中山佐知子 2020年10月25日「石蕗」

石蕗(ツワブキ)

   ストーリー 中山佐知子
      出演 地曵豪

「とくさ」という駅から歩いて
山をひとつ越えたところが津和野だった。
どれだけ歩いたのかはわからない。
いま鉄道の路線で見ても十二、三キロほどあるから
山道を歩くとなると、さあな…と言って祖父は首を傾げる。

これは祖父が若かったころの話だ。

津和野を見下ろす山から坂道を下っていくと
町の入り口あたりに茶店があった。
開け放ってある入り口から中に入ると
まだあどけないくらい若い娘がひとりで店番をしながら
長い野菜のようなものを刻んでいた。
お昼はとうに過ぎて腹を減らしていた祖父は迷わず中に入り
飯を頼んだら、名物の蕗飯と切り干し大根の汁と蕗の佃煮がでた。
津和野とは石蕗の野と言う意味で、
山や野原の日当たりのいい場所には石蕗が群生している。
アクが強く手間はかかるが
蕗飯と佃煮はあたりの名物だった。

その蕗飯をあっという間に一膳平らげ。
おかわりを運んできた娘にひとりかと尋ねたところ、
娘は多少の身の上話をし、
三月前に亡くなった父親の百か日が過ぎたら
奉公先を探すつもりだと答えたそうだ。

祖父はその晩、友人が紹介してくれた家に泊まり
いろいろおもてなしにあずかったが、
昼間食べた蕗飯が頭から離れず
翌朝、益田まで歩いて列車に乗る前に
娘の茶店へ行き、また蕗飯を食べながら少し話をした。

東京に帰ってしばらくすると娘が本当に訪ねてきた。
祖父の母は娘を見るなり
おばあさまにお願いしましょうと言って
娘を祖父の祖母に預けた。
祖父の祖母はむかしお旗本に行儀見習いに上がっていたという
しっかりもので、
女ひととおりの教養を身につけているかわりに
たいへん厳しい人だったが、条件付きで娘を引き取った。
条件というのは、祖父と娘が会うのを禁じるというものだった。

会うのを禁じられても、行けば娘がお茶を出すし、
たまには蕗の佃煮が届くようになる。
一年も過ぎる頃には
娘は簡単な手紙の代筆ができるようになり、
その字を見て祖父の母が感心するような具合になってきた。

三、四年も経ったころ、祖父は結婚を命じられた。
相手はあの茶店の娘だった。
すでにあどけなさは消えて、
ふっくらと優しげな面立ちのきれいな娘になっていた。
姿勢の正しさと歩きかたが
なんだかばあさまそっくりだ、と、祖父はひそかに思ったそうだ。

この結婚はうまく行った。
僕が知っている祖母は優しいがしっかりした人で
どこかのんびりした祖父は
この人のおかげで大過なく生きてこられたと思う。
祖父の家の庭の、日当たりのいい場所には
艶々した緑の葉を広げた石蕗があり、
10月には黄色い花を咲かせていた。

石蕗は丈夫でいつも青々としているせいか
日陰の暗い場所に植える人が多いが、
日向に移してやると毎年花が咲く。
祖父はたぶん、庭の石蕗を植え替えるように
娘を日が当たる場所に移してやりたかったのだ。
それは祖父のいっときの気まぐれだったかもしれないが、
娘は辛抱を重ねて花を咲かせたのだろう。
いま僕はそんな風に思っている。



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直川隆久 2020年10月18日「10月のたのしみ」

10月のたのしみ

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

え?
あ、インタビュー?
はいはい、いいですよ。

ああ、いい陽気だね。
え、これからどこへ?
近所の小学校にね、見物に行くんですよ。
運動会だよ。
10月といえば運動会でしょ。

いや、そうなのよ。
今年はさ、たいがいの小学校、コロナで中止なんだよね。運動会。
たるんどるね、まったく。
でもね、この先の「すめらぎの園 小學校」はね、敢行しとるんですよ。運動会を。
コロナをものともせずね。感心にも。

