澁江俊一

澁江俊一 20年8月16日放送


kontenten
火と死

今日は、送り盆。

お盆という風習が
日本で一般的になったのは
江戸時代だと言われている。

それまでは長い間
僧侶や貴族だけが行う
特別な行事だったお盆だが、
江戸時代に入ると、
ろうそくや提灯が大量生産され
民衆にも定着してゆく。

線香やろうそく、提灯や花火…
儚い炎の灯りは
長い長い間
あの世とこの世をつなぐ
道しるべになっていた。

家でも街中でも
危ないからと炎に触れる機会が
少なくなった現代。
死を想う時間からも
遠くなってしまっているとしたら
それはとても寂しいことだ。

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澁江俊一 20年8月16日放送



サステイナブルな死

今日は、送り盆。

死んだらお墓に入るだけじゃ、
今はない。

多様化の時代、
人生の終わり方にも
様々な選択肢が用意されている。

縄文時代、
人は死ぬと姿形を変化させ、
様々な自然の一部に循環していくと
考えられていた。
鳥や花、木や獣など様々なものに
生まれ変わると。

自然を丁寧に観察することで
縄文人はその事実に気づいていた。
私たちは今、ようやく彼らの死生観に
近づくことができているのかもしれない。

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松岡康 20年8月16日放送


Primho
吊るされた棺桶

今日は、送り盆。

世界には珍しい死者の送り方がある。

標高1,500m以上の深い山間に位置するフィリピンの村「サガダ」。

崖に囲まれたこの村に足を踏み入れると、
異様な景色が目に入って来る。

崖の上の方に、棺桶がいくつも吊るされているのだ。

これはハングングコフィンという埋葬方法。

死者の魂が天に近くなるからという理由で、
崖の高い場所に遺体を吊るすのだ。

一見奇妙にも思える死者の送り方。
そこにも日本と変わらない死者への想いがある。

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松岡康 20年8月16日放送


Derek Bridges
ジャズなお葬式

今日は、送り盆。

世界には珍しい死者の送り方がある。

ジャズが生まれた地として有名な、ルイジアナ州ニューオリンズ。

ここニューオーリンズではお葬式にもジャズが根付いている。

棺を墓地まで運ぶ道中、
ブラスバンドの演奏する明るいジャズにあわせて、
参列者もいっしょにお祭り騒ぎをする。
ときには棺をお神輿のように揺さぶったり。

長い間、奴隷として搾取され、虐げられてきた黒人たち。
彼らにとって「死」は奴隷からの解放を意味し、
亡くなった人が天国へいくことを祝福しているのだという。

人は誰もが、肌の色も違えば、考え方も歴史も違う。
でもそれだから面白い。
色んな人がいる様に、お葬式も色んなやり方でやる時代が来るのだろう。

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礒部建多 20年8月16日放送


Smarteeee
遺体とダンス

今日は、送り盆。

日本のお盆では、先祖が帰ってくるとされているが、
マダガスカルでは、直接遺体を土から掘り起こす。

ファマディハナと呼ばれるその儀式は、数年に一度行われる。
埋葬された遺体を掘り起こし、新しい布で巻き直した後、
ご馳走を頂きながら談笑したり、楽隊の音色に合わせて踊るのだ。
生前と変わらずに愛する者と遺体と、
再会を楽しむのだと言う。

死者は遺体が完全に朽ちるまでは、
地にとどまると考えられており、
それは「第二の生」として見なされる。

今では、ペストの流行に関係するなどの懸念も指摘され、
実施の数こそ減ってはいるが、
その死生観は、人々の中に根付いている。

生と死。
その間にあるものに向き合うことこそ、
人間らしさなのだと思わされる。

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礒部建多 20年8月16日放送



エコ葬儀

今日は、送り盆。

ご存知だろうか。
一人の人間の火葬において、
約300kgのCO2を排出することを。
これは人の一年間の生活における排出量に近い値である。

昨今、環境問題への関心の増加から、
「エコ葬儀」なるものが取り入れられている。

木材の棺の消費を抑え、
燃焼時間の短い紙製の棺を使用することで、
省エネを図る事が狙いだと言う。

環境への配慮は、素晴らしいことである。
と前置きをした上で、
自分の愛する人を送る瞬間に、
「エコ」や「省エネ」などの言葉を用いられてしまうのは、
なんだかとても寂しい気がしてしまう。

それは「言葉」の選び方の問題な気もするが、
「死」と言う事柄への配慮が足りない気がしてならない。

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田中真輝 20年7月19日放送



幸せのダイバーシティ

幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。

トルストイの名言の中に、
「幸せの形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う」
という言葉がある。

しかし、本当にそうだろうか。

例えば、デンマーク語の「ヒュッゲ」という言葉。
これは、心地よく気楽な居場所を作り出して幸福感を
高めることを指す。

また、ドイツ語の「ヴァルトアインザームカイト」
という言葉は、森に一人でいる喜びを表している。

「アヤーナマット」とはイヌイットの言葉で
どうしようもならない現実を穏やかに受け入れる
ことを意味する。

こうした言葉で切り取られた感覚は、ユニークでありながら
わたしたちの「幸せ」のイメージを豊かに広げてくれる。

「幸せ」という言葉は一つしかないが、その言葉に
どれだけ多くの感情や、感覚を紐づけられるか。
それも、幸せになる方法のひとつなのかもしれない。

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澁江俊一 20年7月19日放送


Daveybot
見えざる手の原動力

幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。

圧倒的大部分が
貧困で惨めである社会は、
幸福な社会ではありえない。
と言ったのは「見えざる手」という概念を生んだ
経済学の父、アダム・スミス。

人間はいかに利己的であろうと、
本性の中には、他人の運命に関心を持ち、
他人の幸福をかけがえのないものにする
推進力が含まれている。

この人間の、共感の力こそ
見えざる手の原動力だとスミスは考えた。

未曾有の危機の中で
混迷する世界の経済。
見えざる手は今、私たちを
どこへ導こうとしているのか。

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田中真輝 20年7月19日放送


jm_escalante
幸福のアルゴリズム

幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。

科学の発達により、人間の生化学的なメカニズムが
解明されるにつれて、人の営みも一種のアルゴリズムに
すぎない、という考え方が生まれている。

人間がある行動をするのは、人類が存在し続けるために、
そうプログラムされているからに過ぎないというのだ。

こうしたい、と思うためには、その引き金となる
何かの理由があり、その理由にも、引き金となる理由が
あり…と無限に後退していくプロセスの中に
自由な意志が介在する余地は存在しないように見える。

幸せとは、人間という種が効率よく生き残るために
プログラムされた「餌」である。
そう言われたときに、しかし強く反発する気持ちがある。
これもまた単なるプログラムだと言うのだろうか。

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田中真輝 20年7月19日放送


Muffet
炎と向き合う時間

幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。

仏教には「諸行無常」という有名な言葉がある。
すべてのものが、移ろい変わっていき、その形を
とどめない。ならば、ああしたい、こうすれば
よかったなどという一時の欲望や悩みに執着する
ことに、どれほどの意味があるのだろう、と
問いかける言葉である。

煩悩の炎を消し、悟りを開くなどということは、
普通の人間には無理だとしても、胸を焦がす
その炎のゆらめきを少し距離をおいて眺めてみる、
そのとき感じる静けさもまた、ひとつの幸せの
ありかたかもしれない。

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