2012 年 4 月 のアーカイブ

大友美有紀 12年4月8日放送



「創造する言葉」ジョルジュ デ キリコ

自らの絵を「形而上的絵画」と呼んだ画家、
ジョルジュ デ キリコ。
白く不自然に長い建物、
手前の女の子の影は小さく、
遠く人物の影が大きく描かれた
「通りの神秘と憂鬱」。
彼の、独特の遠近法を駆使した作品群は、
見る人に郷愁とともに不安をもいだかせる。
そのアイデアは、どこから生まれたのか。

 仕事場は私の夢を実現する思索を
 練るところだ。
 誰にも邪魔されたくない。
 絵が描けなくとも、
 アトリエの中にこもっているだけで、
 心が落ち着く。



「創造する言葉」ベルナール ビュフェ

冷たく、鋭く太い黒の描線、
抑圧された色彩。
孤高の画家、ベルナール ビュフェは、
第二次世界大戦後の不安感や虚無感を
キャンパスに塗り込めた。
代表作は「青い闘牛士」。

 私は絵を描くことしか知らない。
 絵の中に自分自身が埋没してもよい。

そう語る彼は、アトリエの窓を締め切り、
部屋を真っ暗にしたうえで、
裸電球1個の灯りをたよりに制作したという。

 私は大海原を漂う一艘の小舟のようなもの。
 波は繰り返し繰り返し押し寄せてくる。
 その波間をぬってなんとか舵をとっているのです。

彼にとって創作とは、孤独の産物だったのだ。



「創造する言葉」ジョアン ミロ

明るく制約のない色使い、大胆で伸びやかな曲線。
シュルレアリストの一員とされる
画家ジョアン ミロ。
「アルルカンの謝肉祭」に代表される
リズミカルな構成と抽象的なモチーフの
源はなんなのだろう。
彼は、いたずらっ子のような一面をもっていた。
夢中になると、ところかまわず絵の具をぬり、
木片や段ボールやセメントの袋など、
手当り次第に描いていく。

 私は、前もって頭で考えたような、
 知的なやりかたはしないんだ。
 ちょっとした偶然から生まれる絵の具のしみや、
 したたりが、生命を持ってアニメートされ、
 思ってもみない形が出来上がっていく。

そして、時々人に見られないよう、
海岸や道のあちらこちらに捨ててある
無用の品を拾い歩く。
さびた金物、レンガのカケラ、コルクの栓など、
普通の人にとって何でもないものが、彼には
「何か」を起こさせるきっかけになる。

 なににもまして「遊び」の精神が必要だ。
 大切なことは魂を自由に、素っ裸にしておくことだよ。



「創造する言葉」サム フランシス

くるくる循環する青い色を意味する
「サーキュラーブルー」。
画家サム フランシスの代表作だ。
彼は、青、黄、赤など鮮やかで透明な色彩を散らす
ドリッピングという手法で一世を風靡した。
そして日本的な「余白の美」の感覚も持っている。

 オレの人生はずっとファイティングだった。
 ファイティング・ペインティング、そして
 ファイティング・ウーマン。
 いや、ラブ・ウーマンかな。



「創造する言葉」ヘンリー ムーア

イギリスを代表する彫刻家、ヘンリー ムーアは、
作品を野外に置くことを好んだ。
抽象的な曲線で形づくられた「母と子」のブロンズ像も
森の庭で四季の移ろいとともにある。

 自然の中以外に私の彫刻を据える場所はない
 という結論に達したんだ。

 
彼のアトリエも大自然の一部かのように存在していた。
牧草地に、公園があり、うっそうとした森があり、
そしてムーアの傑作たちがある。
その作品たちは、場所と方角を綿密にチェックして
置かれ、それを結ぶようにアトリエも点在する。
彼は、また「見いだされた自然」を愛してもいた。

 コーンウォールの海岸で拾ってきた石も、
 このままで第一級の彫刻といえる。
 アートは人間の行為だから、
 私がこれをどう見るかということが、
 この自然のもたらした偶然に意味を加えるわけだ。

