安藤隆 2019年6月2日「Y字路の、行かなかったほうの道での物語」

Y字路の、行かなかったほうの道での物語

   ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

 午後になると太る男は長靴をはいて石畳
の通りを突きあたりまで突進する。突端には
大多摩川の船着き場があり、近ごろ絶滅が叫
ばれるタマガワクジラ見物用のちいさなボー
トが数隻繋留されている。
 船着き場の記念写真屋が「クジラがジャ
ンプするぞー、撮るならいまだぞー」と勧誘
している。太る男は記念写真屋に見つからな
いように三角の立て看板に幾枚も貼ってある
見本の記念写真を眺めようと近づく。小嶋弓
の面影を追いかける太る男はとうとう船着き
場の記念写真に辿り着いたのだ。川をバック
に屈託なく笑うジーパンの娘は、記念写真屋
の腕を疑わせるピンボケだが、たしかに貧乏
旅行の若き小嶋弓に違いない。そこで太る男
は毎日のように古びた写真を眺めにくるので
ある。だが記念写真屋は太る男が大嫌い。な
ぜなら太る男は太った体で看板を覆って自慢
の見本写真をまるごと見えなくしてしまうか
らだ。怒ると甲高い中国語で怒鳴りながら追
いかけてくるので、船着き場の突端の階段ま
で逃げるものの、体重を制止しきれずに二段
あるいは三段、水中へつづく階段に足を突っ
こんでしまうのが常だ。
 ちいさな土産物店や食堂が隙間なく並ぶ
石畳の通りは影のような人々が行き交い賑わ
っている。常にほうほうのていの太る男が通
りの脇のドブ川で長靴をジュポジュポさせて
濁った水を吐き出していると、あたりをいつ
ものように静かな霧雨が覆いはじめる。仄白
い闇となって閉ざす。それを合図のように白
いカーテンをつまんで忘不了小吃店(おもい
でしょくどう)の客引き少女月紅(ユエホン)
がみじかい睫毛でウインクする。「月」とい
う字に「紅」と書くユエホンは貧しい育ちの
少女特有の大きな目をしている。
 太る男はいそいそとボウモアと生牡蠣を
注文する。月紅(ユエホン)はボウモアを白
酎(パイチュウ)用のちいさな歪みグラスに
そそぐ。生牡蠣は水餃子用のどんぶりに放り
こむ。今日もあれを言ってもらうのだ。
 心得た月紅(ユエホン)は太る男好みの
棒読みで言った。「ボウモアって、ストレー
トのほうが甘くて飲みやすいですよね」
 すると太る男は熱心にこたえた。「あっ、
ほんとだ、ボウモアはストレートのほうが甘
くて飲みやすいや!」
 海老色のボックスシートは背もたれが高
いので、月紅(ユエホン)はすばやく太る男
の太った指をとってスカートの中へみちびく。
少女らしい三日月のほんのさわりへ。

 くしゃみがつづけて七回でたのは、どこぞ
山の上ホテルのバーで太る男の噂をしてでも
いるのか。
 「太る男さんってまだY字路にいて何してら
っしゃるんでしょう」
「太ってんじゃねえの、あはははは」

 「あんたは日本人かね」
 石畳の通りの赤と青のアメリカ柄のテン
トの下、「豚の脳のスープ専門店」の店主で
ある中国人の父親が太る男に尋ねる。
 「そうそうそうそうそう! そう!」
 太る男は愛想よく答えてスープに浮かん
だ豚の脳を噛まずに呑みこむ。店主の横に利
発そうな長男が座って、わるい日本人を睨ん
でいる

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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磯島拓矢 2019年5月5日「駅」

「駅」

    ストーリー 磯島拓矢
       出演 大川泰樹

電車で初恋の人と再会する。
そんなことは今や少女漫画でも起こらない、なんて言ったら
少女漫画家に怒られるだろうか。
しかし、思いがけない人との再会はある。

その日僕は、大学時代のサークルの後輩と再会した。
僕は外回りの途中で、ボーっと座席にもたれていた。
目の前にはカップルらしき男女が座っている。
男は居眠りをしている。女は中づり広告を見ている。
その女の人と目が合った。
「あっ」という顔をされた僕は、「え?」と思い、
1秒後に記憶がつながった。
いたいた。サークルの一つ下だ。
名前は、名前は・・・思い出せない。
つき合っていたわけではない。好きだったわけではない。
ただただ、同じサークルにいて、
時々コンパをして、時々テニスをしただけだ。
だからと言って、名前を忘れていいわけではないのだが。