え?
いや、保護者じゃないよ。
純粋に鑑賞に行くわけ。

運動会でわたしが楽しみなのはね、ま、組体操とか騎馬戦もあれなんだけど、
一番好きなのは、行進だね。
え?なにが楽しい?
わからんかねえ。
こどもたちってのはさ、元来、自由奔放に、放埓に生きたいもんじゃないの。
その子どもたちがだね、ぴしっとこう、集団行動を美しくするように調教…
調教っつたら、あれか(笑)、
教育、そうそう、教育されてる、その有様を見られるのが、行進なわけよ。

おいっちにぃ、おいっちにぃ、みぎ、ひだり、みぎ、ひだり…
ぜんたーい、とまれっ!
きをつけー!
まえへーならえっ!
(満足げな笑い)
いやー、その様子を見てるとね、ああ、美しいなあ。としみじみ思うんだなあ。

小学校学習指導要領を読むとね、この「集団としての行動」が非常に重要な、
教育のですな、項目として考えられている、ってことがわかるわけ。
こどもの成長にしたがって、少しずつ与えられる課題が高度化していく。
その計画がねえ、非常に緻密に組み立てられててね、
ほとほと感心するんだな。

あぁた、知ってる?
文部科学省が発する学習指導要領のだね、
「各学年の目標および内容」ってのを見てごらんよ。
ググればいいでしょ。
うん、で、そこにさ、小学生の体育の内容として、
こういうことをおやりなさい、ってことが書いてあるじゃない。

第1学年と第2学年のとこを見るとだ。ま、いろいろあるんだけど、
その中のひとつに「縦隊」…縦にならんだ隊列、ね?「縦隊の集合、
整とんなどの集団としての行動ができるようにする。」ってのがある。
そう、たてにまっすぐ並んでね。前へならえ!ってできるようにしましょうと。
これが、こどもが学ぶべきことだ!と、はっきり書いてある。
小学校1年からだよ?
すばらしいなあ。
縦隊ってのはあれだよ、軍事用語だからね?
大日本帝国陸軍の伝統がね、学習指導要領にはこんにち、なお、
脈々と息づいている!
うちてしやまむ!
月月火水木金金!
伝統の裾野は、小学校1年の幼子にまで及んでいるわけよ。

で、第3学年、第4学年のとこを見るとどうか、というとだ。
「縦隊の集合、整とん、行進などの集団としての行動ができるようにする。」
とあるわけ。

え、さっきと同じ?なに言ってんの、もう。
「行進」てのが加わってるでしょう!「行進」が!
ここで、いよいよ、行進がでてくるわけ。いや、はっきり言いましょう。
行軍ですよ、行軍。
小学校3年生から、行軍のシミュレーションをしているんだよ、
わが国の少年少女は!
これがけなげと言わずして、なんだという話だよね。

で、第5学年と第6学年の学習内容として、「縦隊及び横隊の集合、整とん、
列の増減などの集団としての行動ができるようにする。」って書いてある。
ね、縦隊に加えて横隊!さらに列の増減!
こうやってさ、丁寧な段階を踏むことによってだね、日本の子どもたちは、
規律と統制を身につけていくわけだな。
横溢する生命の躍動はさ、枷をはめられてこそ、美しく輝くんだ。
たまらんねえ。

え、なに?
歳?わたしの?
今年、70だね。
ああ、だから先の大戦のときはまだ生まれていませんよ。

あ?なに?
「実際の戦争を知らない」?
そりゃ知りませんよ。生まれてないんだから。
生まれる前のこと知ってたら、オカルトだろ。

いや、わたしは勉強してますから。
本、すごい読んでますから。

あれ?

ひょっとして、あれか?
おたくら、「戦争の現実を知らない世代が、戦争賛美」みたいな、
そういう浅い批判をしようと思ってる?
そういう系のメディアの人たち?

なんだよ。
なに。

なにが悪い!
軍服着てカメラぶらさげて、何が悪いんだ!
自由だろう!それが自由じゃないのか!
ステロタイプで人を判断するな!
表現の自由を侵害するんじゃないよ!

もういい、もういい。
反論してくんな。反論してくんな。
あーあ、しゃべって損した。
忙しいんだ、わたしは。
早く行って、ローアングルで女子たちを狙えるポジションを
確保しなくちゃならんのだから。

はい、失敬しますよ。失敬、失敬!



