五島のはなし(51)

かつて五島はクジラ漁の基地だった。
・・・という事実は知っていたのですが
その歴史が江戸時代初期にさかのぼり、
さらにその発展に尽力した一人の薩摩藩士がいたことは
まったく知りませんでした。

ああ。多くの人にとって興味のわかなそうな書き出しだなあ。
少しでも興味がわくように、
今日の文章のしめくくりを先に書くと
「五島みたいな隔離された印象のある場所でも
実は活発な人材の交流があって、しかも歴史的に
名の知られない人々の営みが複雑にからみあって
歴史がつくられてるんだなあ」
です。
・・・書いてみたけどやっぱ興味わかなそうだなあ。

先に書いた薩摩藩士。名を山田茂兵衛。
島津家の家臣として、
薩摩藩で豊臣秀頼に仕えた男。
薩摩藩で秀頼に?
というところが不思議なのですが、
山田茂兵衛の伝記によれば、
(現在は、大阪夏の陣で大阪城において自害したとされる)
秀頼は島津家によって救い出され、薩摩に逃げ延びたとなっています。
その後、秀頼をかくまっている事が徳川家にばれて、
秀頼は(薩摩にて)自害、仕えていたものの多くも自害するのですが、
薩摩生まれの家臣たちはそれほどつながりも深くなかったことから
自害を免れ、ただそのまま薩摩藩に残るわけにもいかず、
いろんな地域へと移り住んだ、のだそうです。

で、山田茂兵衛、です。
彼は五島の宇久島に移り住みました。
そこからしばらく後、江戸に住んだりもするのですが
また五島に戻り、「クジラ漁」の発展に尽力します。
小さな船でクジラをとるための技術とは大変なもので、
そのために、山口県から船大工を呼ぶなど、
全国のエキスパートたちを集め、創意工夫を重ねた結果、
多くのクジラをとるようになり五島はぐんぐん発展することになった
のだそうです。

この話は全部、宮本常一という民俗学者の
「日本の村・海をひらいた人々」(ちくま文庫)に
書かれていることなのですが、
いやあほんとに、
五島みたいな隔離された印象のある場所でも
実は活発な人材の交流があって、しかも歴史的に
名の知られない人々の営みが複雑にからみあって
歴史がつくられてるんだなあ。
と思ったです。

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コメント / トラックバック 19 件

  1. 2号(しょうこ) より:

    7号(ターチー)へ
    偶然見つけてしまった・・・「五島の話」
    確かに私ら五島人って、意外と五島の事知らないんだなぁ~と妙に納得しながら読んでたよ。
    名物料理と言われている「ハコフグ」・・・我が家でも、というより、どこの食卓でもお目にかかった事が無いよね。(ちなみに五島うどんは、実家に行くとヘビロテで出てくるが・・・)
    バラモン凧だって、人が揚げてるところは見た事あるけど自分で揚げた事は無いし、(私らの幼少時代はゲリラカイトだったね。ん?ゲイラカイト?)昔よく行っていた、ちゅうれいとう(漢字すら覚えてない)が、今はどの辺かも分からない。椿油も土産物屋で見かけるだけで、高いから買った事ないし・・・。きっと観光客は、「五島の人は正月にはみんなバラモン凧揚げて、椿油を料理や化粧品やに使って、「今日はごっつぉだね!」って時はハコフグが並んでて・・・」って思ってるんだろうけど。それから、下着の清水(笑)も、多分、五島人みんな「シミズ」って発音してたんじゃないかな?「シュミーズ」なんて洒落た言葉、幼少期に聞いた覚えないもんね。ターチーのばあちゃんだけじゃないから、ダイジョブ、ダイジョブ!
    あ、そういえば昨日、5号の由美と老化防止のウォーキングをしていたら、負けず嫌いで悟っているというおばちゃん(ターチー母)と、暗闇でバッタリ会ったよ。
    ということで、「五島の話」また楽しみにしてるけんね!

    <大工町軍団  注:年功序列>

            1号(あけちゃん)
            2号(しょうこ)
            3号(ひーぼー)
            4号(よしみちゃん)
            5号(ゆみ)
            6号(こうくん)
            7号(ターチー)
                         

  2. 今日、実家に挨拶に行ってきたよ~
    父ちゃんも母ちゃんとしばし談笑したよな~

    厚焼玉子さんが紹介してくれた。

    北風、太陽の話な 好きな感心したよ~

    どこっから発想が始まったか、今度、聞かせっくれれ~

  3. ちょい急いで書いたら、変な文章になっちょった。

    誤→好きな感心したよ~

    正→好きな文章で、感心したよ~

    PS.家の周りも、あがん家も変わってしもうて、見違えたよ~
    白い壁の家ばっか探しよったもんの~

  4. 厚焼玉子 より:

    昔はトンネル掘ったり鉄の橋を架けたりできなかったんで
    船による交通手段は今思うほど面倒ではなかったと思いますよ。
    隠岐の島ではパチンコも船で行きよるようです。

  5. 厚焼玉子 より:

    ところで直史くん、ファンがいっぱいやね〜。

  6. 中村直史 より:

    うわー、しょうこねえちゃん・・・
    びっくりした。
    大工町軍団!いつもくっついてまわっとた。
    下っ端で鬼ごっこしても鬼になれんで(涙)。
    ありがとうございます、こんど大工町のことば書くけん。
    (ちゅうれいとうって30年ぶりくらいに聞いたよ)

    ベベンコビッチさん、
    挨拶まで行ってもらってすみません。
    実家は家の壁ば先月塗りなおしたらしかけん
    一瞬みばえのよかったでしょ?

