蛭田瑞穂 2017年9月24日

hiru1709

ピーちゃん

   ストーリー 蛭田瑞穂
      出演 遠藤守哉

 ピーちゃんの話はしたことあったっけ? 文鳥のピー
ちゃん。うん、文鳥を飼っていたんだよ。小学校の時
にね。頭が黒と白で、体が灰色の文鳥。くちばしがき
れいなピンク色でね。文鳥って、体のサイズにくらべ
てくちばしが大きいんだよ。雀なんかよりずっと大き
いよ。だからピンクがすごく目立つんだ。

 ピーちゃんはすごく懐いていたよ。鳥かごから出す
とさ、すぐに人のところに寄ってくるんだよ。バーっ
て飛んで来てね。人の体に止まるんだけど、ときどき
頭の上に糞をされちゃってね。文鳥の糞なんて、まあ、
汚いもんじゃないんだけどさ。

 ピーちゃんは庭に放しても平気だったんだ。小学校
の時の家には庭があったんだよ。いや、たいしたこと
ない庭だよ。田舎だったしさ。桃とスモモの木があっ
て、ピーちゃんはよく、その木の間を飛んで移ってい
たよ。そうなんだよ、不思議と逃げないんだよ。名前
を呼ぶとちゃんと家の中に戻ってくるんだ。そのくら
いね、ピーちゃんは懐いていたんだよ。

 ところがある日、僕が小学校から帰ってくると、母
親が僕に言った。ピーちゃんが逃げたって。その日の
ことは今でも覚えているよ。ちょうど今くらいの時期
だよ。九月のね。暑い日だった。母親の話によると、
子どもたちが学校に行ったあと、いつものようにピー
ちゃんを庭に放してた。すると、突然野良猫があらわ
れて、驚いたピーちゃんはバタバターって、山の方に
飛んでいっちゃった。僕はすぐにピーちゃんを探しに
行ったよ。山の中に入ってさ。いや、見つからなかっ
たよ。山なんて広いんだし、子どもがひとりで探した
って見つかるわけないよ。その日の夜、僕は布団の中
で泣いた。ピーちゃんに二度と会えないだろうと思う
とさ、どうしようもなく涙が出てきてね。

 この話にはまだちょっと続きがあるんだよ。次の日
の朝、母親が僕に手紙を手渡したんだ。これを担任の
先生に渡しなさいって。それは先生へのお願いの手紙
だった。いなくなった文鳥をみかけた生徒がいたら、
僕に伝えてくれるよう、学校の放送で呼びかけてもら
えませんかっていう。うん、先生に渡したよ。ちゃん
と放送してくれた。給食の時間にね。その間、僕は顔
を真っ赤にしてずっとうつむいていたよ。母親として
は藁にもすがる思いだったんだろうけど、たかだか一
羽の小鳥の話だからね。それが全校生徒が聞く校内放
送で流れるんだからさ。

 その甲斐もなく、結局、ピーちゃんは見つからなか
った。そりゃそうだよね。犬や猫と違って小さいし、
空も飛ぶんだからさ。そのあと何羽か文鳥を飼ったけ
ど、あれだけ賢くて、人に懐いた文鳥はいなかったな。

 ほんとだね。なんで急に、文鳥のことを思い出した
んだろう。こんな時にね。もう十何年も忘れていたの
になぁ。

 そろそろ式が始まるみたいだ。行こうか。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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玉山貴康 2017年8月20日

tamayama1708

「天の川に平和を願って」

       ストーリー 玉山貴康
          出演 遠藤守哉

 ケチャへロイ、
キビビンナレキョンタロ、
イイタンカチョコチョンサエ、
ホクソモクスミダ、

ボージャナチレンゼリー、
トーナプンチョン、
ピンナルンリョクチャタレカ、
マチワレピーサガビカゴワ、
ヨリチョチンサーイル、
ニッポンダイスキ、
ケントリーシイテチュゲソー、
ニソーシキスミダ、
 
チョソンゲンイオンソンバランチョンセー、
チョサンガンイーサランドンケンデン、
チェグンスンダラミダ、
ハットキーミンテーキンシミダー、
ソワジデケビンソッコイナー、
スシダイスキー、
トーハルハヨ、
チョンセゲーチッコリヌルン
ハンセンジゲーイルンスミダ、

