中山佐知子 2007年7月27日



フォッサマグナの西の境界線に

                      
ストーリー 中山佐知子
出演   大川泰樹

フォッサマグナの西の境界線に詩人が帰ってきたのは
まだ本当に若いときだった。

そこは4億年も昔にできた古生代の地層と
わずか1500万年の新しい地層を
1本の川がかろうじてつなぎ止めている地形で
地質学的に見ると
日本でもっとも重要な土地と言えそうだった。

もしこの結び目が解けたら 
川は裂け、山と山は別れ
緑のしずくを滴らせながら
日本の国がまっぷたつに割れるだろう。
フォッサマグナの西の境界線は
その存在そのものが大いなる警告だった。

そうでなくても境界線の土地は地滑りが多い。
一夜にして谷は平原になり
川は湖になってあたりの風景が激変することがあった。

詩人は新しい文学を志してこの土地を出、
古い美しい調べを破壊する運動を起こして
また舞い戻ったのだったが
その破壊は文学の地形を変えるまでには至らなかったし
むしろそれが幸いだったともいえた。

境界線の土地には穏やかな夏が訪れていた。
川の最初の一滴は緑の湿原から湧く水から流れ出し
水の中にまで小さい花が咲いた。
山や川を歩いてみると
花も水ももともと自分の言葉を持っているように思われた。
それはなつかしく古い調べに似ていたので
詩人はかつて自分が壊そうとした言葉を
いまさらながら美しくいとおしく感じるようになった。

明日この谷が裂けて
地滑りの土砂で埋まっても
その上にまた花が咲き、水が流れ
同じ調べを奏でるだろう。

では、その破壊をもたらすフォッサマグナの境界線は
どんな言葉を持つというのか。
一度でいいからその言葉を聞いてみたかった。

詩人の家に川の石が届けられたのもそのころだった。
石は灰色の中に緑が混じっており
調べてみると
日本には存在しないとされていた翡翠の原石だとわかった。
その発見は日本の古代史を塗り替える重さを持ち
神話の時代の翡翠の王国を証明するものだったが
詩人はその石を
すべての石の中でもっとも割れにくい性質を持つ緑の翡翠を
ふるさとの、フォッサマグナの西の境界線が
自分に贈ってくれた言葉だと思い
ただそのことだけを喜んだ。

1938年の夏のことだった。

翡翠の発見については
鑑定をした博士が学術雑誌に発表しただけだったので
ほとんど注目されずに終っている。

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP

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佐倉康彦 2007年7月20日



さようならの贈りもの

                   
ストーリー  さくらやすひこ
出演  浅野和之

妻が逝ってから、
はじめての夏を迎えた。

彼女が端正しつづけた
小さな庭も、
その主を失ったせいで
名も知らぬ夏草に覆われ、
少しばかり荒れている。

その野放図なまでの
緑の氾濫は、
かえって
激烈な生命(いのち)の発露を
私に見せつけているようで、
いっそすべての植栽も
引き抜いてしまおうかと思うのだが…

それも、できぬままでいる。

この庭を見て、
彼女は私になんと言うだろうか。

この夏、
三十路に入る息子は、
この家から独立して
既に十年近い時間が経つ。
ともすれば、
口よりも手が先に出てしまう。
そんな、ただ厳しいだけの私を
受け入れることなく、
今では彼もやさしい父親として
郊外に家族3人で
慎ましく暮らしている。

妻がまだ入院する前に、
滑り込むように嫁に行った娘は、
時折、この家にやってきては、
無精な私に代わって
あれこれと家の雑事を
片付けてくれている。

そして、
いつも決まって
荒れた庭先を黙って見つめ… 、
小さなため息を、ひとつつく。

そんなひとりきりの我が家での
週末の私は、
もっぱら本の虫ということになる。
庭に溢れる緑の下に息づく
地虫とさほども変わらない。

老眼が出はじめてからは、
本の虫には、
小さな眼鏡が欠かせなくなった。
妻から贈られた華奢で洒落た
老眼鏡は、
数日前に私が誤って踏みつけてしまい、
今は、修繕に出ている。

その前に掛けていた
旧い方の老眼鏡は…、
…確か、
妻がしまっておくと
私に言い置いていたことを想い出した。

茶の間の用箪笥の引き出しを
すべてひっくり返す。
台所の水屋の戸棚を
片端から引き開ける。
仏壇の厨子(ずし)を開け放つ。

元気だった頃の妻の写真が、
そんな私の往生する姿を見て
微笑んでいる

ない。
只管(ひたすら)、ない。
眼鏡が、ない。

しかし、
思いも掛けないものが、
用箪笥や水屋の戸棚から出てきた。

ひとつは、
息子がまだ小学生だった頃に
描いて贈ってくれた
私の似顔絵だ。
クラスでひとりだけ
金賞をもらったと
顔を上気させていた幼い彼の顔。
乱暴に頭を撫でる私。
そんな光景が一瞬、頭の中で明滅する。
クレパスで描かれた私は
画用紙いっぱいに破顔している。
私は、
彼にこんな顔を見せたことも
あったのか。

