2016 年 7 月 30 日 のアーカイブ

中村直史 16年7月30日放送

160730-01

音楽に生きる人 新庄清貴さんと小宮大輔さん

国と国の境で
国籍の壁をこえて、
みんなでいっしょに歌いたい。

そんなことを夢想した人たちがいる。

日本と韓国の国境ぞいの島、
対馬生まれの
新庄清貴(しんじょう・きよたか)さんと小宮大輔(こみや・だいすけ)さん。

夢は計画に変わり、計画は行動になった。
日本と韓国のアーティストも動き出した。
「対馬ボーダーアイランドフェスティバル」

新庄さんはこんな風に語ってくれた。

  国境の島が、友好の架け橋になる。 
  困難はいっぱいあるけど、ぜんぶ越えられると思うんです。

国境の壁を越えようとする思いが、
人の気持ちの中にある
いろんな壁を乗り越えようとしている。

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三島邦彦 16年7月30日放送

160730-02

音楽に生きるひと 小澤征爾と斎藤秀雄

世界の音楽通をうならせる日本のオーケストラ、
サイトウ・キネン・オーケストラ。

それは、
指揮者の小澤征爾をはじめ多くの音楽家を育てた教師、
斎藤秀雄先生を偲ぶ演奏会から生まれた。

常設の楽団ではないため、
全体の調和よりも、それぞれの奏者の強い個性が際立つ。
その自由闊達なハーモニーは、
新しいオーケストラの形として高く評価された。
定期的に演奏会を開くようになり、
海外公演にも招待され、
グラミー賞も受賞するなど、
世界的なオーケストラへと成長した。

小澤征爾は、斎藤先生に言われた言葉を思い出す。

 伝統といっても、そこには良い伝統と悪い伝統がある。
 その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。
 もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ。

西洋音楽の伝統のない日本で音楽を教え続けた斎藤先生。
そこから巣立ち、世界中の良い伝統を取り入れた教え子たちによって、
世界に響く音楽が生まれることになった。

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三島邦彦 16年7月30日放送

160730-03
ultraswank.net
音楽に生きる人 フランク・シナトラ

フランク・シナトラ。

アカデミー賞を受賞した映画スターであり、
マフィアとの関係も噂された危険人物。
なにより、20世紀の音楽界に
決定的な影響を与えた歌手だった。

その声でファンの女性達を
失神させた若き日から、
70代になっても現役だった晩年まで、
シナトラの声は、世界中で愛され続けた。

貧しい移民の子からアメリカを代表するスターへ、
歌声だけでのしあがった彼の人生。
彼の声には、彼の人生のすべてがあった。
これは、シナトラの言葉。

 傷を隠すんじゃない。その傷が、君という人間を形成しているんだ。

シナトラの声が人々の胸を打つのは、
一筋縄ではいかない人生を、
すべて受け入れてくれるような響きがあるからかもしれない。

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三國菜恵 16年7月30日放送

160730-04
*key1jp
音楽に生きる人 井上陽水

2002年。
日本を代表する夏フェス、フジロックフェスティバルに呼ばれた井上陽水。

いわゆるフェスなんかははじめてで、
若いお客さんは多いし、
いつもと勝手が違う。

一体何を歌ったらいいんだろう。
陽水は悩み、忌野清志郎に相談した。
するとこんなアドバイスをくれた。

「フジにくるお客さんは君のことはあまりよく知らないんだから、
 売れた曲から順番にやればいい」

少年時代、アジアの純真、氷の世界。
ヒット曲満載のステージを陽水は全力で届けた。

大御所と呼ばれるのは、
目の前のお客さんの反応を気にしてばかりいるからこそ、なのかもしれない。

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三國菜恵 16年7月30日放送

160730-05
Atos International
音楽に生きる人 峯田和伸と大森靖子(おおもりせいこ)

ある日ライブハウスで、
マイクに向かって自分のアドレスを叫んだ。
すると何人かのファンがメールを送ってくるようになった。

ロックバンド・銀杏BOYZのボーカル、峯田和伸は、
ファンから日々受信するメールを、
高円寺のアパートでスクロールしていた。
その中に、いつも同じタイトルで送ってくる女の子がいた。

メールタイトル:大森靖子

おそらくそれは彼女自身の名前。
学校でうまくいかない、バイト先で面倒が多い。
そんなことが、妙に文学的な長文でつづられていた。

峯田はそれを見ながら思った。

 誰かに毎日メールを送ってくるのってすごい。
 力も使うし時間も使うし。
 そんぐらいのことをやってる人が
 楽器とか持って曲とか書いたらたぶんすごいのにな。

数年後、彼女は夏フェス会場を埋める
シンガーソングライターになって登場する。

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