チナンパグルサイリ、
オンジョンセジョーキナンサグルパジョー、
ラーメンダイスキ、
イルンカッダルキ、
チョットーバルンハンギリミダ
イービルグリンイワンチョッカダワヨー、
マンガダイスキー、
マウンチリンサングリョー、
ケーコクチンジアゴ、
アニメ、ゲームダイスキ、
チャンダミヤンモンキムサンダルン、
カラオケダイスキー、
トゥチエーホカングルドッビルミン
ハナミダイスキ、
イービンキミー、
(OLしていきながら)
オンセンダイスキ、
ニホンシュダイスキー
フジサンダイスキー、
テンプラダイスキー

Na 人類に必要なのは、
   ミサイルよりも、スマイルだ。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2017年8月6日

naokawa1708

星の下で寝ること

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

野宿ってしたこと、あります?
おれ、一度やってみたことがありましてね。

大学時代に、東北に旅行に行ったんですよ。
え?いや。一人で。
8月頃。
遠野とか、いろいろ、いくつかまわって。
だいぶ記憶がおぼろげなんだけど…
でも、その野宿のことは妙にはっきり覚えてるんですよ。

あれは何日めだったかな…秋田駅…だと思うんだけど、着いたのが夜で。
駅でると、ちょうどいい感じに涼しくて、星もきれいに見えてね。
ふと、天の川の下で寝るのもオツだなあと思ったんですよ。
よし、じゃあ、きょうはもうこのまま野宿といくかと。
え?いや、なんかね、その時期、学生でしたからね、
旅行は貧乏旅行じゃなきゃいけない!っていう、
ま、へんな思い込みがあったんですよ。
だから「どっかでいっぺん野宿するぞ」ってあらかじめ決めてた…のかな。
今思うと、よくわからない決意なんだけど。
で、ウィスキーの小さいボトル買って…
いや、ほら、貧乏でも、体はあっためたいからね。
ま、あと、入眠剤替わりに。
そうそう、一番安いの買って、駅の外のベンチに横になったわけです。
で、まあ、ちびちび飲んで…12時くらいかな、いい具合に眠気、来て。
目つぶったんだけど…

こわいんだよね。
こわいんですよ。
やっぱり、寝るって…寝て、目つぶっちゃうって、
究極の無防備じゃないですか。
あ、こんなにこわいもんか…と目閉じて初めてわかったな、あの感じは。
足音がむこうのほうでするでしょ?
とさ、いちいちどきっとするんですよ。
こっちに向かってくるんじゃないかな、とか。
警察かな、とか。
強盗かな、とか。
昼間、電車の中で寝るのは、それは、抵抗ないんだけどね。
夜、自分だけが路上で寝てるってのは、感覚が別次元だなと。
というか、まあ、自分の神経の細さにびっくりした。

できそうでできない、ってことですよ。

それ考えると、ホームレスの人たちって、
やっぱり、あんまり夜よく寝られないんだろうね。
うん、乱暴な連中に襲われるとか、実際あるでしょ。ねえ。
いくら慣れたって、やっぱり、安眠はできないですよ。

それと…一番自分でも意外だったのが、
星が目の前にあるっていうのは、意外と落ち着かないんだよね。
なんていうか…空って、底なしでしょ。
いや、こっちが空の底にいるとも言えるんだけど、
まあ、宇宙には別に上も下もないから。ね?
むこうが底ともいえるわけですよ。
ていうか、むしろ、底がないわけだよね。
果てしなく、ずっと、空間が続いてるのって、
やっぱりこれも、ちょっとこわいんだよな。

昔の人間は、みんな星の下で寝てたわけでしょ。図太いよねえ。
でも、もう、おれたちにはできないですよね。
え?わたしはできます?
さあ。どうかな…どうですかね?

