2016 年 8 月 28 日 のアーカイブ

澁江俊一 16年8月28日放送

160828-01
ChristianSchd
話を聞く力

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

エンデが書いたヒロイン、モモ。

おれの人生は失敗で、なんの意味もない、
生きていようと死んでしまおうと、
どうってちがいはありゃしない。

そう考えている男でも
モモに話を聞いてもらううち
自分の間違いを知る。

おれという人間はひとりしかいない、
だからおれはおれなりに、
この世のなかでたいせつな者なんだ、と。

SNSのおかげで、
発信する人は世界中に増えた。
聞く人は、どうだろう。

モモは人々の話を聞きながら
じっと待っている。
聞いてくれる人がいる、
その喜びを知った相手が
本当の自分の声に気づくのを。

topへ

奥村広乃 16年8月28日放送

160828-02

心と時間

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

彼はやさしい文章で、
多くの大切なことを教えてくれた。
代表作「モモ」の中にこんな一節がある。

「人間には時間を感じとるために
 心というものがある。
 そして、もしその心が時間を
 感じとらないようなときには、
 その時間はないもおなじだ。」

せわしなく時間が過ぎていくときは、
心が時間を感じる余裕が無いときなのだろう。

そんな時は、ゆっくりと息を吸って、吐く。
ゆっくりと吸って、吐く。

そんな深呼吸をしてみてはどうだろうか。
きっと
心が時間を感じる余裕を持つことだろう。

topへ

澁江俊一 16年8月28日放送

160828-03
h.koppdelaney
時は…なり

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

あなたは自由なんだから、
なんでも好きなことをしていいんだよ。

もしも誰かにそう言われても、
やりたいことが思いつかないとしたら…
あなたの時間は時間どろぼうに
盗まれてしまっているのかもしれない。

誰もが忙しさに追われる現代社会を
全身灰色の時間どろぼうという存在によって
見事に表現してみせたエンデ。

時は、金なりという言葉がある。
しかしエンデが伝えたかったのは
一秒も、一年も、そして一生さえも
時間の価値はひとりひとり違うのだ、ということ。

時は、心なり、なのだ。

topへ

澁江俊一 16年8月28日放送

160828-04
ChristianRevivalNetwork
亀は知っている

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

時間とは何か。
深く考えさせる日本の物語といえば
浦島太郎だ。

亀に導かれてたどりついた
竜宮城での幸せな日々。
しかしお土産に渡された玉手箱は、
太郎を一瞬で、老人にする。

エンデの童話、モモにも、
30分だけ先の未来を見通せる
カシオペイアという亀が登場し
モモを導いてくれる。
そしてモモは時間とは何か、
の自分なりの答えにたどりつく。

時間という
人間にとっての永遠の謎を
知っているのは、
いつだって亀たちなのだ。

topへ

澁江俊一 16年8月28日放送

160828-05
maxresdefault
自然なお金

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

もしもお金が、
腐るものだったら…。

持っているだけで
価値が少しずつ減るから
お金を貯めることが損になる。
だから人から人へどんどん流通し
経済を活性化させていき
貧富の差はなくなり、
苦しみも争いも減っていく。

エンデが温めていたこのテーマは
ファンタジーではなく、現実の話だった。
時が経つほど、利子によって
お金の価値が上がるから
経済は大きな矛盾を抱えてしまったと
エンデは考えた。

あらゆる生き物や食べ物のように
時が経つと、衰えたり、腐ってゆく。
それはとても自然なこと。
そろそろお金も自然のルールに
従うべきなのかもしれない。

topへ

礒部建多 16年8月28日放送

160828-06
Holy [K]
童話の解釈

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

エンデは、よく
こんな愚痴をこぼしていたという。

「大人は、すぐに何かと結びつけて読むから困る」

老若男女を問わず、
広く愛される作品を生み出してきたが、
54歳で出版した
「鏡のなかの鏡」は、特に不評だった。

ある人は、当時の社会批判と結びつけたり、
フロイトやカフカと照らし合わせ、
学術的に分析しようともした。

「分析されたり解釈されることを望まない。
 それは体験されることを願っている。」

奇しくも、副題は「迷宮」という。
解釈しようとせず、
文字通り「迷宮」のように
ただ作品の中で迷い続けるのも、
エンデが望む楽しみ方なのかもしれない。

topへ

松岡康 16年8月28日放送

160828-07
Ian Hayhurst
物書きの冒険

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

彼はどんな結末か考えずに物語を書いていた。

物語を書きながら、わたしは、もっぱら恣意的な思いつきに身を
ゆだねるのは具合のいいものだということを発見したのです。
すなわち、ものを書くことそれ自体を、冒険のように体験しうるのです。

魂の奥底から湧き出るストーリーに、自らのペンをゆだねる。
それが彼のスタイルだった。

エンデの代表作である「はてしない物語」。
この話の大部分は創作過程で切り捨てられ、
実際に出来上がったものは約五分の一ほどだったという。

その題名のごとく、
彼の心の中には物語が果てしなく広がっていた。

この世の中で最も冒険をしているのは、
冒険家でもなく、本の読者でもなく、
作家なのかもしれない。

topへ

澁江俊一 16年8月28日放送

160828-08
pat_makhoul
エンデと日本

今日は童話作家
ミヒャエル・エンデの命日。

本国ドイツの次に
彼の作品が読まれているのは
ここ、日本である。

晩年、エンデの妻となったのも
彼の童話「はてしない物語」を訳した
日本人女性の佐藤真理子。

日本をこよなく愛したエンデだが、
亡くなる直前に日本の番組で
こんな言葉も残している。

 私は日本の考え方には
 一種の危険性があると思います。
 それは、どの問題においても
 思考を日本の関心事に限定することです。
 それは日本の国家的なエゴイズムのようなものです。

愛している日本に向けた
厳しいエンデの言葉を
受け止めるべき時は、今かもしれない。

topへ


login