ムーアは、自信の作品に「自然のもたらした偶然」を
加えたかったのかもしれない。


Matthieu LIENART
「創造する言葉」ジョージ シーガル

石膏をしみ込ませた包帯で人体を型取りし、
彫像を創り上げる。
かつてない技法で彫刻に新たな地平を切り開いた
ジョージ シーガル。
型どった人体を椅子や扉と組み合わせ、
現代人の普遍的な姿を表現した。
彼の自宅には細長い建物が2棟あり、
各部屋に番号が振られ、古い作品が保管されていた。

 ここは鳥小屋だったんだ。
 壁の数字は鶏舎の番号なんだ。
 僕は当時卵を売って生計を立てていた。
 経費の管理のために番号をつけたんだ。
 でも養鶏業に失敗して、破産してしまった。
 それで趣味で描いていた絵を売って生活したんだ。
 皮肉にもそれが僕がアーティストになったきっかけだ。
 石膏を使うようになった理由もお金がなくて
 ブロンズなんか使えなかったんだよ。

新しいアイデアは、意外なところから誕生する。


カノープス
「創造する言葉」サルバドール ダリ

シュルレアリストの巨匠、サルバドール ダリは、
奇人としても有名だ。
1970年代後半の、彼らしいインタビューの記録がある。
今後の世界のファイン・アートはどうなるかという問いに答えたものだ。

 現在はとてもファンタスティック!スーパーだよ!
 ハイパー・リアリズムの新しい分野が開けている。
 君はニューヨークに行ったことがあるかね?
 スーパーなんだよ。
 クラシシズムの再現が可能になった転機に
 さしかかっていると思わない?

会話もシュルレリスムだ。


テツさん
「創造する言葉」岡本太郎

岡本太郎は、サービス満点の画家だったという。
アトリエに取材に行くと、まず、手を開いて目をぎょろりとする
例のポーズでファインダーにおさまる。
制作現場を見せてほしいと言うと、
150号大の作品「行列」に向って目を見開くと、
スタスタと歩み寄りエイヤーと刷毛のような絵筆を振り下ろしたという。

 芸術は下手なほうがいいんだ。
 きれいであってはいけない。
 芸術は常に闘いとしてあるのだ。
 ほかの誰もがやらないことを、
 孤独の中で創造するんだ。
 血だらけの自分を掴むこと、
 それが芸術、人生の前提だと私は考える。

夜寝ていても夢の中ですっとんで歩き、
仕事をしているのだとも言う。
24時間、すべてを芸術に捧げていたのだろう。

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厚焼玉子 12年4月7日放送



田中澄江の新・花の百名山1

「花こそいのち」という言葉は
田中澄江の著書「新・花の百名山」の前書きにある。

田中澄江は作家、脚本家の他にもうひとつの顔を持っていた。
山歩き愛好家、そして「花こそいのち」というほどの
花好きである。

空き地に咲く花、海辺の花、河原の花
身のまわりの花が失われていくにつれ
田中澄江は山に行く回数をふやしていった。
花に会うために、そして
冬には息をひそめて春を待つ花の気配を感じるために。

新・花の百名山が出版されたのは1995年。
田中澄江が愛した山の花々は
この春も元気で咲いてくれるだろうか。


山の旅人2003
田中澄江の新・花の百名山2

シラネアオイは山の花の女王といわれる優雅は花だ。

とはいっても
雪解けのころに咲く薄紫の花びらは
実は花ではなく4枚の顎で
その中心に雄しべと雌しべがあり、花はない。

花がないのに美しいことの不思議、
そして日本原産の一属一種の花という貴重さは
人の心を惹きつけてやまない。

田中澄江がその著書「新・花の百名山」の26番めに
日光白根山のシラネアオイを書いたとき
すでにシラネアオイは花盗人によって大量に持ち去られ
かつての大群落は10分の1ほどに数を減らしていた。