星の下で寝る、ってのは言葉としてはさ、ロマンチックだけどね。
そういうロマンチックをやるには、
もう神経が過敏になりすぎてるんですよ。ワレワレは。
これは、人類という種にとっては大きな退化なのではないか…
ていうと、大げさですか。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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直川隆久 2017年7月16日

1707naokawa

セミマン

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

最近の暑さときたら、もう、どうしようもないねえ。
とくに、この周辺はさ、緑も少ないし。
あなたのとこもそうでしょ?
このアパートも、昼間は蒸し風呂だよ。
窓?だめだよ。開けたって。
向かいのマンションが、もう、手で触れられるくらいのとこに、
でーんと建ってるからね。
昼間さんざん太陽に灼かれて、コンクリートがほっかほかだから。
輻射熱っていうんですか、それがもう、手、かざすと感じるもん。

暑い、っていうのがもう生ぬるいよ。
熱いんだ。
熱い。
なにもかも。空気も、壁も。畳も。
目あけてると、目が熱いもんな。
「温暖化」って言葉にだまされてた。
温暖なんて、そんななまやさしいもんじゃないよこれは。

1年中夏でしょ、今や。12月だっていうのにミンミンゼミが鳴いてるんだから。
寝苦しいでしょ。ねえ。毎晩毎晩。

いや、俺もね、もう寝られなくて困ってたの。
夜中に何度も起きて水浴びてさ。でも、じきに体が火照ってきちゃって。
でもね、最近ちょっとしたことがあって、少し希望がでてきたんだよね。
っていうのもさ。
こないだなんだけど、夜中に目が覚めちゃったの。背中がやけに痒くて。
ダニかな畜生、と思いながら腕ねじってがりがり掻いてたわけ。
そしたらさ、なんだか、ゴツっとしたものが指先にあたるんだよ。
なんだこりゃ、虫のさされあとかな、と思ってまさぐったらさ、
そのゴツゴツがずーっと、背中から腰まで線路みたいに続いてるわけですよ。
お尻の割れ目のあたりまで続いてる。
なにこれ、って思ってると、その一番下のとこに、
小さくてかたいものがぶらさがってる。
なんか、覚えのある手触りだなとおもってさわると、あれだよ。
ファスナーですよ。
ファスナーのツマミ。
そいつを、ちょっと、引っ張り上げると、じじっ、と音がして、
どうも背中の肉がだんだん開いていくみたいなんだな。
皮、っていうか、皮と筋肉が一緒になったくらいの厚さ。

え?
いや、それが痛くないんだよ、全然。
それどころか、ファスナーの開いたとこは外気にふれるでしょう、
すごい涼しくて気持ちがいいの。とまんなくなっちゃってさ。
背中の真ん中くらいまで上げて、腕がどうにもそれ以上曲がらないから、
ひもの端っこに洗濯バサミつけたのでツマミをはさんで、引っ張ったんだ。
そしたら、じじじじーってファスナーが開いて、
後頭部の真ん中あたりまで、ぱっくり。

で、体をぶるぶるっと揺するとさ、
肉とその下の間に隙間ができて空気が入って、
がぼぼ、なんて音がしてさ。もーう、涼しい!
体揺すってるあいだに、頭の肉も、がぽがぽいいだしてさ、
これ、ひょっとしたら、頭、脱げんじゃないのと思って、
頭の先っちょを、前にこう、ぐーっとゆっくり押してやると、
最後にずるっと脱げちゃった。
頭がでたら、あとは楽だったね。ウェットスーツ脱ぐみたいな感じで、
全身の肉が足元に落ちたよ。
けっこうな音がしたね。どべちゃっ、て。
ためしに持ってみると、けっこう、重いんだよ。肉って、分厚いし。
そんで、ほかほかしてるしね。
こんな分厚くて、あったかいもの着てりゃあ、そりゃ暑いわけだよ。

で、そのまま、風呂場に行ってさ、水のシャワー浴びたらさ。
いや!
その気持ちいいのなんの・・!
おもわず声がでちゃったね。
クーラーなんて目じゃないよ。
ああ、気持ちがいい。
気持ちいい〜〜〜〜!
あうおおおおお!

あ、ごめんごめん、でっかい声だして。

脱皮しておっきな声だすのって、なんだか、あれだよね、
セミみたいだよな。
連中も、ひょっとしたらさ、皮脱いで
「あー、涼しい!せいせいした!」つって鳴いてんじゃないのかね。

いや、そうやって水浴びてね、身も心もひんやりとして床につき、
ようやく朝まで安眠できましたってわけなんだけど・・・。
ねえ。
ははは。
そういうファスナーがね・・・そういうファスナーが、
俺の背中にないもんかな?
ほら、どうだろう。
ちょっと見てくれやしないかい。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年6月18日

1706naokawa

新年にあたり

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ファイルNo. QZ1029-あ-H13081, 文書形式:ブログ

