン(痛い)」と鳴いた。
けれど、抵抗はしなかった。

飼い主は片目が見えなくなったらどうしようなどと
余計な心配をいっぱいしたが、猫はそんなことを考えない。
猫は過去を悔いることがない、未来を案じることもない。
猫は粛々と自分の運命をただ受け入れている。

この賢猫に教えられたことは多い(玉子)

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ベベンコビッチオーケストラ無料ライブ

五島人による五島のためのバンド
ベベンコビッチオーケストラの単独ライブです。

とき:11月2日19時から
ところ:表参道HOLOTにて

詳細はベベンコビッチのHPまたはブログをご覧ください
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/bebencobicci
HP:http://www.bebencobicci.jp/

なお、ベベンコビッチオーケストラは
ライブの翌3日には「ナイスミドル音楽祭全国大会」に出演します。

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名雪祐平 10年10月23日放送


熊谷守一 1

自分の絵は、売るためのものではない。
描きたいときに描くもの。

画家、熊谷守一はそう考えていた。
けれど、絵が売れなければ、貧しい。

4歳の息子が肺炎になっても十分な治療ができず、
命をなくした。

その死に顔を、
画家は描いたのだった。

絵を描かずに死なせた息子の亡骸を
描く自分に愕然とした。

それでも、
売るための絵は描けなかった。

画家は筆をおいた。


熊谷守一 2

絵が描けない画家、熊谷守一。

貧しさから
次々と子どもたちを病で失ったが、
売るための絵は描けなかった。

ようやく60歳近くになって、
書や墨絵にめざめ、
こんどは娘の死をきっかけに
再び“絵を描く画家”に生まれ変わったのだ。

この後、画家は自宅の門から外へは
30年間出なかった。

小さな庭が画家の宇宙になり、
そこに息づく草花や虫、
生き物たちの命とたわむれ、
一日中眺め、
画家は唯一絶対の画風を
獲得していった。


熊谷守一 3

熊谷守一の絵は、
独特である。

単純な色と線で、
対象物の内面まで表現する。

なにしろ、対象物への
愛情にあふれている。画家は言う。

 絵でも字でも
 うまく描こうなんて
 とんでもないことだ。

名誉やお金にはまったく無頓着。
文化勲章も
「これ以上人が来るようになっては困る」
と辞退した。

97歳の死の直前に描いた名作『猫』は、
その自由で、のびやかな猫の表情が
まるで熊谷の自画像のようにも
思えてくる。


アンデルセン

童話の父、アンデルセン。

若い日には、
オペラ歌手をめざしたり、
バレエ学校にも在籍したものの
失敗と挫折を繰りかえした。

その経験が、のちの
『みにくいアヒルの子』を生んだ
ともいわれる。

作家として大成功し、
まさしく美しい白鳥となったアンデルセンだったが、
女性に対しては醜いアヒルのように
モテることなく、生涯独身でおわる。

葬儀は、デンマークの国葬をもって
おこなわれた。

女性との縁に恵まれなかったが、
葬儀には王族からホームレスまで、
もちろん子どもたちも参列した。

たしかに、アンデルセンは
たくさんの人々から愛されたのだった。
そしていまも、
世界中の子どもたちを夢中にさせている。


ディオゲネス

ギリシャの哲学者、ディオゲネス。

みすぼらしい路上生活を送り、
どこでも平気で物を食べた。
そんな彼を見て、
人々は「まるで犬だ」とののしった。

ディオゲネスはこう言い返した。

「人が物を食っているときに集まってくる
 おまえらこそ犬じゃないか」

食べることがおかしなことでなければ、
どこで食べてもおかしなことではない。

それが彼の哲学。

さて、現代。
道ばたで、地下鉄の中で、
物を食べている人々も哲学、
しているのだろうか。


エルンスト・ルスカ

ノーベル賞の条件。
それは長生きすること。

功績をあげてからの最長記録は
55年後の受賞。

その1人、エルンスト・ルスカは
25歳の年に電子顕微鏡を開発し、
80歳の年にノーベル賞物理学賞を受賞した。

今の研究開発が
未来のノーベル賞かもしれない。

みなさん、長生きしましょう。


ムンク

孤独と不安。

それらを絵で表現するとしたら、
どんな色だろう。
どんな形だろう。

1つの見事な答えがある。
ムンクの『叫び』

不気味な赤い空。
ミイラのような男のゆがんだ表情。

自然をつらぬく、けたたましい、
終わりのない叫びに耐えかねて
男は耳をおさえている。

なぜ、ムンクには叫びが聴こえたのか。

 病と狂気と死が、
 私の揺りかごを見守っていた黒い天使だった。

そんなムンクの孤独と不安が
世界の叫びと激しく共鳴したのだろうか。

ムンクの『叫び』
それはまるで1枚の音。

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