赤松隆一郎 2014年10月12日

akamatsu1410

      ストーリー 赤松隆一郎
         出演 地曵豪

父が骨になるのを待っている間
空を見ていた。
空を見ているのに
海のことを思い出した。
青かったからか。

父と海へ行った時のことだ。
それがいくつの時のことだったのかは思い出せない。
父が僕の手を引いていた記憶があるから
まだ小さかったはずだ。
波打ち際まで歩き、そこにしゃがみ込んで
寄せる波にちょん、と指先をつけた父を見て、
僕も同じことをした。
父は海水のついた指をちょいと舐めた。
僕も舐めた。
しょっぱい、と僕が言うと
この味、何かに似てないか? と父が聞いた。
答えがわからない僕に、
ヒント。お前の身体からも、ときどき流れ出てるものだよ、と
父が言うのを聞いて、答えがわかった。

涙。
そう僕が答えると、
そう、涙だ、海の水はぜんぶ涙なんだ、
海は川からやってくる水が流れ込んでできている、
そりゃもうたくさんの川が、
世界中のいろんなところから流れ込んでるんだ
その川のひとつひとつを、どんどんどんどん、
上の方へ上の方へと登っていくと
やがて川は細く、細くなっていく。
どんなに大きな川でも、最初は細い1本の水の筋なんだ、
じゃあその水の筋はどこから出てるのかっていうと、

川の始まる場所に座って泣いている
女の人の目から出てるんだな、
毎日毎日、いっぱいいっぱい、ずっとずっと泣き続けている
女の人の目から流れた涙なんだ、
涙の筋なんだよ、
その細い涙の筋が流れて流れて、いつしか大きな川になって
また流れて集まって、それがまた流れ込んで
やがて海になってるわけだ
海がこうしてここにあるってことは
川も流れ続けているってことだから
今もずっとその女の人は泣き続けているんだろうな、
そして海の水はずっとしょっぱいままなんだろうな、

一度も息を継ぐことすらなく、
そこまで一気に喋った父は、急に黙り込んで海を見た。
それまで聞こえていなかった波の音が
僕の耳に飛び込んで来た。

でもそれはおかしいよ、
海へ流れる、その途中の
川の水はしょっぱくないもの、
女の人が泣いているというのはおかしいよ、
そう言おうとして父の方を見て
僕はそれを口に出すのを止めた。
じっと海を見ている父の横顔から
今の彼にとって
そんなことはどうでもいいことなんだということが
子供の僕にも伝わったからだ。
それは、何の説明も、推測も必要としない
必要十分な伝わり方だった。
そしてその時初めて、僕は気づいたのだった。
今日の海に、母が来ていないということに。

       
父が骨になるのを待っている間
空を見ている。
空を見ているのに
海のことを思っている。
父も母もいない、海のことを。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/


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直川隆久 2014年9月21日

naokawa1409

ナムケン

    ストーリー 直川隆久
       出演 地曵豪

ナムケン。
「ナム」は「水」。「ケン」は「固い」。すなわち「固い水」。
「氷」を意味するタイ語である。
マイ・サイ・ナムケン――「氷を入れないでください」。
バンコクの路上の屋台で僕は何度もこの言葉を口にした。
生水を凍らせた氷は飲むと危ない、
という旅慣れた先輩からのアドバイスに忠実に従っていたのだ。
理由はくわしく述べないが、その頃僕はバンコクの安宿に長逗留していた。
が、いわゆる「外こもり」の連中とつるむ気にもならず、
基本的にいつも一人だった。

バンコクは、躁的な興奮に満ちた街だ。
ホームシックになる暇もそうそうないが、
たまに、気のおけない人間と喋りたいという衝動にかられることもある。
ある日。何度か通って顔なじみになった露店でバミーナム(汁そば)と
氷ぬきのコーラを頼んで待っていると、
向かいのプラスチック椅子に、タイ人らしき青年が座った。

日本人ですか、日本語を教えてくれませんか。と話しかけてくる。
怪しいなと思ったが、
いきなり立ち上がってテーブルを変わることもできずうなずくと、
青年は礼儀正しく「トーです」と名乗った。