目の前の彼女は、親しみを込めて頭を下げてくれる。
僕も下げる。
何だっけ?名前は何だっけ?
焦りが顔に出ていないことを祈る。
彼女は微笑み、僕を見る。
「久しぶりだね」という気持ちを込めて、僕はうなずく。
彼女もうなずく。
しかし名前は、相変わらず出てこない。

車内に次の駅の名がアナウンスされる。
彼女が男を起こす。僕はその駅で降りたことはない。
目をこすりながら男が起きる。立ち上がる。
電車にブレーキがかかり、少しよろけて彼女につかまる。彼女が支える。
僕はそんな様子を眺めていた。
電車が止まる。男はドアへ向かう。彼女が続く。
彼女は僕の方を振り返り、男の背中を指さしながら、
唇をゆっくり3回動かした。僕はそれを読み取った。
「だ・ん・な」
もう一度頭を下げて人妻は降りて行った。

もう一度言うけれど、
彼女とつき合っていたわけではない。好きだったわけでもない。
でも、僕はこの再会に感謝した。
「だ・ん・な」
唇から読み取ったメッセージは、なぜか僕を微笑ませる。

一度も下りたことのないその駅は、
ちょっと大切な駅になった。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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中山佐知子 2019年4月28日「織部」

織部

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

桃山時代に突然出現した緑色の茶碗、香炉、皿。
織部焼の特徴である緑の釉薬は
中近東から中国を経て日本に伝わったが
これを用いて大胆な意匠の陶器を生産したのが
古田織部だった。

古田織部は戦国の武将だったが
その卓越したクリエイティブ能力を秀吉に買われ
いまでいう産業大臣のような地位に就いた。
おりしも利休によって茶道がひろまり、
日本は芸術品としての陶磁器を必要としていたのである。

16世紀の末、天下統一を目前にした織田信長は
道路を整備し、自由取引の市場をつくった。
街はにわかに活気づいた。
南蛮貿易にも力を入れた。
海の向こうから見知らぬデザインや色がやってきて
日本の美術に影響を与えた、と同時に
ちゃっかり自分も大儲けをしていた。

戦国の世の終わりはそこに見えていた。
前代未聞の好景気で国中が沸き立っていた。
信長にとっての金(きん)は
貯め込むものではなく使うものだった。

信長は凶暴だったかもしれないが
文化を重んじ芸術の目利きでもあった。
文芸も美術も茶の湯という総合芸術で統括し
茶道具、絵画、陶芸など超一流のアートをコレクションした。
さらに当代一流の陶工を膝元に集めて管理下に置いた。

それをそのまま引き継いだのが秀吉だった。
1605年、岐阜に開かれた織部焼の窯は
秀吉の管理のもとに置かれ、
古田織部というクリエイティブディレクターの指揮下に
一流の職人…というよりアーチストを集めた。

その頃に生み出された陶芸品は
世界のどんな食器とも較べようがないほど斬新で奇抜で、
それでいながら品格があり美しいと評価されている。
茶碗ひとつに城ひとつと言われるほど
高価なものが作られていた。
この時代を日本のルネッサンスと呼ぶ人がいるが、
そのとき、古田織部はダ・ヴィンチだった。

しかし、織部焼の寿命は短い。
1615年、古田織部は
徳川家康に豊臣との内通を疑われ切腹し、
それと同時に芸術品としての織部焼は途絶えた。
織部の自由闊達な作風は
徳川政権の管理体制には到底おさまらなかったのだろう。

徳川幕府は古田織部の死の記録を隠し、
織部焼の記録も消してしまった。

研究者によると古田織部の罪は冤罪だそうだ。
古田織部はひとことの釈明もせずに死んだ。
その沈黙の意味を考えるに、
しょせん徳川の田舎もんに何がわかるんだよ…
というようなことではないかと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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中山佐知子 2019年3月24日「あ、ハヤナリくん」

