2017 年 9 月 23 日 のアーカイブ

川野康之 17年9月23日放送

170923-01

1978年のスワローズ その1

1978年のスワローズ

1978年は特別な年だった。
球団創設以来一度も優勝したことがないスワローズは、
その春アメリカ・ユマでキャンプを行っていた。
そこに1人のアメリカ人選手が、バット1本を持ってやってきて、
入団テストを受けた。
選手の名前はデーブ・ヒルトン。
脚を大股に開き、背中を大きく丸めた打撃フォームが独特だった。
テストに合格したヒルトンは、
内野手・一番打者としてチームに加わった。
彼は、オープン戦から打ちまくった。
そのプレーは、泥臭く、常に全力疾走で、気迫にあふれていて、
チームに影響を与えた。

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川野康之 17年9月23日放送

170923-02
Stembridge
1978年のスワローズ その2

1978年のスワローズ

4月1日の開幕戦。
1回、先頭打者のヒルトンは、
鋭い音を響かせてレフト線にヒットを打った。
全力疾走で一塁ベースを回り、二塁まで達した。
シーズンはここから始まった。
開幕3連戦を、スワローズは18得点を挙げて勝利した。
万年負け犬だったチームが今年はどこか違う。
新しいスワローズにファンは目を見張った。

そのときの開幕戦を、
神宮球場の外野席でスワローズファンの村上春樹が見ていた。
ヒルトンが二塁打を打った瞬間、
彼は「小説を書いてみよう」と思い立ったのだという。

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川野康之 17年9月23日放送

170923-03
Stembridge
1978年のスワローズ その3

1978年のスワローズ

スワローズのクリーンアップは個性派ぞろいだった。
三番、小さな大打者、若松勉(つとむ)31歳。
四番、怒れる赤鬼、チャーリー・マニエル34歳。
五番、月に向かって打つアッパースイングの大杉勝男33歳。
広岡達朗監督の管理野球のもとで、
ベテランたちはのびのびと自分らしくバットを振った。
3人合わせて86本塁打、271打点を挙げた。
このシーズン、スワローズの全130試合のうち、
無得点に終わったのは1試合だけだったという。
リーグ最強にして、もっとも個性的で、
もっとも恐れられたクリーンアップだった。

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川野康之 17年9月23日放送

170923-04

1978年のスワローズ その4

1978年のスワローズ

シーズン後半、
スワローズはジャイアンツと激しい首位争いを演じていた。
一度も手にしたことのない優勝がちらちらと視野に入る中で、
苦しい戦いが続いた。
万年Bクラスの弱いスワローズを引っ張ってきた
エースの松岡弘(ひろむ)が、ジャイアンツを完封し、
チームに勇気を与えた。
六番杉浦亨が逆転サヨナラ3ランホームランを打ち、
3試合連続サヨナラ勝ちをして、チームは加速した。
優勝が決まった瞬間、松岡がマウンドでカエルのように跳ねた。
その姿が選手たちの背中ですぐに見えなくなった。
彼らはもう負け犬ではなかった。

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川野康之 17年9月23日放送

170923-05

1978年のスワローズ その5

1978年のスワローズ

リーグ優勝をしたスワローズは、日本シリーズに進み、
ブレーブスを破って日本一になった。
多くの人々が、スタンドで、テレビの画面でそれを見守った。
1978年は特別な年だった。
スワローズの選手たちにとってだけでなく、ファンにとっても。

村上春樹は、その年の秋のことをこう書いている。
「素晴らしい天候が続く、とりわけ美しい秋だった。
空が抜けるように高く、絵画館前の銀杏並木が
いつにもましてくっきりと黄金色に輝いていた。」

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