青年は、日本語文法についてのやけにこまかい質問を浴びせかけてきた。
「わたしはコーラが好きだ」というが、
なぜコーラ「を」ではなくコーラ「が」なのですか、とか。
おそらくかなり本格的に日本語を学んでいるに違いない。
僕のならべる適当な理屈を
(好き、というのは日本語の中で特別な言葉だからだ、とかなんとか)
聴きながら彼が熱心にノートをとるので、
この男に悪意はないと僕は判断した。

ひとしきり話が終わったあと、
トーは、お礼に飲み物をおごらせてくれ、といい、
店員に何かタイ語で注文した。
しばらくすると、氷をいっぱいにいれたグラスを2つと、
缶のコーラが2本運ばれてきた。トーがコーラを開け、グラスに注ぐ。

しまった。氷は入れないことにしてる…と伝える暇がなかった。
トーが、グラスを持って、こちらに差し出してきた。
「チャンゲオ(乾杯)」
グラスを合わせ、トーが飲む。
ここで断っては、日本人の印象も悪くなるかもしれない。
僕は、ままよとそのコーラを口にした。
…うまい。やはり、コーラは冷えていなくては。

腹がへっているのか、トーが僕のバミーをしげしげと眺めている。
一杯おごろうかと言ってもトーは頑なに拒否した。
帰り際、コーラの金を出そうとしたらこれもはげしく拒絶した。
またここで話をしよう、と僕はトーに言い、右手を差し出した。
本当にそう思ったのだ。彼なら、友人になれるのではと。
「ありがとう」とにこやかに手を出しながらトーが「ところで」と言った。
「僕の友人で、エメラルドを安く仕入れるルートを持っている人が
いるんですが、見に行く気はありませんか?」

僕は、絶句した。
「エメラルド」云々は、じつに古典的な詐欺の口上だったからだ。
あまりに一般的すぎて、もはや誰もひっかからないようなこんな手口を、
この知的で紳士的なトーが…

僕は、「いや、興味ないんだ」と答えた。「申し訳ないけど」
トーは、やさしい頬笑みをくずさないまま手を離した。
「わかりました。じゃあ、また明日、ここで会えたらいいですね」
とだけ言って、踵を返し、去って行った。

翌日、僕は激しい腹痛と下痢に見舞われた。
おそらく昨日の氷のせいだ。
夕方、なんとなく落ち着かない腹具合のまま昨日の屋台に顔をだす。
何時間かいたが、結局トーは姿を現さなかった。
その翌日も、そのまた翌日も…二度と彼を見かけることはなかった。

今日もバンコクのどこかで、あの効率の悪い、
優しい詐欺を働いているのだろうか。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

 

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直川隆久 2014年7月13日

香水

         ストーリー 直川隆久
          出演 地曵豪

奥さん。
あなたの夫の汗をあつめて、
わたしはポポンSの空き瓶に溜めています。
いっぱいになったら、それを香水のかわりに首筋と耳の後ろにつけて
お店に出ようと思います。

奥さん。あなたは気づくでしょうか。
わたしが中華丼やタンメンを運びながら
お店の中にまき散らしているのは、自分の夫の匂いだと。
でも、やっぱり気付かないかな。
その夫は、今まさにあなたの隣で中華鍋を振っているのだもの。

夕焼けの赤い光が差し込む時間になって
わたしの部屋の中に立ちこめる、
むっとむせるような、あの人の汗の匂い。
あなたも、この匂いが好きなんじゃないかと思うの。
その意味では、あなたとわたしは気があうのかもしれませんね?
いちど、二人だけでどうでもいい会話をしてみたい気がする。

あなたはいつ気付くのでしょう。
定休日のたびに、
パチンコに行くと嘘を言ってでていったあなたの夫の汗を、
わたしが自分のアパートで集めていることを。

それを考えると、ほんとうに、震えるほどに興奮するのです。
ああ、一度、あなたとどうでもいい会話がしてみたい。
そして、何もかもぶちまけてすべてを台無しにする欲求に、
身をこがしていたい。

ポポンSの空き瓶がいっぱいになる、その日まで。         
                       

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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川野康之 2014年6月15日