あと数週で、新しい元号に変わって7年目の春となる。
ということで今年もカレンダーを新調した。
この6月には、あの世紀のイベントが控えている。
印をつけておくのを忘れてはなるまい。

女性宮様と、フィギュアスケート金メダリストとの
夢のロイヤルウェデイングだ。
身のひきしまる思いである。
すでにウェディングドレスのデザインは発表され、
レプリカが飛ぶように売れているそうだ。
記念金貨、記念スマートフォンも同様。

この国には、夢が必要である。
その夢を、神々しい光とともに実現するイベントは、
当面、これ以外にはない。
景気浮揚および国民意識高揚を一気に可能にする
この国民的カップリング成立の陰には、
政府による少なからざる尽力があったとされる。
官邸のある方角にむかい、国民一同、
感謝を胸に今一度最敬礼をすべきであろう。

それにしても、カレンダーを改めるたびに新鮮な思いがする元号である。
ふた文字の漢字に、いかに豊かな意味を込められるものか、
その見本とでもいうべき元号だ。

輝かしい「昭和」のような時代が再び到来することを願いつつ、
国際社会からの「恩恵」がもたらされることを祈念し、
「昭和」「恩恵」それぞれの言葉から一文字ずつをとり、新元号とした。
それが日本政府の発表による由来であった。

「特定の個人名を想像させる」として
宮内省および前時代的発想の学者連中は猛反対したという。
なんという狭量!が、幸いにして、官邸の果断なる一言で、
当該の元号に決まったということのようだ。

たしかに、結果として、この元号は、
さる個人の名前を歴史に残す結果となった。
が、仮にそれが官邸の隠れた意図であるとすれば・・
いやはや逆になんという深謀遠慮!
まさに「女性活躍の時代」にふさわしい象徴としての元号といえないだろうか!
愚昧な一般人の発想のおよぶところではない。
この政府が続く限り日本は安泰であるという思いをあらたにするのだ。

(以下、公共福祉調整局第85検閲課よりのコメント)
市民生活調査課各位:下線部の表現、いわゆる「政府方針への過剰な忖度」に
あたるかと思われます。「個人ブログらしい表現の自由」が感じられる体裁の
表現になるよう、執筆者へのご指導よろしくお願い申しあげます。 

