2015 年 1 月 のアーカイブ

三島邦彦 15年1月18日放送

150118-04

はじまりの言葉 川上哲治

選手時代は「打撃の神様」と呼ばれ、
監督時代は9年連続日本一。
野球界に伝わる、
「名選手名監督にあらず」という言葉を覆した男、川上哲治。

その川上が引退後、野球解説者として初めて放送席に現れた。
偉大な人物を前に緊張するアナウンサーに向かって、
川上はこう言った。

 放送に関しては、僕が素人で君が先輩だから、
 びしびし指導してください。
 日本一の解説者になるつもりだから、どうぞよろしく。

その時、川上さんが選手としても監督としても
一流になった理由がわかった気がする、
と、アナウンサーは後に語った。

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三島邦彦 15年1月18日放送

150118-05

はじまりの言葉 ヘンリー・フィールディング

イギリス小説の父、
ヘンリー・フィールディング。
彼の作品の一つは、こんな書き出しではじまる。

 作家は自分を、内輪の、もしくは慈善のもてなしを行う紳士としてではなく、
 金さえ出せば誰でも歓迎される公的な食堂の経営者と見なすべきである。

読者を選ばないサービス精神。
イギリス小説の歴史は、
その決意からはじまった。

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三國菜恵 15年1月18日放送

150118-06
ネコ温泉
はじまりの言葉 宮崎駿

学校が始まった。会社が始まった。
ああ、面倒くさい。
そう思っているあなたへ。巨匠・宮崎駿のこんな言葉を。

 大事なことは、たいてい面倒くさい

お金を稼ぐことも、知恵を学ぶことも、人間には必要。
また来週も、がんばりましょうか。

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中村直史 15年1月18日放送

150118-07

はじまりの言葉 西健一郎

料理人・西健一郎。
京都出身の彼が、上京して店を出すと言ったとき、
世話になっていた裏千家の家元が
名付け親になってくれた。

店の名前は、『京味』。
もう京都に戻らないでいいようにと、
東京で京都の看板を背負った店になるようにと授けた。

独立した日。故郷と別れた日。
西の店は、きょうも東京で繁盛している。

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三國菜恵 15年1月18日放送

150118-08

はじまりの言葉 中原中也

詩人・中原中也。
19歳のときに経験した、ある喪失。

長年連れ添った彼女が、
自分の親友と関係を持っていたことがわかった。
中原は後ろ姿を見送り、ひとりで部屋へと戻ってくる。

 みなさん今夜は静かです
 薬鑵の音がしています

この日彼は恋人を失い、
はじめての孤独を手に入れた。
それは詩人にとって絶対的に必要なものだった。

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奥村広乃 15年1月17日放送

150117-01

近代地震学の父

近代地震学の父。
お雇い外国人のジョン・ミルン。
地質学・鉱山学の教授だった彼は、
日本の地震の多さに仰天し、研究を始める。

天井からつりさげた振り子。
地震が起きた時間を知らせる時計仕掛装置。
自宅はさまざまな装置にあふれた。

約1万円の私財を投じて地震計も作った。
当時の1万円は、現在の数千万円とも言われる。
ミルンの呼びかけにより、日本地震学会も創設され、
近代日本の地震研究に大きな影響を与えた。

ミルンは、学生たちにこう語っている。

「災害の厳しさが日本人の精神構造に
 どのような影響を及ぼしているか
 研究する必要があるのではないか」

まじめで、調和を大切にする日本人の心は、
地震や台風などの厳しさが生み出した。
そう考えた外国人が、かつていたのだ。

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礒部建多 15年1月17日放送

150117-02
risaikeda
地震とラジオ

地震大国日本において、
望まれるのは予知技術の発達。
その中で7〜8割近い的中率を誇るのが
新興技術研究所の熊谷卓らが開発した「逆ラジオ」だ。

20年前の今日、阪神・淡路大震災が発生。
震災後、相次いで報告されたのは、
発生直前の、ラジオからの大きなノイズ音だった。
そこに着眼した熊谷らは、
通常のラジオでは拾わないノイズを
積極的に拾う「逆ラジオ」を設計。
地震予兆が発するノイズを捉え、予知に貢献することが出来るのだ。
しかも大掛かりな仕掛けはいらず、
家庭でも簡単な装置で行うことが出来る。

まだ知られていないこの技術が、
さらに磨かれ、個人へと浸透していけば、
被害を0には出来ずとも、
最小限に食い止めることができる。
「逆ラジオ」は、その大きな役割を
果たしてくれるかもしれない。

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松岡康 15年1月17日放送

150117-03
Bujdosó Attila
焼け野原の建築

神戸市長田区にあるカトリックたかとり教会。
週末に住民が集まるホールは紙でできている。

阪神大震災で、教会はほぼ焼け落ちた。
焼け跡で青空ミサが開かれた日曜の朝、
建築家を名乗る男が、
「紙で教会を建てないか」と持ちかけた。
火事が頻繁に起きていた街に
紙で建てるなんてと神父は断った。

