2010 年 12 月 18 日 のアーカイブ

宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士1 毛利衛

日本人宇宙人飛行士の応募条件の中に、
「美しい日本語」という項目がある。

人類を代表して宇宙に行く以上、
ミッションを達成するのはもちろん、
その稀有な宇宙飛行体験を伝えることも大事な役割。

宇宙飛行士、毛利衛は言う。

僕は2回、宇宙へ行かせてもらった。
その経験を広く伝える役割を担っていると思うんです。
僕自身の言葉を発することで、
より多くの人たちにメッセージを届けることができますから。

そんな毛利が宇宙から帰ってきて、最初のインタビューで伝えた言葉。

「地球には、国境線はありませんでした。」

その言葉の、何と美しいことか。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士2 向井千秋

宇宙に行って感動したことはなんですか?

多くの宇宙飛行士が「宇宙から見た地球の美しさ」と答えるこの質問に
日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋は「地球の重力」と答える。

宇宙から戻った夜は、驚きの連続だった。
無重力に慣れたからだは、一枚の名刺にさえ重みを感じた。
上下左右のない空間では見られない
ものが落ちていく姿や描く放物線の美しさに目を奪われた。

彼女はいう。

 私たちは、物が落ちること、雨が降ることを
 当たり前だと思ってしまいますが、
 実は地球で起こるこの現象のほうが不思議なのです。

私たちが常識と呼んでいるものの多くは、
広い宇宙に浮かぶ小さな惑星でしか通用しない
ちっぽけな常識にすぎないのかもしれない。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士 3 土井隆雄

宇宙飛行士試験に受かっても、
誰もがすぐに宇宙に行けるわけではない。

毛利衛、向井千秋と一緒に、
最初の日本人宇宙飛行士試験に合格した人、土井隆雄。

毛利や向井が宇宙へ行くのを、土井は地上でサポート。
そして向井のサポート中に、
後輩である若田光一が先に宇宙へ旅立ち、
土井に初フライトのチャンスがめぐってきたのは
試験に合格してから12年めのことだった。

土井が宇宙から帰還したときのインタビューの言葉。

わたしは、すでに宇宙ステーションを恋しく思っている。
明日にでも宇宙に戻りたい。

地上にいても
土井が宇宙を愛する気持は誰よりも強い。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士4 若田光一

宇宙飛行士、若田光一。

宇宙ステーションでの長期滞在を終えた若田は、
138日ぶりの地球の印象をこんなことばで表現した。

 スペースシャトルのハッチが開くと、
 草の香りが入ってきて、
 地球に優しく迎えられたようでした。

その瞬間、どんな詩人にも書けないような詩が
宇宙飛行士から生まれた。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士5 野口聡一

宇宙飛行士、野口聡一。
宇宙への初フライトまで29日に迫ったその日、
彼の耳に飛び込んできたのは、衝撃的なニュースだった。

2003年2月1日、7名の搭乗員を乗せたスペースシャトル、
コロンビア号が宇宙から帰還する途中、
テキサス上空で空中分解、
乗員全員が死亡するという大事故だった。

NASA全体が、ショックに覆われた。
その後のシャトル計画に「待った」がかかり、
野口のフライトも白紙になった。

本当に自分は宇宙に行けるのか。
そんな不安を抱えながら、
普通の人が100時間かける訓練を、
彼は400時間行い、その時を待った。
それは訓練時間の新記録だった。

野口聡一は言う。

長い間がんばって、しっかりと能力を高めて、
あきらめずに食らいついて、あとは運を信じる。
書いてしまうとあっけないことですが、それだけのことです。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士5 山崎直子

ママさん宇宙飛行士、山崎直子。

職業人として、女性として、
誰もがうらやむ幸せを手に入れた彼女を
メディアは華々しくとりあげた。

そんな中、一冊の本が出版される。
直子の夫、山崎大地の著書「宇宙主夫日記」。

そこには宇宙飛行士訓練にかかりきりの妻と
仕事に子育てにと苦悩しつづける夫の姿が
生々しく描かれていた。

この本をいったいどんな思いで直子は手に取るのだろう。
そんな心配も、「宇宙主夫日記」の隣りに
平積みされた本を見れば、吹き飛んでしまう。

そのタイトル「何とかなるさ!」。
著者は山崎直子その人だった。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士7 星出彰彦

星出彰彦は宇宙飛行士になるまで、
3度も宇宙飛行士試験を受けた。

1回目は学生時代のこと。実務経験が必要という、
条件を満たしていないことを承知での応募。
彼曰く、「意欲を見せるためだった」。

2回目の試験は最終選考まで行った。
でも受かったのは野口聡一、ただ一人。
3回目の試験でようやく採用され、
2007年3月23日、ついに彼は宇宙へ旅立った。

星出には、こんなエピソードもある。
「宇宙飛行士になりたい」と、
小学4年生の時に書いた文集のタイトルは、「きぼう」。
宇宙ステーションの、日本が保有する実験棟の名前も、「きぼう」。

それはきっと、偶然の一致。
でもなぜか、運命のように思わせる、
合格した時を振り返っての、彼の言葉。

たとえこのとき落ちても、 
また次に応募しようと思っていました。

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