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年5月21日

1705naokawa

田 崎

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

土曜日の昼。
客のいないうどん屋の「丸八」に、2人の男が入ってくる。
どちらも年格好は50前後に見える。
片方の男は、トレーナーにデニム。
片方は、グレイのスーツ。
2人はカウンターに座る。
「なんか食うか」とスーツの男がトレーナーの男に声をかける。
トレーナーは、答えず、メニューの書かれたシートを
表、裏、表、裏とただ眺める。
「冷やし肉うどん」とスーツの男が、店主にいう。
「すいません。冷やしは夏だけなんですわ」と店主がこたえる。
「ふうん」とスーツは手元のメニューを眺め「ほな、冷やしてんぷら」
「そやから、冷やしは夏だけなんですわ」
店主が、さっきよりやや大きな声で答える。
「おい。冷やしは夏だけらしいぞ」とスーツがトレーナーに言う。
「メニューには書いてあるのに」
「ほな、なにが食えんねん」とトレーナーが店主のほうに目をむけて、
口を開いた。
「おい」
「冷やし、」店主がこたえる。「以外、でしたら」
「田崎はいつも、なに頼むねん」
「はい?」
「田崎はよう来るねやろ」
「おたくさんら、田崎さんのお知り合いでっか」
スーツの男はそれには答えず、言葉を繰り返す。
「田崎はよう来るねやろ」
「そうですな」
「どれくらい来よんねん。毎日か」
「…いや、そこまででも」
「来たら、なに頼む」
「まあ…」店主はちらとガラスの引き戸越しに店の外を見て言う。
「きつねが多いですな」
「ほな、きつねや」とスーツが言い、トレーナーの男に声をかける。
「おまえもそれでええか」
トレーナーはうなずく。
「きつね」とスーツが言う。
「へえ。きつねお2つで」
「いや。20や」
「はい?」
「きつね、20人前」
「…なんぞご冗談ですか」
「冗談やないがな。きつねうどんを20杯つくってくれ、と言うとんねや」
「ぜんぶ、食べなはるんで」
「そや」
店主がスーツを見る。スーツが正面から見返す。
数秒の間のあと、店主はなにもいわずうどんの準備を始める。
スーツは、スマホを取り出して、ゲームをし始める。
トレーナーはズボンのポケットをまさぐり、
めのう柄の丸いボタンを一つ取り出すと、それを口の中に入れた。
かろ、かろ。
と、口の中でボタンを転がす音がうどん屋に響く。
スーツは、ちらとそちらを見るだけでまたスマホの画面に視線を落とす。
「おっさん、この店は長いんかいな」とトレーナーが、口をひらく。
「はい?」
「何年やっとんねん。この店は」
 店主は、うどん玉を茹でる釜から視線を上げずに答える。「32年ですわ」
「20人前もいっぺんに注文がでたことあるか?この店は」
「なんですか」
「20人前もいっぺんに注文がでたことなんて、32年で初めてやろ」
トレーナーが、店内を見渡し、にやりと口元をゆがめる。
店主は、なにも答えず、湯の中のうどんを箸で泳がせる。
かろ、かろ。
とトレーナーが口の中でボタンを転がす。
「田崎は、何時ころ来んねん」スーツが尋ねる。
「なんです」
「田崎や。毎日ここに来よるんやろ」
店主は釜から箸を上げて、答える。「まあ、いつもは1時頃ですな」
「いまが12時42分」スーツが腕時計を見ながら言う。
「ほな、あと18分か」
「ただの目安ですがな」店主が言う。
「それに、いつも来るからいうて、今日も来るとは限りまへんがな」
「ほう」スーツが、驚いたという顔をする。
「おい、聞いたか。ここのおっさんは、なかなか論理的やで」
トレーナーははうなずき、スーツが続ける。
「きっと大学出やな。学がある」
「論理的やな」トレーナーがつぶやく。
「むかつくくらい論理的や」
「…堪忍しとくんなはれ」
湯気にまかれながらつぶやく店主の額に汗が光る。
「出してもよろしいんですか」と店主が訊く。
「なに?」スーツが訊き返す。
「うどんでっけど」
「ああ、だしてくれ。だしてくれ。ここに並べてくれ」
カウンターの上に、まず5つ、きつねうどんの丼がならんだ。
つづいてもう5つ。
10個ならべたところで、店主はじっと立ちつくす。
「おい」とスーツの男が声を出す。「だいぶ足らんで」
「いっぺんには出来へんのだす」と店主が答える。「釜の大きさが、
10が限界なんですわ」
「やっぱりな」トレーナーの男が、にやにやと笑って言う。
「20人も客が来たことないねや」かろ。かろ。「しょぼい店やからな」
口の中で弄んでいたボタンを、ぷ、とトレーナーが吐き出す。
ボタンは、空中でくるくると回り、
一杯のきつねうどんの中にぽしゃりと落ちる。
「あと、10や」スーツが店主の目を見ながら言う。
「つくってる間に田崎も来よるやろ」
「おたくさんら…田崎はんに何の用事ですねん」
「用事?」スーツが答える。「一緒にうどん食おう思てるだけや」
「面倒は困りまんねん」店主の声が少し震える。
「揉め事は他所でしとくはなれ」
「面倒なんか起こさんがな」
トレーナーが、ズボンのポケットから、今度は黒いボタンを取り出し、
また口に含んだ。
「きつねうどん、仲良う食べるだけや」
「あいすまんけど、帰っとくなはれ」店主が声を上げる。
「お代はよろしいでっさかい」
店主は背をむける。
「きつね、あと、10」
スーツの声に、店主は答えない。
数十秒が過ぎる。
スーツの男が右手をカウンターの上にのせ、横に払う。
丼の一つがカウンターから滑り落ち、派手な音を立てて床の上で砕け散る。
店主の肩がびくりと動き、カウンターの方を振り向く。
「きつね、あと」スーツが店主の方へ乗り出して言う。「11」
店主はなにも言わず、うどんの玉を冷蔵庫から取り出す。
床に飛び散ったうどんからあがる湯気が、すっかり小さくなる。
トレーナーの男が、ぷ、と再びボタンを吐き出す。
そのボタンが、さっきとは別のうどんの丼に落ちる。
しぶきが、カウンターを濡らす。

柱にぶらさがった時計が、もうすこしで1時を指す。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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