2018 年 10 月 7 日 のアーカイブ

大友美有紀 18年10月7日放送

181007-01
Photo by ajari
「低い山・近い山」 八王子市・高尾山

ミシュランの三ツ星を獲得した高尾山。
東京の小学生にとって、そこは遠足の山だ。
初心者向けから上級者好みのコースまで、
高尾山には10を超える登山コースがある。
標高599メートル。
低学年の子どもたちは、ケーブルカーかリフトで
中腹まで登り、そこから1時間ほどかけて山頂まで行く。
学年が上がるにつれ、難易度の高いコースを登っていく。

 中腹の駅まで
 ケーブルカーで約6分
 リフトなら12分ほど。
 
駅を出ると高尾山ビアマウントがある。
大人の遠足では、ここを素通りする方が
難易度が高いだろう。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-02
Photo by koji_h
「低い山・近い山」 新宿区・箱根山

山手線内で一番高い山は、箱根山。
新宿の戸山公園内にある。標高44.6メートル。
江戸時代、尾張藩の下屋敷があった場所。
二代藩主の徳川光友が庭園を造った際、
池を掘った土でつくった築山。人工の山だ。
当初はお椀を伏せたような形で
玉円峰(ぎょくえんぽう)と呼ばれていた。
のちに庭園のなかに、宿場風の町家が並び、
ここを小田原宿に見立てて
箱根山と呼ばれるようになった。

 駒下駄で越すハ御庭の箱根山

文化5年、1807年の川柳にも詠まれている。
頂上まで登ると、登頂証明書がもらえる。
気軽に越せる「天下の険」だ。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-03
Photo by Rubber Soul
「低い山・近い山」 港区・愛宕山

山手線内でいちばん高い人工の山は、新宿の箱根山。
では23区に自然地形の山はあるのだろうか。
それは、港区の愛宕神社がある愛宕山。
標高25.7メートル。天然の山で、23区内でいちばん高い。
神社正面の急な石段を登っていくと、三角点がある。
これは、山である証。
江戸開府のおり、徳川家康の命により、
山頂に愛宕神社が創設された。
江戸のいちばん高い場所に、
防火の神様として祀られたのだ。
当時は、山頂から町並みや芝浦、品川の海が見渡せた。
数多くの浮世絵も描かれている。

 多くの人が茶屋から眺めを楽しんでいる
 急な石段をそろりそろりと降りていく人々もいる
 眼下には江戸の町並み
 遠くには海と船

広重が描いた「芝愛宕山上見晴之図 」。
見晴らしがいいことから、お月見の時期などは
人気のスポットだった。
今ではもうビルに遮られて海は見えない。
でも見上げれば、空は見える。
23区内のいちばん高い山で、
月を眺めてみてはいかが。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-04
Photo by *_*
「低い山・近い山」 文京区・椿山(つばきやま)

文京区は、青梅を頂点とする武蔵野台地の最東端。
5つの台地がある、坂の多い区だ。
その台地のひとつ、関口台地には南北朝の頃から
椿が自生する美しい場所だった。
椿山(つばきやま)と呼ばれていた。
このあたりには黒田備前守の下屋敷や
松尾芭蕉の庵もあったという。

 明治11年、1878年、軍人で政治家の
 山縣有朋が私財を投じ、つばきやまを購入。
 庭と邸宅をつくった。
 
山縣は、椿山荘(ちんざんそう)と命名する。
そう、現在ここには、ホテル椿山荘がある。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-05

「低い山・近い山」 北区・飛鳥山

北区の飛鳥山。標高は25メートルほど。
東京の低地との境界、武蔵野台地の北端にある。
飛鳥明神神社が祀られていたことが山名の由来だ。
8代将軍徳川吉宗が1270本もの桜を植えさせた。
桜が根付いて、花が咲くようになると、
水茶屋をつくることを許可し庶民に開放した。
今でも飛鳥山は花見の名所として知られている。
 
 江戸名所図会に「春花秋草夏凉冬雪眺あるの勝地なり」と記されている。
(しゅんか・しゅうそう・かりょう・とうせつながめ・あるの・しょうちなり)
 富士山や筑波山を眺めることもできた。
 近隣には王子稲荷や滝などの見どころもあった。

現在、飛鳥山には
ソメイヨシノ・サトザクラなどが約600本。
つつじは約10種・15000株。
京浜東北線沿いには、あじさいが約1300株。
芽吹き、花が咲き、新緑となり、葉が落ち、枝振りを楽しむ。
かつてと変わらず、四季を通じて訪れたくなる場所である。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-06
Photo by Quercus acuta
「低い山・近い山」 横須賀市・鷹取山

神奈川・横須賀市と逗子市の境界近くにある、鷹取山。
標高139メートル。
石材採取の山だったため、垂直に切り立った岩壁と
岩峰(いわみね)が残っている。
なんとも奇怪な印象を受ける山だ。

 鎌倉時代、三浦氏の領地で
 猟師が巣立鷹を献上していた
 太田道灌が鷹狩りに訪れていた。
 
鷹取の山名の由来はさまざまだが、
高いところを示す「タカットー」という言葉が
「タカトリ」となり、
猛禽類の鷹と取るの文字を当てたという説もある。
見上げる岩山に圧倒された思いが伝わってくる。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-07
Photo by studio-IRONY
「低い山・近い山」 目黒区・西郷山

国道246号線を渋谷を背にして進み、
旧山手通りを左に入って少し行くと西郷山がある。
ここは正確には山ではない。
台地の端で、目黒からは登っていくことになる。
だから「山」と呼ばれていた。

 下野した西郷隆盛のために
 弟、従道(じゅうどう)が手に入れた屋敷があった。
 地形を生かした広い庭園には、洋館、書院造りの和館などを配し、
 回遊式とした。東京一の名庭園とも言われた。

今では西郷山といえば、桜の名所だ。
20メートル落差がある人工の滝や、
晴れた日には富士山が見える展望台もある。
地形を生かした公園となり、多くの人をくつろがせている。

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大友美有紀 18年10月7日放送

181007-08
Photo by Thirteen-fri
「低い山・近い山」 富士塚

江戸時代、富士信仰があり、
各地に富士山に見立てた富士塚が築かれた。
都内に富士塚は100ヶ所以上あるといわれている。
なかでも、最も古いとされるのが
千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の富士塚だ。

 寛政元年、1789年に築造されたといわている。
 富士山の溶岩が頂上近くに配され、
 登山道は自然岩の階段になっている。

6月の終わりから7月のあたまの、
富士山の開山日に合わせて、富士塚も山開きを行なう。
この日にだけ登ることができる都内の富士山に、
チャレンジしてみてはどうだろう。

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