田中澄江は「新・花の百名山」を通して訴えている。
山の花は山で見るのが美しい。


nicointokio
田中澄江の新・花の百名山3

武州御岳山は青梅市にある標高929メートルの山だ。
頂上には御嶽神社があり、
信仰の山として知られるけれど
花に興味のある人ならばスミレの山と呼ぶだろう。

「新・花の百名山」の著者田中澄江は
東京でスミレの美しい山として
高尾山、高水山、大岳山、武州御岳山の4つを挙げているが
なかでも武州御岳山のエイザンスミレは印象深かったようだ。

エイザンスミレは深く切れ込んだ葉を持ち、
淡い紫の花をつける。
明るい日陰を好むので山の林のなかがお気に入りだ。

10年後も100年後も
スミレの山にたくさんスミレが咲きますように。



田中澄江の新・花の百名山4

アズマイチゲは春の妖精のような花だ。
英語ではSpring ephemeral と呼ばれる。
春の儚いものというその名のとおり
背丈の低い小さな花が多い。

アズマイチゲは
去年の落ち葉の下から春いちばんに顔を出し
花を咲かせたかと思うと
落葉樹の林が若葉になる頃に消えてしまう。

田中澄江はその著書「新・花の百名山」で
埼玉県飯能市の伊豆ヶ岳に咲くアズマイチゲを紹介している。
展望の良い尾根道を早春の花々を眺めながら歩き
クヌギ林でアズマイチゲを見つけたときの、
そして山を下りた道端にも
いっぱい咲いていたことの喜びを書いている。

守られているわけではない。
誰も取る人がいないだけ。

ただそれだけで、山の花は
毎年決まった場所に、決まった時期に
咲いてくれるのだ。


kitonz
田中澄江の新・花の百名山5

雲取山は2018メートル。
そこに桜草のような花が咲いていたと弟が言った。

そんな高い場所に桜草が咲くはずがない、と
「新・花の百名山」の著者田中澄江は首をかしげた。

彼女が実際に雲取山を歩いたのは
それから40年以上もたってからのことだった。
大きな起伏を繰り返す道には
石の根元にびっしりと
イワウチワが薄紅の花を咲かせていた。

これが弟の言う桜草のような花とは
イワウチワのことだったのか…

山の遅い春に咲く小さなイワウチワ。
東京ではいま絶滅が心配されている花でもある。


Matthieu LIENART
田中澄江の新・花の百名山6

タカネバラはその名の通り高い山に咲くバラで
「新・花の百名山」の著者田中澄江は
甲斐駒ヶ岳でこの花に出会い、喜んだのも束の間
雷と雨に襲われ、這々の体で下山している。

陽当たりが好きな花なので
まわりに木のないところに生えている。
この花の見られる場所で雷に遭うと怖いということは
覚えておくのがよさそうだ。


カノープス
田中澄江の新・花の百名山7

コマクサが高山植物の女王と呼ばれることについて
田中澄江はその著書「新・花の百名山」で
抗議とも受け取れる文を書いている。

要するにこの弱々しい繊細な花を
権力の象徴である女王と呼ぶのはかわいそうだというのである。

コマクサは背丈5センチほどの小柄な花で
他の植物が育たないようなゴツゴツした砂と岩の斜面に生える。
明治の頃には
登山記念のお土産として売られたり
薬草として掘り尽くされたりして絶滅の危機を迎えている。

田中澄江は「新・花の百名山」で
コマクサを北アルプスの蓮華岳を代表する花とした。
彼女が見たのは
まるでレンゲソウのようにたくさん咲いているコマクサだった。
その群落は幸いにいまも残っていて
登山者の目を楽しませてくれているようだ。

4月に生まれ3月に亡くなった田中澄江は
雨になり風になって好きだった花々を守っているだろう。
あなたの好きなコマクサは無事ですと
報告できることがうれしい。

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五島には桜マークがないっ

ねっねっ、ほらね
五島には桜マークがないんです。

これどういうこと?
桜がない??
桜はあるけど桜の名所がない???