田中、明日の予定を書いとけ

     ストーリー 川野康之
     出演 地曵豪

田中がとつぜんいなくなった。

一週間前のことだった。
バンド練習が終わって、駅前のマックでコーラを飲んで、改札口で別れた。
品川方面行きの電車に乗って去っていく田中を、俺は反対側のホームから見ていた。
田中が何か言いたそうにこっちを見た。
それが最後だった。
翌日から田中は学校に来なくなった。
学校にも俺たちにも、何の連絡もなかった。
メールを送っても返信がない。
二日たっても三日たっても、田中は姿を現さなかった。
心当たりを探した。
誰も行方を知らなかった。
誰も田中を見ていない。
消えてしまったのだ。
田中はこの世の中からこつぜんと。

彼の手帳だけが見つかった。
駅のベンチに置き忘れられていたのを二年生の女の子が拾っていた。
拾ったのは、俺が最後にあいつを見た日だ。

ギターとボーカルが担当の田中は、学校のちょっとした人気者だった。
一か月後の文化祭で俺たちは演奏することになっていた。
やっと曲が決まって、練習が始まったばかりだった。

わらにもすがる思いで、Twitterで情報を求めた。
ツイートはすぐに拡散された。
何件か返信があった。
ほとんどのものがウソかイタズラだったが、一つだけ気になるのがあった。
「心当たりがあります。すぐに会いましょう。」

現れたのは、年食った大学生みたいな男だった。
俺の話を一通り聞き終わると、
男は田中の手帳を手にとってじっくりと調べた。
そしてやっぱりだといった。

「予定が、『9月16日バンド練習@部室』で終わっていますね。
手帳の予定が、ある日付までしかなくて、
その先の予定がまったく書き込まれていない場合、
まれにですが、その日付に閉じ込められることがあるのです」
俺は彼の話が理解できなかった。
「タイムトラップ。時のわなの一種です・・・。
『恋はデジャブ』という映画を見たことがありますか。
何度も何度も同じ日を繰り返し、
永遠にそこから脱出することができなくなる男の話です」
「・・・」
「最後に田中君を見たとき、彼の様子はどうでしたか?」
「何か俺に向って訴えかけているようでした」
「なるほど・・・おそらく田中君はすでに何度も何十回も
同じ日をループしていたのかもしれない。
だから君に助けを求めていたのです」
「なぜあいつは俺にそう言わなかったんだ?」
「一度その日にとった行動は変えることができないんです」

俺はあのときの田中の眼を思い出した。
助けを求める眼。-
何とかして、わなの中からやつを助けだすことはできないかと思った。
タイムマシンであの日にさかのぼって、あいつに一言言えたら・・・
「田中、明日の予定を書け!」と。

「それは無理です。時間はさかのぼることができない」
男はにべもなく言った。
田中を救い出す方法はないというのか。
永遠に田中は閉じ込められたままなのだろうか。

長い沈黙の後に、男が口を開いた。
「ひとつだけあります。確実ではありませんが・・・
誰かが彼の手帳に未来の予定を書き込むのです。
そして同じ予定を自分の手帳にも書き込み、
それをその日になったら実行するのです。
力を合わせて時をだますのです。
うまくすれば彼が現れるかもしれない」
そんな簡単なことで?と俺は思った。
「でもそれには条件があります。・・・
彼自身がその予定に十分な思い入れがあって、
自分が書いたとしてもおかしくないぐらい大切なイベントであること。
書いてなかったのが不思議なくらいで、
もしかしたら自分が書いたのかもしれないと
勘違いしてくれるようなものであること。
時をだますためには、まず田中君自身をだます必要があるのです」

俺は考えた。
俺にとっても田中にとっても大切で、
絶対に忘れてはならないイベントは何か。
田中の手帳を開き、ある予定を書き込んだ。
同じものを自分の手帳にも書いた。
そしてその日を待つことにした。
田中は来るだろうか。

一か月後。
文化祭はクライマックスにさしかかっていた。
俺たちの出番の時間だ。
俺はステージの上で待っていた。
ギターボーカルがいつまでも現れないので、
観客の生徒たちがざわめき始めた。
そのとき、ステージの袖の幕の陰から、
ひそかに一人の男がこっちを見ているのに気がついた。
俺はそいつに手帳を投げた。
「田中、明日の予定を書いとけ」

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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ゲンジボタル