次の日曜も、その次の日曜も、
男は紙の建築の強さと施工の簡単さを説明した。
彼の名は坂茂(ばんしげる)。

その熱意に
「教会ではなく、住民が集まれるホールなら」と、
神父は承諾した。

高さ5mの紙でできた紙管58本を
長円形に配したホールは
「ペーパードーム」の愛称で
復興のシンボルになった。

トルコ、インド、
スリランカ、中国、イタリア。
地震や津波、洪水が起きると彼は現れ、
仮設の住宅や学校、ホールの建設をする。

2014年、坂茂は
建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞。
災害に立ち向かうその姿勢が
世界に認められたのだ。

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澁江俊一 15年1月17日放送

150117-04

的中してしまった警告

日本の地震学に
多大な影響を与えた男、
今村明恒(いまむら あきつね)。

明治29年の三陸大地震の際、今村は
津波の原因が海底の地殻変動だと発表する。
今では当たり前の説だが、
当時は誰にも受け入れられなかった。

明治38年、今度は
東京で50年以内に大地震が起こると警告。
それが大々的に新聞に掲載されると
社会問題を引き起こしてしまう。

「ホラ吹きの今村」と中傷された彼だが
大正12年、警告どおり関東大震災が発生。
その直後、記者たちの質問に
しばらく同じ規模の地震は起こらないと断言。
それも見事に的中した。
世間は一転して今村を「地震の神様」と呼んだ。
震災当日の彼の日記には、こう書かれている。

 わたしの警告は、非難され嘲られていたが、
 それが現実に起きてしまう、
 なんという不幸なことであろう。

自らの名誉より、
地震から人々を救うことを
今村は強く望んでいたのだった。

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0歳3カ月の育児の事件。

話しが前後します。
すみません。

それ以上に、今回は上からも下からも出る話しです。
食事中の方や上品な話が好きなみなさま、すみません。
先に謝りますので、この先は自己責任でお読みください。

さて。
じろさん3カ月のある日、
近所の広場でビール祭りがありまして、
そこに夫の友人夫妻が遊びに来てくれました。
二人は新婚ほやほや。
いずれはこどもも…とのことで
子育て生活に興味しんしんです。

これは、先輩ママとして
子育てへの夢と希望を抱いて帰宅していただかねば!
願わくばサッカーチームつくれるくらい産みたいわ
と思ってもらえるくらいに!

まあそこまで気負っていたわけではありませんが、
好天に恵まれた野外でのビール祭り。
楽しくないわけがありません。
是非とも良い気分で帰って頂きたいなと。
(時差がありますが、当時は日差しの気持ちいい6月です)

普段は厳しく節制しているすーさん(2歳11カ月)への
ジュースやお菓子もお祭りということで解禁です。
食が細いじろさんも、お日様にあたって気持ちいいのか
いつもよりミルクをしっかり飲んでくれました。
そして当然のように大人たちはビールを飲みつつ
なれそめやら近況やらを聞いたりしゃべったり。

まったくもって幸せなひとときでした。

が。
ん?ちょっと臭う?

じろさんから香ばしいいつものニオイがします。
かあさんも慣れたものなので、
ビニールシートにブランケットを敷いて
どれどれ、とロンパースをまくりあげると…。

「ありゃー!」

茶色いあれがオムツから豪快にハミーしてました。
もう、背中を通り越して首のちかくまで。
さらに下着を超えて洋服まで染み出してる!
かつてない規模のハミー事件発生です!
(いつもより食欲があったのが敗因かっ!?)

「うわわわいっぱいでたねー」
とか言いながら、まあ、こういうこともあるよね、と
新婚夫婦に余裕を見せる私でしたが、
次の瞬間に崩壊しました。

いきなりすーさんが吐いたのです。
マーライオンのように、直立不動で。

「あぎゃー!」

今度はさすがに叫びました。
旅行で浮かれてお菓子を食べ過ぎた時も
大好きな特急に乗って駅弁を食べた時も、やっぱり吐いたので、
“イベントで浮かれて食べ過ぎて吐くすーさん”
には慣れたものでしたが、
このタイミングでやられるとは思いませんでした。
いや、いつも不意打ちだけど。
左手に茶色まみれのじろさん、
右手にマーライオンのすーさんという状態は
かあさんの手に余ります。
ホント、びっくりした。

ふたりの洋服とビニールシートは早々にあきらめて
ゴミ袋に入れました。
新婚夫婦は我々以上に驚いていたというか、
もう完璧にフリーズしてましたが、
ここまでやらかしてもなお、なんとか取り繕おうと
「ま、まあ、こういうこともあるよ☆」
と笑顔で言ってみました。

二人が「子育てって大変」という思いを
前向きに抱いてくれたらいいな!と願います。

ちなみに家が近かったこともあり
(着替えを持ってくることを失念していたこともあり)
すーさんとじろさんはオムツ一丁で帰宅しました。
暖かい日でよかったです。

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