2009 年 8 月 のアーカイブ

五島のはなし(33)

僕が通った五島高校は、
城壁の中にあります。
そのころは、高校とはそういうもんだ、としか
思ってなかったですが、考えてみれば特殊です。

五島城は、「日本で一番最後にできた城」なんだそうです。
つまり、江戸の末期も末期。
世の中が、もう将軍の時代じゃないんじゃない? そろそろ開国じゃない?
と言ってた頃に、五島ではようやく「よし、城をつくろう」と
なったわけですが、これには理由があって、
「黒船の襲来に備える」ために建てられたのだそうです。
三方を海に囲まれた(現在は埋め立てのために海に面していませんが)
日本で唯一の「海城」でした。

結局、お城として存在した期間はとても短く、
本丸の跡に校舎が建てられ、今年で110年。

僕が在学中に90周年記念行事をやった覚えがあるから
それからもう20年。早いなあ。
毎日くぐった城門を改めて眺めてみたら
なかなかかっこいいのでした。

この門の先に高校が。

この門の先に高校が。

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五島のはなし(32)

五島つばき

五島つばき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五島の花といえば「椿」です。
観光パンフレットの表紙にもたいてい
椿の花が載っています。
つばき油も名産です。

そういえば、以前伊豆大島に行ったとき
椿の木をよく見かけました。
火山でできた風景や、椿の花を見て、
五島にとても似ているなあと思ったことを覚えています。

そんな五島が誇る花を名前にもつ演歌歌手、
それが「五島つばき」さんです。
五島の人にとってはこんなにわかりやすい名前はありません。

たとえて言うなら、
日本の誇りを胸に世界に飛び出したシンガーの名前が
「日本富士山」である、という感じでしょうか。
・・・いや、あまりいい例えじゃないか。

とにかく五島つばきさん。
演歌界に五島旋風を巻き起こしてもらいたいです。
どこかで目にしたら、ぜひ応援お願いします。

がんばれ、五島!
がんばれ、五島つばき!

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番組制作奮戦記-7



サイコーでサイアクな夜 という
おほめの言葉をいただいた。
DORADO RADIOという
どなたが知らねどラジオがお好きなかたらしきブログ。

記事の中でわざわざリンクもしてくださって
ありがとうございます。

◎ DORADO RADIO http://doradois.com/blog/log/eid375.html

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五島のはなし(31)

五島のことが好きな大きな理由は、海です。
海というか「獲物」と言ってもよいかもしれません。
実家に帰っている間は、とにかく海に行きまくります。
毎年欠かさないのが、兄と釣り歩く「あらかぶ」。
東京ではカサゴと呼ばれる魚です。

僕はこのあらかぶという魚を愛していて、
その愛を言葉にするのは難しいです。
姿、色、味、住んでる場所、生き方。
すべてを愛しています。
そもそも名前がいいです。「あらかぶ」。
なんかこう、ニッポン古来の強さ、みたいな響きです。
ますらおぶり、みたいな。

あらかぶは、海岸の岩と岩の間に隠れ住んでいて
それを釣り歩きます。エサはキビナゴかイカの切り身。
あらかぶは、用心深い魚ではないので
住みかさえ見つければわりと簡単に釣れます。
大きな口をあけて、岩陰からドバッと出てきて、エサをひとのみします。
小さなことは気にせず、大きな口をあけて、思いっきりエサにとびつく。
その姿勢が、小心者の僕に、あこがれのような感情をもたらします。
釣ったあらかぶは、たいていお味噌汁にして食べます。
これがまたうまい。

太陽が高く昇れば、暑いので泳ぎに行きます。
海に入れば子どものころからの習性でつい獲物をさがしてしまいます。
最近は魚介類を捕ってはいけない場所が多いので、
そういう場所で捕らないように気をつけていますが。

泳いでいてサザエを見つけるとうれしいですが
それよりうれしいのはタコです。
タコは岩と岩の間に隠れているのですが、
こちらが近づくとパッと体の色を変えて
「私はタコではありません。岩です。」みたいな主張をします。
僕は僕で、「私はあなたがタコだと気づいてません。ただの海水浴客です。」という
ふりをして近づき、一気につかまえます。
今年もそんな出会いがありました。

  • あらかぶ

    あらかぶ

  • さざえ

    さざえ

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五島のはなし(30)

