2011 年 8 月 21 日 のアーカイブ

蛭田瑞穂 11年8月21日放送



EAMES STORY①

1978年の今日、ひとりのデザイナーが亡くなった。
彼の名はチャールズ・イームズ。

駅のホームにある、丸みを帯びたプラスチック製の椅子。
空港のロビーにある、スチール製のロングシート。
あるいは、世界中のオフィスにある、肘掛け付きのデスクチェア。

いずれもその原型はチャールズ・イームズによって
デザインされたものである。

チャールズ・イームズ。
彼は20世紀の中期、いわゆるミッドセンチュリー以降の、
工業デザインの流れをつくった革命的なデザイナーである。



EAMES STORY②

デザイナー、チャールズ・イームズは
1907年、ミズーリ州のセントルイスに生まれた。
18歳で地元の大学の建築学科に入学。
奨学金をもらいながら建築を学んだ。

当時、チャールズはフランク・ロイド・ライトの
手がける建築が好きだった。
だが、それが理由となり、3年で大学を辞めさせられる。
大学の保守的な研究から見ると、ライトの建築はあまりに前衛的過ぎた。

大学を辞めたチャールズはその翌年、
最初の妻と結婚し、自分の設計事務所を設立する。

しかし時は大恐慌の真っただ中、チャールズの会社はあえなく倒産した。



EAMES STORY③

最初の起業に失敗したチャールズ・イームズは
1935年に友人と共同で建築事務所を設立した。

ある時、彼らが設計を手がけた教会が、建築雑誌に掲載された。
それを見ていたのが著名な建築家のエリエル・サーリネンだった。

美術学校の学長も務めていたサーリネンは、
チャールズをその美術学校に招いた。

美術学校の教授に就任したチャールズはそこで、
校長の息子、エーロ・サーリネンと出会う。

意気投合したふたりは1940年、
ニューヨーク近代美術館が主催した家具デザインのコンペに参加。
当時注目されていた成型合板という素材を用いた椅子を出品した。

成型合板とは薄い木の板を何層にも貼り合わせた木材で、
曲線や曲面を自由につくることができた。

背もたれと座板が一体となり、美しい曲線で構成された
チャールズとエーロの椅子は、そのコンペで一位を獲得する。

チャールズ・イームズの人生が大きく動き始めた瞬間だった。



EAMES STORY④

1940年、デザイナーのチャールズ・イームズが
教授を務める美術学校に、ひとりの女性が入学した。

彼女の名前はレイ・カイザー。

ほどなくレイはチャールズの作業を手伝うようになる。
当時チャールズはニューヨーク近代美術館が主催する、
家具デザインのコンペに取り組んでいた。

やがてふたりは互いの才能に惹かれあい、恋に落ちる。

1941年、チャールズの離婚が成立すると、ふたりは入籍。
こうしてデザイン史上、最強のカップルが誕生した。



EAMES STORY⑤

1941年、デザイナーのチャールズ・イームズとその妻レイは、
活動の拠点をロサンゼルスに移す。
そこで成型合板という新しい素材の可能性を探るべく、
さまざまな試みを行った。

もっとも成功したのが成型合板をつかった医療用の添え木だった。
第2次世界大戦中のアメリカ海軍に採用され、
15万を越える製品が軍に納品された。

同じ機能、同じデザインの製品を大量に生産するというこの経験が、
のちのイームズ夫妻の家具づくりに大きな影響を及ぼす。

第2次世界大戦終了後の1946年、
チャールズはニューヨーク近代美術館で個展を開催する。
タイトルは「チャールズ・イームズによる新しい家具デザイン展」。

その個展でチャールズは成型合板を使った独創的な家具を展示した。
メディアは絶賛し、チャールズは一躍時の人となった。

高い機能性とデザイン性、そして大量生産に適しているという点で、
チャールズのつくる家具はまさしくモダンであった。



EAMES STORY⑥

1948年、デザイナーのチャールズ・イームズとその妻レイは、
雑誌の企画の一環としてモデルハウスを建築した。

ふたりはすべての建築資材をハウスメーカーのカタログから取り寄せる
「オフ・ザ・シェルフ」という建築方法を採用した。

既製品だけでつくられた家だが、
モダンアートを感じさせる外観の色彩と
ミニマリズムに徹したシンプルな室内には、
イームズ夫妻のデザインセンスが見事に表現されていた。

結局ふたりは完成した家に移り住み、そこを終の棲家とする。
のちに人々はその家を「イームズ・ハウス」と呼ぶようになった。



EAMES STORY⑦

デザイナー、チャールズ・イームズとその妻レイ。

1960年代に入ると、彼らの活動領域は家具デザインから
展覧会のプロデュースや映像制作へと移行していく。

64年のニューヨーク万博ではIBM館のプロデュースを担当し、
22画面に同時に映像を流す、マルチスクリーンの先駆けとなる
展示をおこなった。

1968年には、映像作品『パワーズ・オブ・テン』を発表。
ミクロの世界から銀河の果てに至る宇宙の構造を
カメラ視点の移動だけで表現した。

情報を整理し、多くの人に効果的に伝えること。
ふたりにとっては、展示会も映像制作もやはりデザインなのである。



EAMES STORY⑧

さまざまな独創的な家具を生み出し、
ミッドセンチュリーの工業デザインに革命を起こした
チャールズ・イームズ。

その傍らにはいつも妻レイの姿があった。

すぐれた色彩感覚とアートのセンスで、
38年という長期に渡って、夫の仕事を支えたレイ。

1978年にチャールズが亡くなった10年後の1988年、
レイもこの世を去る。
奇しくもその日はチャールズが亡くなったのと同じ、
8月21日であった。

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