2017 年 2 月 のアーカイブ

蛭田瑞穂 17年2月12日放送

170212-04
ume-y
ファッションの言葉 川久保玲の哲学

1997年の春。
ファッションブランドのコム・デ・ギャルソンが顧客に送った
ダイレクトメールにはこんなあいさつが書かれていた。

 すでに見たものでなく、
 すでに繰り返されたことでなく、
 新しく発見すること。
 前に向かっていること。
 自由で心躍ること。
 コム・デ・ギャルソンは、
 そんな服作りをいつもめざしています。
 1997年春の服がそろいました。
 どうぞおでかけください。

それはコム・デ・ギャルソン創業者川久保玲の、
服づくりの哲学に他ならない。

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蛭田瑞穂 17年2月12日放送

170212-05
im nothing in particular
ファッションの言葉 川久保玲の炎

コム・デ・ギャルソンの創業者川久保玲は
ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで
ファッションの現在についてこう語っている。

 多くの人がファストファッションを求める状況に、
 私の創造の炎は少しばかり弱まっています。
 しかし、馬鹿げた振る舞いをすることも、
 愚か者を演じることも、(中略)
 ファッションビジネスには不可欠であり、
 いまだに私はそれが好きなのです。
 クリエイションこそが私を奮い起こさせますし、
 クリエイションのないところに進歩はありません。

川久保玲の創造の炎は、決して消えることがない。

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蛭田瑞穂 17年2月12日放送

170212-06
mollyali
ファッションの言葉 川久保玲のクリエイション

コム・デ・ギャルソンの創業者川久保玲にとって服づくりとは何か。
川久保はこう語る。

 私は自分の仕事をアーティストと考えたことはありません。
 私がやってきたのはただ、クリエイションというビジネスです。
 かつて存在しなかったものを創造すること。
 そして創造と表現をビジネスに結びつけること。
 私にはデザイナーと実業家を切り離して考えることはできません。
 私にとってそれは一体なのです。

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佐藤日登美 17年2月12日放送

170212-07
jerryfergusonphotography
ファッションの言葉 夫のことば

ブライダルファッションデザイナー、桂由美。
彼女は42歳のときに、11歳年上の旧大蔵省官僚、結城義人と結婚した。

結城はある取材で、桂についてこう話した。

 ウエディングドレスに自分のすべてを賭ける生き方があるんだと、
 感心しましたよ。
 だけど、この人程度の才能の持ち主なら大勢いるでしょうね。

ブライダル業界のレジェンドとも呼べる桂を捕まえて
「この人程度」と形容する夫。
だが、彼はこう続ける。

 由美はたいした能力はないが、一筋の道を脇目もふらずにやってきた。
 ずば抜けた能力はなくても、一生懸命に一つの道を進んでいれば、
 一流と呼べるレベルになれるという良い例ではないでしょうか。

桂の、ウエディングドレスに対する熱意を称賛しての言葉だった。

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佐藤日登美 17年2月12日放送

170212-08
waitscm
ファッションの言葉 上品なセクシーさ

和装婚全盛期の日本にウエディングドレスをもたらした、桂由美。

あるとき、アメリカのバイヤーが
彼女のデザインしたドレスについてこう述べた。

「マダム・カツラはなぜ『可愛い』ドレスばかりつくるのですか?
 『セクシー』さが足りない。」

当時の日本女性の結婚適齢期は25歳までとされ、
花嫁には若さと可愛らしさが求められた。
だが、今後は社会で活躍し、年齢を重ねて結婚する女性が増える。
そんな女性たちには可愛いだけにとどまらない魅力が必要だ。

そのバイヤーの言葉をヒントに、桂はどんな年齢の女性が着ても美しい
「上品なセクシーさ」を持つドレスを生み出した。

彼女が日本に提案したのはウエディングドレスだけでなく、
女性の新しい生き方だったのかもしれない。

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永久眞規 17年2月11日放送

170211-01

ぬいぐるみの話 A.A.ミルン

1926年、スコットランド人のA.A.ミルンが発表した
“Winnie-the-Pooh”は、
愛する息子クリストファー・ロビンに贈った物語。

物語の主役Poohをはじめ、他の仲間たちもみんな
息子が大切にしていたぬいぐるみだ。
自分のぬいぐるみたちが活躍する物語に、
幼いクリストファーは胸を躍らせたことだろう。

