2017 年 11 月 4 日 のアーカイブ

佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-01
inefekt69
作家と京都 夏目漱石

夏目漱石は、生涯で四回、京都を訪れている。

最初は26歳の夏、親友の正岡子規とともに。
そのとき衝撃を受けたのは、
初めて口にする食べ物「ぜんざい」だった。
汁粉に目がない漱石は、その味を絶賛している。
41歳の冬。二度目の京都では、
厳しい寒さに舌を巻いた。
その後も、43歳の秋。
亡くなる前の年、49歳の春にも京都を旅している。
そして、こんな言葉を残した。

「見る所は多く候 時は足らず候。」

11月の京都は、
時間がいくらあっても足りなくなりそうだ。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-02
Thilo Hilberer
作家と京都 井上靖

井上靖は、青春時代を京都で過ごした。

学生のころ、同じ下宿の親友と何度も訪れた龍安寺。
石庭の静寂とした美しさに、永劫不変の命を感じた。
大阪の新聞社に勤めてからも、
仁和寺の仁王門をくぐりにわざわざ出向いている。
そのためか、京都を舞台にした作品は多い。
短編に登場する「きぬかけの道」。
龍安寺と仁和寺を結ぶこの道は、
彼の散歩道でもあった。

11月の京都は、歩いても歩いても、歩き足りない。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-03
tetsukun0105
作家と京都 与謝野晶子

歌人、与謝野寛は、弟子二人を誘い、秋の京都に向かった。

弟子のひとりは、鳳晶子だった。
三人は永観堂で紅葉狩りを楽しんだあと、
寛の定宿、華頂温泉に泊まった。
その日、晶子が詠んだ歌は、
今も永観堂の境内、弁天池に残されている。

 秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき

明治33年11月5日のことだった。
翌年の正月、晶子と寛は再び京都で落ち合い、
密かに愛を育んでいる。

11月の京都は、内なるものを駆り立てるのだろうか。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-04
heiyo
作家と京都 谷崎潤一郎

潺湲、という言葉がある。
文字を見ると難しいが、
意味は、水の流れる様子や音のことだ。

作家、谷崎潤一郎は、
京都下鴨に居を構えたとき、屋敷を潺湲亭と名付けた。
石畳を歩き桧皮葺の中門をくぐると、
池泉回遊式の庭が広がっている。
母屋の縁側から橋が通じており、
離れの奥に、滝の流れる築山が見えた。

谷崎はこの地に7年間暮らしたのち、
熱海に転居するのだが、春と秋には必ず京都に赴き、庭を眺めた。

この家を手放すとき、
現状のまま使ってもらいたい、という谷崎の願いは叶えられ、
「石村亭」という名前で、次の持ち主によって大切に管理されている。

京都には、谷崎潤一郎の愛した風景が残っている。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-05
どらどら
作家と京都 芥川龍之介

京都は東山区にある青蓮院。
境内の巨大なくすのきが長い歴史を感じさせる。
この庭は、芥川龍之介も好んだという。

室町時代、相阿弥によって造られた庭園は、
粟田山を借景にした池泉回遊式となっており、
紅葉の時期は言葉を失うほどの美しさに包まれる。
芥川は、室生犀星にこんな手紙を送っていた。

 粟田口の青蓮院も人は余り行かぬところなれど
 夜も小ぢんまりとしてよろし
 是非みるべし

現在は境内がライトアップされている。
夜の紅葉も、是非みるべし。

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