sarsia
こどもの話/福沢諭吉
今ではあまりお目にかからないが、
その昔、子どもが家の手伝いをするのは
当たり前の話だった。
明治時代の小説家、福沢諭吉の場合。
庭の掃除や草取りなど、外回りの仕事は「第一類」、
廊下や雪隠など家の内部に関するものを「第二類」に分けた。
そして子どもたちに、このようなルールを定めた。
雑巾も雑巾桶も自分にて始末し、何等の事故あるも他人の助けを借るべからず。
雑巾掛けの水も自分にて汲むべし。湯も自分にて取るべし。
今日はこどもの日。
それは親子の役割を考える日、なのかもしれない。
Podknox
こどもの話/アインシュタイン
子どもに何かを習わせたいと考える親は多い。
物理学者のアインシュタインとて例外ではない。
6歳のとき、両親の発案でヴァイオリンを始めた。
高校時代には、バッハやモーツァルト、
タルティーニなどを弾きこなし、
物理学者になったあとも、演奏することが息抜きになった。
そしてこんな言葉を残した。
テーブル、椅子、器いっぱいのフルーツ、そしてヴァイオリン。
人が幸せになるのに、ほかに何が必要か。
今日は、こどもの日。
50年後の趣味を子どものうちに見つけられたら、幸せに違いない。
こどもの話/キュリー夫人
物理学者、キュリー夫人の父親は、教育熱心だったという。
でも、塾に通わせたり、成績表とにらめっこしたりするわけではない。
手紙を書くならば、文章は論理的に。
子どもたちを遠足に連れて行くときは、
名所旧跡を前もって研究し、
道すがら雄弁に説明する。
そして土曜日の晩にはいつも、
自作の詩を朗読して聞かせたという。
そしてキュリー婦人は生涯、この言葉を大切にした。
人生の最大の報酬は、知的活動によって得られる。
今日は、こどもの日。
我が家の教育方針について、もう一度考えてみませんか。
Brigitte Djajasasmita
こどもの話/本田宗一郎
祖母は、「女甚五郎」と呼ばれるほど
手先の器用な女だった。
家庭の雑貨はもちろん、
機織り機や農機具まで作ってしまったという。
父親は、評判の鍛冶屋だった。
ノコギリや鍬だけではなく
見よう見まねで入れ歯を作り、
剃刀や猟銃の修理まで引き受けた。
そして息子は、彼らの魂を受け継いだ。
遺伝ではなく、伝承として。
本田技研の創業者、本田宗一郎は語る。
人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。
他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。
そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。
今日は、こどもの日。
襟を正して、また明日から頑張りましょうか。
大人も、子どもも。
こどもの話/パブロ・ピカソ
子どもは、親の真似をする。
スペインの画家、パブロ・ピカソも然り。
父親はいつも絵を描いていて、
その姿を見るのが好きだった。
ピカソ少年は、父親の真似をしない方がおかしい、という環境にいた。
だが、才能は平等ではない。
わずか13歳だった息子の絵を見たとき
その見事な鳩の描写に驚き、
父親は、二度と絵筆をとることはなかったという。
のちにピカソは語る。
男性を描くたびに父親を思い出す。
今日は、こどもの日。
子どもが勉強しなくて悩んでいるお父さん、お母さん。
まずは、お手本を見せてみませんか。
こどもの話/J・F・ケネディ
アメリカ合衆国第35代大統領、
J・F・ケネディの母親、ローズは教育熱心だった。
九人もいる子どもひとりひとりのために
ファイルカードをつくり、
成長の様子をつぶさに記録したという。
子どもたちを優れた人間に成長させるためには、
小さいときから始めなければならない。
今日は、こどもの日。
子どもの姿を見守ることが、教育なのかもしれません。
こどもの話/エジソン
多くの子どもは、親に尋ねる。
どうして船は浮かんでいるのか。
どうしてモグラは、いつも土の中にいるのか。
どうしてガチョウは卵の上に座っているのか。
発明王、トーマス・エジソンの母親は、
無邪気で途方もない質問に、ひとつひとつ答えたという。
そして、八歳で小学校を退学したエジソン少年を自ら教育し、
野菜を保存しておいた地下室を、実験室として与えた。
その恩を、彼は生涯忘れなかった。
今日の私があるのは母のおかげです。
母はとても誠実で、私を信頼してくれていましたから、
私はこの人のために生きようと思いました。
この人だけはがっかりさせるわけにはいかないと思ったのです。
今日は、こどもの日。
それは母を想う日でもある。