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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小野田隆雄 2020年10月11日「10月の露天風呂」

  10月の露天風呂

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

今年の10月1日は、
昔の暦では8月15日になる。
昔の暦の10月1日は、
現代の暦では11月15日である。
現代の暦は地球が太陽をひと回りする、
約365日を基本にしている。
昔の暦は月の満ち欠けに必要な
約29日を基準にして作られているので、
1ヶ月が30日にならない。
そのために、1ヶ月の日数を29日か30日として、
1年を12ヶ月または13ヶ月とした。
たとえば10月が二度ある年もできたりしたのである。
そうすることで、日数を調整し、
季節を合わせるようにした。
18世紀には世界の多くの国が現代の暦を使用していた。
日本は鎖国をしていたので、
ずっと昔の暦を使用していた。
それで別に問題もなかった。
けれど鎖国を止めて、
世界の国々と交流するようになると、
よその国との関係で、不便なことも重なったのだろうか。
明治政府は明治5年1872年の12月3日を、
1873年の1月1日と定めた。
古い暦を捨てたのである。
暦が変わって、人々がいちばん影響を受けたのは、
季節感だったかもしれない。
昔の暦では、1月から3月まで春、
4月から6月まで夏、7月から9月まで秋、
10月から12月までが冬だった。
奈良や平安の時代から江戸時代まで、
1000年以上も、
日本人は春に始まり冬で終わる一年の暦の中で、
季節感を育ててきたのだと思う。

暦のことに少しこだわった理由は、
私の季節感の中で、10月のイメージが、
あいまいになってしまうからだった。
暑い夏が去ってひんやりと秋の風が吹いてくる9月。
空気の冷たさが冬の訪れと
秋の終わりを知らせてくれる11月。
秋の代表的な季節感は、
みんな9月と11月に持っていかれてしまう。
私はいつも、そんな感じを持っていた。
そのくせ、10月という名前に強く秋を感じてしまう。
この落ち着かない気持ちは何だろうか。
この落ち着かない、けれどはかない気持ちは何だろうか。
そのような10月のイメージが、
昔の暦では10月を冬の始まりとしていることを知って、
なんとなくホッとしたのは高校時代、
古文を学ぶようになった頃だったと思う。
その10月について、次のような記憶がある。
なつかしいが、少し恥ずかしい記憶でもある。
大学受験に失敗して浪人していたとき、
9月の模擬試験で、最悪の点数を取った。
それを理由として、気分転換のために旅に出た。
群馬県の長野原から山深く入った温泉宿を目指した。
家族旅行で何度か訪れた旅館である。
長野原の駅に降りたったとき、
北関東の団体らしい人たちが
大声で話しているのが聞えた。
「今夜は仲秋の名月じゃないかい?」
とすれば、あの日は10月の15夜だったのかもしれない。
なぜか、あの大声が、今も耳に残っている。
旅館について夜になり、夕食のとき、
私はビールを一本つけてもらった。
高校を卒業してジュース、というわけにはいかない。
旅館の人は、私を大学生だと思っている。
「今夜はお月さまがきれいですよ。
ゆっくり露天風呂で見るといいですよ」
私と同年配のような女中さんが、
最初の一杯だけビールをついでくれて、席を立った。
食事が終わって一人、NHKテレビを見ていた。
山深い場所では民放は写らない時代だった。
参考書を開く気にもなれず、
私は露天風呂に行ってみようと思った。
「男湯」の看板がかかっている曇りガラスの戸を開け、
脱衣所から浴室へ。
浴室の先に露天風呂の入り口が見える。
大きな岩の間をくぐり抜けると、
谷川の流れる音が聞こえて、
川筋を見おろすように露天風呂が広がっていた。
月の光をあびて、川の流れが見える場所に、
ゆっくりと腰を沈めた。よく晴れた夜。
虫の声と川の流れる音を聞く。
客は私ひとりだった。
しばらく眼を閉じていた。
5分ほど過ぎた頃、
突然にはなやいだ女性の声が、
驚くほど近くで聞こえた。
振り返って、露天風呂の入口の方向を見ながら、
私は思い出した。
ここの露天風呂は、
入口は男湯と女湯に分かれているけれど、
湯船はひとつだったのである。
湯船は広い。それでもお互いの顔は、はっきりと見える。
すぐにその場で、風呂から出ればよかった。
しかし女性たちの前を、
お湯をかき分けて進む勇気が出てこない。
私は顔をあげてお月さまを見あげていた。
「お邪魔さまです」
「ごめんなさい、お兄さん」
彼女たちはくったくなく私に声をかける。
私は月を見あげたまま受け答えをしていた。
話を聞いていると、
彼女たちは生命保険の女性セールスマンのようだった。
私はついに、やっと「お先に」と言い、
ジャブジャブと湯船を歩いて、露天風呂を出た。
そして脱衣所にたどり着いた。
浴衣を着るまでの記憶はあった。
情けないことに、私はそのまま失神してしまったらしい。
温泉の湯気に当り、脳貧血を起こしたのだ。
気づいたときは、自分の部屋に寝かされていた。
宿の人と生命保険の女性たちが、
心配そうに私の顔をのぞいている。
きっと露天風呂を出ていく私の様子に、
彼女たちは不安なものを感じ取ってくれたのだろう。
「ああ、よかった」
誰かがつぶやいた。
私は布団をかぶってしまいたかった。
翌日の早朝、
私は長野原の西にある鳥居峠に向かって少し歩いた。
この峠を越えれば長野県である。
青空に強い風が吹き、
色づき始めた雑木林の枯れ葉が、
小鳥のように飛んでいく。
昨夜の彼女たちは、
今日は赤城山にいくと話しているのを思い出した。
私は宿に戻った。
彼女たちに「ありがとう」を言おうと思った。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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正樂地 咲 2020年10月4日「10月のOJJM」