上はtenki.jp、下はウェザーニュースですが
両方とも五島には桜マークをつけてないんです。
なぜかしら。知りたいです(玉子)

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佐藤延夫くんの新しい事務所

写真の一枚も欲しいところですが
ちっとも送ってきてくれません。

がっ、4月からチームVisionメンバーの佐藤延夫くんが
新しい事務所を開きます。

住所はこちらです。

株式会社ロケットペンシル
佐藤延夫
〒104-0032
東京都中央区八丁堀4-5-11
KST第2ビル5F
TEL:03-6280-5562
FAX:03-6280-5547
mob:090-7426-6519

あ〜、それにしても写真が欲しいな〜〜(玉子)

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佐藤延夫 12年4月1日放送



4月1日の言葉/マーク・トウェイン

音の速さは、およそ秒速340m。

でも、私たちの発する言葉は、
ときにそのスピードを追い抜くようだ。

それがたとえば、興味深いうわさ話だった場合。

アメリカの作家、マーク・トウェインは、
こんな言葉を残している。

  真実が靴を履こうとしているとき、
  嘘は既に世界の半分に広まっている。

今日はエイプリルフール。
どうか平和な嘘をついてください。



4月1日の言葉/フリードリヒ・ニーチェ

もしも人間を、
正直者と嘘つきの2種類に分けるとするならば、
どちらのほうが、心豊かに楽しい人生を送れるだろうか。

ドイツの哲学者ニーチェは、
こんな言葉を残している。

  日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
  それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである。

今日はエイプリルフール。
どうか優しい嘘をついてください。



4月1日の言葉/オスカー・ワイルド

たとえば、
朝から曇り空で、
雨が降るわけでもなく
昼にはいつものランチを普通に食べ、
仕事でトラブルも起きず、
いつも通りに家路に就く。

そんな平凡な一日を過ごしたとして、
あなたは愛する人に、
今日という日をどのように報告するだろう。

何もなかったよ、と正直に言うか。
架空の出来事を語り始めるか。

詩人、オスカー・ワイルドは
こんな言葉を残している。

  嘘つきの目標は、単に喜ばすことであり、
  悦びを与えることである。

今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。



4月1日の言葉/ジャン=ジャック・ルソー

一度、嘘で痛い目に遭った人なら、
すぐにわかるだろう。

何気ない気持ちで発した小さな一言が、
知らない場所で一人歩きし、
ごてごてした尾ひれまで付けて、
その結果、どうなることか。

哲学者ルソーは、
こんな言葉を残している。

  嘘は雪玉のようなもので、
  長い間転がせば転がすほど大きくなる。

今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。



4月1日の言葉/ドストエフスキー

人は何かを守ろうと思う。
自分の立場や
思い描いた将来のために、
平気な顔で嘘をつき
あらぬ噂を流したりする。

その結果、誰かを傷つけたとしても、
気づかないふりをしてやり過ごし、
大切な何かを守り続ける。
自分の心を偽ってまで。
でもそれが、人間なのかもしれない。

ロシアの作家、ドストエフスキーは、
こんな言葉を残している。

  人生において何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ。
  そして、自分自身の嘘を信じないことである。

今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。



4月1日の言葉/ジョージ・ゴードン・バイロン

ある噂話を目の前にすると、
人はまず、真実なのか、嘘なのかを確かめようとする。

シロか、クロか。
どちらかに振り分けないと気が済まなくなる。
でも、案外、その差は小さなものなのかもしれない。

イギリスの詩人バイロンは、
こんな言葉を残している。

  嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。

今日はエイプリルフール。
どうか優しい嘘をついてください。



4月1日の言葉/バーナード・ショー

この社会の多くは、信頼関係で成り立っている。

ところが、その頑丈に築かれた城壁は
あるきっかけで、見るも無惨に崩れ去ってしまう。
そして救いようのない後遺症を残す。

アイルランドの作家、バーナード・ショーは、
こう語る。

  嘘つきの受ける罰は、
  人が信じてくれないというだけのことではなく、
  ほかの誰も信じられなくなる、ということである。

今日はエイプリルフール。
どうか罪のない嘘をついてください。



4月1日の言葉/芥川龍之介

真実は、正直だが、重たい。
そしてときに残酷だ。
だから人は、過酷な真実に遭遇すると、
オブラートに包むことを考える。

小説家、芥川龍之介は、
こんな言葉を残した。

  わたしは不幸にも知っている。
  ときには、嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。

今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。

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