2015 年 6 月 21 日 のアーカイブ

飯國なつき 15年6月21日放送

150621-01

太陽① やなせたかし

 ぼくらはみんな生きている
 生きているから笑うんだ

やなせたかしが作詞した童謡、「手のひらを太陽に」。

この歌を作った時、やなせたかしは、
「自殺したいほどの」厭世的な気持ちに満ちていた。

漫画家を自認しながらも、仕事がうまくいかない日々。
暗いところで、冷たい手を暖めながら仕事をしていると、
ふと、自分の手のひらの赤さが電球で透けて見えた。

 ぼくは(中略)
 自分自身についても全く嫌気がさしていたが、
 それなのになんとぼくの血はまっかで元気そうに動いているのだろう。
 こんなに血が赤いのに、
 ぼくはまだ死んではいけないなとその時に思った。

きっとその時、
ぎらぎらと熱い「太陽」が
やなせたかしの心の中で輝きはじめていた。

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飯國なつき 15年6月21日放送

150621-02
M-Kou
太陽② 岡本太郎

1970年に開催された大阪万博。
シンボルとして、テーマ館の屋根を突き破って
そびえ立つのはかの有名な「太陽の塔」である。

屋根には、当初、穴を開ける予定はなかった。
ところが、岡本太郎は
「べらぼうなものをつくりたい」と言い出し
どうしても70メートルの高さが必要だと譲らなかった。

その土俗的なデザインは、
万博のテーマである「人類の進歩と調和」というテーマを
否定するためだったともいわれている。

岡本太郎はこんな言葉を残している。

「人類は進歩なんかしていない。
 なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。
 皆で妥協する調和なんて卑しい」

屋根を突き破り、そびえたった、岡本太郎の魂。
万博から40年以上たつ今でも、
人々の心を揺り動かし続けている。

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飯國なつき 15年6月21日放送

150621-03
emiton
太陽③ 吉野弘

詩人吉野弘の作品、「夕焼け」。

夕暮れ時の電車の中で、
心やさしい娘が、お年寄りに席を譲る。
ありがとうの言葉もなくそそくさと座るお年寄り。
そんなことが三度も繰り返され、
辛い気持ちにおそわれたのか、やりきれなくなったのか
とうとう娘は、うつむいたまま、席を立たなくなった。

詩の最後は、こう結ばれている。

 固くなってうつむいて
 
娘はどこまで行ったろう。

 やさしい心に責められながら
 
娘はどこまでゆけるだろう。

 下唇を噛んで
つらい気持で
 美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘のことばは、誰もが経験したことのある、
けれど輪郭のぼやけた気持ちを形にしてみせる。

胸が痛くなるほど、はっきりと。

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森由里佳 15年6月21日放送

150621-04
JulGlouton
太陽④ いのちを燃やす

醜い容姿に生まれたよだかは、
その運命を嘆き、輝く太陽にこう願った。
 
 お日さん、お日さん。
 どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。
 灼けて死んでもかまいません。
 私のようなみにくいからだでも
 灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。

 
宮沢賢治作「よだかの星」の一説だ。
 
悲しみから逃げるように飛び続けたよだかは、
やがて青白く燃える星になる。
 
みじめな運命に苛まれ、
虫たちの命を食べるのをやめて死を選んだよだか。
裕福な出自に苛まれ、
家を飛び出し貧民のために生涯をかけた宮沢賢治。
 
どちらのいのちも
夜空の星のように尊く、儚く、
太陽のように熱く、輝かしい。

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森由里佳 15年6月21日放送

150621-05
Christopher Combe Photography
太陽⑤ ひかりに酔う

宮沢賢治は“共感覚”の持ち主だという研究がある。
文字に色を感じたり、現象に味を感じたりする人だというのだ。
 
彼が感じていた世界を味わうには、彼の作品を読むことだ。
たとえば「チュウリップの幻術」。
 
 あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が
 丁度水へ砂糖を溶かしたときのように
 ユラユラユラユラ空へ昇って行くでしょう。
 (中略)
 そして、そら、光が湧いているでしょう。
 おお、湧きあがる、湧きあがる、
 花の盃をあふれてひろがり
 湧きあがりひろがりひろがり
 もう青ぞらも光の波なみで一ぱいです。
 (中略)
 湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。
 どうです。チュウリップの光の酒。

 
花からあふれるその酒はきっと、
太陽の味がしたにちがいない。

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森由里佳 15年6月21日放送

150621-06
dcysurfer / Dave Young
太陽⑥ 輝きを失わない

光のパイプオルガン。
 
雲の切れ間から太陽の光が漏れて、
光の柱のように見える光景を、
宮沢賢治はそう呼んだ。
 
そして、いずれ農家を継ぐため
音楽の道を諦めねばならない生徒に、
こう語りかけている。
 
 もしも楽器がなかったら
 いゝかおまへはおれの弟子なのだ
 ちからのかぎり
 そらいっぱいの
 光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

 
この「告別」という詩は、
教師をやめて新たな一歩を踏みだす
賢治自身への言葉でもあるといわれている。

人は、逃れられない宿命の中で生きていく。
でも、絶望してはいけない。
自分の才能を捨ててはいけない。
どんな時も前を向くことが大切なのだ。
決して輝きを失わない、太陽のように。 

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

150621-07
artbyrandy
太陽⑦ アナクサゴラス

古代ギリシャでは太陽は神と考えられていた。
太陽はすべての生命の源である。
人々がそう考えるのは無理もない。

しかし、哲学者のアナクサゴラスは違った。
日食や月食などの観察から
太陽は燃え盛る巨大な石の塊であると説いた。

しかし、その説は人々に受け入れられるどころか、
神への冒涜として罪に問われてしまう。

アナクサゴラスの正しさが証明されるのは
のちの天文学の発展を待たねばならないが
彼の慧眼には驚くしかない。

常識を疑えば、そこから真理が見えてくる。

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蛭田瑞穂 15年6月21日放送

150621-08

太陽⑧ アリスタルコス

古代ギリシャ。
アリストテレスたちが天動説を唱えていたその頃、
数学者アリスタルコスは夜空に浮かぶ半月を見てこう考えた。

月は球体なのだから月の半分が照らされているのは
太陽光が真横から当たっているからに違いない。

そこからアリスタルコスは太陽と地球と月の位置関係と
それぞれの大きさを導き出し、こう結論した。

地球よりはるかに大きな天体が地球のまわりを
一日に一回まわっているのは不自然である。
太陽ではなく地球がまわっているのだ。

しかし、彼のこの説が広く受け入れられることはなかった。
太陽中心説が再び注目されるのは約1800年後、
コペルニクスの登場によってである。

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