10月のOJJM

   ストーリー 正樂地 咲
      出演 地曵豪

松山さんが 大きめジージャンを 羽織ったから
ようやく ぼくにも 秋が来た
大きめジージャンを 羽織った松山さんは  ぼくに
くりごはんより さんまより さつまいもより
今が秋なんだと 知らせてくれる

“大きめジージャンの松山さん”
略して「OJJM (オー ジェイ ジェイ エム)」
「OJJM」は 綿菓子とチョコレートパフェの
かわいさを足して倍にして そこに
子猫も トッピングしたような …
  
まぁ しかし 今年の長引く暑さには 
ヒヤヒヤした 暑いのに ヒヤヒヤ
9月に入っても 涼しくならず
今年は「OJJM」なしのまま
「FFCM(エフ エフ シー エム)」
”ふわふわコートの松山さん”に 突入かと 
春の花見も 夏の海水浴も なかった今年…
って 毎年どっちも 関係ないけども
「OJJM」まで失ったら
季節の移ろいなんて あってもなくても同じだろ
それが この10月に入った途端
不意打ちの「OJJM」解禁
鮎釣りの解禁 潮干狩りの解禁と並んで
世界3大解禁のひとつ
ニュースキャスターは 伝えます
待望の「OJJM」 いよいよ 解禁です
そして さらに 臨時ニュースです 
臨時ニュース? なんだそれ?
下品な関西人であり 友人でもある 広瀬氏の 
LINEによれば
例の松山さんの大きめジージャン
あれ彼氏のらしいで(笑)

ぼくの秋は今 終わった 冬だ 永遠の冬が始まった



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2020年9月27日「水月」

水月

   ストーリー 中山佐知子
      出演 地曵豪

その夏借りた下宿は川の土手に面した二階の部屋で
東の窓から月が昇るのが見えた。
土手の向こうを流れる川はゆらゆらと月を映していた。
僕は夜になると明かりを消して窓を開け、
川風に涼みながら空の月と川の月を眺めた。

あんまり月を見ると、と下宿のおばさんが心配をする。
狐に化かされますよ。

この土地には狐の伝説が多い。
子供がとんでもない山奥に連れて行かれたとか、
同じ道をぐるぐるまわって帰れなくなったとか。
昔は山がもっと間近にあって、ここは村というより小さな山里だった。
そんなころに狐を殺した人がいて、
村はずれから自分の家まで、その狐をひきずって持ち帰った。
するとその晩、火事が起きて
狐をひきずって通った道筋の家がぜんぶ燃えてしまった。
それ以来、狐を殺す人がいなくなったという。

