2019 年 11 月 3 日 のアーカイブ

大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  1954年11月3日

1954年11月3日、「ゴジラ」が封切られた。

ゴジラを演じた俳優、中島春雄は
封切りの日に、渋谷東宝劇場に行った。
駅から道玄坂の途中にある映画館まで
長い行列が伸びていた。
中島は、満員の劇場の一番前で
スクリーンではなく、観客席を見ていた。
映画が始まっても観客はザワザワしている。
そこへゴジラが登場する。
あの鳴き声が響き渡る。
客席は静まり返ったという。
まさしくゴジラが産声を上げた瞬間だった。

今日はゴジラの日。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  G作品

今日はゴジラの日。
65年前の今日、最初のゴジラ映画が上映された。

当初「原始恐竜が水爆実験の影響で復活し、東京を襲う」
という企画だった。
1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で核実験が行われ、
周辺海域にいた日本の第五福竜丸が被爆し、社会問題になっていた。
この事件とキングコングにヒントを得て、
大怪獣が復活する、というアイデアが生まれたと言われている。
この企画はクランクインするまで極秘で進められることになった。
仮に「G作品」と名付けられた。
GはGiantの頭文字、大怪獣からきている。
ゴジラの名はまだ生まれていない。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  香山滋

今日はゴジラの日。
1954年11月3日に最初のゴジラ映画が
封切られたことから、制定された。

水爆実験の影響で、大怪獣が復活し東京を襲う。
当時のプロデューサーは、この作品を
科学的裏付けのあるものにしたいと考えていた。
そこで、検討用ストーリーを推理作家の香山滋に
依頼することにした。
香山は旧大蔵省の官吏であり、
在職中からいくつもの小説を発表し、
第1回探偵作家クラブ新人賞も受賞している。
古生物学、地質学に造詣が深く、
その知識を探偵小説に生かしていた。
知人からは「魚や虫ばかりの科学怪談を書いている」と
言われていたという。
自らは怪奇、幻想、秘境に対する偏愛があると言っている。
つまり、日本にSFというジャンルが生まれる前に、
SF色の濃い作品を手がけていたのだ。

まさにゴジラを誕生させるにふさわしい作家だった。

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大友美有紀 19年11月3日放送


-Aschwin-
「ゴジラの日」  ゴジラが生棲(せいせい)していた時代

今日はゴジラの日。
65年前の今日、日本で初めて「ゴジラ」映画が公開された。

原作者で推理作家の香山は、
ゴジラを200万年前に生棲していた生き物だと設定している。
恐竜が栄えていた時代は、ジュラ紀から白亜紀、
約2億130万年前から6500万年前とされている。
なぜ、200万年前なのか。
それは直立2足歩行のアウストラロピテクスが
出現したとされる時代である。
人類が歩んできた歴史。
香山は、ゴジラの姿を人類と重ねたのだろうか。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  ゴジラは5時だ

今日、11月3日はゴジラの日。
65年前の今日、ゴジラ映画が公開された。

日本特撮の父、円谷英二は、
ゼロからゴジラを生み出した。

当時撮影所では「ゴジラは5時だ」という言葉があった。
円谷は、ミニチュアセットに現実感が出るように、
小さなライトをいくつも仕込む。
ゴジラの造形もチェックする。
昼間、オープンセットの準備に入り、撮影は夜。
セットはゴジラが破壊する。熱線をはいて火災を起こす。
一回限りの真剣勝負だ。
ワンカット撮るのに数時間かかる。
予定のカットを撮り終えた頃には、夜が明けている。

だから、ゴジラは、朝の5時だったのだ。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  円谷英二と伊福部昭

今日、11月3日はゴジラの日。
1954年の今日、「ゴジラ」が公開された。

音楽は、クラシック作曲家、伊福部昭。
ゴジラの鳴き声も発明した。

伊福部は円谷との出会いを回想する。
京都の小料理屋で月形龍之介と酒を飲んでいると
不意に客人が現れる。
月形はその客に向かって、またもらい酒か、などという。
客は気にとめる風もなく、ニコニコと酒を飲み、
洒脱な話をしながら延々と酒を飲んでいったという。

後日、東宝のスタジオで伊福部は、円谷を紹介される。
ハッとして、お久しぶりでございます、と深々と一礼した。
円谷は、やあお元気ですか、と答えたという。

この2人が日本映画に新しい風を起こすことになる。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  宝田明

65年前の今日、「ゴジラ」が公開された。
この作品で初めて主役を演じたのは宝田明。
ゴジラとともに歴史を刻み、俳優生活65周年だ。

撮影初日、宝田はスタッフに
主役をやらせていただきます、とあいさつした。
すると、ゴジラが主役だと声がとんできた。
宝田は、ゴジラを見たことはなかった。
文句の一つも言いたかったが、
その姿も形もわからない。
悔しい思いを胸に撮影に挑んだ。

けれども完成する頃には、確かに主役はゴジラだと
思うようになった。

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大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  香山の涙

1954年11月3日。
ゴジラの第1作目が公開された。

その1週間前、完成試写会が行われた。
圧倒的なゴジラを目の当たりにして
みな度肝を抜かれ、心を奪われた。
原作者の香山は上映後、ただ一人、席に残っていた。
ゴジラは好きで暴れたわけではない。
水爆実験さえなければ・・・・
かわいそうだと泣いていたという。
ゴジラが長く愛される理由がここにある。

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