2012 年 10 月 のアーカイブ

中村直史 12年10月21日放送


slightly everything
おいしいはなし / 本道佳子(ほんどう よしこ)

愛のある食事は、人をやさしい気持ちにする。
愛のある食卓は、人と人、家と隣の家、
国と国の境界線さえ飛びこえて、
いのちといのちを結ぶことができる。
ほんとにそう信じている。

「国境なき料理団」代表、本道佳子。

細胞の一つ一つに
愛の灯火が届きますようにと
今日も笑いながら料理をつくっている。

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中村直史 12年10月21日放送



おいしいはなし / 本谷口博之(たにぐち ひろゆき)

作家開高健。晩年、世界の秘境を釣り歩き、
すばらしいルポルタージュをいくつも残した。

その旅につきそい、開高健が釣りあげる珍魚・怪魚、
さらには野豚、野ネズミ、ヘビ、イグアナまで
あふれるアイディアでおいしい料理に変えつづけた男がいる。
谷口博之。
料理学校の教師でもあったため、開高からは教授と呼ばれた。

あるとき、一行はアラスカ、キーナイ半島の先端にある
サディコーブという入り江にやってきた。
開高が歴史が始まる前のようだと評した海。
アブラメ、イワナ、オヒョウ、カジカ、カレイ、イサキ、メバル、
カニ、エビ、ムール貝、トコブシ。
魚貝類がひしめいていた。

その海辺で、谷口はブイヤベースをつくる。
このアラスカの、この入り江でしかつくることができない
きっと世界一素朴で、世界一豪華なブイヤベース。
一口食べた瞬間、アラスカの海に開高の声がひびく。

「うまい!」

「こっちにきていっしょに食べよう」と言われた谷口は、
それができずに、ただ開高らの食べっぷりを眺めた。
自分がつくった料理にのめりこむ姿に、胸がつまって動けなくなってしまった。
料理人のよろこびは、おいしいと喜んでもらうこと。
開高健との旅は、そんな当たり前のことも強烈に教えてくれた。

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三島邦彦 12年10月21日放送


suga*memo
おいしいはなし / 平松洋子(ひらまつ ようこ)

エッセイストの平松洋子は、
日常に発見をもたらす天才だ。

かまぼこは手でちぎる。
盛り付けにガラスのコップを使ってみる。
たくあんの切り方を変える。
豆腐にオリーブオイルをかける。

彼女の言葉を信じてみれば、食卓は今までと違う姿を見せる。
一手間、一工夫が、ふつうの毎日をちょっと新鮮にしてくれる。
彼女は言う。

 ふつうがおいしければ、それでじゅうぶんだ。
 なんの力みも入っていなくて「ここ一番!」の特別感なんか全然なくて、
 でもおなかの底から「ああ、おいしかった楽しかった」。
 そう思えればいうことなし。

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三國菜恵 12年10月21日放送



おいしいはなし / 祥見知生(しょうけん ともお)

鎌倉にひっそりとたたずむ
器のギャラリー「うつわ祥見(しょうけん)」。
その店主の、祥見知生は、
数ある器の中でも、めし茶碗のことをこよなく愛している。

 器とはせつないものである。
 食べる道具として、生きることを支えている。
 ごくありふれた人の生涯と同じように気高く、そして美しい。

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大友美有紀 12年10月20日放送


かずっち
小川三夫「不器用な言葉」

京都や奈良に修学旅行に行って、
歴史を好きになる、
仏像を好きなになる人はいるだろう。
けれども、宮大工を志す人は少ない。

銀行員の次男に生まれた小川三夫は、
法隆寺を見て、宮大工になろうと思った。
法隆寺棟梁の西岡に入門を頼むが断られる。
当時18歳だったが年を取り過ぎていると言うのだ。
そこで、道具の使い方を覚えるために
仏壇造りの修行に入る。

