大友美有紀 16年11月6日放送

161106-06

「日本の灯台の父/R・H・ブラントン」修技校

灯台建設のために日本に赴任した、イギリス人灯台技師
ブラントンは、横浜の街づくりも命じられた。
日本に正確な測量法はなく、ブラントンはイギリスから
測量や地図づくりに必要な機器を取り寄せ、
日本の青年たちに教えていた。

 私は日本人に、陸地測量の完遂を試みたり望んだりするなら、
 少なくとも数学の基礎知識の習得が必要なことを説いた。

その陳情を受け、横浜に修技校という学校が開設された。
多くの意欲ある武士階級の若者が学んだ。
明治7年、のちの東大工学部となる工学校に併合された。
灯台の父は、東京大学へとつながる教育にも携わっていたのだ。

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