「いまはもう狐もたまに人を化かすくらいで
 たいして悪さはしませんから」
おばさんは狐の友だちのようなことを言う。
おばさんの爺ちゃんが若かったころ、
月がふたつ見えたと言って騒いだ人がいた。
いまなら火球とか、科学的な説明ができそうだが
そのときは狐のいたずらということで
みんなで大笑いしてお稲荷さんに酒をお供えしたそうだ。

そんな話を聞いてから、
僕の月を見る目には一抹の疑いが宿るようになった。
まさかとは思うけど、これは本物の月なのだろうか?
空に浮かぶ月は本物だとしても、川の月はどうなのだろう。
いや、もともと水に映る月は本物ではない。
本物ではないが、偽物ともいえない。
田圃の一枚一枚に映る月、池に映る月、海の月。
ひと粒の水滴だって月を宿すことがある。
月を宿した水は月でもあり水でもあり、
そして月でもなく水でもない…

水に映る月には水月という名前がついている。
そして水月は禅の教えであり、剣道の極意でもある。
悟りや高度な技の習得は
たぶん日常から離脱する精神のジャンプ力を必要とする。
それにはもしかしたら、狐…
いや、狐に象徴される超自然のパワーを借りるのかもしれない。

そんなことを思いながら、あの夏は月を見た。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2020年9月20日「蛙と月」

蛙と月

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

真夜中、深い穴の底の水面に白い光が忽然と現れ、
蛙はまぶしげに眼をほそめる。
取り囲む岩壁に前足をつき、一年前にしたのと同じように見上げる。
はるか頭上、もうひとつの光があった。
北回帰線上にあるこの地では、年に一度、満月が天頂で南中する。
その夜にだけは、垂直上方からの光が穴の底部にまで届くのだ。

記憶の限り、蛙は生まれてよりずっと、
この細長い穴の底、溜水のほとりに棲んでいる。
よどんだ水に潜れば虫の卵やら藻やら、食うものには事欠かない。

以前には、一匹の仲間がいた。
一年前、頭上にあの光があらわれた夜、仲間は、
ああ、ああ、と嘆息を重ねた末に、もう耐えきれぬ、と声を漏らした。
――見たか、あの光を。
――ああ。
――ああ?あれを見てなにも感じないのか。ここまで来いと誘うあの光を見て。
ここにあるのと同じだろう、なにが違う、と蛙は水面の光をさしていう。
仲間の蛙はかぶりを振り、おまえはわかっていない、と言った。
――これは、幻にすぎない。
――幻?
――おれは外にでる。導きの光に従って。
蛙には、相手の言葉の意味は皆目わからなかった。
ただ、そうか、とだけ言い、岩をよじのぼる仲間を見送った。
夜を徹して遂行された慎重な登攀のすえ、仲間は穴の淵にたどりついた。
いよいよ外へでようというとき、舞い降りた一羽の黒い鳥が、
仲間をかぎ爪で捕らえた。
鉤爪に握りつぶされた仲間の腸の内容物が降り落ち、
水面の丸い光が小刻みに揺れ、じきに元に戻った。
蛙は、1年前のその夜のことを思い出しながら、目の前の水をぺろりと舐めた。

日が過ぎた。
穴の底の空気の温度も、徐々に高まっていく。
蛙はある日水に潜り、おや、と思った。足がやけに頻繁に底の砂に触れる。
水が浅くなっているのだ。
そういえば、以前なら毎夕のように頭上から降り注いだ雨がここしばらくなく、
岩壁に生える苔も、徐々に生気を失っている。
今までなかったことだ。
空気が乾き、蛙は、ひりつく表皮を冷まそうと頻繁に水の中で過ごすようになったが、かつては縦横に泳ぎ回れるほどに豊かだった水が、
今は、蛙の鼻先あたりをようやく隠すほどの深さしかない。
じりじりと皮膚が乾いていく感触に意識をむけず、
ひたすら眼を瞑(つむ)り、時が過ぎゆくのを待った。