  7. 3号世代のベベンコビッチです。
    うんにゃも おんも両親には会いたかったっち。
    チュウレイトウのレイトウは、”霊塔”やったっけ?
    ゲイラカイトは流行ったよ~ 福中でやっじょったよ。
    NOVAのトートバッグとかみんな持っちょったよね。英会話教室じゃなかやつね。

  8. 厚焼玉子 より:

    忠霊塔と思いますです。

  9. 2号(しょうこ) より:

    そうかぁ~、忠霊塔。そんな字でしたね。白い巨塔(田宮二郎も唐沢寿明もいませんが・・・)に、でっかく書いてあった気がします。有難うございました。

  10. 中村直史 より:

    >2号さま
    「今年の夏は会えずに残念でした」と3号からの伝言です。
    きのう、しょうこ&ゆみ姉妹と散歩中に会ったやろ?
    って母に聞いたら「何でん知っちょんね!」と驚いてました。

  11. 2号(しょうこ) より:

    そうね・・・恐るべしネット社会!こんなアナログ世代の私らでさえ、一瞬にして情報を共有できるんだもんね~。今日も5号と老化防止のウォーキングをしてきたので、5号にも「ターチーのブログを見ろ!」と業務命令を下してきたところ。今頃晩酌をしていると思うので、飲みながら見ているか・・・?3号も、シャチホコに見守られながら達者で暮らしているんだね。また来年の盆に、戸楽でね!

  12. 厚焼玉子 より:

    2号さま、
    忠霊塔は昭和の初期にさかんに建てられたようですが
    第二次大戦後に軍国主義だというので
    かなり撤去された模様です。
    五島は残っているんですね。

  13. 3号(ひーぼー) より:

    突然割り込みますが、3号(ひーぼー)です。2号様いや、(久しぶりに照れながらしょうこねーちゃんと呼ばせてください)大工町軍団、懐かしくとってもいい気分になりました。ところで、そこに監督(いっこねぇーちゃん)がいたことをお忘れでは?ユニフォームも揃え皆で写った写真(時代的に少々セピア色ですが)が存在します。大工町軍団(確かチーム名もあったけど、思いだせない・・)は自分がプロデュースしたと30年経った今でも郁子姉の自慢です。写真、探し出して今度7号に頼んで公開します。5号(ゆみちゃん)、おじさん、おばさんにもよろしくお伝え下さい。
    尚、その大工町軍団にもしベベンコビッチさんがいたら、多分最強軍団になっていたと思います。(ベベンコビッチさんは中学時代長崎、いや九州一の名セッターで、将来を有望視されていたことを補足しておきます。)

    ところで、「チュウレイトウ」何処にあったんだっけ?

  14. あん白か塔な、坂の上にあったとじゃなかったかね~

    ヨイひーぼー 九州一っち・・・   ざぁな褒めすぎじゃろ~

    あがん母ちゃんな、おっが母ちゃんより、おっどんが試合ば見に来てくれよったよ~

    ひーぼーどんが親戚のおったとは薄っら記憶にあったばってん、誰じゃったかな・・・

  15. 中村直史 より:

    大工町軍団の(バレーボール)チーム名は
    たしか「たちきやまと」。
    でも俺はまだ小さくて参加してなかった。
    「ちゅうれいとう」は「ちゅうれいとうに上る」って言いよらんかった?
    だから坂の上とかじゃなかったろうか、
    と勝手に想像してるんやけど。
    でも、「忠霊塔」って書くとは知らなかった。

  16. 中村直史 より:

    よかねーこら。
    なんじゃろ五島コミュニティサイトんごてなってきたよな。

  17. 2号(しょうこ) より:

    厚焼玉子さま
    忠霊塔情報、有難うございました。子供心に「この塔は何なんだろう?」と不思議に思ってはいたのですが、多分今は塔も撤去されているのか、場所が分からなくなっています。土日に、跡地的なものが残ってないか探してみようと思っています。

    3号さま
    そうそう、チーム名は「立木大和」ちゃんとユニフォームば作ってね。いっこ姉ちゃんが監督ばしてくれたもんね。懐かしかね~。みんなまだ小さくなかったっけ?試合があるわけでもないのに、ざまな熱血指導ばされた記憶が・・・(笑)ベベンコビッチさんが「立木大和」のセッターになってくれても、アタックば打てる選手は誰もおらんやったろう。そもそも、レシーブができたのだろうか・・・?
    忠霊塔は、海陽高校周辺だろうとは思ってるんだけど、家やら何やら建ってしまって、よく分からんとよ。ちょっと見に行ってみるけん。

  18. 3号 より:

    よし、来年の盆は忠霊塔にみんなでいこや。そこでベベンコビッチコンサートもやろや。

    さすがのGHQも五島の忠霊塔は見つけれんじゃろね、何の忠霊塔じゃろね。

    それにしても坂の上にあったかな・・2号へ、偵察は気をつけて。

    生まれて初めてこんなんにコメント入れたけど、なんか楽しか。

  19. 中村直史 より:

    >3号さま
    (って実兄に向って何なんやろうねこれ。
     ネットっちゅうのは恐ろしかね。)
    したら、これを機にコメント魔になってよ。

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