五島では8月13,14,15のお盆の3日間、
夕方になるとみんながお墓に集まります。

通常、まず12日にお墓に行って、墓石や敷地の大掃除をやって、
それから「灯籠掛け」と呼ばれる、木材でできた枠組みを
墓石の前、もしくは墓石を囲むように組み立てます。
そして13日には、その灯籠掛けに提灯をぶらさげて灯りをともします。

灯りをともしたら、線香をたてて、そのあとは親戚のお墓に
線香をたてに回ります。
それぞれの親戚のお墓にもそれぞれの家族が集まっているので、
近況を報告しあい、だらだらとしゃべります。
おじさん、おばさんが元気にしてたのか、
いとこたちが今どこで何をやっているのか、
甥や姪やはとこたちはどのくらい大きくなったのか、
いまどこで魚が釣れているのか、
を知る場であり、新しい孫たちのお披露目の場でもあります。

子どもたちは話なんかに興味はないので、
みんな花火をやってます。墓の敷地の中で、
すべての子どもが花火をやっているので煙くってしょうがありません。
爆竹がひっきりなしに鳴り、矢がびゅんびゅん飛ぶので
ご先祖様もさぞ落ち着かないだろうと思うのですが、
とにかくそういう感じです。子どもらはお年玉のように
親戚から「花火代」をもらいます。
僕も子どものころはこの花火が楽しみでなりませんでした。
が、いまは煙くてうるさくてしょうがありません。

そうやって、だいたい夕方5時過ぎから7時過ぎまで、
だら~っとお墓にいます。お墓は海のそばか、河のそばか、
お寺のまわりかそんなとこに広がっていて、
たくさんあるお墓のほぼすべてが提灯で覆われているので
日が暮れて、墓のあたりを遠くから眺めると、とてもきれいです。

ひときわたくさんの提灯をともしている墓は、
この1年に家族の誰かが亡くなった家(初盆)の墓です。
初盆を迎えた家族は、まわりの人たちが帰った後も墓に残っています。
僕ももう何度か初盆を経験しましたが、
真っ暗になっても、もうちょっと墓にいようよ、という気分になります。

  • 灯籠掛け

    灯籠掛け

  • 初盆の家は遅くまで

    初盆の家は遅くまで

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五島のはなし(29)

東京にいるときの僕はお調子者で、
できもしないことをすぐ「まかせてください!」なんて言うんです。
「五島のはなし、五島から生更新します!」
とかなんとか言っちゃってましたが、
五島の空港に着いた瞬間、「んなことできるわけねー」と思いました。

青い海、青い空、そして根が怠惰な私。
この3つの要素がそろって、どうやって、
島でわざわざパソコンの前に座れるというのでしょう。
空港に着いたその1時間後には海で釣り糸を垂らしていました。

それからというもの海、海、海、墓、海、墓、海、となりの島の海、また海、
みたいな生活をしておりました。8日間の滞在で15回は海に行ったんじゃないでしょうか。
ちなみに「墓」というのは、五島ではお盆の3日間、
ほぼすべての島民が墓に集まるので、そのことを指しています。

あまりに遊びすぎたのと、東京での暮らしに戻れるか心配なのとで、
帰りの飛行機に乗る2時間くらい前から具合が悪くなり、
うんうんうなってました。そして昨夜遅く帰京。今日から出社。一日中廃人でした。

毎年、夏の五島から帰ってくると重い気分になります。
「なぜ自分は東京で働いているのだろう?」なんてことを考えてしまうわけです。
そんなに都会にあこがれているのか?
赤坂見附を「みつけ」と呼ぶ時の優越感にひたりたいのか?
島に帰って何の不都合があるのか?
夢をあきらめるのがイヤなのか?そもそも夢なんか持ったことないだろ?
バカみたいな自問自答を一日中してました。
帰省するまでは、仕事に対してのモチベーションが高く、
職場でどんな仕打ちにあおうと、
おれは「雨だれ石をも穿つ」の雨だれなんだ!くらいの勢いだったのに。
今日は精神が干からびたミミズみたいになってました。

さっき、家に帰ってくる電車の中で「夢見るヒコーキANA」のCMが流れていて、
僕はあのCMが好きで、そのとき、あ、そーだ、おれは
いい広告がつくりたくってここにいるんだと思い出して、
それでちょっと救われたのですが。