 弟子だからって教えるんじゃないよ。
 教えるというという親切さ、そういうものはないな。
 昔の弟子を育てる徒弟制度はそういうものやったんやろ。

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大友美有紀 12年10月20日放送


poco
小川三夫「不器用な言葉」2

宮大工・小川三夫は、まず仏壇造りの修行から始めた。
親方の家に住み込み、家事を手伝い、赤ん坊の世話もする。
給料ではなく、1日100円をもらっていた。
仕事はできない、金はない、まわりとの環境が全く違う。
気持ちがすっかりひねくれていた。
帰省した時に母親が自分にだけ出してくれた
鳥もも肉を皿ごと投げ返した。

 おかげで自分と言うものを見たわな。
 しかし、後になればひねくれるというのも
 いいことだと思うんだ。
 やはり人間が強くなるもとだよ。
 ただ、ひねくれっぱなしは、嫌われる。
 自分自身でなおさなくちゃあかん。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」3

1年ほど仏壇造りの修行をした小川三夫は、
ようやく法隆寺棟梁の西岡に弟子入りする。
ここでも言葉でストレートには教えない。
あるとき小川は西岡の息子に誘われて浄瑠璃寺を見に行く。
帰ってくると棟梁はそんな建物を見に行く必要はない、
という顔をしている。口には出さないけれど怒っている。

 その時の俺は未熟だったから棟梁の真意がわからなかった。
 今になってみると見る目がないのに
 見に行ったってしょうがないという怒りだったとわかる。
 見る目がない時にものを見に行くと、
 人の言葉を借りて見るだけだな。
 本やなんかに書いてあることを評論家みたいに言うだけだ。
 思ってもないのにな。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」4

宮大工・小川三夫は、仏壇造りの修行を経て、
法隆寺棟梁・西岡の内弟子になり、一人前の宮大工に成長する。
そして独立。鵤工舎(いかるがこうしゃ)を設立。
弟子を育成しながら社寺建築を続ける。
十年という年月を修行の目安にしているという。
修行中は、食事も一緒、仕事も一緒、
寝るのも刃物研ぎも、みんな一緒だ。

 一緒に暮らして、一緒に飯を食ってるから、
 言葉で言わんでもあいつが何を考えているかがわかるんや。
 おたがいを見て、こいつはこういうふうなやつだと、
 気づいていかなければいけないんだ。
 そうしていれば、今日あいつはちょっと調子悪いとか、
 おたがいをいたわる気持ちもちょっとずつ出てくる。

子どもに個室をつくるから、みんなだめになってしまうと小川は言う。
日ごろなんでもない時にふれあっていること、それが一番の
いい教育だと。

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大友美有紀 12年10月20日放送


緋佳
小川三夫「不器用な言葉」5

宮大工の仕事は何世紀も越えて続いていく。
だから見えないところまで気を配って丁寧にやる。
同時代の人には見えないけれど、
200年後、300年後解体した時に、その時代の大工たちが
ああ、こういう丁寧な仕事したんだなと
そのときわかってくれればいいという。

 そういうところはだれも見ていないよ。
 目に見えないところだからかまわん、
 そうなってしまうわけだな。
 それではいかんのや。
 たとえば、草むしりでも
 いまの世の中では見えるところだけをやる。
 そういう草むしりをしろといっているように思う。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」6

宮大工の仕事には、寸法通りにきちっと仕上げただけでは
だめなことがある。
たとえば柱の真ん中に別の木を通すために穴をあける。
木というのは芯を通って穴を空けると、芯にむかってふくらむ。
スムーズに入れるために「ヌスム」と言う技がある。
木の性(しょう)を見ていくぶん余計に掘っておく。

 世の中にもこういうヌスミみたいなものが
 必要なのと違うだろうか。
 ぎくしゃくしないように、ちょっと無理が出ても
 納めるようなゆとり。

それは自分のほうが引いてもいいと言う余裕。
今は、相手にそれを求めるだけだと、宮大工・小川は言う。

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