あ、ハヤナリくん

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

あ、ハヤナリくん?
橘逸勢くんなら幼馴染だよ。
竹馬の友ってやつだ。
僕は逸勢くんが大好きなんだ。

逸勢くんの家はお父さんが中級貴族で
いまでいう東京都知事みたいな職についていた。
頭が切れて有能だったけど
目立たないことをモットーに生きているような人だった。
無理もないと思う。
橘氏は名門の一族だから標的にされやすく
逸勢くんの爺ちゃんの奈良麻呂さんは
本当だかでっち上げだかわからない
謀反の罪に問われて死んでいる。
このころの謀反というのは
政治の争いに負けたか誰かに陥れられたか、どっちかしかない。
まったく物騒な世の中だった。

そんな家に生まれた逸勢くんだから
世の中を遠いところから眺める姿勢が身についていた。
それは子供が蟻の巣を観察するのに似ていた。
次期天皇の候補だった僕は
争いの中で泥にまみれて苦労していたから
逸勢くんはいいなっていつも思っていた。

逸勢くんは22歳のとき遣唐使の船に乗って
中国へ留学した。
連れはあの空海だった。
逸勢くんは、せっかく才能を認められたのに
語学が苦手と主張しまくって
言葉がいらない音楽と書を学んだ。
認められて帰国して出世するというコースを
うまく避けたんだと思う。
避けたというか、めんどくさかったんだと思う。

でも、ある意味これはすごい。
だって、ラブレターを書くその字がしびれるほどうまくて
音楽に堪能だったら私生活では怖いものなしだ。
逸勢くんの従姉妹にとんでもない美少女がいて、
僕はその子と結婚したいと思ってたんだけど、
逸勢くんがラブレターを送ったらどうしようと
実はハラハラしてたんだ。
当時の、つまり平安時代初期の書の名人は
空海と逸勢くんと僕だけど、
逸勢くんの書はリズムがあって格調高く、
一文字一文字が本当に素晴らしかった。

僕は812年の花見を思い出す。
それは日本ではじめての桜の花見だった。
その三年前に僕は即位して天皇になっていた。
逸勢くんの従姉妹の美少女はすでに僕の妻だった。

平安京の御所のそばの広大な庭園で
僕たちは流れに舟を浮かべ、桜の下で楽を奏で、
詩をつくり、歌を詠んだ。
僕は、茜で染めた衣装を着て桜の下にいる逸勢くんを見つけた。
逸勢くんは小鳥が枝を揺らさずに木に止まっているみたいに
存在感をぼんやりとさせていたけど、
僕は逸勢くんを見つけるのがうまかった。

逸勢くんは中国からたった2年で帰ってきた。
帰りも空海と一緒だった。
「留学費がなくなった」と言い訳してたけど。
逸勢くんのお金も空海が使ったんじゃないかと僕は思う。
空海はそんなやつだし、逸勢くんもそんなやつだった。
ふたりとも、いま何が大事かを知っていた。
逸勢くんはどんなに勉強しても
それを世の中のために使う情熱がない。
一方で空海はあの時代の救世主だった。
だから逸勢くんのお金は空海に流れた。

逸勢くんは、後世になって
日本の書道の基礎を築いたと評価されるけど、
生きているときは何もしなかったなあ。
なんでもできるのになんにもしなかった。
そんな逸勢くんに、
あの日の桜はハラハラと豪華に花びらを投げかけていた。

僕が死んで二ヶ月後、
逸勢くんは反逆の罪を着せられて死んでしまった。
いや、殺されてしまった。
逸勢くんのことが大好きだった僕が先に死んだせいだ。
逸勢くんにとって政治は蟻の巣みたいなもので
観察はしても身を投じるはずがないじゃないかって
僕以外の誰も理解できなかったんだろうか。

ごめんね、逸勢くん。
僕はいまでもきみが好きだよ。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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一倉宏 2019年1月6日「愛について」

愛について

    ストーリー 一倉宏
       出演 大川泰樹

NHK Eテレの特集で それを見た
釜ヶ崎 ドヤ街の おっちゃんたちが
詩を書き 絵を描いている

家族と生き別れてしまった おっちゃんが
とうに 大人になっているだろう
娘たちの 幼い頃の思い出を
そこにあったはずの幸せを 書いている
それは 回想なのか それとも 幻想なのか
いずれにしても 書いている

