2016 年 6 月 25 日 のアーカイブ

中村直史 16年6月25日放送

160625-01

雨や植物や木のはなし 佐藤和歌子(さとう わかこ)

佐賀県神崎市(さがけん かんざきし)、脊振(せふり)。
空から山々を見ると、
龍が背中を振っているように見えるから「脊振」。

壮大な名前をもつこの山と森の里に、
NPO法人「森林(もり)をつくろう」は、ある。

昔の人々が植えた木々が
手入れされないと、山は荒れる。
森林(もり)を中心としたコミュニティも廃れる。
森林(もり)が廃れることは、国土の70%が力を失うこと。
それを、なんとかくいとめたい。

代表の、佐藤和歌子さんは言う。

 森林(もり)に来て、木に触れてほしいんです。
 森林(もり)は時代を超えて、人を幸せにする場所です。

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三島邦彦 16年6月25日放送

160625-02
OiMax
雨や植物や木のはなし カレル・チャペック

チェコの国民的な作家、
カレル・チャペックは、
自宅の庭の土いじりを何より愛した園芸家だった。

彼の代表作の一つに、
『園芸家12ヶ月』という本がある。

夏は日照りを心配し、
冬は春の準備に忙しい。

植物の成長を巡り一年中続く悩みや喜びは、
出版から80年以上が経つ今も
国境を超えて園芸家たちを深くうなずかせ、
人々を園芸の世界に引き込んでいる。

雨の日も晴れの日も
植物と向き合い続ける
園芸家という生き方について、
チャペックはこう言っている。

 われわれ園芸家は未来に生きているのだ。
 バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。
 本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。

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三島邦彦 16年6月25日放送

160625-03
yoruwo
雨や植物や木のはなし いとうせいこう

作家でお笑いタレント、
ラッパー、作詞家と様々な肩書きを持つ
いとうせいこうには、
ベランダーという肩書きもある。

それは、庭で草木を育てるガーデナーに対抗し、
ベランダで植物を育てる自らを呼ぶために作った言葉。

都会のベランダでいかに多くの草木を育てるか。
狭いスペースに無駄なく鉢を並べる。
植物にとって快適とは言えない環境で育てるからこそ、
きちんと育ってくれた時の喜びは大きい。
彼はベランダでの園芸についてこう語る。

 田舎で畑を持つのも確かにいいだろう。
 だが、俺はこの暮らしがやめられねえんだ。
 長年都会に生きてると、くだらないことに感動出来るからな。

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三國菜恵 16年6月25日放送

160625-04

雨や植物や木のはなし Isabel Joy BearとR.G.Thomas

雨がふると、雨独特のにおいがする。
その正体が気になって、
1964年、鉱物学者のIsabel Joy BearとR.G.Thomasの
2人が研究に乗りだした。

においの源は、植物が発する油分だとわかった。
コンクリートの街よりも、
農村の山道の方が雨のにおいを強く感じるのはそのためである。

研究者の2人はこのにおいに名前をつけている。

 “ペトリコール”

ギリシャ語が由来らしいけれど、
ふしぎな名前の本当のところは、ふしぎを愛する2人にしかわからない。

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三國菜恵 16年6月25日放送

160625-05

雨や植物や木のはなし 松田素子

絵本編集者であり作家でもある、
松田素子(まつだもとこ)。

彼女の代表作にこんなものがある。
屋久島の木々を主人公に書かれた
『わたしは樹だ』という絵本。

執筆にあたって、
松田は初めて屋久島を訪れた。
本もたくさん読んでいったけど、
知識なんかは置いておいて、
ゼロの気持ちで島の空気に浸りに行った。

驚いたのは、木の「根っこ」だ。
土が少ないため根がむきだしで、
生きるぞ、という執念のようなものが伝わってきた。

そうして、タイトルになったこの一行を書いた。

 わたしは樹だ

不自然な創作はせず、
淡々と事実を書くことに専念した。
自然が示し続けている巨きな合図をしっかり受け取って。
最初の一行を書いたあと、気づけば、
松田の手は止まることなく作品を書きあげていた。

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