もうひとつは、
結婚式当日に娘から送られた
妻と私宛の手紙だった。
当時は、どうしても読む気がせず、
妻に託したままだった。

封は既に切られていた。
妻が読んだのだろう。

右に少しあがった癖のある娘の文字が
目に飛び込んでくる。
もう、一年以上も前に書かれた
娘の思いが、今更のように
私の中に染みてゆく。

そして、
仏壇の引き出しの奥に仕舞われた
文箱(ふばこ)から、
それは、出てきた。

結婚する前に、
私が妻へ贈った安物のブローチとともに。

病院の名前が印刷されたメモ用紙には、
震える文字で
ただ一言だけ、こう書かれていた。

「また、会いましょうね」

老眼鏡を掛けていないせいか、
私には、その文字が滲んで、

よくは見えなかった。

*出演者情報:浅野和之 5423-5904 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年7月13日



追憶

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、少女たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて
三浦半島の油壺のおじさんが
鎌倉の雪ノ下の私たちの家に、
やってくるのは、そういう季節だった。
「やあ、みゆきちゃん、
水玉のワンピースが素敵だねえ」
みゆきというのは、私の名前である。
両親が四十歳を過ぎて、やっと生まれた、
ひとりっこである。
あの頃は、小学生だった。
おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役さんだったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、NHKがテレビ放送を
始めた年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、私、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

私は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。       
「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
私は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
六十歳を過ぎたのは、二年前で・・・・・・

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだねえ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を落しているのだろう。
その草の陰に、私もちょっと、
休ませてもらおうかな。

*出演者情報:久世星佳 SIScompany inc 03-5423-5904

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一倉宏 2007年7月6日



 
不公平な贈りもの

                       
ストーリー 一倉宏
出演  いせゆみこ

私の姉のことを 
「間違いなく<世界の4大美女>のうちのひとりだ」
といったひとがいる 
そのうち3人はすでに歴史上の人物だから つまり
<世界でいちばんの美女>と いいたかったらしい
そういったのは 
私がひそかに憧れていた 近所の大学生のお兄さんだった

なにしろ 姉ときたら 生まれたときから
ベテランの産科の先生に「こんな美人は見たことがない」といわれ
病院中の看護婦さんたちが のぞきにきては喚声をあげたほど
歩きはじめた姉のかわいらしさに比べたら 
どんなお人形さんもただの人形に過ぎなかったし
幼稚園に入る以前に 親戚のテレビ局のプロデューサーから
「絶対に芸能界には入れない方がいい」と忠告を受けていた

小学中学では 学芸会や運動会のたびに 全校の父兄が
姉の姿を カメラやビデオに収めようと夢中になる始末で
高校では 独身の男性教師を担任にしないよう学校側が配慮し
それでも 化学(ばけがく)と体育の教師が高熱を出したという噂
クルマの運転をはじめたら スピード違反で捕まった白バイの
おまわりさんに 免許証を返されると同時にプロポーズされた・・・
その頃はすでに<世界の4大美女>入りを果たしていた姉に
こんな神話は 日めくりカレンダーのようにあった

ひとにはよく聞かれる 
「あんなに美人のお姉さんをもつのは どんな気持ち?」と
この質問には曖昧に微笑むしかない 単純には答えられないから
たずねるひとは すでに無意識のうちに姉を神格化していて
そして無意識のうちに 私に同情している
「もう慣れましたから」と 私は答える
「あ そうね そういうものかも」と 相手は妙に納得する

いま思えば 父も母も とても心配していてくれたのだ
こんな特別な姉がいて そして 特別ではない妹の私がいて
両親はとにかく 「お姉ちゃんは ほかのひとよりも 妹よりも
ただちょっときれいなだけだから」と 繰り返し教えさとしていた
それは「ほかのひとより背が高いとか 鼻が低いということと
なにも変わらない」 個性のひとつに過ぎないということ
姉は 素直にそれを受け止めて育ったが 妹の私はひそかに
そして時々 泣きじゃくりながら猛烈に 反発した
個性のひとつひとつがすべて 神様の贈りものだとしても
それは なんて不公平な贈りものだろう と

けれど 私にもようやくわかったのだ
姉より早く 結婚して こどもを産んで はじめて

産科の先生が お義理で「美人、美人」と呼んだ
鼻の低い この私の娘だけれど・・・ 
間違いなく「世界でいちばんかわいい」と 夫にも私にも思えること
なんだ こういうことだったのか・・・
両親がいっていたのはこのことで それはまったく正しかったのだ
いつかこの子が 自分の 小さな丸い鼻について
夫か 神様を  恨む日がくるとしても