思えば 詩を書くことも
ラインやメール 電話をすることも 
嫁さんをもらうことも 離婚することも
喧嘩することも 焼酎を飲むことも
みんな 同じかもしれない

笑うことも 泣くことも 怒ることも
同じこと だったかもしれない

それらはぜんぶ 愛について

おっちゃんのノートには
こんな言葉も 書いてある

テレビのニュースを見た
5才の女の子のノートが流れた

ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりかもっと
あしたはもっとできるようにするから
もうおねがいゆるして ゆるしてください
おねがいします

おっちゃんのノートに 
書き写された 女の子のノート それは

なんて哀しい ラブレターだろう
なんて胸えぐる ラブソングだろう

おっちゃんはいう
だって僕みたいな しょうもない人間

なんで この子は こんな 
誰も助けて あげること 
できひんかったやろかなあ・・・ と

そういって おっちゃんは泣いた 
なんていうか ごく 自然に

僕はテレビを消して 自分の部屋に行く
いつものように 眠くなるまで
お酒を飲んで 音楽を聴く

その音楽は すてきな歌で
あまいメロディに わるくない歌詞

一人称が 二人称を どれほど愛しているか
一人称が どれほどいま 幸せを感じているか

その歌は その歌詞は なかなかいいと
感じていたのだけれど いつもは

でも そんなことなど 
どうでもいいじゃないかと
思えてしかたなかったのだ その夜は

そして 亡くなった母の夢を
ひさしぶりに見た 
夢の中の 母と話した
母もまた 泣いていた

そうだよね 泣くよね 
誰だって

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中山佐知子 2018年12月30日「山の奥の奥」

山の奥の奥

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

山の奥の奥のどん詰まりの村があった。
村人はここより奥によもや人が住んでいるとは思ってなかったが、
あるとき川の上流からお椀が流れてきて、
もっと奥にも人が住むことを知ったという。
そんなことがきっかけで
上流の村と下流の村は様子を尋ね合うようになった。

昭和のはじめの冬のことだった。
常なら4メートル積もる雪が6メートルの深さになり
ついに10メートルに達した。
もう二十日あまりも道が塞がれ行き来が絶えていた。
そんなところへ下流の村には
県の役人と赤十字の医者がやってきた。
大雪に閉じ込められると怪我人と病人が増えるので
雪を侵して村々を巡回するのである。

下流の村の村長さんは
ここより上流にまだ村があることを役人に伝え、
自ら道案内をして雪の山を登った。

上流の村へ行ってみると
家々はすっぽり雪に埋もれていた。
玄関も窓も雪に塞がれ、
外に用事のあるときは床からハシゴを登り、
屋根につけてある小さな出入り口を使うのだ。
家の中は真っ暗で、チョロチョロ燃える囲炉裏の火だけが
灯りの役割を果たしていた。
結局この冬は、いくつかの村で百人ほどの人が死んだ。
上流の村はそんなこともあって
数年後には住む人もいなくなり、廃墟になってしまった。

それからまたしばらくして、
ある年のお盆に
下流の村の村長さんが上流の村の供養を思い立った。
守る人もいなくなった墓にせめて香華を手向けようと
考えたのである。

下流の村から10人余りの人が酒と線香を携えて
草に埋もれた道をたどり、山を登った。
おおかたの場所はわかった。
上流の村は炭焼きの村だったので
炭に使う樫の木や楢の木の林が目印になる。
ところが、墓のありかが見えない。
墓どころか、家も見えない。あったはずの石垣も見えない。
人の背丈より高い草が視界をさえぎり
歩くのさえ苦労するほどだった。

これではどうしようもない。
村長さんとその一行はそこからさらに山を登り、
峠の上から村があったはずの谷に向かって酒を撒いた。
村は夏草の海に沈み、影も形も見えなかった。
みんなはしばらく手を合わせ、それから山を下った。
誰も口をきかなかった。
草や木のたくましさに較べて
人の営みの何と脆くてはかないことだろう。
それでも人は草を刈り木を伐って家を建て村を作り
その日その日を生きようとする。

帰り道、村長さんは海原を漂う小舟のような心細さにおそわれて
ぽろっと涙をこぼし、
あわててクシャミでごまかした。

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