古居利康 13年9月28日放送



その後の堀越二郎 ⑦

堀越二郎は、1903年、群馬県藤岡市に生まれた。
それは、奇しくも、ライト兄弟の有人飛行機が、
人類史上初めて空を飛んだ年でもあった。

1927年、東京帝国大学工学部航空学科を主席で卒業。
三菱内燃機製造、現在の三菱重工に入社後、
わずか5年で頭角をあらわし、設計主任となった。

1910年代から20年代にかけて、
飛行機は加速度的な進歩を遂げていた。
第一次世界大戦で初めて戦闘機が出現し、
従来の作戦行動や戦術・戦略が激変した。

大戦後、西洋列強の仲間入りを果たし、
1930年代、戦争の時代に突入していた日本は、
軍用機の国産化を目標に掲げていた。
航空機メーカー各社に製造企画競争を課して、
スピード、航続距離、上昇・下降性能、操縦性など、
過大なスペックをノルマとした。

軍が求めるシビアな戦闘能力の実現は、
必然的に、飛行機の性能そのものの向上を促した。
この時代に優秀な飛行機の開発を志すということは、
戦争に関わらざるを得ないということだった。

堀越二郎は、
そんな不幸な時代に生まれ、
太平洋戦争に間に合ってしまった、
飛行機づくりの天才だった。

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