大友美有紀 20年8月2日放送



「金銀の日」 熊谷一彌

今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得した、その記念です。

それに先立つ1920年、アントワープ大会。
2つの銀メダルを獲得した日本人選手がいました。
熊谷一彌。テニスのシングルス、ダブルスで2位。
しかし熊谷は、この成績を「一生の不覚」と悔いたそうです。
連日の雨で、決勝当日思うようにプレイできなかった。

熊谷は、その後デビスカップなどで活躍。
銀メダルの無念を晴らすかのようでした。

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大友美有紀 20年8月2日放送


Ed Yourdon
「金銀の日」 新規採用競技

今日は金銀の日。
1928年、アムステルダム・オリンピックで
日本人選手が、金銀のメダルを獲得したことを記念しています。

今年延期になった東京オリンピックでは、
サーフィン、スケートボードなど、
今まで、遊びや趣味としてしか
捉えられなかったスポーツが
新規競技として採用されています。

新しい競技に、登場するヒーローは誰か。
楽しみですね。

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佐藤延夫 20年8月1日放送


Hanasakijijii
湧水散歩 あきる野の湧水

多摩川の支流、
平井川と秋川によって形成された秋留台地は、
9段もの河岸段丘からなる。
このあたりは遺跡が多く、
縄文時代には人が定住していたと言われている。
豊かな湧き水があり、暮らしやすい環境だったのだろう。
今も、あきる野市には湧水地がいくつもあり、
その代表格とされる二宮神社の池は、
枯れない池と呼ばれている。
その透明度は、泳いでいる鯉が浮かんで見えるほどだという。

今日8月1日は、水の日。
きれいな水を、大切に。

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佐藤延夫 20年8月1日放送


emiton
湧水散歩 南沢緑地の湧水群

東久留米市を流れる、
全長およそ3キロの落合川。
南沢緑地は、落合川に向かって下る緩やかな斜面にあり、
クヌギやコナラなど雑木林の中に
多くの湧き水が見られる。
湧水が集まり水路となり、
この季節は、子どもたちの遊び場に変わるという。
平成の名水100選に、東京でただひとつ選ばれた落合川と南沢湧水群。
かつて弁天川とも呼ばれていた落合川の周辺では、
水をつかさどる神、弁天様が祀られている。

今日8月1日は、水の日。
きれいな水に会いたくなる。

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佐藤延夫 20年8月1日放送


珈琲牛乳
湧水散歩 矢川緑地

武蔵野台地の代表的な河岸段丘、
立川段丘の湧き水を集めるのは、
全長1.3キロの川、矢川だ。
立川市にある矢川緑地は、
上流部に湿地帯、下流には樹林帯の広がる里山となっている。
さらに矢川緑地から15分ほど歩くと、
ママ下湧水にたどり着く。
ママというのは崖のことで、
地層の隙間から地下水が湧き出る。
湧出量は都内でも有数と言われ、
昭和のはじめまで、ワサビが栽培されていたそうだ。

今日8月1日は、水の日。
きれいな水に会いたくなる。

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佐藤延夫 20年8月1日放送


あまがっぱ
湧水散歩 お鷹の道・真姿の池湧水群

江戸時代。
幕府は、江戸城を中心とした20キロ圏内の村を、
御鷹場という鷹狩りの拠点にした。
西国分寺にあるお鷹の道は、
その名の通り、狩り場へ続く小径だったと言われている。
崖から滲み出た湧き水が集まり、
遊歩道に沿うように水路が流れる。
東京でも数少ない自然湧水の場所となっている。

お鷹の道から続く真姿の池は、
平安時代、玉造小町という絶世の美女が
池の水で身を清めたところ、
病がたちどころに治ったという伝説が残されている。

国分寺市から世田谷区に位置する武蔵野段丘の一部は
ハケと呼ばれており、崖がハケに変わったのか、
湧水を吐き出すからハケなのか、その由来はわかっていないそうだ。

今日8月1日は、水の日。
きれいな水に会いたくなる。

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佐藤延夫 20年8月1日放送


根川孝太郎
湧水散歩 黒川清流公園

東京都日野市の西から関東山地につながる台地は、
日野台地と呼ばれている。
近くを流れる浅川方面の河岸段丘には、
豊富な湧水がいくつもあり、
その一部は整備され、黒川清流公園になった。

豊田駅北口を出て右に向かうと
数分で湧水のある公園が現れ、
水音の聞こえる遊歩道が続く。
黒川清流公園だけでも6〜7箇所の湧水があるという。
雑木林の緑と柔らかな水の流れは、
眺めるだけでも涼がとれそうだ。

今日8月1日は、水の日。
きれいな水に会いたくなる。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

夏の風物詩のひとつである、花火。

花火の原料となる火薬が発明されたのは、
今から2000年以上も前のこと。

中国で薬を発明したり、錬金術を研究したりしている研究者たちが、
偶然火薬を発明したことが始まりだったとされている。

ここで発明された火薬は、
世界中の戦いで使われることとなり、
日本でも戦国時代に鉄砲や打ち上げ式ののろしなどに
使われていた。

そんな火薬が、
花火として人々に観賞されるようになったのは、
江戸時代に入ってからのこと。

戦いがなくなったとき
人は火薬が作り出す美しさに気づいたのだろうか。

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河田紗弥 20年7月26日放送


MO
耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

日本ではじめて花火を観賞したのは、
あの徳川家康だと言われている。

1613年に、駿府城で
吹き出し型の花火を見物したという文献が残っており、
これをきっかけにçの生産が開始されたという。

新しい文化に敏感だった江戸庶民。
もともとは
疫病退散や水神祭のイベントとして開催されていたが
次第にお祭りとしての人気も高まり、
いつしか江戸では花火が大流行。

ただ、江戸の木造家屋は火事に弱いため、
たびたび花火禁止令も出されていたそうだ。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

日本最古の花火大会でもある
隅田川花火大会が始まったのは1733年。

当時は、「両国川開き」と呼ばれていた。
このときに花火を打ち上げたのは、
日本最古の鍵屋という花火業者であった。

その約150年後、
鍵屋の番頭が独立して花火業者を始めたのが玉屋だ。

鍵屋と玉屋。
両国橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が担当するなど、
ライバルとして、
この二つの花火業者は、さらに発展していった。

しかし玉屋はのちに火災を出してしまい、
これがきっかけで家名が断絶。

それでも「たまや〜」「かぎや〜」という声が
今でも花火大会では、どこからともなく聞こえてくる。

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