2012 年 12 月 30 日 のアーカイブ

名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 ブラム・ストーカー

百年前、その人物が亡くなった。

『吸血鬼ドラキュラ』の原作者
ブラム・ストーカー

この奇っ怪な小説は
演劇化されたことで人気に火がつき、
異例の売れ行きとなった。

ただ、この有名な主人公を創作した
ストーカーの人物像については、
今日まで謎も多かった。

ところが今年、
ストーカーの死後百年の時を超えて、
彼の日記が発見された。

その日記が書籍として2013年春、発売され、
日の目を見ることになった。

まるで百年の眠りから目覚める
ドラキュラのように。

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 ハイム

百年前、その人物が亡くなった。

ドイツの詩人 ハイム

こんな詩の一節が残っている。

 死に行く者は立ち上がろうとするが、
 突然死んでしまう。
 命はどこに。
 その目は曇ったガラスのように、
 暗く陰鬱だ。
 目覚めている者も悲しみにうちひしがれ、
 重い悪夢から覚めようと
 青ざめたまぶたをぬぐう。

これは予言か。呪いだったのか。

この詩を書いてからまもなく、
ハイムは友人と二人、湖にスケートに出かけた。

氷が割れ、ハイムは冷たい水中に沈み、
突然、死に行く者になったのだ。

24歳という若さで。
詩に書いたような死に方で。

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 カルブレイス・ロジャース

百年前、その人物が亡くなった。

アメリカ大陸横断飛行に成功した
カルブレイス・ロジャース

出発から30日以内の横断成功には
新聞社からの懸賞金5万ドルが
かけられていた。

しかし、ロジャースは49日間かかってしまった。

その間、17回もの着陸失敗事故により、
部品の修理を繰り返した。
交換した主翼は18枚、脚そり20本、エンジン2台。

ゴールの西海岸に着いた時、
残っていたオリジナルの部品はわずか2点だけだった。

それだけ墜落しても生還した
不死身のロジャース。

人気者となり、
スポンサーの飲料メーカーが奮発したおかげで、
懸賞金に2万ドル上乗せした賞金7万ドルを手にした。

名声も富も得たロジャースが
墜落事故で死亡したのは
そのわずか5カ月後のこと。

原因は、部品の故障ではなかった。
一羽のアヒルと衝突し、
真っ逆さまに墜落したのだった。

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 ジャック・フットレル

百年前、その人物が亡くなった。

アメリカの天才ミステリー作家
ジャック・フットレル

『思考機械』シリーズを発表し、
その人気は『シャーロック・ホームズ』に
匹敵するほどだった。

絶頂期だった37歳の時、
イギリスからアメリカへ帰るために、
大きな客船に乗った。

船の名前は、タイタニック号。

沈没する大混乱の中、
フットレルは自分の命よりも
妻を助けようと救命ボートに押しやった。

そして、天才作家は
6編の未発表原稿とともに零下2度の海に消え、
帰らぬ人になった。

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 池辺三山

百年前、その人物が亡くなった。

明治時代のジャーナリスト 池辺三山

朝日新聞の主筆として
明治政府首脳にも忌憚なく意見する公明正大さと、
あたたかい人柄で人々を惹きつけた。

三山を慕って朝日新聞に入社した夏目漱石は
新聞連載によって長編『虞美人草』を書き上げた。

明治45年、母を亡くした三山。
葬儀に参列した漱石は、
「帽もかぶらず、ぞうりのまま質素ななりをして
 ひつぎの後に続く」
という憔悴した三山の様子を見ていた。

三山は喪に服すため肉食を断った。
卵も魚も口にせず、
墓参りと写経の日々を送った。

その栄養不足が命取りとなった。
三山には脚気と心臓の持病があったのだ。

いつものように近所の寺の
母の墓を参って帰宅後、
心臓発作で急死。享年49歳。

 文章は平明で達意であるべし

三山のこの持論は、
新聞が今日まで発展する基礎となっている。

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百年前の訃報録 明治天皇

百年前、その人物が亡くなった。

明治天皇、崩御。

幕末に満14歳で即位し、
59歳の最期まで
明治という新しい時代を天皇であり続けた。

第4次伊藤博文内閣が倒れ、
伊藤が辞任する際には
こんな言葉を投げかけた。

 卿等(けいら)は辞表を出せば済むも、
 朕は辞表は出されず

君主の責任と孤独がにじみ出る言葉。

夏目漱石は崩御した天皇に
こんな句を詠んでいる

厳かに 松明振り行くや 星月夜

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 ロバート・スコット

百年前、その人物が亡くなった。

イギリスの南極探検家
ロバート・スコット

南極点到達を果たした帰路、
スコットを隊長とした5名は、
連日の猛吹雪に身動きが取れなくなり、
全員遭難死した。

のちに雪の中で発見されたスコットの日記には、
底をつく食料と燃料の記録、
凍傷と、近づく死と闘う過酷な最後が綴られていた。

そして、世界にこう訴えていた。

 私はこの冒険を悔いない、
 危険を冒したことは知っているが、
 物事にさえぎられたまでだ。
 私は満足している。
 良い人生だった。

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名雪祐平 12年12月30日放送



百年前の訃報録 羽鳥千尋

百年前、その人物が亡くなった。

羽鳥千尋 無名の青年だった。

ある日、森鴎外に長い手紙を書いた。

貧しくて進学できないこと。
自分が病身なことから医師を目指したいこと。
そうした赤裸々な思いとともに訴えた。

 先生。どうぞ私を書生に置いて下さい。

そのただならぬ文才と熱意につき動かされた鴎外は
陸軍軍医学校に働き口を世話する。

羽鳥はそこで働きながら
医師への試験を目指した。

その志半ば、肺結核が悪化し、羽鳥は絶命した。
享年25歳。

鴎外は羽鳥の手紙を元に、
短編『羽鳥千尋』を発表した。

百年前の青年の強烈な心情をいま、
私たちは読むことができる。

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