厚焼玉子 09年12月27日放送

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医者で作家 1 渡辺淳一

医者という職業はかなり忙しい。
医者で作家の人たちは
いつ小説を書くのだろう…はともかく
どうして小説を書きたくなるのだろう。

それに関しては
渡辺淳一先生が明快に述べている。


 医学も文学も「人間とはなにか」という
 問いかけから発している。
 医学は肉体的な面から、文学は精神的な面からという
 違いはあるが
 目的とするところは人間であり
 その点でまさに同じである。

言われてみれば、その通りでありました。

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医者で作家 2 森林太郎

陸軍軍医の森林太郎は
1884年、22歳のときにドイツ留学を命じられ
天皇陛下に拝謁する光栄も賜って
横浜港から出港した。

ライプツィヒ大学とミュンヘン大学で学び
赤十字国際会議には日本代表の通訳として出席。
医学の道は森林太郎に洋々たる未来を約束していた。

1888年、
帰国の途についた森林太郎を追うようにして
ドイツからひとりの女性が日本に向った。
もし、この女性がいなかったら
森鴎外の処女作「舞姫」はなかった。

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医者で作家 3 手塚治虫

手塚治虫は医学部を卒業し
1年間のインターンも務め、さらに国家試験にも合格して
医師免許を持っている。
ただし、患者を診たことは一度もない。

大学時代から漫画が売れはじめ
教授からも医者よりも漫画家になるようにと
すすめられてしまったのだ。

漫画家として長者番付に載るようになっても
「僕の本業は医者」と言いはっていたのだが
博士号を取るための論文に関しては
書く時間はおろか
研究する時間もあろうはずがなかった。

けれども、いつの間にか
手塚治虫は博士号を取っている。
記録によると、それは1961年33歳のとき。

医学雑誌に発表されたその論文のタイトルは
「異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」
この長いタイトルは
手塚治虫の超カルトクイズにも出題された。

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医者で作家 4 なだいなだ

芥川賞最多落選記録を持つなだいなだ先生は
もともと精神科のお医者さま。
アルコール依存症を研究のテーマにしていた。

フランスに留学して神経学を学び
1955年に精神科医になると同時に
文筆活動を開始した。

作家と医者、二足のわらじどころではなかった。
放送作家でありコラムニストだった。
短歌と俳句も詠んだ。

61歳からは作家に専念、
74歳でネット上の仮想政党「老人党」を結成。
80歳でまだまだお元気。

精神科のお医者さまってタフなのでしょうか。

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医者で作家 5 北杜夫

作家の北杜夫は
精神科の医者であると同時に患者でもあった。
病名は躁鬱病。

無気力な鬱の状態が長くつづいた後に
やってくる躁状態のときは
ひっきりなしに水を飲まなくてはいられないほど
よくしゃべり、
体重が減るほど動きまわり
また株に手を出して破産も経験している。

その一方で精神科医としての目は
自分のそんな状態を冷静に見つめ
ユーモラスなエッセイにして発表した。

北杜夫のおかげで
躁鬱病はすっかりイメージアップしてしまった。
まわりの理解も深まり
患者は精神科の門を気軽にくぐれるようになった。

日本の精神医学史において
北杜夫の存在は貴重だ。

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作家で医者 6 加賀乙彦

作家の加賀乙彦は精神科医だった。
拘置所で囚人の治療にあたった経験もある。
犯罪心理学の研究室にいたこともある。

犯罪心理学というポイントから
社会を見つめる目を持っている。


 異常な状況においては異常な反応が正常である

加賀乙彦の言葉は
言われてみればあたりまえのこと。
でも、言われなければ気づかなかったこと。

犯罪を通して人の心をさぐる日本の作家は
彼より以前にいなかった。

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医者で作家 7 藤枝静男

作家であり眼科医でもある藤枝静男は
書くことを余裕で楽しんでいるような
幻想的な作風で知られている。

その一方で
近代文学社に毎年の寄付を申し出て
それがきっかけで近代文学賞が設立されたことは
意外と知られていない。

第一回近代文学賞の受賞者は吉本隆明。
これを忘れてはいけない。

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