・・・ああ、だれか私をビンタしてください。

ともあれ、厚焼玉子さんが書いてくれた「チャンココ」のことだけ
今日は書いておきます。
チャンココは念仏踊りです。
「チャン」という鐘の音、「ココ」という太鼓の音から来ているとは聞いたことがありましたが、
厚焼玉子さんが書いてた「韓国語でチャンゴ=太鼓」は知らなかったです。
ただ、韓国にそういう踊りがあるかというと、ないらしく、
島にいる時もちょっと調べてみたのですが、ルーツはわからないようです。

お盆になると商店や家をまわって若者たちが踊ります。
念入りに踊っていれば、そこは初盆の家です。
チャンココの踊りが受け継がれているのは特定の地域だけで、
僕自身はその地域に生まれ育っていないので、踊ったことがありません。
子どものころはただ「お盆になると見かける踊り」としか思ってませんでしたが、
年をとると、死んでしまった親しい人たちの記憶と結びついて
切ない気分をもたらす踊りになってます。

五島はお盆が一大事です。
島の人口が3倍くらいになっているんじゃないかと思います。
五島のお盆については、また明日書きます。

チャンココ(8月13日撮影)

チャンココ(8月13日撮影)

ここから生更新するつもりだった、公共ネット施設(のポスター)

ここから生更新するつもりだった、公共ネット施設(のポスター)

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番組制作奮戦記-6

番組の一部が聴けるようになりました。
CDの原盤権の都合上、BGMは変えてあります。

原案:古田彰一
スクリプト:細田高広・八木田杏子
構成・演出:厚焼玉子
MIX・演出:森田仁人
AD:吉田香
CP:久保田永靖

出演:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

出演:三坂知絵子 http://www.studio-2-neo.com/

出演:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/index.html

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番組制作奮闘記-5


自由が不自由になるとき。(八木田杏子)

細田が自由に戸惑っているころ、
私は不自由に戸惑っていました。

「コンビニ」というテーマを発見して、あんなに盛り上がったのに・・・・。
それが、窮屈な制約になってしまったのです。

最初は、地平線まで広がる砂漠のようなキャンパスに、
自由に絵を描いていました。
砂場でしか遊んだことのない子供が、
砂浜で大きな創造物に挑戦するように。
夢中になって、手探りで、砂をかいていました。

それなのに。
「コンビニ」というテーマができた途端、
砂浜が砂場になってしまったのです。

コンビニ商品を題材にして・・・・
コンビニにいる時の気持ちを描いて・・・
棚の前でこんな行動をとったりして・・・

だんだん発想が小さくなって、
どんどん細かい描写に拘るようになりました。

そんな原稿に、
J-waveの久保野さんと厚焼玉子さんから、厳しいひと言。

「商品に縛られ、自由を失っています。」

さらに、優しいひと言。

「最初の原稿のほうが、心を打ちました。」

そして、有り難いひと言。

「かき氷から、アラスカに飛んでもいいんですよ。」

コンビニは発想の起点でしかなく、
そこから世界中に飛べるし、過去や未来に行くこともできる。

自由な砂浜を、不自由な砂場にしていたのは、私自身でした。

そこから抜け出して、どこまで遠くへ行けたのか。
結局、すぐ近くで息絶えたのか。

今日の25時から、それが分かってしまいます。

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小山佳奈 09年8月16日放送

アンリ・デグランジュ


8月16日に亡くなった人 ~ アンリ・デグランジュ

歴史の始まりはたいてい
腰が抜けるほど単純なものだ。

 「自転車レースの日は新聞がよく売れる。
 だったらレースの方をつくろう。」

スポーツ紙ロトの編集者、
アンリ・デグランジュが
売上げアップのために始めたレース。

それが今では世界一有名な自転車レース
「ツール・ド・フランス」となった。

動機はあくまで
単純な方がいい。

今日、8月16日は、
アンリ・デグランジュの亡くなった日。

震洋特攻隊


8月16日に亡くなった人 ~ 震洋特攻隊

ベニヤ板を接着剤で貼り合わせただけの
おもちゃのようなモーターボートを集めて
どこかの見知らぬ大人たちが「特攻隊」と呼んだ。
乗組員は人間ひとりと、爆薬250キロ。