どれだけの日夜が繰り返されたろうか。
体が届く範囲の苔も虫の卵もとうに食いつくしていた。
食い物を求めるなら、動かねばならない。だが、動けば、消耗する。
動けぬまま、さらに、幾十という昼と夜が過ぎた。
雨への期待が裏切られた数を数えることにも、もはや蛙は倦み疲れてしまった。

ある夜、森の鳥たちの声を遠くに聞きながら、
蛙は、年に一度だけ現れるあの丸い光を思い出していた。
この穴の底には存在しえない完璧な輪郭をもった光。
どんな鳥も、虫も、あの光の向こう側を飛んだのを見たことがないほどの、
遠く、遠く、からの光。けして触れることのできない、
手をかざしても温度を感じない、冷たい光。

記憶の中のその光を、蛙は初めて「美しい」と思った。
それはただ遠いだけでなく、「美しい」ものだった。
その感慨は、蛙をある洞察に導いた。
鳥に食われた「仲間」にとって、あの光をめざすことは、
重力に逆らう方向へと身を動かすこと以上の意味があったのだ。
外にしかないものが、ある。
外にでれば、あの美しい光はひょっとすると、年に1度だけでなく、
もっと頻繁に下界を照らしているのかもしれない。
いや、ひょっとすると、あの光以上に美しいものが、
外にはあるのかもしれなかった。そのことに、蛙は初めて思い至った。

不意に、蛙は、今まで感じたことのない恐怖を覚えた。
自分はこの穴の底以外の場所を知らぬままに死ぬ。
この世界の何も。知らない。ままに。
その事実が、圧倒的な重みをもって蛙の意識にのしかかってきた。

蛙は、岩壁にとりつこうとした。
しかしもはや前足は萎え切っており、自分の体をもちあげることは叶わない。
蛙は、観念した。
そして、乾いた砂の上に、身を横たえた。

また幾日か過ぎた。
蛙の表皮はすっかり水分を失い、
身動きすればぱりぱりと音をたてて剥落しそうであった。
混濁した意識の中で、蛙は、音を聞いた。
ぶぶ、ぶぶ。という断続的な空気の振動が蛙の顔をなぜる。
蠅だ。蠅が、蛙の頭上をさきほどから旋回している。
蛙が死んだら、その肉に卵をうみつけてやろうと、
機会をうかがっているのだろう。

思えば、つまらぬ一生であった。
穴の底で、食い、排泄しただけの一生。
そこに思いが至らぬうちに死んでいれば、むしろよかったのかもしれない。
蛙は、自分を余計な洞察へと導いたあの光を、呪った。

だが、と蛙は思った。
たとえば、自分の肉を、他の命に与えれば。
今、頭上を物欲しげな顔で旋回する蠅に、自らを提供すれば、
蛙の命は、別の形で受け継がれていくともいえる。
蠅の命と同化して、蛙は、この穴の外へと飛び出、
世界を見ることができるのかもしれない。

それも、よい。

そう思い、蛙は、瞑目した。
ぐったりと体の力が抜けた。
その様子を隔たった空間から見ていた蠅が、蛙の体にむけて降下する。

と、そのとき、蛙の身がばねのように跳ね上がり、蠅をぱくりと口で捕らえた。
ぐび、と喉の筋肉が動き、蠅は、断末魔の羽音をたてる暇もなく
胃袋の中へひきずりこまれる。
蛙の内臓はそれ自体が一個の生き物のように、消化液を噴き出しながら
蠅の体をしめあげ、粉砕する。
溶かされた蠅が、蛙の肉体にゆっくりとしみこんでいく。

ああ、勝手に体が生きたがっている。
蛙はうずくまり、荒い息をしながら、自嘲の笑いを漏らす。
かすかな命が、蛙の中でともる。
だが、いつまでその火がもつものか、蛙には見当がつかなかった。
ただ、このまま時をすごせば、いずれ消える火であることは確かであった。
蛙は、頭上を見た。
頭上にあいた穴が、青い空を切り取っていた。

蛙は、意を決して、弱々しく前足を持ち上げる。
ひからびた水かきが、乾いた岩壁を掴もうと震え、さまよう。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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