2016 年 8 月 6 日 のアーカイブ

佐藤延夫 16年8月6日放送

160806-01

作家とオリンピック 三島由紀夫

1964年。
三島由紀夫は、39歳になっていた。
そのころは、代表作「仮面の告白」や「金閣寺」が英訳され、
海外でも高い評価を受けている。
ノーベル文学賞の有力候補にもあがっていたという。
そんなとき彼が取材したのは、東京オリンピックだった。
開会式の風景を克明にレポートしている。

「坂井君は緑の階段を昇りきり、聖火台のかたわらに立って、成果の右手を高く掲げた。
 そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもっと高いのだ。」

三島由紀夫は、スポーツの祭典を好意的に捉えた。
あれから半世紀。
31回目のオリンピックが、はじまった。

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佐藤延夫 16年8月6日放送

160806-02

作家とオリンピック 岡本太郎

1964年。
岡本太郎は、53歳だった。
東京オリンピックでは、デザインの一部を任され
参加メダルの表側を担当している。
ちなみに、最初にこの仕事の話が来たとき、
選手としてオファーされたと勘違いしたという。
いかにも彼らしいエピソードだ。
そして東京オリンピックのマラソンでは、新聞にコラムを書いている。

「赤、青、緑、ナマな色とりどりのパンツやランニング。
 その中に真っ黒いテラテラした膚(はだ)。
 着るものよりも、肉体の色どりがさらに強烈だ。」

岡本太郎の見たオリンピックは、やはり芸術の一部だった。

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佐藤延夫 16年8月6日放送

160806-03

作家とオリンピック 星新一

1964年。
東京オリンピックの年、星新一は38歳だった。
数年前、日本SF作家クラブ設立に参加し、
毎年のように短編集を上梓していたころ。
新聞に、オリンピックを題材にした短編が掲載されている。

「今日はオリンピックでも見に行くとするかな。」
「あら、うちの立体カラーテレビで見物すれば、同じことじゃないの。」

こんな書き出しで始まる物語は、いかにも星新一の世界だった。
オリンピックは、世界の驚異的な繁栄のため毎年開催され、まもなく年に2回となる。
旅行サービス社に電話をすれば、空中ステーションから
大型ロケット機で開催地に運ばれる。
興奮した観客が現れると、鎮静作用のあるガスが噴射される。
そして特別オリンピックは、月の第一ムーンシティで行われる。

タイトルは、「オリンピック2064」。
星新一の想像するスポーツの祭典は、
今よりも、ずっとずっと未来の話だ。

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佐藤延夫 16年8月6日放送

160806-04

作家とオリンピック 小林秀雄

1964年。
東京オリンピックの年、小林秀雄は62歳だった。
文芸評論家としての地位を確立し、
自らの作品でも、さまざまな賞を受賞した。
前年の1963年には、文化功労者にも選ばれている。
「文体をもった批評は芸術作品だ。」
三島由紀夫にそう言わしめるほどの彼が、
東京オリンピックの記事を書いた。

「何か感想を書かねばならぬ約束で、原稿紙はひろげたものの、
 毎日、オリンピックのテレビばかり見ていて、何もしないのである。」

オリンピックは、作家の手を止めてしまうほどの媚薬なのか。

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