1945年8月16日。
戦争が終わったはずの翌日に、
初めて出撃の命令が下る。

準備中、一つの船が爆発して、
111人の若者が、こっぱみじんになった。

震洋特別攻撃隊、手結基地。
東京から遠く離れた高知の海辺の小さな村で、
誰も戦争が終わったなんて教えてくれなかった。

 「国のために死ぬ覚悟はできていた。
 しかし犬死をする覚悟なんて持っているわけがない。」

生き残った男の目には今もはっきりと
真っ赤に染まる海が見える。

人間が始めた戦争なのに
人間はそれをうまく終わらせることができない。

なのにまた世界のどこかで
今にも始めようとしたりしてる。

どうして人間はそんなにも。
どうして人間はこんなにも。

090816-elvis2


8月16日に亡くなった人 ~ エルヴィス・プレスリー

メンフィスの小さなレコーディングスタジオに
ふらりとやって来た白人の若者。
高校を卒業しトラックの運転手をしているという18歳は、
聞けば母親の誕生日に歌を贈りたいという。

黒人初の大統領が生まれるたった50年前のアメリカでは、
人種の壁ははるかに高く、
それは音楽ですら例外ではない。
黒人はブルース。
白人はカントリー。

オーナーのサム・フィリップスが
どんな歌を歌えるのかとたずねるとこう答えた。

 「僕は何でも歌えます。
僕は誰にも似ていません。」

彼の名は、
エルヴィス・プレスリー。

何かに例えようとする時点で、
それはもうロックではない。

そもそもロックなんてジャンル自体、
ロックの神様には失礼な話。

今日、8月16日は、
エルヴィス・プレスリーの
亡くなった日。

佐伯祐三


8月16日に亡くなった人 ~ 佐伯祐三

1923年。
西洋画の聖地、
パリに渡った佐伯祐三は、
狂ったように絵を描いた。

その狂気は、
画壇を鮮やかに彩るかわりに、
彼自身の心と体を黒く黒く塗りつぶしていく。

 「きっと俺はやりぬく 
 やりぬかねばおくものか
 死-病-仕事-愛-生活」

何よりも死が一番近く、
だからこそ必死で生きた。

今日、8月16日は、
佐伯祐三の亡くなった日。

ベラ・ルゴシ


8月16日に亡くなった人 ~ ベラ・ルゴシ

黒いマントと燕尾服。
オールバックに白い牙。

「魔人ドラキュラ」で一躍スターとなったベラ・ルゴシは、
その後、自ら作り上げたドラキュラ像から逃れられず、
B級俳優の烙印を押される。

彼は亡くなる直前こう言い残す。

 「埋葬するときには
 黒いマントを着せてほしい。」

最後までドラキュラでありつづけようとした彼が、
B級であるはずはない。

今日、8月16日は
ベラ・ルゴシの亡くなった日。

マーガレット・ミッチェル


8月16日に亡くなった人 ~ マーガレット・ミッチェル

自分を書くことはひどく勇気がいる。
偽善的にも偽悪的にもすぐなり下がるから。

作家、マーガレット・ミッチェルはその点、
正直すぎるほど正直に自分の人生を書いた。

「風と共に去りぬ」の主人公スカーレットは、
彼女そのもの。

結婚した男は粗暴で不埒で魅力的。
それでも昔の恋が忘れられずに傷つき別れる。

 「Tomorrow is anotherday.」

それはきっと彼女が
自分自身に言い聞かせ続けた言葉。

今日、8月16日は、
マーガレット・ミッチェルの
亡くなった日。

セルマン・ワクスマン


8月16日に亡くなった人 ~ セルマン・ワクスマン

正岡子規からショパンまで
世界中の才能を奪い続けた死の病、結核。

その特効薬を発見しノーベル賞を受賞した、
セルマン・ワクスマン。

しかし実際にこの抗生物質を発見したのは
彼の研究室にいた23歳の研究生だった。

部下の栄誉を横取りした非道な上司とみるか。
部下に資金と機会を与えた偉大な上司とみるか。

今日、8月16日は、
ワクスマンの亡くなった日。

送り火


8月16日の送り火

盆地を囲む五つの文字が
京都の空を赤く燃やす。

今夜、京都では
亡くなった人を偲ぶ、
大文字五山送り火が行われている。

今日、8月16日に亡くなった、
プレスリー、ミッチェル、佐伯祐三。

あぁ。
あなたたちの残したもののおかげで
こんなにも私たちは
泣いたり笑ったり驚いたりできます。

「人を思う」と書いて
「偲ぶ」。

さて、
あなたは今日、
誰を思いますか。

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中村直史 09年8月15日放送

0815

寺島尚彦 「さとうきび畑」

