2015 年 12 月 5 日 のアーカイブ

佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-01

指揮者の哲学 ブルーノ・ワルター

20世紀を代表するドイツの指揮者、ブルーノ・ワルター。
激情型のマエストロが多かったこの時代において、彼は異質の存在だった。
自らのことを「教育的指揮者」と喩えるように、
温和にして感情を表に出さず、その姿は心やさしき教師のようである。
そうは言っても、彼の言葉の端々には苦労がにじみ出ている。

  オーケストラはまるで百の頭を持つ竜である。
  彼らを思うままに操るのは容易なことではない。

ナチスに追放され、ヨーロッパを転々し
ついにはアメリカに逃れたワルター。
命の危険にさらされながらも、ステージではオーケストラと対峙していた。

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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-02

指揮者の哲学 レオポルド・ストコフスキー

イギリス出身の指揮者、レオポルド・ストコフスキー。
「音の魔術師」あるいは「非正統派の筆頭」と言われるように、
彼の演奏スタイルはかなり個性的だった。
曲のテンポを独自の解釈で自在に変更し、
批評家を敵に回すことも多かったという。
そして演奏のときにタクトを持つことはなかった。

 1本の指揮棒よりも、10本の指のほうが豊かな表現ができる。

ストコフスキーは、レコーディングにも積極的だった。
オーケストラの楽器の配置を、
録音しやすい現在のスタイルに変えたのも彼の功績である。

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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-03

指揮者の哲学 オットー・クレンペラー

ドイツの指揮者、オットー・クレンペラー。
演奏では、情緒的な美しさよりも、
ゆったりとしたテンポの中に独自の世界観をつくりあげた。

逸話の多い男だった。
厳格そうな風貌でありながら、女好き。
脳腫瘍に躁鬱病。そして、度重なる怪我にも見舞われた。
後頭部からステージに転落したこともあったが、
そのたびに不死鳥のように復活を遂げた。
練習ではオーケストラに怒鳴り散らし、
演奏中も観客と口論する。
そんな彼が残した言葉。

  指揮とはどんなことかと問われても答えることはできない。
  なぜなら、指揮というものは自分自身で掴み取るものだからだ。

目を閉じてタクトを振る独特の姿は、指揮者よりも
独裁者という言葉がよく似合う。

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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-04

指揮者の哲学 アルトゥーロ・トスカニーニ

イタリアの指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ。
徹底的な楽譜至上主義で、正確なテンポを刻んだ。
だがそれは、ただ忠実に演奏することではない。
オーケストラそのものが生きる楽譜となり、
音と同化することを求めた。
リハーサルでは指揮棒を折り、スコアを破り、
あらゆるものを床に投げつける。
そんな魂のやりとりで生まれた曲が、人を感動させない理由がない。
だが、本人は淡々とこんなことを言っている。

  私は偉大でもなんでもない。
  ただ他人の作品を指揮していただけだ。

トスカニーニは、極度の近眼のため、楽譜を読まずに暗記していた。
合奏曲は250曲、オペラは100曲以上記憶していたという。
だが1954年に行われた演奏会の途中、
記憶障害で指揮を止めてしまう。
彼がタクトを置いたのは、その直後のことだった。

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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-05

指揮者の哲学 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

ドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
彼の演奏の特徴は、緩急自在なテンポ、そして豊かな表現力。
だが、エモーショナルに過ぎることもあり、
ライバルのトスカニーニから「天才的素人」という微妙な言われ方もしている。
ライヴで本領を発揮し、レコーディングを嫌っていたフルトヴェングラー。
そんな彼らしい言葉が残っている。

  どのような作品であっても、どんな響きが出てくるかは
  その瞬間でなければわからない。

ナルシシズムとも評されるフルトヴェングラーの演奏スタイルだが、
音楽は生き物だ、という視点に立つと、彼のやり方は間違いなく正しい。

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