2010 年 8 月 15 日 のアーカイブ

中村直史 10年08月15日放送



あの人の、8月15日。/島田覚夫

1945年8月15日、戦争は終わった。
けれど「戦争が終わった」と知るすべのない人たちにとって、
戦争は終わりようがなかった。

その日、ニューギニアの山奥で、
島田覚夫さんは
仲間の兵士とともに
敵の陣地に置き去りにされたままだった。
四方八方に敵の気配を感じながら、
武器も食料も底をつく中、彼らは
ひとつの、シンプルな大方針を立てる。


 生きられる限り、生き抜こう。

最初は、わずかに残された乾パンを、
それがつきると、蛙、蛇、鼠、とかげ、いもむし、あらゆるものを食べた。
飢えをしのぎなら、今度はジャングルを開拓し、畑をつくった。
無我夢中で毎日を生き、気がつけば10年が経っていた。
本人が、原始時代、石器時代、鉄器時代と呼ぶように、
工夫を重ね、生き延びた10年。

その回顧録を読むと、
不謹慎かもしれないが、
生き抜こうとする人間の力と知恵にわくわくさえしてしまう。

ようやく終戦を知ったのは、昭和30年3月のこと。
「実家に帰ったら、自分の遺影があったんですよ」
彼はそう言って、笑った。

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三國菜恵 10年08月15日放送



あの人の8月15日。/高見順

1945年8月15日
プロレタリア作家、高見順は
電車に乗っていた。

彼はそこで、
終戦を信じない日本兵たちの声を聞く。


 今は休戦のような声をしているが、敵をひきつけてガンと叩くに違いない。

高見は、ひそかやな溜息をついた。


 すべてだまし合いだ。
 政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。
 軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます。

戦争がはぐくんだ
だましあいの心に気づき、彼はじっと眼を閉じた。



あの人の8月15日。/野坂昭如

1945年8月15日
あの「火垂るの墓」を書いた
野坂昭如は、14歳の少年だった。

玉音放送を聴いたとき、彼はこう思ったという。


 死ななくていい、生きて行ける、
 本当にホッとした。
 この軽い言葉がいちばんふさわしい。

誰もがみんな、
敗けたかなしみに打ちひしがれている訳ではなかったのだ。



あの人の8月15日。/永井荷風

昭和を代表する小説家、永井荷風は
1945年8月15日
玉音放送の直前まで、
谷崎潤一郎と過ごしていた。

二人は戦時中も
絶やすことなく日記を書き、
新たな原稿を書いては、互いに読み合っていた。

そんな荷風の8月15日の日記。
終戦の記録は、たった一行
枠の外にしるされているだけだった。


 正午戦争停止

その言葉のほかには
天気と、食べ物と、友人の話があるばかり。

普通の幸せがいちばんなんだ。
彼は戦火の中で、
そう思い続けていたのかもしれない。

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三島邦彦 10年08月15日放送



あの人の、8月15日。/吉田秀雄

1945年8月15日、正午。
とある広告会社のオフィスビル。
ラジオで終戦の報せを聞き、
落胆する社員の中で、一人の男が叫んだ。


 これからだ。

男の名前は吉田秀雄。
当時、その会社の常務だった。
後にラジオの民営化に尽力することとなる。
戦争のための宣伝から、経済のためのコマーシャルへ。

新しい時代に向け、
彼はまず、オフィスの掃除を始めた。



あの人の、8月15日。/下村宏

終わりを告げたのは、ラジオだった。

65年前の今日、
1945年8月15日正午
ラジオから流れる昭和天皇の声が、
日本国民に終戦を告げた。

いわゆる「玉音放送」。
この放送を実現させたひとりの男がいる。
当時の内閣国務大臣、下村宏。

新聞社に勤めていた頃から
講演のためラジオに度々出演していた下村は、
当時最大のマスメディアであった
ラジオの力を実感していた。

戦争が終わった。
その結末を国民に伝えるには、ラジオしかない。
そう思った下村は、天皇に進言し、許可を得る。

ポツダム宣言受諾後、すぐさま天皇の声を録音、
放送までの実務を取り仕切った。

史上最も国民に衝撃を与えたラジオ放送は、
こうして実現した。



あの人の、8月15日。/清川妙

作家の清川妙は、
山口市にある実家で、
終戦を告げるラジオを聞いた。

その日のことを、こう語っている。


 ああ戦争が終ったんだという気持ちだけでした。
 でもその晩はうれしかったですね。電気をあかあかと点けてもいいし、
 カーテンも開けてよくなりましたから。

戦争は、比喩ではなく、人々から光を奪っていた。

とても安堵できる状況ではなかったけれど、
ひとまず、明るい夜が戻って来た。



あの人の、8月15日。/羽田澄子

その日、中国の大連市にも玉音放送は流れた。

満州鉄道の中央試験所のラジオの前には、
後に映画監督になる、羽田澄子がいた。


 初めて戦争ってやめることができるのだ、
 やめるという選択肢があったのだと知りました。
 だって生まれたときから戦争していて、
 平和のためには戦わなくてはいけない、
 結論がでるまでずっと戦争をしているのだと思い込んでいたのです。

人間がはじめることは、人間が終わらせることができる。

そのことに、やっとみんなが、気がついた。

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