2016 年 7 月 31 日 のアーカイブ

熊埜御堂由香 16年7月31日放送

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記録のはなし 澤穂希の記録

6回のワールドカップを経験したサッカー選手、澤穂希。
彼女の功績はFIFA女子ワールドカップ最多出場選手
としてギネスに登録されている。

そんな彼女もサッカーを辞めよう
と本気で思ったことがあった。

1990年代に日本のプロサッカー部が次々廃部を決める中、
澤は思い切ってアメリカに渡る。
「クイック・サワ」と呼ばれ大活躍する中で、
あるアメリカ人と恋に落ちた。
彼と一緒に暮らしながら、サッカーに全力投球する充実した日々。
しかし、突然、プロリーグが休止することになった。
この時、澤は恋人と結婚してアメリカで暮らそうと決意する。

恋人の、「サッカーやめられるの?」

という問いに「もちろん」と答えた。
すると恋人は意外な言葉を返した。

「きみには、とことんサッカーをやってほしい。」

澤はそのひと言に背中を押されて、
再び日本のプロサッカー界へ戻ってきた。
ひたむきな生き方、
それが彼女に多くの記録をもたらしたのだ。

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小野麻利江 16年7月31日放送

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Corn Farmer
記録のはなし イチロー

2016年6月15日。
サンディエゴ・パドレス戦。
9回2アウト。
イチローは日米通算4257本目となるヒットをはなち、
「プロ野球における通算最多安打数」の
ギネス世界記録を達成した。

マーリンズに移籍した昨シーズンは、
メジャー移籍後最低の成績に終わったが、
今季は、課題となっていた
「強い当たり」のヒットの割合が格段に上がり、
40歳を過ぎても復調する姿に、
専門家さえも驚きを隠せない。

 常に人に笑われてきた その悔しい歴史が僕にはある

パドレス戦後に開かれた会見で、
そんな想いを口にしたイチロー。
常にクールな彼のその目には、涙が浮かんでいた。

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石橋涼子 16年7月31日放送

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記録のはなし 織田幹雄

1928年のアムステルダムオリンピックで
アジア初となる金メダルを獲得したのが織田幹雄だ。

種目は陸上、三段跳び。
織田は著書の中で
私はオリンピックの穴を狙った
と語っている。

この一見すると戦略家のような言葉は、
織田幹雄にはしっくりこない。
なぜなら、なかなか記録が伸びずに
オリンピック出場も危ぶまれ、
周囲から引退をほのめかされながらも
黙々とフォームの改良や基礎の徹底を続けた
織田の愚直なまでの努力を、多くの人が知っているからだ。

今、陸上の神さまと呼ばれている彼の言葉として
しっくりくるのは、こちらだろう。

 僕は「精進」という言葉を信条にやってきた。
 これは自分なりの解釈で
 「精を出せば、必ず進歩する」という意味です。

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石橋涼子 16年7月31日放送

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記録のはなし 前畑秀子

水泳選手の前畑秀子は幼いころから数々の記録を残し、
若干18歳でロサンゼルオリンピック日本代表に選ばれた。

結果は0.1秒差での銀メダル。金は逃したが、
自分が持つ日本記録を6秒も縮めた結果に、秀子は満足したという。

ところが、日本に戻った秀子を待っていたのは、
多くの人々からの「残念だ」という反応。
4年後のベルリンオリンピックに向けての重圧はすさまじく、
何度も何度も水泳を辞めようと考えたという。
それでも彼女を引き止めたのは、亡き母の教え
「やりかけたことは最後まで」の想いだった。

そんな前畑秀子が、五輪直前を振り返った時の言葉が残っている。

 優勝できなかったら、帰りの船から飛び込んで死ぬしかない。
 しかし自分は泳げる。
 さて、どうやって死ぬか。

何事も最後までやりとげる信念を持つ彼女は、
無事、ベルリンオリンピックで優勝し、
日本人女性初の金メダリストとなった。

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薄景子 16年7月31日放送

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KUHT
記録のはなし カール・ルイス

オリンピックが生み出した
陸上競技界の世界的ヒーロー、カール・ルイス。
4大会を通じて獲得したメダルは、
9個のゴールドを含む10メダル。
走り幅飛びでは、4連覇の偉業を達成した。

そんな数々の記録を生むために
カール・ルイスは、
日々どんなトレーニングに励んだのだろう。
彼はこんな言葉をのこしている。

 楽しいと思う方法でトレーニングせよ。
 ベストを尽くせば、誇りに思える。
 自分にとってのオリンピックで
 「達成感」という金メダルを勝ち取ろう。

それは、スポーツに限らず、
目標をもつすべての人にエールを送る言葉。
楽しむ、そして、ベストを尽くす。
そうすれば、結果は必ずついてくる。

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茂木彩海 16年7月31日放送

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David W. Carmichael 
記録のはなし スルヤ・ボナリー

1991年の世界選手権。

ここで幻の4回転ジャンプが氷上に舞った。
スルヤ・ボナリー。
当時圧倒的に数が少なかった黒人の女性フィギュアスケーターである。

得意のジャンプを武器に、数々の選手権で会場を沸かせたが、
4回転ジャンプですらも、
「表現力が足りない」「回転不足」などの理由から
入賞を果たせず、その実力がなかなか評価されない選手人生が続いた。

そんな中迎えた1998年長野オリンピック。

彼女は、競技ルールでは禁止されている後方宙返りを行った。
見たことも無い大技に歓声を上げる客席。
演技終了後、彼女は審査員に背を向けて、客席に向け、笑顔でポーズを取った。

せめて自分らしく終わろうと、彼女なりに決意した瞬間だった。

委員会の正式な記録では、この11年後、
女性で世界初の4回転ジャンプが成功したとされている。

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茂木彩海 16年7月31日放送

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記録のはなし 刈屋富士雄

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」

体操ニッポンが大活躍を果たした2004年アテネオリンピック。

男子団体、最終演技者の冨田洋之が鉄棒から降りた瞬間の
実況は、いまでも名実況として記録されている。

テレビ放送史に残る実況を行ったのは、
アナウンサーの刈屋富士雄。

実はこの時、刈屋はもともと別の言葉を用意していた。
「体操ニッポン、日はまた昇りました」。

しかし直前で、ローマ大会から実に28年ぶりの金メダル獲得を
過去の栄光と、これからの未来をつなぐ「架け橋」
という言葉で表現することを選んだ。

刈屋は言う。

 言葉は不思議で、その瞬間に出たから伝わる。
 1分ずれると伝わらない。命があるんですかね。

その瞬間を、言葉で記録する。
その言葉が、観る者の記憶をつないでいく。

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