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ロベール・ウーダン 1
近代マジックの父と呼ばれる、ロベール・ウーダン。
彼はもともと腕のいい時計職人だった。
ウーダンのつくった機械仕掛けの人形は、
1844年のパリ産業博覧会で入賞も果たした。
産業革命の波が押し寄せた時代。
才能ある技術者には、
華々しい活躍が約束されていたはずだ。
しかしウーダンは、
40歳でマジシャンに転身する。
彼はきっと、こう思っていたのだろう。
「ただ、世の中をびっくりさせたかった。それだけさ」
そういえば、スティーブ・ジョブズも
iPadを「magical device」と呼んでいた。
テクノロジーは、いつだってマジックに憧れる。
![20120526-02](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-02.jpg)
ロベール・ウーダン 2
燕尾服にシルクハット。
マジシャンとしてはじめてこの服装を取り入れたのが、
近代マジックの父、ロベール・ウーダン。
彼はあやしげな衣装ではなく正装に身を包み、
舞台の照明を明るくして
それまでの黒魔術的なイメージを払拭した。
マジックを、純粋なエンターテイメントへと進化させたのだ。
この革新的なスタイルはたちまち世界中に広がり、
今まではマジシャンの代名詞となった。
ウーダンは、こんな言葉を残した。
「マジシャンは、魔法使いの役を演じる役者である」
役者としてのウーダンはもういないが、
彼の演出はいまも生き続けている。
![20120526-03](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-03.jpg)
ロベール・ウーダン 3
近代マジックを確立したロベール・ウーダン。
もともと時計職人だったウーダンは、
その経歴を活かしたトリックを得意としていた。
たとえば、「パレ・ロワイヤルの菓子職人」というマジック。
人形に向かって注文をすると
いったん店の中に入り、
そのお菓子を取って戻ってくる。
19世紀の人々はその精巧な動きに驚いただろうが、
カラクリはきわめて単純。
ウーダンの息子が、中に隠れて操作していたのだ。
高名な技術者でもあるウーダンが、
まさかそんな子供だましをするとは誰も思わない。
トリックは、いつも観客の心の中に仕掛けられている。
![20120526-04](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-04.jpg)
チャン・リン・スー
マジックの歴史上最も有名な死亡事故は、
1918年3月23日、ロンドンで起こった。
犠牲となったマジシャンの名は、チャン・リン・スー。
きらびやかな中国服に、長く垂らした弁髪。派手なメイク。
彼の異国情緒あふれるショーは、その日も盛況だった。
しかし悲劇は突然訪れる。
弾丸を受け止めるマジックで、銃が暴発。
銃声とともに倒れるスー。
事情を知らない観客は拍手喝采。
それがそのまま、彼の人生の幕引きになった。
だが、本当の結末はそのあとに待っていた。
運び込まれた病院で、スーが白人であることが発覚したのだ。
本名はウィリアム・ロビンソン。
いつも通訳をそばに置き、
中国人として生活していた彼のことを
誰も白人とは思わなかった。
彼の中にあったのは、
人生をかけて騙そうという覚悟だったのか。
それとも、
自分なら騙し通せるという自信だったのか。
![20120526-05](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-05.jpg)
ハリー・フーディーニ 1
死後80年以上たった今もなお
アメリカで最も有名なマジシャンと言われる
ハリー・フーディーニ。
彼が活躍した時代には、
まだスピリチュアリズムが信じられていた。
あるときフーディーニは
亡くなった母親と話したいと願い、
霊媒師のもとを訪ね歩いた。
しかし、どの霊媒師もインチキばかり。
裏切られた彼の思いは、怒りに変わる。
マジシャンとしての鋭い観察眼で
霊媒師たちのトリックをあばき、
生涯をかけて彼らを否定し続けた。
ところが死の直前、
フーディーニが妻に言い残したのは
意外にもこんな言葉だった。
「死後の世界があったなら、必ず連絡するよ」
![20120526-06](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-06.jpg)
ハリー・フーディーニ 2
数々の脱出マジックで名を馳せた、
ハリー・フーディーニ。
「脱出王」と呼ばれた天才マジシャンにも、
逃れられない運命がある。
彼の死は、1926年10月31日のこと。
フーディーニは不死身だと信じた客に
不意打ちで腹を殴られ、
急性虫垂炎を起こしたのだ。
葬儀の日、参列者のひとりはこう言った。
「賭けてもいいが、彼はこの棺の中にもういない」
マジックは、人を信じる力でできている。
![20120526-07](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/05/20120526-07.jpg)
ジャスパー・マスケリン
第二次世界大戦中、ひとりの男がイギリス軍に志願した。
自分の持つ技術によって、ドイツ軍を打倒できると信じて。
男はジャスパー・マスケリン。職業、マジシャン。
西アフリカ戦線に配属されたマスケリンは、
マジックを応用したカモフラージュの専門部隊を組織する。
集められたのは画家、大工、電気技師など14名。
通称「マジックギャング」。
戦争は、騙し合いだ。
マスケリンたちは
偽の戦車部隊を自在に出現させ、敵を撹乱した。
偽の建物や灯台で港をつくり、
敵の爆撃機を惑わせたこともあった。
彼らのマジックは、ドイツ軍を翻弄し続けた。
しかし終戦となったのちも、
その功績が公式に認められることはなかった。
マスケリンは酒に溺れ、失意のうちに死んだという。
戦争は、騙し合いだ。
プロのマジシャンさえ欺かれるほどの。
そこには勝者など、いなかった。