「ゲンジボタル」

        ストーリー 田村友洋(ともひろ)
           出演 地曵豪
       
ぼくは宮城県の天然記念物、ゲンジボタル。
生まれは岩手県との県境にある登米市(とめし)。
市の中心を流れる鱒渕川の浅瀬が僕らの町。

梅雨が明ける6月の終わり。
まだ蒸し暑さが残る夕暮れどきから、仕事に出かけます。
人生をかけた仕事、フィアンセ探し。
意中の相手に振り向いてもらえるよう、光で精一杯話しかけます。

実はこの光、地域によって光る周期が変わるのです。
光の方言とでもいいましょうか。
ぼくのいる東日本では4秒に1回、西日本では2秒に1回光ります。
西日本の方がおしゃべりな蛍が多いのかもしれませんね。

川辺に人が集まってきました。
天然記念物になっている僕たちにはサポーターがいて
僕たちが生きやすい環境を守ってくれています。
観光客がイタズラをしないようにパトロールをするのも
サポーターの皆さんです。
毎晩のように僕たちの数をかぞえ、全国に発信してくれます。
そして僕らにとってはプロポーズを見守ってくれる証人でもあります。

百数十匹の仲間たちが一斉に飛び始めました。
川面や茂みの上をふわりと光の曲線を描いています。
ぼくもゆっくりしていられません。
期限はおよそ1週間。
好みの蛍に出会えますように。

東北へ行こう。


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中島英太 2014年1月19日

大きな山

      ストーリー 中島英太
         出演 地曵豪

今回この原稿を書くにあたって、いただいたテーマが「山」。
山、山、うーん、なんかないかなあ、山。
ということで、
「中山さん」の話をひとつ書きたいと思います。

この東京コピーライターズストリートの主催者であり、
演出もされている中山さん。中山佐知子さん。
僕なんかが語るのがおこがましいくらいの、
ラジオの巨匠ですね。
それこそ山です。

以前、取材を兼ねて、
中山さんとウイスキーの蒸溜所へごいっしょしたことがあります。

そこでは、元ブレンダーだった方がつきっきりで、
ウイスキーづくりのいろはを教えてくださいました。
僕たちは、蒸溜所の中をまわりながら、
いろんなウイスキーを試飲させていただきました。
10年物。20年物。30年物。

それだけでも感激ものですが、
最後になんと一樽ウン千万円という貴重なお酒を
いただいたんです。
街のバーで飲んだら、えらいことになります。
たぶん一生飲むことはないですが。

ほろ酔い気分の僕は、
ああ本当にいい経験をさせてもらったなと
しみじみしていました。

そしたら。
中山さんが蒸溜所の方に言ったんです。

「やいやい、もっといいの、隠してるんだろー」って。
ニヤリと笑いながら。
私の眼はごまかされないぞーって。

僕は、この人、なんて大胆なこと言うんだろうと、
一瞬酔いも覚めました。

そしたら、言われた方、ギョッとした顔をした後に、
「いやあ、参りました!」
と笑いながら、奥のほうからラベルのないウイスキーを持ってきて。
特別ですよ、と言いながら、飲ませてくれたんです。
最高でした。

その後も、みんなでいろいろ飲みました。
蒸溜所の方もニコニコして、
裏話なんかも聞かせてもらえました。

すごく勉強になりました。
取材って、こういうことなんだと。
ふつうの、ちょっと先に、宝物は隠れている。
そこまで掴み取って、はじめて取材だと。仕事だと。
そこまでやるから、いい企画の種になる。
自分は全然ぬるかった。

そんな中山さんのお話でした。
中山さんは、やっぱり、大きな山です。

ところが。

以上のような原稿を中山さんに送ったところ、
僕のまったくの勘違いだったことが判明。

どんなモルトを飲んでみたいですか、
という蒸溜所の方の問いかけに、中山さんは、
「あなたがいちばん好きなモルトを飲みたい」
とお答えになったのでした。
そして出てきたのが、先ほどの超絶ウイスキーだったわけです。

ものすごく失礼な勘違いをしてしまいました。
普通なら激怒されても仕方ない間違いです。

でも、中山さんは、やさしく指摘された後に、
ほらほら、これ見て思いだして、と
その時の写真を何枚か送ってくださいました。
そして、
素晴らしいウイスキーでした、まだ味を覚えてますもんね、
とおっしゃるのでした。

中山さんは、やっぱり、大きな山です。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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