「お姉ちゃんも早く結婚しなよ 
 あんまり美人だと苦労するね」 というと

「ほんとにそうね」と ぬかしやがった姉だった

*出演者情報:いせゆみこ  03-3460-5858 ダックスープ

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中山佐知子 2007年6月29日



星のお母さん

                      
ストーリー  中山佐知子
出演  大川泰樹

星のお母さん
あなたがたったひとつの秘密を僕たちに教えて
バラバラに散ってしまってから
もうずいぶん長い時間がたちました。

あなたの破片は小さな星々になってただよい
いま、そのひとつに僕が住んでいます。
あなたの最後の思いやりのおかげで
小さな星はひとつについて人がひとり住むことができます。

友だちの星は大家族なので
村と呼べるくらい大きな星です。
けれど、僕の星にだって両親が残してくれた畑と
明るい森がひとつあります。
畑は僕を養ってくれるし
森は僕を元気づけてくれます。

僕は森に入って
小鳥の声を聴いたり
野いちごの赤い実をさがすのが大好きです。
たったひとつ不足といえば
「おはよう」や「おやすみ」を言う相手がいないことですが
でもそれはどうしても必要なことでしょうか。

1週間ほど前、友だちが来て言いました。
森の木を伐って畑を広げないなんてもったいない。
それから2日ほどすると
こんどは見たことのない女の人がきて
森の木を伐って大きな家を建てたら
自分の星と僕の星を繋げてもいいと言いました。

女の人はキレイな顔をしていたし
女の人の星も手入れが行き届いた素晴らしい果樹園で
水を汲む井戸までありました。
でも僕の森はいつもひんやりと涼しく
柔らかい土の下には水が流れています。
そのおかげで僕の星は井戸がなくても
水に不自由がありません。
僕は僕の森を壊したくないのです。

星のお母さん
僕たちの小さな星がどんどん繋がっていくと
いつの日か、バラバラになる前のあなたのように
大きな星ができる。
みんなそれを夢見て自分の星を育て
星と星をどんどん繋げています。
僕もそうするべきでしょうか。
森を壊して、誰かの星を迎え入れるべきでしょうか。

近ごろ、気づいたことがあります。
僕の森がほんの少し、大きくなりました。
よその星の森が壊されたときに飛んできた鳥や虫が
森を広げているらしいのです。

星のお母さんが最後に教えてくれたこと
森も虫も人も、星の一部だということを
どうして僕は忘れていたんだろう。

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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中村直史 2007年6月22日



サイババに祈ってみた、その日の夕方。

                         
ストーリー 中村直史                          
出演  マギー

「働いているわたしが夕飯の準備までして、
職探しの身のあなたがそんな平気な顔で食べて。
なんか、結婚したころは、こんなんじゃなかったのになあ」
と、妻が言ったとき、
ぼくは、たまたま、サイババのことを考えていた。

インドに住んでいるという、いろんな奇跡を起こすという、
あのサイババのことをだ。

何もない空中をぱっとひとつかみするだけで、
きれいな石がその手のひらからあらわれたり、
医者が見放した難病の人を、突然治してしまったり。
いつかテレビで見た彼は、ほんとにいろんな奇跡を見せていた。

もし彼が「本物」ならば、
ここから遠く離れた国にいるとしても
僕の気持ちをテレパシーみたいなもので受け取って、
何か見せるくらいできるはずだ。

そう勝手に解釈して、
ごはんはしっかり食べつづけながらも、
妻の話も一応ちゃんと聞いているというそぶりも見せながらも、
心の中では、「サイババ、平凡な日々を送るこの平凡なぼくに、
何か奇跡を見せてもらえませんか」と、
なにげに真剣に祈ってみたのだった。

5回くらい繰り返し祈って、何くだらないこと考えてるんだ?
と思い始めたとき、妻が「ねえ、わたしの話聞いてないでしょ」と言った。

たしかにぼくは聞いていなかったのだけれど、
そんなことはどうでもよくて、
妻はそのせりふを言ったあと、ゲップをしたのだった。

それは、とても小さな音で、「きゃふ」と変わった音だったから、
一瞬ゲップだとはわからなかった。
でも、それはゲップだった。
美しいゲップだった。
音程で言うと、たぶん「ファ」と「ラ」の2つの音のつらなりで、
宙に放たれたゲップの上に、スタッカートの記号がついているかのような
快活で、輪郭のはっきりとした響きがあった。

おおげさに聞こえるかも知れないけれど、
生きていてよかったと思えるほどのゲップが、
この世界にはあるのだと教えてくれる、そんなゲップだった。

あっけにとられるぼくに向かって、妻は
「今の、ゲップじゃないから」とちょっと怒ったような顔で
弁明しているのだけれど、
ぼくは、その怒った顔さえもなんだか神々しく見えてきて、
「ああ」とつぶやいた。

ああ、やるなー、サイババ。

うれしくて、ついニヤニヤしながら、
「ごはんおかわりある?」と聞いたら、
妻は落ち着きをとりもどした声で「あるよ」と答えたのだけれど、
ちょっと間をおいてから、
「ほんとにゲップじゃないんだってば」と言ったのだった。

*出演者情報 マギー 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Photo by (c)Tomo.Yun

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