坂本仁 11年9月10日放送



セルジオ越後

サッカー解説者セルジオ越後は、

日本サッカーへの愛情から、

常に日本代表へ厳しいコメントを発している。



しかし、辛口のセルジオ越後も、

なでしこジャパンがワールドカップに優勝した際には、

素直にその偉業をたたえた。



けれど、彼は言う。

「なでしこジャパンを使い捨てにするな」と。



ブームに終わらせてはいけない。

しっかり女子サッカーの文化を根付かせなければいけない。

セルジオ越後の辛口は、

なでしこジャパンの快進撃に沸いた私たちに向けられている。



マリエル*マーガレット*ハム

女子サッカー史上、最高選手のうちの一人、
マリエル*マーガレット*ハム。


私たちにはミアハムの名で親しまれている彼女は

2度のFIFA最優秀選手賞受賞、

偉大なサッカー選手を選ぶFIFA100にも、

マラドーナやジーコとともに選ばれた。



ミアハムは言う。
「勝つだけではだめだ。

相手がもう二度と見たくないと思うくらいの印象を残せ。」



女子サッカー選手として優れていただけではない。

ミアハムは誰よりも、

「戦う気持ち」を持ったサッカー選手だった。



澤穂希

「苦しくなった時は、私の背中を見なさい。」



なでしこジャパンの澤穂希は、

2008年の北京五輪で若手をそう励ましたのだという。



先日の女子ワールドカップでは、

北京五輪で澤に励まされた若手たちの成長が、

優勝につながった。



今月は、ロンドン五輪の女子サッカー最終予選が行われている。

きっと、若手や中堅の選手たちが頼もしい姿を見せてくれることだろう。

がんばれ、なでしこジャパン。



エレン*ヴィッレ

女子サッカーの歴史は、長い迫害の歴史だった。



サッカーは女性の体には有害というデマが通説となり、

サッカーの母国、イングランドサッカー協会は、

女子チームにグラウンドの貸し出しを禁止していた。



しかし、一人の勇敢な女性がその迫害の歴史に風穴をあける。



ノルウェー人、エレン*ヴィッレ。

国際サッカー連盟の総会に出席していた彼女は、

突如マイクをとり、

「人類の半数は女性である。
国際サッカー連盟は女子サッカーにもっともっと

力を入れるべきである」と訴えた。

その演説は、総会に出席していた多くの関係者の心を動かすのに十分だった。



そして、それから数年後の1991年、

ついに初の女子サッカーワールドカップが開催された。

男子サッカーワールドカップの初開催から、

実に61年後のことだった。



女子サッカー至上、最高のファインプレーは、

エレン*ヴィッレの演説なのかもしれない。



文弘宣

起業家、文弘宣(ムン・ホンソン)。

澤穂希選手をはじめなでしこジャパンの7人が所属している、

INAC神戸レオネッサの会長である。



どんなに才能のある選手も生活ができなければ、

サッカーをあきらめなければならない。

文弘宣は、選手がサッカーに集中できるよう、

グループ企業で雇用して社業を免除し月給を支払った。




サッカー選手を育てるのは、監督やコーチだけではない。

ビジネスという観点から日本女子サッカーを育てる経営者が

もっと多く出てきてほしい。



佐々木則夫

女性をうまく扱うことはできないが、

女性の意見に耳を傾けて、

自分を変えることぐらいならできる。



なでしこジャパンを率いて、世界を制した佐々木則夫監督。

彼のこの言葉には、

すべての男性が学ぶべきことが示唆されている。



ペレ

「サッカーの神さま」とまで呼ばれたペレ。

15歳でデビューしてから、通算1363試合に出場し、1281得点を記録した。
ワールドカップでは
ブラジル代表のエースとして3度の優勝を経験している。


イエローカードやレッドカードは、

ペレを止めるためのラフプレーが横行したために、

導入されたルールだと言う。



レアルマドリードやACミランなどのヨーロッパのビッククラブが、

ペレの獲得に動いた際には、

ブラジル政府が「ペレは輸出対象外である」と公式に宣言する事態にも発展。



その華麗なプレー見たさに、

ナイジェリアとビアフラの内戦を休戦させたという逸話も残っている。


ところで、
そのペレが2004年に選んだ「偉大なサッカー選手100人」には
ふたりの女子選手がいる。
たったふたり?
いや、そうではない。
女子のFIFAワールドカップがはじまって13年めの快挙だった。

女子サッカーはもっと面白くなる。
素晴らしい可能性がある。

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