2018 年 1 月 13 日 のアーカイブ

川野康之 18年1月13日放送

180113-01

漫画家水野英子ができるまで

小学校3年生の時、「漫画家になる」と決めた。
独学で、鉛筆で漫画を描き始めた。
中学生の時から漫画雑誌に投稿した。
しかし「水野英子」の名前はいつも入賞一歩手前の佳作どまり。
卒業すると、高校へは進まず、地元下関の水産会社に就職した。
採用通知とほぼ同時に、一通の手紙を受け取った。
東京の出版社からだった。

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川野康之 18年1月13日放送

180113-02

漫画家水野英子ができるまで

出版社からの依頼で、小さなカットを描いた。
いくつも案を作って送ると、
便せんにびっしり書かれた感想やアドバイスが返ってきた。
東京の編集者との間で分厚い封筒のやりとりが続いた。
漫画家水野英子が生まれようとしていた。
初めて完徹をしたときは、
祖母がずっとそばで消しゴムかけの
アシスタントをしてくれた。
夜明けの空がとてもきれいだったという。

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川野康之 18年1月13日放送

180113-03
yoppy
漫画家水野英子ができるまで

山手線の目白駅からバスに乗って10分。
椎名町4丁目の停留所でおりる。
停留所の先が三つ叉交番で、そこを右に入って、
二つ目をまた右へ曲がると左手に「トキワ荘」と書かれた看板が見えた。
水野英子、18歳。
はじめての上京である。
ぎしぎしと鳴るアパートの階段を上がりながら、胸がときめいていた。

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川野康之 18年1月13日放送

180113-04

漫画家水野英子ができるまで

短めのオカッパ頭にシューベルトのような丸ぶちめがね。
セーラー服に黒ズボン。
肘を張った右手で前髪をかきあげながら、
「水野です、よろしく」
とぺこんと頭を下げた。
その姿は、少女というよりはむしろ少年のようだったという。
目の前には同じトキワ荘の住人、
石森章太郎と赤塚不二夫が座っていた。

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川野康之 18年1月13日放送

180113-05

漫画家水野英子ができるまで

トキワ荘の部屋は四畳半。
家賃、月3000円。
トイレ、台所は共同。
石森章太郎、赤塚不二夫、水野英子の3人は、ここで
「U・マイア」というペンネームで漫画の合作をした。
仕事の合間に映画を見たり、夜遅くまで漫画の話をしたり、
仲間と過ごす毎日は刺激と楽しさでいっぱいだった。
七ヶ月をトキワ荘で暮らして、水野はいったん下関に戻る。
だがその七ヶ月は何年分にも相当する素晴らしい時間だったという。

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