しかしこの素敵な贈り物が。
やがて親子の間に亀裂を生むことになった。

クリストファーは大人になっても
つねに“物語の中のクリストファー・ロビン”と比べられ、
その陰に苦しめられたのだ。

「物語のクリストファーは父の夢の中の理想のボク。
 しかし、誰もが彼をボクだと思うんだ。」

彼は次第に、作者である父親をひどく憎むようになっていく。

この優しくあたたかい物語がもつ、
もうひとつの悲しい物語だ。

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藤本宗将 17年2月11日放送

170211-02

ぬいぐるみの話 マーガレット・シュタイフ

1847年、ドイツのある小さな町に、
マルガレーテという女の子が生まれた。
1歳半のとき病気で両足と右手が不自由となり、
一生を車椅子で過ごすことになった彼女。
その人生を変えたのは、
洋裁という仕事との出会いだった。

左手だけで扱えるようにミシンを逆向きで使うなど
工夫しながら技術を身につけ、
30歳の時には家族の助けもあって洋裁店をひらく。

あるとき、甥や姪たちのために彼女がつくった
フェルト製のぬいぐるみが大評判に。
そこから会社はどんどん大きくなっていく。

彼女の会社の代表作となったクマのぬいぐるみは、
いまでも「テディベア」と呼ばれ愛されている。

そのクマは、19世紀という時代にあって
障害をものともせず、
自立した女性がいたことの証なのだ。

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福宿桃香 17年2月11日放送

170211-03
steeljam
ぬいぐるみの話 マイケル・ボンド

今から60年前のクリスマスイブのこと。
マイケル・ボンドはお店で売れ残っていた
クマのぬいぐるみを可哀想に思い、
妻へのプレゼントとして買って帰ることにした。

ぬいぐるみにパディントンと名付けると、
ボンドの頭の中に自然と物語が浮かんだ。
拾われるのを待っていたクマ、夫婦との出会い…
思うままに筆をすすめ、10日で本を書き上げた。

こうして生まれた童話『くまのパディントン』。
今日までに26作のパディントンシリーズを執筆したボンドは
インタビューにこう答えている。

 これはクマのぬいぐるみの持つ力。
 一緒にいるとぬいぐるみがちゃんと生きていて、
 動いたり喋ったりしているような気がしてくるんだ。
 僕はただそれを書くだけ。もし今のが本当だとしたら、って。

ぬいぐるみを愛する者にしか書けないストーリーが、
今日も世界中の人々を魅了する。

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村山覚 17年2月11日放送

170211-05
Christopher Hsia
ぬいぐるみの話 ジム・ヘンソン

カエルのカーミット。
世界で一番有名なカエルのキャラクター。

テレビにデビューしたのは1955年。
後に『セサミ・ストリート』で一世を風靡する
ジム・ヘンソンが生み出した、世界初のマペットだ。

ある日、カーミットはオックスフォード大学に
招待された。アインシュタインやマザー・テレサ、
歴代の大統領など多くの著名人が立った演壇で、
彼はいつも通りに大きな口を開けて語った。

 兄弟もたくさんいたし、
 両親は私を大学に進学させられなかったんだ。
 他のカエルみたいに生物学部に入って
 解剖学を専攻することもできたけど……
 まぁ向いてなかったんだろうね。

もし彼が大学に進んでいたら、
ぬいぐるみの歴史が大きく変わっていただろう。

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村山覚 17年2月11日放送

170211-04
thotfulspot
ぬいぐるみの話 ジム・ヘンソン

世界中から今も愛されている番組『セサミ・ストリート』。
登場するマペットたちの生みの親として知られるのが
ジム・ヘンソンだ。

今から60年以上前、操り人形のマリオネットと、
パペットを組み合わせて「マペット」という言葉を
使いはじめたのも彼である。

ジムは亡くなる前に、2つの遺言をのこした。
1つは、自分のお葬式で黒い喪服を着ないでほしい。
そして、ジャズバンドを入れてほしい。

追悼式当日。ニューヨークの大聖堂にカラフルな
キャラクターたちが集まった。エルモ、ビッグバード、
クッキーモンスター…。そして、番組では一切顔を
見せない人形師たちが、泣いたり、笑ったりしながら、
たくさんの歌を捧げた。

その日、ジムの手紙も読み上げられた。

「みんなと愛し合い、許し合って、いい人生にしよう」
「生きている間にこんな手紙を書いているのは妙な感じがするけど…
 死んじゃった後に書くのは簡単じゃないからね」

いつも愛とユーモアに満ちたジム・ヘンソンが生み出した
マペットたちは、これからもずっと生き続ける。

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