人の声は聞こえず
ただただおだやかに、
風が吹き抜ける
沖縄のさとうきび畑。

その下にはいまも
勝ち目のない地上戦を戦い、
自決していった方たちが眠っているという。

寺島尚彦は、畑を吹き抜ける風に
死んでいった者たちへの
思いを乗せて
「さとうきび畑」という曲をつくった。

風の音は66回繰り返される。
それは、終わることのない
祈りのようでもある。

hiroshima

美空ひばり 「一本の鉛筆」

その歌が初めて歌われたのは、
1974年8月のことだった。
第1回広島平和音楽祭のために
つくられた歌の名は「一本の鉛筆」。

出番を待つ美空ひばりは、
太陽が照りつけるステージのかたわらにいた。
冷房のある控室へ行くようすすめられても、
そこを動かない。

「広島の人たちはもっと暑かったはずよね」
静かにつぶやいた。


一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く

戦争を憎み
みんなを励まし続けた
ひばりさんらしい歌だった。



hara

ビクトル・ハラ 「平和に生きる権利」

1973年.
チリのサンティアゴにあるスタジアムで、
軍事政権に反対する
多くの若者が殺されたとき、
最後まで歌を歌い続けていた
といわれる男がいる。

ビクトル・ハラ。
「歌は弾圧に対する武器になる」
そう信じていた。

事実、どんな権力者にも
彼の歌まで殺すことはできず。

何十年にもわたって、
戦争や権力に屈しない人たちの間で
歌い継がれた曲の名は
「平和に生きる権利」。

いま、 彼が殺されたスタジアムは
「ビクトル・ハラ・スタジアム」と
名前を変えている。


0815

K&J Kids 「アイアイ」

日韓ワールドカップ開催に
盛り上がっていた2002年のこと。
韓国のとある先生が
素敵な提案をした。

「いっしょに歌を歌いませんか」

韓国の子どもたちは、日本の童謡を。
日本の子どもたちは、韓国の童謡を歌うんです。

そうして集まった
子どもらは「K&J Kids」という名のもと、
ともに歌い、それはCDにもなった。

両国の小さな歌手たちはどんな気持ちで歌ったのか。
子どもらの感想をちょっとだけ紹介します。

「日本の歌も韓国語で歌うと韓国の歌のように思った」
「意味はよくわからないけれど、心温かくなる」

ね、歌っていいんですよ、やっぱり。


0815

RCサクセション 「明日なき世界」

RCサクセションが
その曲を日本に送り出したのは、
戦争が終わって43年目、
1988年の8月15日だった。

アルバム「カバーズ」に収められた
「明日なき世界」。

戦争を知らない若者たちにも、
どストレートな反戦の歌はずしりと響いた。

あれから20年がたつ。
近頃は、反戦の歌なんて時代遅れなのだろうか。
戦争こそ時代遅れだと
世界中が思う日はまだ遠いのだろうか。


peace

エルビス・コステロ 「(What’s So Funny Bout) Peace, Love & Understanding 」

ありえないシーンを
想像してみる。

世界中の国のトップが、
国連ビルの地下室につくられた
秘密のカラオケボックスで歌っている。

曲はエルビス・コステロの
(What’s So Funny Bout) Peace, Love & Understanding 
「平和と愛と理解し合うことの、何がおかしいっていうんだ?」

ネクタイやスカーフを頭に巻き
肩を組み合い熱唱する各国首脳たち。

バカみたいな想像だろうか。
でも、
平和と愛を歌い、理解し合う世界を
想像することの、
何がおかしいっていうんだ?


shirayuri

新垣勉 「白百合の花が咲く頃」

新垣勉という歌手がいる。
盲目の歌手である。

目が見えないことが理由なのかはわからないが、
彼の歌は、目には見えないものを伝えてくれる。

「白百合の花が咲く頃」という曲も、
そんな歌のひとつだ。


戦争は確かに巨大な現象です。
しかし、私たちにとって今必要なことは、
その時その場所で、泣き笑い愛し合い暮らしていた一人ひとりの人間が、
戦争について何を想い何を感じ生きていたか、
その心の内を知ること、想像することではないでしょうか。

目を閉じて
誰かの気持ちに思いをはせる。

それは、人間にできることの中で
最も大切なことのひとつだと、
彼の歌は教えてくれる。

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